第2章『目的』③
家の中で、六人がいつもの食卓を囲んでいた。
だが、その場にはいつもと違う静けさが漂っていた。
「……そもそもあの遺伝子は、レイのお母様がユウのためにつくったものよ。ゴミクズのためじゃないわ」
ミツカは腕を組み、吐き捨てるように言った。
「あの時は“イカれ野郎”一人だけだったが……今回は少なくとも二人、多くて六人ってとこか」
乙が写真を広げながら、低く呟いた。
「お仲間が増えたんだろう?あいつを確実に狩るために」
ユズキは足を組み、背もたれに深く寄りかかった。
「この封筒を落としたってことは、今日の誘拐犯たちはあの“イカれ野郎”の仲間ってことっすか」
ごうだは封筒を睨みつけた。
「……一人だけ逃げて、他は見捨てて殺すのが仲間かよ」
椅子の下で、アサヒが拳を握りしめた。
「全員かは断定できなくても、二人の頭をぶち抜いた男は間違いなく関係者だね」
ナオが静かに言い放った。
その一言で、場の空気が冷えた。
数秒、沈黙が続く。
最初に口を開いたのはユズキだった。
ゆっくりと息を吐く。
「てか、人のポスト勝手に漁ったこの“老婆”逮捕できねーの?」
「無理だな。その“老婆”の皮が剥がれたら、追跡できねぇ」
「わかりきったことだろう」
わかっている。
それでも、腹は立つ。
防犯カメラに映っていた、一人の“老婆”。
わざわざ手まで振っていた。
「……悪い、俺が一度家に帰ったから……」
「何言ってんすか!アサヒくんのせいじゃないですよ!」
俯いたアサヒに向かって、ごうだが勢いよく立ち上がった。
「弟くんからの連絡が来て、自分の家に帰っただけじゃないっすか!」
「誰も責めません!」
まったくだ。
そもそもアサヒは、兄と弟が帰ってくるまでこの家にいただけだ。
呼ばれて帰るなんて、当たり前だ。
「……オリヴィアが思い描く舞台が整ったんだろう」
「だから、レイの居場所を送って、あいつらを動かしたんだ」
「じゃなきゃタイミングが良すぎる」
オリヴィアは、『お得意様』と繋がっている。
レイの存在を“イカれ野郎”に流すのは、あいつにとって造作もない。
天井を見上げる。
「どの道レイにはバレんだよ」
「何たって、オリヴィアは」
「レイに復讐させたいんだから」
“イカれ野郎”もオリヴィアも、レイをモノみたいに扱う。
(本当に、腹立つ野郎共だ)
“あの時”を思い出し、奥歯を噛み締める。
「頭ぶち抜かれた男どもは結局、日雇いか?」
「身元は追っているが……時間がかかるな」
「なんせ、身分証もパスポートも偽造だ」
車のナンバーには落ち度があったが、偽装しているとなると、それなりの経験者か。
それとも、別か。
「あっ!そういえば、乙さん!」
「子供は無事でしたか?!」
ごうだが身を乗り出し、心配そうに尋ねた。
「子供は無事だ、怪我もない。お前が守ってくれたからな」
「……そうすっか!良かった!」
乙の言葉に安堵し、ごうだは満面の笑みを浮かべた。
だが、その空気を切るように。
ミツカぎ口を開いた。
「……ねぇ、その男の子から何か聞いてないの?誘拐された経緯とか」
ミツカが乙を見据える。
「……その子誘拐されたのは朝方の五時頃だそうだ」
「朝の五時ぃ?!そんな時間にどうやって誘拐するんすか?!」
ごうだの声が部屋に響く。
「その間、警察には連絡なしか?」
「無しだ」
問いに、乙が短く応える。
その場の全員が、違和感に眉をひそめた。
「寝ていたところを男二人に縛られ、そのまま車に乗せられたらしい」
「そんなバカな!?親は何をしてたんすか!」
「その場に親はいなかった」
「はぁ?!」
「……それどころか、その子は出生届も出されていない」
あぁ。なるほど。
「売られたか」
その言葉に、空気が強張る。
「そんな……」
ごうだの横で、ユズキが鼻で笑った。
「世の中が平和そうに見えるのは、テメェの目に映った景色しか見てねぇからだ」
「裏を覗けば、非道の限りを尽くす奴なんざごまんといる」
それが現実だ。
弱者から搾取し、富を得る。
いたぶり、蹴落とし、何食わぬ顔で生きている。
相手が痛がろうが、苦しかろうが、
自分さえ良ければ、それでいい。
「テメェらもよーく知ってんだろうが」
全員の顔を冷たく見渡し、告げた。
「人の不幸の上で楽しげに踊るやつらを」
全員が静まり返った。
ごうだは、やり場のない悔しさを噛み締めながら、椅子に腰をおろした。
重苦しい沈黙の中、
ごうだを横目に、ナオが静かに言った。
