31 世界の命運はこの手の平に
ミュータは息をのんだ。
いつか頭によぎった可能性が的中していたことが思いのほかショックだった。
「――五百年前、一人の天才科学者がおりました。
彼は世界大戦の気配を察知し、自らが開発した神のごときコンピュータ〈維新電神〉により未来予知を行います。結果は悲惨なものでした。原爆を水爆で撃ち返し、大地と大気に毒を撒き、国々がドミノのように共倒れる未来。最初の未来予知を行った時点で、人類はおろかほとんどの生物がわずか五年の間に絶滅するという結論が出ました。
彼は人類を救う方法を模索し、〈維新電神〉で何度もシミュレーションを繰り返しました。得られた最善の答えは、〈維新電神〉を用いて誰かが世界を支配すること。それでも全人口の半分は犠牲になってしまいますが、製作者の彼はその方法を実行することに決めます。
……しかし、彼は自ら王になる気はさらさらありませんでした。そして〈維新電神〉も別の者に自らの操作を委ねるべきだと主張しました。そして百億の人類の中から、彼女が選ばれたのです」
自分に関係あることなのに、ひどく遠い世界のことのように感じた。ミュータの混乱を察していながら、マリッタは流れるように語り続ける。
「彼女、シエル・アカネザワは天才でした。一度見聞きした知識は忘れず、並行して別々のことを思考し、凡人が一生かけても辿り着けない真理を一瞬で閃き、人の心をいともたやすく読み取ってしまう。
彼女以上の王はいない。〈維新電神〉は初代国王に彼女を指名します。しかし同時に彼女がその申し出を拒絶することも予知していました。
当然と言えば当然ですわ。自らが王となり全人類を支配することで、人類絶滅の未来は回避される。そう言われて、『はい頑張ります』と答えられる方がどれだけいるでしょうか。
彼女は天才でしたが、精神は年相応に未熟でした。王の重責を引き受けることはあり得ません。そこで製作者の科学者は非情な手段を取ったのです」
もう聞きたくない。ミュータは直感的にそう思った。
「シエル・アカネザワの最愛の兄を人質に脅迫しました。交渉の前に命を奪い、冷凍睡眠させたのです。そして彼女に告げます。
『お前の兄はまだ完全な死を迎えたわけではない。生き返らせる方法がある。恒久的な平和を実現し、最高峰のコンピュータで死者蘇生の研究を行うこと。医療が発達した素晴らしい国を築けば、いつかお前の兄が生き返る未来が訪れるだろう』――と。
そして彼女は王となったのです。ミュータ様、あなたのために」
喉に呼気が張り付いて声が出ない。
シエルが森羅王かもしれないと考えたことはあった。しかし信じられない。
あのシエルが王になり、五百年続く平和な王国の基盤を築いた。半分しか血が繋がっていない兄のために。
妹を誇らしいと思うべきだろうか。
その献身に感激して喜ぶべきかもしれない。
しかしミュータの胸に占めたのは、途方もないほど大きな罪悪感だった。
「あなたは世界の贄でした。あなたと、そして妹君の犠牲で人類は救われたのです。五百年も時間がかかってしまいましたが、ようやくあなたを蘇生することができました」
妹の人生を狂わせてしまった。その事実が胸に深く突き刺さる。
「……馬鹿だな、シエル……俺の命なんて放っておけばよかったのに……」
ミュータは両手を額に当てる。気がおかしくなりそうだった。
「それで、シエルの子孫たちは、俺を生き返らせるために頑張ってくれたのか? 先祖の言いつけを守って?」
「もちろんです、と言いたいところですが……そうではありません。あなたがこの時代まで保存され、繰り返し蘇生実験が行われていたのは二つの理由がございます。一つは戒めです。ミュータ様、この国の王の選び方はご存知でしょうか?」
ミュータは曖昧に頷く。
「確か〈維新電神〉がその時代で最もふさわしいものを次期国王に指名する。そして、指名された者に拒否権はないんだったよな」
「ええ。そして指名された次期王と、前王の子孫との婚姻が結ばれます。王家の血筋を絶やさず、常に優秀な血を取り入れるためです。その制度は〈森羅万象王〉によって絶対に破ってはならない王室典範とされました。彼女は、自分の子孫があなたと出会うことを夢見ていたのかもしれませんわね」
マリッタは自嘲気味に笑った。
「しかし、その制度はなかなかネックでしたわ。指名された王の中には、愛のない結婚を拒絶する者もおりました。しかしミュータ様のことを知れば、誰もが引き受けざるを得ません。家族や恋人を人質に取られる可能性が否定できませんでしたから」
