34 祈りの口づけ
リオウは本校舎島に渡る手段として、スクドラのレールを伝う方法を選んだ。幅三十センチのレール上を全速力で駆け抜ける。
「うらぁっ!」
飛んでくる主蟲を槍で薙ぎ払う。ドラゴン討伐のときに負った左手の金縛りはまだ完全には解けていない。それでも根性で腕を回し、呼吸すら惜しんで前進した。
本校舎にいた生徒たちが次々とゴンドラに乗って避難してくる。緊急用の船舶も出動しているようだ。空から襲来する主蟲に捕まらないよう祈っている者の姿も見えた。
運よくレールを踏み外すことなく、リオウは本校舎島に辿り着いた。
スクドラ乗り場で学生の誘導をする騎士団の制止を振り切り、リオウは本校舎に足を踏み入れた。古城の荒れようは凄まじかった。
ガラスは割れ、至る所に踏みつぶされた小さな主蟲の死骸が転がっている。逃げ遅れた者の姿も死体も見当たらない。主蟲の動きが鈍いおかげで犠牲者はさほど出ていなさそうだ。
ここにいるのは羽を持たず、水上を移動できない主蟲だけだ。それでも膨大な数の主蟲に吐き気を催し、リオウは胃と口を押さえた。一人になった途端、凄惨な過去の映像が脳裏を埋め尽くしていく。
大丈夫。騎士団時代に主蟲は克服したはずだ。もう食い殺されるのを待つ弱い子どもはいない。自分を鼓舞して奮い立たせ、何とか前に進む。
リオウはエピカを探した。途中行き会う主蟲たちは残らず槍で片付けていく。
「……何をしているんだ、お前は」
古城の立ち入り禁止のバルコニーで蹲るエピカを見つけた。自らの体を抱きしめ、みっともなく震えていた。
エピカが顔を上げる。目は赤く、頬に白銀の髪が張り付いている。涙で塗れたその顔は世界中の絶望を突き付けられたようで今にも壊れてしまいそうだった。
「来ないで……危ない、から」
彼女のそばには大型の主蟲が三体控えていた。リオウがこれ以上近づけば一斉に飛びかかってくるだろう。
「じゃあお前が来い。手間をかけさせるな」
「私を殺しに来てくれたの?」
エピカは自嘲気味に笑った。殺されてくれるのかと問いかけてきたときとは全く違う表情だった。
「全部、全部全部……ルドに聞いたわ。どうして教えてくれなかったの? 私の一族があなたの家族全てを殺したって」
かっと頭に血が上った。ルドに対して憎悪に似た感情が沸き上がってくる。大して動きもせず場を最悪の状態に整える、その手口が踏み潰したくなるほど許せなかった。
「さぞ、私が憎かったでしょうね。それなのにアパートに入居させて、研究の手伝いさせて、一体何を考えていたの? どうして、ここに来てくれたの?」
「…………」
「私、知らなかった……知ろうともしなかった。自分の村のことなのに、姉様のことなのに、何一つ知らずに……自分だけが可哀想で、それだけで世界を憎んでた……っ」
エピカが涙をこぼすと、主蟲たちが身じろぎをした。
「もうだめなのよ……主蟲を戻す力が残ってない。止めておく力もいつまで持つか。そろそろ蝶神だって動き出すわ。私にできることは、一つだけ……」
万を超える主蟲の殺戮衝動を鈍らせていることでエピカは凄まじく消耗し、体力はもはや限界に近いようだ。
そこに蝶神が現れればどうなるか。もう主蟲の制御は一切できない。主蟲達を止める方法はたった一つしか残されていないのだ。
「心臓を食わせる気か」
ネムコの姫宮は死後、心臓を蝶神に捧げる契約をしている。最も美味い部分を最も強い主蟲が食すことで、主蟲全体に頼んだ仕事の負債を清算する。蝶神もエピカの心臓を食えば、配下を従えて帰投してくれるかもしれない。
「それで解決する保証はないだろう。ネムコ一族の姫宮はもういない。次に契約する相手がない以上、蝶神を含めた主蟲たちは野生になるわけだ。それこそ無差別な殺戮が始まってもおかしくない。……他の方法があるはずだ」
リオウはこの七年、蟲客と主蟲について必死に研究した。騎士団の任務で討伐した主蟲の死骸を解剖し、闇ルートに流通していた姫宮の血を分析してきた。蟲客と主蟲に関する知識ならばエピカにだって遅れはとらない。
「命を差し出す以外、どうしろって言うのよ!?」
確かにエピカが言った方法に賭ける手もある。だが、エピカがここで死ねば何の申し開きもできず、今日の出来事は蟲客と他の種族に大きな禍根を残す。ただ蟲客への悪感情が高まり、エピカは全ての汚名を被る。
「エルゼア・ネムコの最期の言葉を教えてやる」
リオウは白衣のポケットに手を突っ込んだ。
「――『お願い。生き延びて。そして、あなたが私の代わりに憎しみの的になって』」
エピカがはっと目を見開く。
エルゼアはリオウの命を助ける代わりに、憎悪の対象になるように押し付けた。彼女の思惑通り、リオウの家族親類はネムコ一族の復讐により一人残らず惨殺された。
どれだけの絶望を味わったか。血が憎しみで腐るようで、気が狂いそうだった。
だけどリオウは踏みとどまった。エルゼアやネムコ一族と同じにはなりたくなかったから。
なけなしのプライドがリオウを今日まで支えてきた。
「もうオレは憎しみの的にはならない。そして誰にも、その役を押し付けたりしない」
リオウはポケットから試験管を取り出し、中身の液体を口に含む。
足を一歩踏み出すと、主蟲が一斉に飛びかかってきた。右からくる二体を槍の電撃で払い、左の一体には強力な酸の瓶を投げつけた。
座り込むエピカの手を取り、強引に立ち上がらせて引き寄せる。
「……んんっ」
そして、口移しで薬をエピカに注ぎ込んだ。苦しげな吐息に構わず全ての薬を押しつける。
祈るような気持ちだった。
どうかこの七年が無駄にならないよう、リオウは生まれて初めて神に祈った。




