第9話:参戦
昼前、キャンパスは講義から解放された学生達で賑わう。
思い思いに過ごす学生の流れに逆らい、俺と真白は歩く。
こちらの様子を窺う視線を横目に、俺は午前最後の講義を終えたので真白と別れる。
「そう言えば、昨日も午前で帰ってたね」
その言葉は俺の事を見ていた証。
唯一、彼女だけが同期と呼べた。
帰宅した俺は昼食を簡単に済ますと午後の講義をリモートで受ける。
また、孤独な時間のはずなのに腕には彼女の感触が残っていた。
その感触は消えることなく、肌に刻まれてしまったのかもしれない。
夕陽がビル群に反射して、間接照明に当てられているようだ。
今日の講義を終えて、ソファーに沈んでいるとスマホが鳴る。
「もしもし、智也か?」
俺のスマホにかけておいて、確認するところが親父らしい。
「そうだけど、何?」
素っ気ない返事だが男同士の会話などこんなものだ。
「ああ、悪いんだが隣の大崎さんから、またぎっくり腰になったから澪ちゃんの迎えに行ってくれないかと頼まれたんだが……」
澪の迎えと聞いて、事故に遭った時の事を思い出す。
「俺、今日はどうしても終わらせないといけない仕事があって、当分帰れないから代わりに行ってくれないか?」
前回、事故ってから俺は澪の迎えにも行っていないし、彼女とはタンデムもしていない。
「どうしても無理なら他の人に頼むがどうだ?」
どれぐらい経ったのか、わからないが俺は返事をしていた。
「わかった。俺が行くよ」
「助かる!じゃあ、よろしくな!すずさんと仲良くやるんだぞ」
その言葉が、妙に胸に刺さった。
よっぽど急いでいるのか、親父からの電話は切れた。
……どうして、引き受けたのか。
単なる人助けの気持ちだったのか。
それとも……。
すず以外に触られた時の感情を確かめたかったのかもしれない。
部屋の窓から差し込む黄昏れが俺の心を現しているようだった。
塾の前で待っていると、微かに風に混じって笑い声が聞こえてきた。
振り向くと、真白がふらりと歩いてくる。
大学とは違う、あくまで自然体の雰囲気だ。
「智也、こんなところで一人?」
無邪気な声に、思わず息が止まる。
腕には真白の存在感が残っていて、心臓が少し跳ねる。
「え、あ、うん…まあ、そうだね」
答えながらも、心のどこかで“揺さぶられている”自分を自覚する。
「せっかくだし、ご飯でも行かない?」
笑顔のまま差し伸べられる手。
距離感が近すぎて、肩が触れそうだ。
「いいじゃん!行こうよ!」
「いや、用事があるから」
思わず後ろに一歩下がる。が、また腕を掴まれ、昼間の記憶が鮮明に浮かぶ。
だが、次の瞬間――
「……智也」
背後から低く澄んだ声がした。
振り向くと、澪が立っている。
目が少し細まり、唇はわずかに結ばれている。
怒りではない。
だが内側に燃える熱を、抑えきれない気配が見える。
真白は無自覚に腕を掴んだまま、聞いてくる。
「智也の知り合い?」
澪の眉が少し動いた。
「智也、この人知り合いなの?」
真白の掴む力は変わらなかった。
「彼女は俺の幼馴染でこっちは大学の同期だよ」
それを聞いた澪の小さな手が、そっとタンデム用のヘルメットに触れた。
16歳の体に宿る“感情の熱”が、ほんの一瞬だけ指先から俺に伝わる。
澪は言葉を発さない。ただ視線で告げる。
――「私は待っている」「私は覚悟している」と。
夕陽が差し込む病室での記憶がよみがえる。
俺はどうしようもなく、動揺する。
腕には澪の温もり、肩は真白の近さ、目の前には二人の視線が交錯する。
身体も心も、軽く揺れる。
しかし澪は冷静を装う。
怒鳴るでも、泣くでもなく、立っているだけ。
だがその立ち姿には、距離感を詰めた“行動の意思”が確かにある。
「迎えに来てくれて、ありがと」
真白は澪を見ていた。
笑っているのに、目だけが静かだった。
「智也、送って」
「ああ」
俺がヘルメットを澪に渡す。その手の温度、確かさ。
「真白、悪いけど、もう行くから」
「そっか」
真白は笑ったまま少し戸惑う。
俺は――胸がざわつくのを抑えきれない。
そして三人が立ち上がった瞬間、世界の焦点は自然に澪に傾く。
優先されるべき存在は誰か――この瞬間、答えはもう決まっている。
俺の背中に抱き着くとバイザーの奥で真白を見据える。
「じゃあ明日、大学で」
真白は何事もなかったように手を振る。
「ああ……」
胸のざわつきが強くなる。
ざわつきを抱えたまま、風を切って走り出すと、街の音が一気に遠ざかった。
エンジンの低い振動だけが耳に残る。
背中に感じる重みが、前より少しだけ強い。
澪の腕が、俺の腰に回されていた。
指先まできちんと回り込むように、ぴたりと。
信号を抜けて、バイクは緩やかに加速する。
久し振りだな、と思う。
澪を後ろに乗せて走るのは、事故って以来だった。
「……久し振り」
背中越しに、澪の声が聞こえた。
エンジン音に紛れて、かろうじて届くくらいの小さな声。
「そうだな」
俺はそれだけ返す。
澪はそれ以上、何も言わない。
ただ――腰に回された腕が、少しだけ強くなる。
まるで、逃がさないように確かめるみたいに。
ヘルメット越しに、澪の額が背中に触れた気がした。
優しい。
そのまま、しばらく沈黙が続く。
風景だけが流れていく。
澪は目を閉じていた。
久し振りのタンデム。
本当なら、もっと嬉しいはずだった。
もっと。
ずっと。
二人だけの時間になるはずだったのに。
脳裏に浮かぶのは、さっきの光景。
……病室ですずが笑っていた顔。
智也のすぐ隣で。
――どうして、あの女は平気なんだろう。
澪は少しだけ腕に力を込める。
自分なら、あんな風にさせない。
隣なんて、簡単に譲らない。
背中に顔を押しつける。
この場所は。
本当は、ずっと前から――私のものだったのに。
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