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32 もう一つの真実


 エピカは本棚の陰で息をひそめた。

 あのミュータが泣いている。いつでもへらへら笑っている少年が、人目をはばからず悲痛な声を上げている。


 ――どうして? 何があったの?


 今朝からミュータとリオウとシアンが暗い表情でどこかに出かけて行った。エピカは追いかけることもできず、授業を受ける気にもなれず、図書館に足を運んだ。エルゼアとリオウの巻き込まれた事件について調べたかったからだ。


 作業ははかどらず、沈んでいたときにミュータがふらりと現れた。

 あまりにも尋常ではない様子に声をかけられず、ミュータがシアンに伴われて去るまで立ち尽くしてしまった。

 エピカは小さく息を吸う。精神が不安定になってきている自覚があった。契約している主蟲たちに隙を見せるわけにはいかない。


「やぁ、エピカ。奇遇だね?」


 聞き慣れた優しい声に心が大きく震えた。


「ルド……」


「大丈夫? ひどい顔色だよ」


 ルドはエピカにとって絶対的な存在だ。村の牢から救い出されてからの二年余り、ルドがエピカの唯一の話し相手だった。


「ごめんね。少し忙しくて、きみの電話にも出られなかった。許してくれる?」


 いつもと変わらない様子にエピカは戸惑いつつもこくりと頷く。こうして目の前に現れ、柔らかい微笑みを向けられると、ルドに抱いていた不信感が霞んでいく。


 ――ルドのことだもの。これも全て計算のうちだったのかしら。


 リオウとエピカの関係を黙っていたのも、あえてのことかもしれない。何か深い理由があるに違いない。

そう思いたくて仕方なかった。


「エピカ。大切な話があるんだ。少しいいかな?」


「大切な話?」


 辛そうに目を伏せ、ルドは耳元で囁いた。


「全ての真実を話そう。きみだけ仲間はずれなんて可哀想だからね」






 風がやや強い。朝から空を覆っていた曇は散っていた。

 ルドに案内され、エピカは本校舎島の古城の広いバルコニーにやってきた。ユニゾランドを一望できる絶好のポイントだが、一般生徒には解放されておらず、二人で勝手に入ってきてしまった。場所に異論はない。密談にはぴったりで、優雅なルドには似合いの場所だ。


「さぁ、まずはミュータ・アカネザワの秘密について話そうかな」


 ルドはおとぎ話を語るようにミュータの正体について教えてくれた。


 五百年前から冷凍睡眠されていた人間で、ユニヲン王家の初代国王の兄。

 ルドがずっと欲しがっていた〈森羅万象王〉の宝の鍵。

 何より驚いたのは、ミュータのために造られたタイムマシンこそが時空融合の原因だという事実。


「どう思う?」


「どうって……」


 ルドは労わるような視線を向けてきた。


「だって、きみは時空融合のせいで誰よりも苦しんできた。他の種族との出会いがなければ、いわれのない差別を受けることもなく、大好きな姉上を亡くすこともなく、小さな世界で姫宮として誇り高く生きて来れたんじゃない?」


 どきりとした。

 エピカの胸の中に燻るもやもやをルドは的確に言語化する。


「ねぇ、エピカ。今でもミュータ・アカネザワを殺せる?」


「…………!」


「彼がいなくなれば、人類の要である〈維新電神〉はそう遠くない未来に停止する。世界がとっても混乱すると思うんだ。それこそひっくり返るほどにね」


「それが、あなたの計画なの?」


 ルドは涼しい微笑みのまま否定も肯定もしなかった。

 エピカは自らの胸に問う。

 自分ばかりが負債を背負うことを、ずっと不条理だと思っていた。他の種族、とりわけ世界の中心にいる人類が不幸になれば、どれだけ気分が晴れるだろう。

 ミュータを殺せば、エピカの望みは叶う。


「できない……殺せないわ」


 気づけば首を横に振っていた。


「ミュータは何も悪くないんだもの……周りの人間があいつを言い様に利用しただけ……それくらい、私にだって分かるわ」


 虫の良い話だ。これまではミュータが善良だろうが関係なく傷つけることを良しとしてきたのに、自分の心境の変化が信じられなかった。

 勇気を振り絞り、エピカはルドに詰問する。


「ルド、教えて。私の姉様が死んだ事件にリオウが関わっていること、知っていて黙っていたの?」


「ああ、うん。もちろんだよ」


 ちっとも悪びれもせずルドは打ち明けた。


「どうして僕をそんな目で見るのかな? きみが憎むべきはリオウ・シャルマーじゃない?」


「憎めるわけないじゃない! だって、あれは姉様が自分の意志で――」


 リオウを助けた。姉の優しさを踏みにじるような真似はできない。反射的にそう言おうとしたエピカの声に、ルドのにこやかな声が被さる。


「そう。自分の意志で自殺したんだよね」


「え」


「そこはリオウから聞かなかったんだ? あれは自殺だよ。きみの姉上様は、きみと同じように蟲客であること、姫宮であることに絶望していたんだ。誘拐されても野生の主蟲に襲われても、抵抗する気力もなかった」


 嘘よ、と呟いた声はかすれていた。


「じゃあもっとすごいことを教えてあげる。リオウ・シャルマーの両親、親戚、遠縁の血縁者、計四十四名……七年前にネムコの村人によって全員殺害されているんだよ」


 もう声を上げることもできなかった。


「理由は分かるよね? 自分たちの姫宮がリオウのせいで死んだからさ。実に凄惨な復讐だ。八つ当たりに近いと思うけど。彼の目の前で、一人ずつ主蟲に食わせたんだって。こればかりは彼に同情せざるを得ないね」


 ルドは声を上げて笑う。

 足が、瞳孔が、心が、震え出す。


「あ……あぁ……」


 やっと分かった。全てが繋がった。

 リオウが自分の顔を見るたびに顔を曇らせる理由が、不機嫌になる理由が。

 全身に流れる力の均衡が一気に崩れた。心臓が脈打つたびに眠っていた力が目覚めていく感覚。


 ――ダメ。ダメ。抑えなきゃ!


 契約した何万もの主蟲が蠢く気配を感じる。怪我をしたわけでもないのに、主蟲が言うことを聞かずに出てこようとする。エピカの精神が屈服した瞬間、空間を食い破って雪崩れ出てくるだろう。


「ふふ、僕でも感じるよ。世界が生まれ変わる律動。時空が歪む。風が吹く。この世を滅ぼす羽ばたきが聞こえてくるよ」


 遠ざかっていくルドの声。

 エピカは自分の体を抱きしめ、必死で耐えようとした。


「きみの力がこの世界を転覆させるんだ。僕の計算通りだよ。人間ごっこはもう終わり。

 ……ばいばい、汚らわしい化け物のプリンセス」

 

 ルドの優しげな声がとどめを刺した。

 最後の糸が切れ、体のいたるところが爆発したような気がした。


「いやぁ――――!」


 空に絶叫がこだまする。

 その瞬間、空間が揺らぎ、一陣の風が吹いた。



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