第36話 逃げ出さなかっただけだよ
薄暗く長い一本道。
静まりかえった商店街に足音だけが響く。
――もう、何もかもが嫌だった
終電間際、駅にたどり着く。
出発を知らせるベルの音が鳴る。
――ここにはいたくなかった
まるで俺を歓迎しているように開いた電車のドア。
吸い寄せられるように乗り込む。
――このままどこかへ行ってしまいたかった
その時ふいに、後ろから手を引かれる。
振り向くと、俺の手を握ってくれていたのは――
一人の少女だった。
◇
ジジジジジジ......
ルメンヴァル公邸にある照平の部屋に、目覚まし時計の音が鳴り響く。
まだ日が昇る前の薄暗い部屋。
重い体をなんとか起こし、身支度に取りかかる。
先日、約一ヶ月ぶりにルメンヴァル公邸に帰ってきた。
リカルドからは勝手にヘヴィロック大採掘場に残ったことを叱られたが、結果的に、資金援助せずに解決するという当初の指示を、最高のかたちで達成できたので、その件は不問となった。
今日は朝から来客の予定だ。
朝の掃除を急いで済ませると、応接室に向かった。
応接室で待っていたのは、岩石のように鍛え上げられた体つきの男、そう、バルカス親方だ。
バルカス親方は、満面の笑みで俺を迎えてくれた。
「おぅ!ショウ、久しぶりだな。元気にしてたか?」
会うのは数日ぶりだが、親方の顔を見ると思わずこちらも笑顔になる。
一ヶ月という短い期間だったが、本当に内容の濃い時間を共に過ごした。
俺は、バルカス親方やバルカス鉱業のみんなを共に戦った戦友のように思っていた。
きっと、バルカス親方もそう思ってくれているはずだ。
「親方、お久しぶりです。おかげさまで元気にしてます」
こちらも満面の笑顔で応える。
お互い言葉にはしないが、共に戦った日々を讃えあうような、そんなやり取りだった。
「今日はヴァレリアさんとメガネの嬢ちゃんはいないのかい?」
「ヴァレリアもミカも、学校に行っています。二人とも親方に会いたがっていました」
「そうかい。じゃあ、また今度だな」
リカルドに促されてソファーに座る。
すると、バルカス親方が改めて話し始めた。
「今日は先日のお礼に来たんだ。おかげさまでルメン・ライム採掘の新たなポイントが見つかった。礼を言うよ」
Sith-Spiraから出たルメン・ライムは想定以上の量だったようで、バルカス鉱業の当面の売上は確保できそうとのことだった。
ルメン・ライムが安定的に採掘できる間に、経営を立て直す他の方法を検討するようだ。
「引き続き、ジークを中心に対策を練ってもらっている。頭の固いジークも、ショウのおかげで人の話を聞くようになったからな。きっといい方向にいくだろうよ」
「俺のおかげなんて!そんなことはないですよ」
自分がジークに何か影響を与えたなんて実感はなかった。
でも、今回の件で俺もジークも何かが変わったのは確かだ。
知識と理論だけのジークと、人当たりの良さだけの俺。
それぞれ、どちらも大事でどちらも間違いではない。
だけど、何か問題に直面し、それを解決しようとする時、片方だけでは上手く行かない。
それを二人とも思い知った。
そして俺が今回、それ以上に思い知ったこと。
それは、壁にぶち当たった時、うまく行かなくてもいいから、逃げずに立ち向かってみることの大切さだ。
俺は新卒で入社した会社で、厳しい上司という壁から逃げ出した。
今思えば、上司の期待に応えようと、うまくやることに、とらわれ過ぎていたのかもしれない。
今回逃げ出そうとしたとき、助けてくれたのはヴァレリアとミカだった。
そして、二人は俺にはない理論という武器でジークを説得してくれた。
その結果、ルメン・ライムが採掘できたのだ。
俺はその時、特別何かしただろうか?
