第164話 魔族
清水 大輝という人物は、厳密には冒険者ではない。
まだ冒険者という職業が完成する以前の時代より、ダンジョンという得体のしれない建造物を調査していた研究員の一人だった。
ちなみに釘を刺しておくと、彼はれっきとした人間だ。まあ、うん。
未知の世界に興味を示した彼は、危険を顧みることなく調査を続行。
当時、不可解な技術の結晶とも言われていた“アイテムボックス”を発見した第一人者でもある。名前こそ普遍的なのだが、その実績は後世に語り継がれるべきものだ。
「ダンジョンの基本はゴブリンにある」
よく、清水はそんなことを口に出していた。
ゴブリンとの戦い方を知れば、魔物との立ち回り方が良く分かる。
ゴブリンの生態を知れば、ダンジョン内に生息する魔物の動きが良く分かる。
ゴブリンを解剖すれば、ダンジョン内の環境が分かる。
その言葉を証明するように。
黎明期における人材の中でも彼はもっとも優れた研究員として、同業者を。
ひいては、冒険者を導くような存在だった。
俺はそんな彼から、ダンジョンのありとあらゆる知識を教わった。
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まるで俺達がいる空間だけを切り取ったかのような静寂が、辺りを包み込む。
43階層に居たはずの魔物は、全て俺が屠った。リポップまでは十分に時間がある。
つまり、まだ会話をする余地は残されているということだ。少なくとも30分くらいなら、だらだらと雑談したって許されるということだ。
……仕事中に雑談するなとか、そういう話ではないことは分かって欲しい。
だが、何を話せばいいのか、何を伝えればいいというのか。
咄嗟の衝撃に、理解が追い付かない。
その卓越した思考こそが武器だと言われていたはずなのに、どうにも情けない話だ。
今、この心に抱くべき感情は感動の再会に対する喜びなのか。
それとも、世界の理不尽に対する怒りなのか。
はたまた、世界の因果が生み出した悲劇に伴う悲嘆なのか。
渦巻く感情が、俺を暗闇に押し込める。
「……なあ。俺さ、アンタから色々と教わったんだ。ダンジョンの中でどう生き抜けばいいのか」
「はは、そうですね。君は随分と無謀な戦い方をしていましたから。その身体に、顔にどれだけの傷を残しましたか?」
「数えられないほどだ。傷だらけだよ、心も身体もな」
「……ええ。君はまだ、傷を抱え込んでいる」
傷。
そうだ、俺は30年の中で様々な傷を刻んできた。
自らが相手に傷を付けもしたし、相手から傷を受けもした。
沢山の傷こそが、田中 琴男の証明としてここに存在する。
そして、その全身に刻んだ傷が俺に伝える。
——目の前に立つ、清水 大輝は敵であると。
「……感動の再会で悪いけどさ」
「ふむ、どうしましたか」
俺は右手に握る王者の剣へと、“封魔の鎧”を纏わせる。漆黒のオーラが全てを貫く刃を生み出した。
後は、こいつの首筋を刎ね飛ばすだけだ。
「——消えろ。過去の遺産が」
「……」
身を屈め、大地を蹴り上げる。
加速する景色の中、俺はただ使命の元に刃を振るう。
迷ってはいけない。
俺は冒険者として、目の前の脅威を屠らなければいけない。
そこに感動の再会など要らない。
そこに感情など——。
「……ふふ」
清水は、笑っていた。
その笑みが、俺の殺意を押しとどめる。
「——っ!!」
その笑みを見た瞬間、本能が「殺してはならない」と訴えかけた。
剣に纏わせた“封魔の鎧”を解除し、思いっきり踏みとどまる。靴底で擦る砂利が、不快な摩擦音を奏でる。
舞い上がる土煙が、俺のズボンを汚す。
情に絆された訳ではない。
清水は明らかに、俺の凶刃に掛かろうとした。
殺意を押しとどめたのは、理性だった。
