表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生監督の異世界興行録 ~奴隷市場で拾った役者たちを舞台に上げたら、王国中が客席になった~  作者:


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
35/35

第35話:お捻り、お待ちしております

 本番当日、俺は舞台の袖でパンをかじっていた。


 いつも通りだった。固い。新大陸のパンは固い。


 元の大陸に戻ってきてもパンは固い。どこへ行っても固い。それだけは変わらない。


 外から声が聞こえた。人の声が積み重なる音だった。


 大きな会場だった。ルートヴィヒ王の肝入りで、王都の大広場に特設舞台が組まれた。


 ベルントが半年前から設計していた。


 ルーチェの照明設備は、この大陸で一番大きなものになった。


 クラウスの団員が警備を担当していた。傷だらけの顔の男たちが、上等な服を着ていた。


 フォルツが来た。


「客の入りを報告する。三万人を超えた」

「そうか」

「緊張しないのか」

「しない」


 フォルツが「そういうものか」と言った。


 この男はいつもそう言う。言ってから少し考えて、次のことを考える。


 この数年で変わらなかった点だ。


 エーリカが走ってきた。


「各地の申告劇団、全部から連絡が来ました! 今日同じ時間に自分たちも公演をやるって!!」

「何箇所?」

「七十三箇所です!!」


 ハインリヒが帳面に「七十三」と書いた。書き終えて、帳面を胸に押し当てた。


 溜め息(ためいき)の形をした呼吸をした。それがこの男の喜び方だと、俺は知っている。


―――


 開演した。


 最初にフィンが出た。


「みなさん! 今日は俺たちの話をします!!」


 三千人の静寂が来た。子ども一人の声が、その静寂を作った。


 ジャハルが出た。「自由になった日、俺は怖かった」と言った。革命を起こした男が、革命の後で怖かったと言った。客席のどこかで息を詰める音がした。


 グスタフが出た。「戦友が来た夜、飯を食わせたかった。それだけしか思わなかった」と言った。片腕の男が、戦争のことでなく飯のことを言った。笑いが来た。その笑いの中に、涙と同じ温度のものがあった。


 ローレンツが出た。義足が板を鳴らした。「海賊をやっていた時、海の夜明けが好きだった。どこへ行っても明るさが同じだったから」と言った。義足の男が夜明けを語った。客席の端から端まで、同じ方向を向いた気がした。


 メルセアが歌った。歌う前に「歌を聞かせることは怖い。教えることは怖くない。届くから怖いのかもしれない」と言った。それから歌った。三千人の中に眠った者は一人もいなかった。


 クラウスが出た。「盗賊をやめて初めて正直な仕事をした日、怒鳴られなかった。それだけで拍子抜けした」と言った。傷だらけの顔が笑っていた。客席から笑いが来た。


 アネリーゼが出た。「奴隷の劇団で演じた経験がなければ、王の前に立てなかった。舞台で何度も死にかけた経験が、わたしを立たせた」と言った。王妃が奴隷劇団の話をした。客席の中にいたルートヴィヒが、静かに(うなず)いた。


 ハインリヒが出た。帳面を手に持ったまま出た。「商人になった最初の日、帳面に数字を書いた。その時に、奴隷じゃなくなったと思った。金じゃない。書いた時に、そう思った」と言った。それだけ言って、帳面を閉じた。いつも閉じない帳面を、今日閉じた。