「……戒めなんてかっこいい言い方するなよ。ようするに、俺はずっと脅迫の道具にされていたわけか。王の役目を引き受けなければ、大切な人がこうなるって」
鉛を呑み込んだような嫌な気持ちになる。歴代の王はそれ以上に胸糞悪い思いを味わっていただろう。
「あなたが目覚めた時点で、その意味はもう失われましたわ。しかし、ミュータ様にはもう一つ役目を課せられています。歴代の王があなたを保存し続け、蘇生しようとしていたもう一つの理由、それはあなたこそが〈森羅万象王〉の遺した秘宝の鍵だからです」
ミュータが思い出したのは、図書館でルドに聞かされた話だ。
王城の地下には王にも入れない部屋がある。そこに〈森羅万象王〉が「世界の誰もが求めてやまない秘宝」を封じた。
鍵に関係あるのではと考えなかったわけではない。ただミュータが鍵そのものだとは思いもよらなかった。
ルドに聞いたと話すと、彼女は冷たい微笑を浮かべたが、次の瞬間にはもう跡形もなく表情を消して見せた。
「宝の間の扉には認証システムが搭載されております。ミュータ様の指紋、声紋、そして鼓動を伴う静脈認証を確認することで開く仕組みです」
「それは……壱角銃の」
「はい。その扉を開ける研究の副産物として、壱角銃のセキュリティが誕生したのです。壱角銃が問題なく作動したということは、ミュータ様には秘宝に通じる扉を開けることができるはすです。そのさらに奥には過去の記憶に関する問題が用意されているはずです。肉体だけではなく、精神も正しく構築されなければならなかったのです」
マリッタは言う。
「歴代の王は秘宝を求め、その鍵であるミュータ様の完璧な蘇生を試みました。あなたが生きた状態で扉の前に立って下さらなければ、決して扉は開かないのです」
「……それは、分かった。でも、世界の誰もが求めてやまない秘宝ってなんなんだ? シエルは何を遺したんだよ」
「お分かりになりませんか? 全てはあなたのためなのですよ」
ミュータは首を横に振る。マリッタは一瞬目を伏せ、観念するように口を開いた。
「秘宝は、時空を自由に移動できるタイムマシンですわ。シエル・アカネザワは、〈維新電神〉に隠し部屋の中でタイムマシンの設計と開発を命じていたのです。そして膨大な演算の末、ついに五百年の時を超えるタイムマシンは完成いたしました。
歴代の王たちはタイムマシンの設計図を欲しておりました。その技術がどれだけ科学に躍進をもたらすでしょう。あるいは自らの運命をやり直したいと、誰もが夢見て求めたのです」
「…………」
やっと全てが繋がった気がした。
――本当に、どれだけ馬鹿なんだよ。ブラコンって笑われても言い返せねぇじゃん。
ミュータはシエルの心中を思う。
蘇生させるだけでは飽き足らず、タイムマシンまで製作させるとは。そこまでしてミュータとの再会を望んでいたのだろうか。何故そこまで?
――たった一人で寂しかったのか?
森羅王は孤独を好み、臣下にも家族にも恐れられていたという。
シエルの人生は、幸福を得られなかったのだろうか。
兄のために王様になんかなったから。
「帰してくれ! 今すぐに! 俺は元の時代に帰る!」
ミュータはソファから立ち上がる。居ても立ってもいられなかった。
「ミュータさん……」
シアンの悲しそうな呟きを聞いても、衝動は消えない。この時代の人々にきちんとお別れするという考えは吹き飛び、一刻も早くシエルに会いたかった。
「いいえ。まだお話は終わっておりません。むしろ、ここからが本題ですわ」
マリッタは凛とした声音でミュータに着席を求めた。
これ以上に何を語ることがあるのか。ミュータは苛立ちながらも座り直した。心臓が激しく脈打ち痛いくらいだ。
「現王〈比翼連理王〉より厳命された通り、わたくし達の目的をお話いたします。大変申し上げにくいのですが、現ユニヲン王家はタイムマシンの未使用のままの破棄を望んでいます。つまり、ミュータ様には隠し部屋の鍵を開け、タイムマシンを破壊し、この時代にとどまっていただきたいのです」
何を言われているのかすぐには分からなかった。
「それはなぜですか?」
言葉を失うミュータの代わりに、リオウが務めて冷静に尋ねた。
「〈維新電神〉はタイムマシンが完成した後も、演算を続けています。ミュータ様のため、より完璧に、より安全に時空移動ができるように。それがどれだけ過負荷になっているか。演算領域の実に三割をタイムマシンに費やしているのです。時空融合以来、〈維新電神〉の負担は増える一方。もう限界なのです。このままではひと月も経たないうちに、全機能が停止してしまうでしょう」
「……ここ最近の予知の精度の低さもそれが原因ですか」