首筋まであと1cmというところで刃を留めた俺は静かに剣を引き、ゆっくりと距離をとる。パーソナルスペースを十分に確保したところで、会話を再開した。
「……アンタ、わざわざ殺されようとしたな」
「はは、やはり気付きますか。私の意思が受け継がれているようで何よりですよ」
「……ちっ」
苛立ちを誤魔化すように、わざとらしく大きな舌打ちをした。そんな舌打ちの音さえ、残響して遠くに消える。
もはや、刃での会話になど意味はない。
俺は王者の剣を”アイテムボックス”に格納し、無理やりにでも言葉を紡ぐ。
「アンタを今ここで殺すことはな、俺にとっては不利益となるんだよ」
「……ほう」
清水先輩は関心深そうに眉を上げた。まるで称賛するような笑みだが、いっそ小ばかにされているようにも見えた。
だが、よく殺意を踏みとどまったものだと、内心高く自分自身を称賛していた。
下手にここで清水先輩を殺すことは、俺にとっても大きなデメリットとなるんだ。
なぜなら。
「俺だって報告内容を増やしたくないんだよ。なんで俺なんだよ」
「……田中君、その理由は酷くないですか?」
清水先輩の呆れたような声が響いた。
口にこそ出さなかったが、時間経過と共に「めんどくさい」という気持ちも同時に込み上げてくる。
常に先々を見据えているからこそ、見えてくるんだよ。「あー、これ俺が報告するんだよな」って。
死んだはずの清水先輩が俺の前に現れたせいで、「上に報告しなければいけない」という義務が生まれてるんだよ。
仕事だって正直したくないというのに、報告義務を生み出して欲しくなんかない。
という訳でさっさと帰れ先輩。
万が一ここで先輩を殺してしまうと「どうして情報源となりそうな存在を倒してしまったのですか」と詰められる理由になりかねない。
説教を喰らいたくないんだよ俺だって。
「……はぁ」
おい、清水先輩。お前今ボソッと「彼の前に姿を現したのは失敗でしたかね」とか言っただろ。
仕事勝手に増やしておいてふざけんな。
「いや、悪いんだけどさ。先輩……出来たら全日本冒険者協会辺りにでも姿を出してくれないか?」
「魔族を使い走ろうというのですか、君は」
「報告内容を増やすな。伝えなきゃならんの俺なんだぞ」
「……そんな理由で言葉を遮らないで貰っていいですか?」
何しれっと魔族とか言ってるんだ。情報を増やすな、俺の仕事が増える。
正直、魔王を封じ込めようと懸命にダンジョン攻略続けてるだけで偉いと思うんだよ俺。
……などと、心の中で葛藤していた時だ。
葛藤だろ葛藤。もう充分働いてるんだよ俺は。
目の前に立つ清水先輩は、呆れたようにため息を吐きやがった。
おい。失礼だろ。
「残念ですが、今日は君の前にしか姿を現しませんよ」
「嘘だろ」
「明らかに嫌そうな顔しないで下さいよ。少し見直したと思ったらこれですか……」
「ギルドとしても情報過多だろ。少しずつ課題を減らしていきたいんだよ、俺は」
正直、魔王の一件というだけでもかなりギルドにとって負担となっている自覚はある。申し訳なさこそあるが、こればかりはどうにもならない問題だ。
魔王が世界に現れようものなら、とんでもないことになるのは目に見えているしな。
俺が少しでも時間を稼いで、この世界に魔王が落ちる前に対抗策を考えてもらう段階だ。そうしなければいけないというのに、何だ魔族って。ふざけてるのか。
ちょっと創作物における一般的な魔族と認識がズレているせいで、余計な情報を増やした結果にしかなってないんだよ。本当にふざけるな。
まあ、恐らく魔族も魔王も、ダンジョンという共通項から成り立つ存在なのだろうが。
最低限、その部分は保証して良いだろう。
……という、話を聞く気が失せた雰囲気を感じ取ったのだろう。