―――


 そして母が出た。


 すべてが静かになった。


 母は舞台の中央に立って、客席を一度見渡した。それから話し始めた。


「奴隷市で、子どもが泣いた。澄んだ声で。その声を聞いて、もう少しだけ生きようと思った」


 台詞だった。だが母が言うと台詞ではなくなった。


「その子は今、舞台の袖でパンをかじっています」


 客席から笑いが来た。温かい笑いだった。


「わたしはその子のことを、ずっと息子だと思って育ててきた。今でもそう思っている。でも最近、少し違うと気づいた」


 母が少し間を置いた。


「あの子はわたしの息子でもあるけれど。わたしの監督でもある」


 また静寂が来た。今度は笑いとは違う種類の静寂だった。


「名役者には値段がつけられない。わたしはずっとそう思ってきた。でも、名監督にも値段はつけられない。あの子が証明してくれた」


 母が袖を見た。俺のいる方向を、見た。


「ありがとう。あなたが泣いた日から、わたしの舞台は始まった」


―――


 カーテンコールで、フィンが全力で叫んだ。


「お捻りちょうだいっ!!」


 お捻りが飛んだ。三万人から飛んだ。金貨が来た。銀貨が来た。銅貨が来た。硬貨が板の上に積み上がった。フィンが受け取って空に投げた。


「きらきらしてる!!」


 この子は本当にそう思っている。


 演技でそう言っているのではない。


 それが観客に伝わる。これが天才というものだ。


 フィンが走ってきた。舞台の袖で俺の横に来た。


「監督!! お捻りすごいことになってます!!」

「良かった」

「監督って……すごい人だったんだ……!」


 フィンが目をきらきらさせながら俺を見た。


「ずっとそうだよ」

「俺、知らなかった!!」

「会ったばかりだったから」


 フィンが「そっか!!」と言った。それだけ言って、また舞台に走り戻った。


―――


 終演後、ルートヴィヒ王が俺の前に来た。アネリーゼが隣にいた。


「監督。今日の公演に、感謝を申し上げたい」

「お捻りはいただきました」

「それとは別に。あなたにお願いがある」


 ルートヴィヒが真剣な顔をした。


「王室文化顧問の地位を、正式に受けていただきたい。報酬と、それに見合った爵位を用意する準備がある。向こうの大陸で断られた伯爵の話も、改めて」


 俺はパンのかけらを口に入れた。


 ルートヴィヒが少し眉をひそめた。子どもが王の前でパンをかじっているのが、まだ慣れないらしかった。


「断ります」

「理由を聞いてもいいか」

「俺は監督でいたいから」


 アネリーゼが小さく笑った。口元だけで笑った。前に一度、同じやりとりを聞いたことがある顔だった。


「監督の仕事と、顧問の仕事は両立できる」とルートヴィヒが言った。


「できない」と俺は言った。


「顧問になったら、顧問として考えなければならないことが増える。俺には台本を書く時間しかない。それ以外のことに使う時間は一分もない」


 ルートヴィヒが俺を見た。


「本当に、そういう人間なのか」

「そういう人間だよ」

「アネリーゼから聞いてはいたが」

「正直に答えてくれてありがとうと言っておいてください」


 ルートヴィヒが笑った。諦めた笑い方だった。


 「いつかまた、聞く」と言った。


 「またお断りします」と俺は言った。


 ハインリヒが横から「本当にいいのか、坊主」と口を挟んだ。


「いい」

「王家との契約は、金額が」

「いい」


 ハインリヒが帳面に何かを書いた。強く書いた。ペンの音が響いた。


―――


 夜、全員が広場に残った。


 誰も帰らなかった。今日の舞台の話をしていた。


 ジャハルとグスタフが並んで座っていた。


 メルセアとローレンツが海の話をしていた。


 フィンが子どもたちに「きらきら」を教えていた。


 子どもたちが「きらきら!!」と言った。


 一番小さい子が「きら!」と言った。


 フィンが「きらきらだ!!」と言った。


 クラウスとハインリヒが珍しく隣り合って酒を飲んでいた。


 ベルントが舞台の解体設計図を広げていた。


 ルーチェが「まだ片付けるには早くない?」と言った。


 「解体もまた建てる前提で考えている」とベルント。


「次はどこに建てるの?」

「それは監督が決める」


 エーリカが笑いながら走り回っていた。七十三箇所から届いた公演の報告を全部集めていた。


 俺は広場の隅に座って、パンをかじりながらその全部を見ていた。


 母が隣に来た。何も言わずに座った。


 しばらくして母が言った。


「次の台本は?」

「もう書き始めてる」

「何の話?」

「ここにいる全員が出発した後の話」


 母が「出発?」という顔をした。


「あなたたちはいつかここを出る。自分の場所に行く。それでも続ける劇団の話だよ」

「わたしも出発するの?」

「出発しても戻ってくる話を書く。母には何度でも帰ってきてもらう」


 母が少し笑った。


「あなた、本当に監督ね」

「ずっとそうだよ。死ぬまでそうだ」


 俺はパンの最後のかけらを口に入れた。


 広場の夜が続いていた。


 笑い声がした。歌声がした。義足が地面を(たた)く音がした。帳面のページをめくる音がした。子どもが走る音がした。


―――


 その夜、台本の最初のページを開いた。


 一行目を書いた。


「お捻り、お待ちしております」


 それが俺の劇団の、最初の台詞でもあり最後の台詞でもある。幕が下りても劇は終わらない。終わらない劇をやる劇団が、どこかを旅している。


 俺はこの世界に転生して、赤子として奴隷市で目を覚ました。


 前世では灰皿に(つまず)いて死んだ。情けない死に方だった。


 今世では何に躓いて死ぬかわからない。できればパンをかじりながら台本を書いている最中がいい。


 だがその前に、まだやることがある。


 書かなければならない台本が、まだある。


 立たせなければならない役者が、まだいる。


 届けなければならない客席が、まだある。


 俺は次のページを開いた。


 白いページだった。


 まだ何も書いていない、最高のページだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