ただ、逃げずにそこにいただけだ。
でも、その結果、そこまで積み上げてきた信頼が活きて、バルカス鉱業のみんなが助けてくれた。
きっと、うまくやれなくてもいいんだ。
ただ、壁を乗り越える方法を一生懸命考えて、逃げずに立ち向かう。
そうすれば、たとえその壁を乗り越えられなくても、何か得るものがあるんじゃないだろうか。
『照平達のことは信頼できる』
ジークが言ってくれたその一言は、逃げずに立ち向かった俺たちへの一番のご褒美だ。
「そういえば......」
バルカス親方が言う。
「ヴァレリアさんが提案してくれたアレ、早速、隣国から依頼があったよ」
「そうなんですか!バルカス鉱業の技術が多くの人の助けになるんですね」
『アレ』とは、レゾナンス・グリットを破壊できずに困っている他の都市に向けて、ベテランチームを派遣するという、ヴァレリアの提案だ。
需要があるだろうとは思っていたが、こんなに早く依頼が来るとは。
「ヒラさんも張り切ってるよ」
バルカス親方が嬉しそうに笑う。
きっと、憧れのヒラさんがまた輝く姿を見られるのが嬉しいのだろう。
「みんな、前に進んでるんですね」
俺がしみじみと言うと、バルカス親方が応える。
「あぁ......」
◇
話が終わり、バルカス親方を出口まで見送ると、唐突にこんなことを言われた。
「ショウ!ルメンヴァル公邸が嫌になったらバルカス鉱業に来い!いつでも歓迎するぜ」
「え?!」
バルカス親方からのその言葉に、なぜか目の奥が熱くなるのを感じた。
思えば、元の世界では転職活動にことごとく失敗した。
受けた先から返ってくる『お見送り』通知を見る度、誰も自分のことを必要としていないんだと思った。
ルメンヴァル公邸に呼ばれた時は嬉しかった。
しかし、どこかで『自分のことを本当に必要としている訳ではない』ような気がしていた。
俺は今、人生で初めて、自分が頑張った成果を認められた上で必要とされている。
俺は、念のためリカルドがいないのを確認してから、満面の笑みで応える。
「えぇ、その時はよろしくお願いします!」
これがきっと、逃げ出さなかった結果、得たものなのだ。
◇
その夜、ルメンヴァル公邸ではささやかな宴会が催された。
目的はヘヴィロック大採掘場での活躍の慰労と、もうひとつ――
「改めて。お帰りなさい、お父様」
ヴァレリアが笑顔で乾杯を告げる。
ヴァレリアの父であり、ルメンヴァル周辺一帯の領主であるアルベルトが、約三ヶ月ぶりに帰ってきたのだ。
「ヴァレリア、みんな、私が不在の間、苦労をかけた。特に照平......」
アルベルトは申し訳なさそうに微笑む。
「連れてきた本人が突然いなくなってすまなかった」
ほんとだよ、勘弁してくれ。
喉元まで出かかった言葉をかろうじて飲み込んだ。
「いえ、でもまぁ......連れてきていただき、ありがとうございました」
建前ではなく、心の底から出た本音だった。
ほったらかされたおかげで逃げ場がなくなった。
そして、泥臭く踠いたこの三ヶ月は、俺にとって、とても大切な時間となった。
アルベルトはそんな俺の心を見透かしているのか、子の成長を見守る親のように、優しくうなずいた。
「ところでアルベルトさん、今回はルメンヴァルに長く滞在するんですか?」
俺が唐突に尋ねると、場が少しおかしな空気になったのを感じた。
??
質問の意図を掴めないという表情を見せながら、アルベルトが応えた。
「あぁ、即位式が終わるまではもちろん滞在するよ」
即位?誰が?何に?
状況がよく分からない。
「即位式......ですか?」
「アルベルト様、申し訳ありません。照平にはまだ説明しておりませんでした」
リカルドが申し訳なさそうにフォローする。
「そうだったのか、では、私から説明しよう」
アルベルトが改めてこちらに向き直る。
「来月、ヴァレリアが15歳の誕生日を迎える。その日にヴァレリアはルメンヴァル王に即位するんだ」
当然のように言うアルベルト。
俺にはそれが全く理解できなかった。
「ヴァレリアが?ルメンヴァル王?!」
つづく




