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22 風が吹く日

 

 布団に入って目を閉じた途端、ミュータは忙しなく数字が走る空間にいた。また変な夢を見ていると自覚した瞬間、目の前にユメエンジュが立っていた。彼女に会うのは久しぶりだった。


「もうすぐ風が吹く。気をつけてね」


 ユメエンジュは挨拶もなく、ピンクの長い髪をいじりながらそう告げた。


「風?」


 思い出されるのは「風の強い日に会おう」というルドの言葉。


「暴風が町をさらうの。怖いお化けも来るかもしれない」


「なんだそりゃ。天気予報や予知夢なら、もうすぐなんて言わず正確な日付を言ってくれよ」


 ユメエンジュは声を上げて笑った。


「うーん、日数とか人類の単位で言い表すのって苦手なんだよね。他の隣空人も敏感な人なら感づいていると思うから、聞いてみればいいよ」


「分かった……でも、何に気をつければいいんだ?」


 ユメエンジュは足元を指差した。そこには数字のゼロが落ちていた。死にかけの動物のように震え、ノイズが走って消えかけている。


「壊れかけているの。もう時間がないんだよ。足元が突然崩れ落ちるかもしれない」


「え?」


 ユメエンジュはにっこりと笑って手を振った。

 その瞬間、夢の世界は光って砕け散り、跡形もなく消えていた。眩しさに閉じていた目を開くと、現実の世界に戻っていた。

 ミュータがこの時代、ユニゾランドにやってきて十八日目の朝がきた。






 第三課題のレポートをクリアし、第四課題の通知を待っていた。

 期限まであと二週間を切って焦れる一方、この時代での生活にも慣れてきた。すでに日課となりつつある朝食の支度をしていると、リオウがランニングから帰ってきた。


「おはよう。毎朝かかさずトレーニングなんてすげぇな。俺はそういうコツコツ努力するのは苦手だぜ」


「……毎朝献立を変えるマメな奴に言われてもな」


 わかめのスープとチキンライスを並べると、リオウは皮肉っぽく呟いた。


「あ、そういやさ、もうすぐ風が吹くって話、分かるか?」


 夢で聞いた話を真面目にするのも憚られ、ミュータは曖昧に尋ねた。ユメエンジュのことは誰にも話していない。壱角銃に神霊体が憑依しているなんて話したら、取り上げられてしまうような気がしたからだ。


「なんだと? なぜお前がそんな話をする。誰に聞いた?」


「誰って……うーんと、隣空人の友達だ。あ、でも、リオウの知らない奴だぜ」


 リオウはスプーンを握ったまま考え込んでしまった。


「お、おはよう。……私の分のご飯もあるかしら?」


 エピカが身支度を完璧に整えて食堂に顔を出した。眩しさを感じるほど麗しい。


「おはよう。当たり前じゃん」


「そう。じゃあ、いただくわ」


 安堵したように脱力したエピカの席に、ミュータは朝食を並べる。小さな声でエピカはお礼を言って食べ始めた。以前と比べて刺々しさが減ってきている。


「悔しいけど美味しいわ。なんか今朝はやけに食欲が沸くのよね。なんだか空気がぴりぴりして、今のうちに力を蓄えなきゃって気分」


「冬眠前の熊みたいだな。あ、良い意味でだぞ」


「ちょっと。良い意味で熊ってどういう――」


「おい、エピカ。変な感覚がするというのは本当か?」


 渋面で尋ねてきたリオウに、エピカはおっかなびっくり頷いて見せた。


「おはようございます!」


 いつも遅刻ぎりぎりにしか起きてこないシアンが食堂に滑り込んできた。跳ねた髪を手で押さえている。慌てて支度してきたらしい。


「リオウさん! ユニゾランドに風が来ます! 早ければ今日の午後にも!」


 リオウは席を立ち、携帯端末を持って食堂から出て行った。いつになく緊迫した表情だった。


「シアン、風が来るってどういう意味だ? 台風のこと?」


「っ、違います。時空風のことです」


 シアンは俯いたまま説明した。図書館での一件以来、少し気まずいのだ。


「この世界は時空融合以降、不安定になっています。時空風は時空の歪みが生む風で、普段僻地でおとなしくしている生物を狂わせちゃうんです」


「それ、人間にも影響があるのか?」


「いえ……風が吹いた後に体調不良になる人はいますけど、因果関係はまだ分かってません。人間は他の生物

に比べれば鈍感なので、そこまでひどい影響はないんだと思います」


 シアンによるとユニゾランドには過去三度の時空風が吹いている。

 一度目は草木が異常繁殖し、二度目は主蟲が大量に発生した。そして三度目には凶暴なドラゴンがやってきて東地区《春花》を焼き払った。

 そして今日、四年ぶりに四度目の時空風がユニゾランドを襲うという。


 時空風が吹くと悪いことが起こる。世界中で時空風の被害に頭を悩ませているらしい。原因は定かではない。隣空人のくしゃみが地球の裏側で時空風になる、なんて言われることもあるらしい。