「……確かに、その男の子の境遇はクソみたいだったかもしれない」
「けど、ユズキちゃんとレイちゃんが、その子を助けたからさ」
「今後はまた、違う運命を辿れるんじゃない?」
「……ナオの言う通りね」
「レイのおかげで、少なくともその子が今後、“イカれ野郎”に関わることはないわ」
「ねぇ、乙さん?」
「あぁ。それは断言してやる」
沈んでいたごうだに、ナオとミツカがそっと言葉をかけた。
……自分の名前が出なかったことは、気にしないことにした。
「……そうっすね」
ごうだは悔しさを隠しきれないまま、それでも小さく頷いた。
「……でも、不思議だね」
「なんで封筒を男たちに持たせたんだろ?」
「家のポストに二枚入れればいいのに」
(それは、おそらく……)
口を開こうとした瞬間。
「確実に私たちに届けるためでしょう」
ミツカが言った。軽く頷く。
「ミツカの言う通り」
「ポストに二枚入れたら、オリヴィアに両方取られるからな」
あの内容なら、コンビニに落ちていれば警察に届く。
『お得意様』の圧力で揉み消されても、内容は乙の耳に入る。
「私からすれば、なんでわざわざそんな不確実な手を使ったのかのほうが疑問だかな」
こんな回りくどいことをせずとも、
お得意様から直接、乙に渡した方が早いはずだ。
「……ねぇ、ユズキ」
「なんだ?」
「あんたどうやって、車の中にいた子供を見つけたの?」
ミツカは探るような視線をこちらに向ける。
「車に近づいたら子供の声が聞こえた」
「最初は空耳だと思ったが、車から手が見えたからな」
そこで矛盾に気づいた。
(ちょっと待て)
(さっき、“縛られた”って言ってたよな?)
拘束されていたなら、手も声も出せるわけがない。
「おい、おっさん!」
「おっさんじゃねぇ!“おつ”さんだ!」
「子供、何で声を出せた?」
乙はわずかに間を置いた。
「男の子の話では、男二人組が車を降りたあと」
「別の“帽子を被った男”が縄と口当てを解いたらしい」
『もし誰か助けてくれそうな奴が来たら』
『窓越しに声や手を出して助けを求めてもいい』
「……」
“帽子の男”は、あの場で逃げた男に違いない。
(……なぜ、解いた)
見つかるリスクがあるのに、解放するわけがない。
(なら、わざとか?)
「他には、何か言ってなかったか?」
「……この『封筒』を、運転席の男のポケットに入れたと言っていたな」
乙が『封筒』を持ち上げた瞬間、ごうだが叫んだ。
「あっ!俺もあの車のドア壊した時、目の前にいた帽子の男に言われました!」
「……何をだ」
「『どうせまた会える』って……」
「……また会える、ね」
(あぁ……そういうことか)
(はなから遊ばれてたのか)
私らを車の中から見て、やり方を変えたんだろう。
ポケットに入れて、落とすか落とさないかという不確かな手を使って。
子供にまで、賭け事をさせて。
自分のお仲間まで殺せて。
やつにとっては、どっちでも良かったんだ。
(あの追いかけっこは、さぞ楽しかっただろうよ)
良かったな、運も味方につけられて。
てめーの勝ちだ。
レイが封筒を拾えば、別ルートで届く。
私が拾えば、そのまま届く。
男たちが落とせば、乙の耳に入る。
落とさなくても、別ルートで届く。
巡り巡って遊べればラッキー。
結局、全部てめーの思い通りだな。
ガンッ!
「なめやがって」
スパンッ!
「机に当たらない」
「……悪かったよ」
ミツカに殴られた。
「……レイに手紙を送るのは分かる」
「だけど、俺たちに送る目的はなんだ」
アサヒが怪訝そうな顔をした。
(そんなん決まってる)
「巻き込みたいんだろう、私たちを」
「レイのための人質にするか」
「あるいは、邪魔だから消したいか」
(……まぁ後者だろーな)
レイが動けば、自分たちも当然動く。
それが鬱陶しくてたまらないんだろう。
送った理由は、首を突っ込めば『こうなるぞ』という忠告のつもりだろうが。
でも、残念だったな。
「……ずいぶん舐められたものね」
「この私が、“同じこと”を二度も許すとでも?」
「むしろ、呼んでくれるなら探す手間が省けるな」
「ふん!」
「こっちだって、そのためにちゃんと準備してますよ!」
「……結果がどうなれ、“イカれ野郎”の好きにはさせねぇよ」
こちらも、大人しく消されてやるつもりはない。
その場の全員が、同じ認識を持っただろう。
「……レイちゃんはどう動くかな……」
不安げなナオの問いに、乙が口を開いた。
「そうだな。もし俺がレイだったら——」




