第192話 滅ぼした側
……なんだか、今日はどっと疲れました。
魔法使い研修の時の方が、いっそ楽だったかもしれません。
肉体的に疲れていた時の方が、まだマシでした。
「……はぁ」
なんとなく私も物思いに耽りたい気分だったので、宿泊施設を改築して作ったであろう図書室へと1人で訪れました。
恵那斗はどうやらイナリちゃんのところに行ったようです。
こうした対話に関しては、私よりも恵那斗の方が適任だと思います。
異災前からコミュ障拗らせていたので、偉そうなことを言えないんですよ私は。
麻衣ちゃんは相も変わらず仕事に没頭していますね。さすがにイナリちゃん——じゃないですね、白狐の独白を文章として起こす仕事だって増えたでしょうし。
ワーウルフも、メタトロンも、恐らく異世界の記憶を持ち合わせているはずです。
きっと、レベルアップ研修の中で恐らく引き出されてしまうのでしょう。
「……うん」
……今なら、何となく。
琴男の人格が、比較的真っ当になった理由だって分かる気がします。
と、言うか本人からある程度確かめてみましょうか。
ちょうど、遠くから私のいる図書室に近づく足音が聞こえたので。
頬杖をついていた顔を上げて、それから廊下側へと視線を送ります。
ジャストタイミングですね、ドアに取り付けられた窓ガラスから琴男の姿が見えました。
過去の私だというのに、今や全くの別人にしか見えません。誰だこいつ。
どこか気を遣うように、ゆっくりと軋む音を奏でながら扉が開かれます。
「あ、お兄ちゃん。何、後を付けて。ストーカー?」
「開口一番失礼だろお前……」
「うそうそ。ちょうど私だって色々と聞きたいと思っていたし」
「だろうな」
琴男は苦笑を漏らし、刹那の間を置いてから私の隣に座りました。どこか遠慮を感じさせる距離感と言いますか、わざわざ座った後に私から距離を取りました。なんだか失礼だと思いませんか、このクソ琴男が。
……にしても、あまりにも自分の感覚として落とし込まれていたので、気付きもしなかったんですけど。イナリちゃんの独白を聞いている内に、少しだけ気になったことがあるんですよね。
イナリちゃん、明らかに琴男に対して壁を作るようになった気がするんですよ。よそよそしいというか、彼とまともに顔を見合わせません。
それは恐らく、白狐の記憶が引き出される内に、琴男の身体に秘められた魔王の力を本能的に嫌悪するようになったからだと考えています。
もしかして、私も似たような状況なんじゃないかって思いました。
「お兄ちゃん。私さ、一番最初に殻の世界? で出会ったじゃん。出会った、で良いのか分かんないけどさ」
「……ああ、お前が魔力枯渇症候群を来たした時の」
「それは忘れてくれない?」
なんで変なところだけ把握しているんでしょうかこの琴男は。
そりゃあ私がポーションを飲まずに寝こけたのが悪いですよ。なんですか、文句ありますかっ。
だって眠かったんですもん。二日酔いの感覚、案外好きなんですよ。
もう長らくお酒も飲めていません。ちょっとお酒を飲んでいた時の感覚だって忘れている気がします。
こほん。
……という愚痴をこぼしていたらいつまで経っても話が進みません。
まったく、誰のせいなんでしょうか。んふふ。
にしてもですよ。出会った時は、まだもう少し。嫌悪感というものを感じ取っていなかったはずです。
琴ちゃんキックをしたのだって琴男と再会してから3回目の時でしたし。
普通は1回もやらない行動というごもっともなツッコミはご法度です。
琴ちゃんはナイーブなんです。高火力低耐久なんですよ。
なんというのでしょうか。琴男の顔を見るとムカつくんですよね。
スカした顔しやがって中二病のクソボケが、くらいには思っています。
「私ね。日に日に琴男の顔を見る度、ムカつくようになってきたんだけどさ」
「それを本人の前で言うのがお前らしいな」
「どうせ自分自身だし」
「もう少し自分自身を労わろうとは思わないか?」
「全然」
良いじゃないですか。ものすごく遠回りした自己嫌悪ですよ。私は何も間違った行動はとっていないと思います。
元から、私は自分自身のことが好きではありません。琴男時代から、自分の顔が映っている映像を見るのは嫌でしたし、自分の録音した声を聞くのだって嫌でした。