 ミュータの浮かない心情を悟ったのか、シアンが無理矢理笑顔を作った。


「心配はないですよ。ユニゾランドには頑丈な地下シェルターがあります。そこに避難して、後のことは騎士団や警察に任せましょう」


 頷こうとしたミュータの携帯端末にメールが届いた。


 第四課題 『時空風災害を地上で体験すること』


          ************


 刻一刻と時間が過ぎていく。


 午後になり、リオウは本日何度目かも分からない舌打ちをして窓の外を眺めた。

 五階建ての役所の最上階。この部屋からは、強風でざわめく街の様子がよく分かった。通りに一般人の姿はない。本日の授業は全て休講になり、ユニゾランド全域に避難指示が出ている。


「それにしても今回は政府からの連絡が遅かった。まことに遺憾だ」


「そうですねぇ。隣空人の皆さんからの訴えがなければ、避難すらできなかったでしょう」


 騎士団の中隊長と町長の話にはリオウも内心で頷いた。

 人類は隣空人に比べて知覚が鈍い。しかし人類には〈維新電神〉がある。神のごときコンピュータは動植物の変化や大気の動きから時空風さえ予知し、過去の災害時は三日前には警報を出していた。

 それに引き替え今回は警報を出すのがあまりに遅い。最近では時空風災害の予報精度が徐々に下がっているという噂も聞く。


 ――まさか、〈維新電神〉は不調なのか?


 考えすぎだろうとリオウは思う。五百年間稼働し続け、時空融合でさえ乗り切ったのに、ここにきて不調になる理由が思いつかない。


「ところで、シャルマーくん。本当にいいのかね? きみも今や一般市民。避難してくれてもいいんだよ。何かあったら危ないじゃないか」


 町長が顔色を伺うように尋ねてきた。正直邪魔なのだろう。リオウは元騎士の権限を利用し、災害対策に協力させてほしいと無理矢理地上に残っている。


「今後のこともありますし、ぜひ間近で時空風を見ておきたいんです。連れともども、ご迷惑をおかけしないよう努めます」


「はぁ。きみとあのイプシロンの魔女さんがいてくれるのは心強いがね。しかし、あとは壱角銃持ちとはいえ一般人と、蟲客の姫宮……」


 別室で待機しているミュータ達のことも町長は気に入らないようだ。

 ミュータが課題のために地上に残ると主張すると、シアンは断固反対した。が、結局ミュータの意思を変えることはできず、シアン自身も残ることで折り合いがついた。

 シアンは賢民の中では屈指の魔法使いである。戦力にはなる。

 謎なのはエピカである。


「私も残るわ。時空風をまだ見たことないもの」


「やめろ。迷惑だ」


 当然のようにリオウが止めると、エピカは皮肉っぽく告げた。


「でも私が避難シェルターに入ったら、他の住民に迷惑でしょ」


「……それは、そうかもしれんが」


 シェルター内はお世辞にも快適とは言えない。何時間もの間、蟲客の姫宮と密室にいては精神を消耗する者も確かに出そうだ。


 ――それに、こいつを一人きりにするのもな。


 非常事態こそ、何か仕掛けてくる可能性がある。見張りに割く人員はないのだから、リオウ自ら見張るしかない。

 結局、いつものメンバーで地上に残り、時空風の襲来を待つことになった。


「言いたくはないけどね、若いからって好奇心で顔を突っ込むと痛い目に遭うよ。私は四年前のドラゴンの襲撃を間近で見たがね、あれはまさにこの世の地獄だよ」


「……地獄ならオレも見たことがあります」


 リオウの言葉に町長は首を傾げた。


「まぁ、町長。若いもんに経験を積ませるって考え方もある。うちのシャルマーは必ず役に立つ。それは私が保証する」


 中隊長が鷹揚にリオウの肩を叩き、町長は渋々引き下がった。昔から騎士団の上層部はやたらリオウに甘い。七年前、リオウの家族が惨殺された事件以来、騎士団に保護されて見守られてきた。あの事件のことは社会的に隠蔽されたこともあり、哀れに思われている節がある。


 ――下らないが、後ろ盾になってくれるなら利用させてもらう。


 騎士団に恩はあるが、思い入れはない。

 リオウは中隊長に小さく会釈して、町長室を後にした。



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