「その通りです。リオウくんなら分かるでしょうか。〈維新電神〉が人類にとってどれほど重要か。もし失えば、人類は隣空人に太刀打ちできなくなる。いえ、敵は隣空人ではありませんね。〈維新電神〉の停止とともに王家は力を失くし、人類間でも大きな争いが起きるでしょう。我らの神は全ての争いの抑止力なのです」
沈痛な面持ちでマリッタは言った。
「そんなの、知るかよ……なんだよ、それ。俺は王家の都合なんて知らない……」
「王家だけの問題ではありません。この世界全体の存亡の危機ですわ」
マリッタの言葉は耳を通っても心までは届かない。
「では、最後の真実を告げましょう。タイムマシンが完成したのは、二十年前のことです。〈維新電神〉はタイムマシンが正常に起動するか最終実験を行いました」
「まさか……そんな」
察しの良いシアンが震える声で呟いた。
「七つの世界が一つになった異常現象――時空融合。その原因は人類が開発したタイムマシンにあるのです。タイムマシンが時間の因果に干渉することで時空間がねじ曲がり、七つの世界が融合してしまいました。実験は途中で中断されましたが、これまでの研究結果から推察するに、時空を遡ろうとするとこれまで構築した時間の全てが消滅するという結論が出ました」
マリッタは小さく息を吸い、毅然とした口調で告げた。
「はっきり申し上げましょう。二十年前、タイムマシンを起動しただけで時空が歪み、十億人が消失しました。五百年前に遡れば五百年間の歴史が消えます。つまり、あなた一人が過去に戻るだけで途方もない人々の命が、生きた軌跡が、跡形もなく消えるのです」
その言葉に胸が潰れた。
血の気が引き、意識が遠のく。
「どうか、正しき判断を。自分の意志を殺してこの時代残るか、自分以外の全てを殺して元の時代に帰るか」
ミュータが耳を塞ぐ前に、マリッタは言い放った。
「第七課題です、ミュータ様。さぁ、この世界の未来をお選びください」
それからしばらくの間、ミュータの意識は曖昧だった。
リオウがマリッタに怒ってくれたことは覚えている。
「あのような課題を出したのはミュータにこの時代への愛着を持たせるためですか。あまりにも非情な方法だ。結局のところ五百年前と何も変わってない。あなたたち王家は、この世界全てを人質にしてミュータを脅している」
「それももちろん狙いの一つでした。ただ、わたくしどもはミュータ様の人柄を見極めたかったのです。未来を託すに足る方かどうか。ミュータ様は見事に応えて下さいました。森羅王ほどの方が妄執する理由が分かるような気がいたします。そして、どこまでもお優しい方」
「もしも不適格だと判断した場合は?」
「……愚問ですわ。真実を告げることもなかったでしょう。わたくしどもが必要としたのは真実を知ってなお、その身を犠牲にしてくださる『英雄』だけです。厄介なことに、ミュータ様に嘘を申し上げないことが〈維新電神〉との約束でしたので、騙して操ることもできなかったのです」
とてもひどいことを言われている。
なのに、もう怒る気力も沸かなかった。目の前が真っ暗で、体から力がどんどん抜けていく。
悩める期限は一週間だと繰り返し伝えられた。四月の終わりに〈維新電神〉がタイムマシンに割いている演算領域を解放すれば、何の障害もなく元の性能を取り戻すことができる。
「…………」
気づくと、本棚の前に立っていた。
いつ図書館にやってきたのか覚えていない。そんなことどうだっていい。目の前に大量に並んでいる森羅王の関連書籍にミュータは触れていく。
真実を隠され、虚飾にまみれた歴史の本。
これをすべて読んでもシエルの心を本当に理解できる者はいない。どこにも答えは書かれていない。
帰りたい。帰ってシエルの気持ちを聞きたかった。
だけど、帰るための犠牲があまりにも大きすぎて、足を踏み出すことができない。
本当は分かっている。帰ってはいけないのだ。
歴史に逆らえば、この時代は消滅する。元の時代に帰ったとしても、第三次世界大戦を止めるためにはやはりシエルが必要で、そのためにミュータが人質に取られる。全てを知って逃げようとすれば、今度は戦争で人類が滅亡するかもしれない。
あまりにも壮大な茶番に、笑うこともできない。
「っ!」
膨大な本の前でミュータは膝から崩れ落ちた。森羅王の歴史書に懺悔するようにこうべを垂れると、涙がとめどなく溢れ、床に水たまりを作っていった。
「ミュータさん……」
声を殺してミュータは泣いた。背中をシアンが恐々と撫でている。そばにいたことも今まで気づかなかった。
「選べ、ない……っ!」