なので自己嫌悪するのは当然ですし、琴男の顔を見てムカつくのは自然だと思っていたんですよ。
ですけど、もしかしたらその前提にも疑問符を示すべきだったのでしょう。
当たり前を疑う、琴ちゃんの得意技だったはずなんですけど。
とんでもないところにトラップが仕掛けられていたものですよ。
こんなところから、私を侵食していったんですから。異世界の記憶とやらは。
「やっぱりさ。琴男に対してムカつくのって、メタトロンが関係してる?」
「……まあ、気付くよな。お前なら」
「ま、伊達に琴ちゃんやってない訳だよ」
「あっそ」
あまりにもあっさりとした反応しかしないものですからムカつきました。
私は椅子を引き、勢いよく立ち上がります。
「もうちょっと反応くれても良くないかな、お兄ちゃん。このっ、このっ、今ここで魔王の魔王を討伐してやる。琴ちゃんキック!」
「お前それはマジで止めろっ、おい! クソチビ! 聞いてんのか!」
「はぁー!? 誰がクソチビだよっ、失礼だと思わないの!?」
うん、やっぱりムカつきますね! この琴男は。
今ここで魔王討伐をしてやっても良いんですよっ。
琴男の琴男はここで今、私が討ち滅ぼします。
なので差し出せ。私が成敗してやるっ。
という訳で椅子を蹴り上げて立ち上がり、琴ちゃんキックを連発していたんですけど。
「やっ、めっ、ろっ!」
「ステータスを使ってちょこまかと逃げるなぁ!」
琴男だけステータスをダンジョン外でも使えるのズルいですよ。私の攻撃が当たりません。
ダンジョン内ならステータスが反映されるので、ある程度物理攻撃を追加できるんですけどね。
さすがにそれをやるとマジで破壊しかねません。主語は省きます。
ん? 1回やりかけてなかったかって? 気のせいですよ。えへっ。
「……はぁ、ぜぇ……なんか、無駄に体力使った気がする……お兄ちゃんが逃げるから……っ……」
「お前、責任転換するのはやめろ。俺は悪くないだろ」
「大人しく1発喰らっていれば良かったんだよ……はぁ……」
図書館で暴れるのはダメでしょって? 分かりませんね。
とりあえず私は息を整えて、もう一度椅子に深く腰掛けました。
それから本題に切り込むべく、意識を切り替えます。
こういう時は脳内にスイッチがあるイメージで行動していますね、私は。オンとオフ、モードをスイッチ一つで切り替えるイメージです。
ちょっとばかり、真面目モードに入りますよ。覚悟は良いですかっ。
聞いておきたかったんですよね。琴男が見た異世界の記憶とやらを。
琴男のレベルは今や100超え。
もはや彼以上のレベルを持つ冒険者はいないでしょう。
正真正銘、最強です。ファンタジーの世界なら今頃美少女ハーレムを築いて、ありとあらゆる冒険者からチヤホヤと囃し立てられているはずです。
ですがそう上手くいかないのが現実なので。仕方がありません。
「お兄ちゃん」
「あ? なんだよ、真面目な顔して」
「お兄ちゃんはさ、何を知ったの? そんなキャラじゃないでしょ」
「キャラってお前……」
「答えて」
曖昧に濁した雰囲気で逃げおおせようとした琴男ですが、私は逃がしませんよ。琴ちゃんは執念深いんです。
という訳で琴男の逃げ道を潰すべく、魔石をちらつかせながらそう質問を投げかけました。さすがにダンジョン外であれば、魔石を使った私に軍配が上がると思うので。どっちにせよ脅しですが。
まあ、魔石で脅す必要なんて無いんですけどね。
好奇心で動く私から逃げる術なんて、私が満たされる以外に解決策はありません。観念しろ。
ちなみに琴男が逃げ場を失うように、脚は深くこいつの足元に差し込んでいます。まずは相手が動きづらい位置を取ること、冒険者生活の中で学んだ戦闘の基本です。
「……はあぁ……」
逃げられないと悟った琴男は観念したように、大きな溜め息を吐きました。あまりにも溜め息が大きすぎて私の髪先が揺れました。なんかやだな。
「……俺は、魔王はな。滅ぼした側だったよ」
「滅ぼした側?」
「魔王が腕を振るうだろ。それだけで王国が消し飛んだ。この世界で言う”炎弾”を放てば、あっと言う間に焼け野原の完成だ」
「……」