清水先輩は観念したように両手を上げた。ぼろ布のような外套がはらりと揺れた。
「分かりました。社会人ですね、田中君も」
「情報は少しずつ咀嚼していくべきだ。いきなりバーッと流し込んでも、誰も追いつかないんだよ」
「そんな理由で追い返そうとするなんて、あまりにもひどい扱いだと思いませんか」
「良いからさっさと帰れ」
なんというか、もうまともに話を聞く気になれなかった。
確かに危機的状況なのだろうから、さっさと報告しにも行かなければならない。社会人は面倒だ。
「しっしっ」と邪険に追い払うと、清水先輩はげんなりとしたように肩を落とした。
「はあ、わかりましたよ……今日のところは帰ります」
それから清水先輩は、自らの背後へと手を突き出した。その掌に沿うように、1人ならすっぽりと収まりそうなほどの巨大な亜空間が生み出される。
恐らく“アイテムボックス”と同一の存在であると思われるそれに、清水先輩はゆっくりと入り込む。
最後にちらりとこちらへと振り返ったかと思うと、清水先輩はもうひとつ言伝してきた。
「……私達は、見た目だけで。どれほどの情報を伝えられるのでしょうね」
「……」
「それでは」
そう告げた清水先輩は、自らが“アイテムボックス”内に格納されると同時に姿を消した。
まるでその時を待っていたかのように、魔物の声が遠くから聞こえ始めた。モンスターがリポップし始めた証拠だ。
俺は虚空を仰ぎながら、ため息を吐く。
「……見た目が伝えられる情報量……な」
言いたいことは非常に理解できる。
例えば不出来な妹である田中 琴。彼女がどれだけ「自分はベテランの冒険者ですから!」と嬉々として伝えたところで、誰がそれを信じられるのだろう。
冒険者証を見せたところで、きっと完全な証明は不可能だろう。見た目がアレなのだから。最近は中身もアレだ。具体的な内容は明言しない。
しないが、なんとなく言いたいニュアンスは分かるはずだ。
やはり、言葉だけで伝えられる情報は限られるというものだ。
現在視覚的に見える事実こそが、固定概念を生み出してしまうというものだ。
……難しいことを考えるのはやめにしよう。
今、俺が乗り越えるべき課題はそこにはない。
「……報告内容、まとめないとな」
ただでさえかなりの階層を一度に攻略したというのに、それに加えて今回の清水先輩の一件ときた。
明後日はレベルアップ研修を迎えているというのに、どうしてこうも時間の取られる作業が待っているのだろうか。まあ俺は雑魚処理とかいう雑務で手伝うだけだが。
衝撃の事実というのは間違いないのだろうが、俺一人しかいない時に出さないでほしいものだ。
脅威というには間違いないのだろうが、どのような脅威なのかさえ言語化出来ない。全く、清水 大輝とかいう魔族はとんでもない置き土産を残しやがったものだ。
「……余計な仕事を増やしやがって」
清水先輩が完全に姿を消すのを待ってから、身体の一部に纏わせた“アイテムボックス”の中からあるものを取り出した。
それは、手のひらに収まるほどの小さな小型カメラだった。
万が一必要になれば、と“封魔の鎧”の中にずっと潜ませていたものだ。まさかこのような形で役に立つなど、思いもしなかったが。
まあそれでも、ハッキリ言って面倒を増やされた気分ではある。
「……そらっ」
ふつふつと心の底から込み上げてきた苛立ちを八つ当たりに転換するように、適当な石を拾い上げてそこら辺にいたゴブリンメイジへとぶん投げた。
「ギ」
亜音速で襲いかかった石礫が、ゴブリンメイジの頭を穿つ。頭部に穴を空けられたゴブリンメイジは、全身をびくんと大きく跳ね上げた直後、ゆっくりと崩れ落ちた。
強敵を倒す、というだけなら簡単なんだがな。それだけで解決するなら、なんの苦労もしない。