お、おー……思ったよりもスケールのとんでもない話が出てきましたね。
ちょっと理解にタイムラグが出来ちゃいました。
魔王の記憶は何かしら引き継いでいるものと思っていましたが、さすがにこのレベルは想像できなかったです。
そんな私のリアクションを見た琴男は、どこか遠い目を見て私から顔を逸らしました。
「魔王を介してさ、その記憶を見た時。直感的に感じ取ったよ、世界に生まれちゃいけない力だって」
「……一応、確認だよ。お兄ちゃんの見た記憶の中で、異世界はどうなってた?」
「滅んだよ。跡形もなく、な」
「……そっか」
琴男は、それから恐ろしいものを見るように顔を伏せました。目線が小刻みに震えています。
大きく息を吸ったものですが、吐いた息はとてもか細かったです。半開きにした口から、吐息ともとれないような空気が漏れます。
「あまりにもあっけなさすぎて、現実みなんてなかった。あの一撃で、何人死んだんだろうな。どれだけの苦しみ、悲しみ。絶望が生み出された?」
「それが、異世界の顛末なんだ」
「ああ。それと同じ現象が……この日本で起きたらどうなる?」
「……そ、れ……は……」
「考えてみろ。朝、寝ぼけた頭で目覚まし時計のアラームを消して、家族に呼ばれてさ。リビングで他愛もない会話をしながら朝食を食べる。そして、仕事か学校へ、それぞれ出かける。そんなありきたりで他愛ない日常を、バカげた破壊力を持った魔王の力が全て消し炭にする」
「……っ」
琴男の言葉に、イメージしてしまいました。
ちょうど異災の日に見た景色と、似通ったものでした。
同じ日が続くと思っていたんです。
昨日がこうだったから、今日もこうだって。もはや、信頼にも似たものだったかもしれません。
それらを、ダンジョンはすべて奪っていったんですよ。
私の表情筋が強張ったのを悟ったのでしょうね。琴男は真剣な表情で頷きました。
「蚊帳の外から責任がどうの、と言えるだけ……俺達は随分と幸せだ。本当にヤバいことには、責任を問うている時間なんてないからな」
「お兄ちゃん」
「力を持つ人間が、事を成す。出来ることは、それだけだ」
「……」
最後に、琴男は私の頭をポンと叩きました。
メタトロンの身体は、魔王である琴男を拒絶しようと身構えますが……ぐっと堪えました。
そんな強張ったのに気づいたのでしょう。琴男は最後に、どこか寂しげな顔色を滲ませて微笑みました。
「本当に、どうしようもなくなった時は……俺を殺せ。それが、世界の為だ」
「……まって」
「1人の犠牲と、世界の存続。どっちが大切か、お前……いいや、俺自身なら分かるだろ。異災を生きた俺なら、な」
琴男は「じゃあな」と一方的に告げて、図書室を後にしました。
スライド式の扉が軋む音を上げながら、静かに閉ざされます。
取り残されたのは、私ただ一人だけでした。
「……馬鹿お兄ちゃん」
苛立ちが込み上げます。
この感情は、メタトロン由来のものか。それとも、私自身の本心から来るものか。正直、どっちのものか分かりませんでした。
ですが、これだけは言えるんですよ。
琴男は、消えて良い存在というには……あまりにも、皆と関わりすぎました。
「パパの家でお世話になっているんだよね。ゆあちーに好かれているんだよね。恵那斗と友達になったんだよね。なんで、なんでなんで、そんなこと言えるんだよ……」
肝心なところで、自暴自棄が捨てきれていません。
そんな琴男に、苛立ちが勝ります。
琴男だって、既にもう、皆の輪の中に居るんですよ。
なのに「どうしようもなくなれば殺せ」ですって?
馬鹿げてる。
馬鹿げています。
そんな選択肢を取って、誰が幸せになるんですか。
「……なんで」
身体の反応は、防衛機制から来るものです。
警戒心を滲ませるのは、それが脅威だと感じているからです。
身体が脅威と感じるからこそ、私の心は琴男を敵視します。
メタトロンという身体が、私の心を知らず知らずに蝕んでいく。
その事実に、恐怖よりも苛立ちが勝りました。
「……ふざけないでよ」
勝手に、自分の思考を蝕まないでほしいものです。
私の思考は、私のものです。メタトロンの身体が、過去が何であろうと。私は、私の判断の元に動きます。




