49 続 お弁当
とある朝。
俺はマンション前の公園で軽くストレッチをしている。いつもの早朝ランニング、潤一との待ち合わせだ。
結局、病院は三日で退院できた。先生の言ったとおり視力は完全に戻った。顔に傷でも残ったら潤一に顔向けできないと心配したのだが、さいわい傷ひとつ残っていない。よかったぁ。
しかし、体調が万全かというと、そうでもない。ちょっと頭がボーッとしている。なぜかというと、昨晩……、いやここ数日間ずっと、あまり眠れていないのだ。
そう。寝不足。眠れない。思い出す度に恥ずかしい。ベットの中で目を閉じた途端、脳裏に鮮明に蘇るのだ。病院での南郷とのあれやこれやが。
そのたびに、俺はあまりの恥ずかしさにベットの中でゴロゴロゴロゴロ転げ回る。そんなことをしている度に、いつの間にやら朝になってしまうのだ。
……うわぁ。また思い出してしまったよ。うわぁ。うわぁ。うわぁ。
「お、お嬢様。大丈夫ですか? どこか具合がわるいのでは?」
とつぜん頭を抱えてその場にうずくまった俺を心配して、茨戸さんが声をかけてくれた。……そ、そんなに挙動不審だった?
「だ、だ、だ、大丈夫。大丈夫だから。心配しないで」
我ながら、あれは醜態だった。文字通りの黒歴史。なぜあんなことを口走ってしまったのか。それだけでなく、俺は南郷にみずから抱きついてしまった。……あれ、なかったことにならんかな?
爺さんと南郷父、そして南郷賢の野郎がアレをどこまで本気にしてしまったのか、恐ろしくて確かめることができない。とはいっても、いまさら冗談だったとは言えないしなぁ。俺、……どうなっちゃうんだろ。
俺としては、できれば元の身体に戻りたいと思っている。しかし、その方法が全くわからない。さらに、潤一の方はといえば、もしかしてあんまり元に戻りたいとは思っていないのでは、と思える節もある。仮に戻れる方法があったとしても、俺だけ頑張ってもどうしようもない。というわけで、最近は一生このままでいることもちょっとだけ覚悟しているのだ。仕方がないよな。
しかし、仮に一生このままだとすると、俺はこの先どうなるのか、それが問題だ。野球は今までどおり頑張るとして、それ以外のこと。具体的にいうと、……結婚とか恋愛とか。
も、も、も、もしかして、俺は、あの南郷の奴と……?
「夢実!」
わぁぁぁぁぁ。
ひとり物思いに沈み、心の中で身もだえていた俺に、突然うしろから抱きく奴がいる。琴似潤一だ。
おおおびっくりした。潤一、おまえ、公共の場でいきなり後ろから女の子に抱きつくなんて、通報されれても文句言えないぞ。ていうか、茨戸さんがとっさに懐に手を入れて何か取り出そうとしているぞ。撃たれたらどうするんだよ!
「よかった。本当にケガはなんともなかったんだね!」
あ、ああ。おかげさまでな。
心臓がドキドキしている俺にかまわず、潤一は満面の笑顔。そこまで心配してくれたのか。
「あの日、救急車で運ばれたのが夢実だと知った時、僕は生きた心地がしなかった。試合をさっさと終わらせて病院にいってもあわせてくれないし……」
言いながら、潤一は茨戸さんを恨みがましくちらりと見る。茨戸さんは、潤一の中身が元夢実だと言うことを知っている。
「申し訳ありません。南郷先生とご子息以外誰もいれるなとの、旦那様からのいいつけでしたので」
「仕方ないだろ。茨戸さんにも立場があるんだから。それにしても、決勝残念だったな。完全試合目前だったのに。……俺がこの夢実の身体を傷付けちゃったら、試合どころじゃなくなっちゃったのも無理ない、か。ごめん」
「……前も言ったけど、夢実。僕が君の心配をしているのは、その身体が誰のものとか関係ないんだよ。君だから、僕は心配しているんだ。わかるかい? わかったら、少しは自重してくれないか?」
そんなに俺のこと心配してもらっちゃうと、南郷のこと言い出しずらいなぁ。こいつ、怒るかなぁ。怒るだろうなぁ。……今日、言うのはやめておこう。明日にしよう。そうしよう。とりあえずごまかさなきゃ。
「あ、ああ。努力するよ」
「努力だけじゃなくて。僕にとっては、野球よりも君の方が大事なんだ。頼むから、お願いだから、無茶をしないでくれ。心配させないでくれ!」
潤一の声がだんだん大きくなってくる。顔が近づいてくる。表情がマジだ。ち、ちょっとこわいぞ、おまえ。それに、『野球よりも大事』とか、気持ちは嬉しいが、西高野球部の連中の前でそんなこと言うなよ。
「そ、そうだ。よいことを思いついた!」
潤一の奴が俺の両肩をがっしりつかむ。動けない。強制的に顔と顔が相対する。近い。近い。近いって。そして、その顔こわい!
「夢実。別に君自身が野球することはない。ひかるちゃんみたいにマネージャーになればケガすることも……」
お、お、おい、つかまれた肩が痛い! 離してくれ!! そんなに力いれるな! ……しかし、恐い顔して力説する潤一のアホだったが、最後まで言うことはできなかった。
「ちょっと、あななたち! 朝っぱらから公共の場でなに見つめ合ってるのよ!!」
ひっ、ひかる!
西高野球部マネージャーにして俺の幼馴染み。十軒ひかるが現れたのだ。
「ど、ど、どうしてひかるちゃんが?」
潤一が驚いている。お前も知らなかったのか。
「今日から私もいっしょに走ることにしたのよ。いいでしょ?」
これには俺も驚いた。
「そんなこと言ってもおまえ走れるのか? 昔から理屈だけは一流の野球オタクだが、運動神経も体力もない鈍くさい女だったくせに?」
「……どうしてあなたが私の事しってるのよ」
「え? あ、ああ、あ、潤一……じゃなくて、監督、そう、うちの監督にきいたんだよ」
「もう、お姉さんたら余計な事を。……まぁいいわ。私もいっしょに走ってもいいでしょ?」
あ、ああ。ひかるが走ると言うのなら、全然構わないぞ、俺は。……潤一はちょっと不満そうな顔をしているが。
その日のランニングは、……楽しかった。
ひかるにあわせて、いつもよりペースはかなり遅くなった。しかし、走りながらの、ひかりとの乙女トーク(?)が盛り上がったのだ。
おれ、やっぱりひかると話していると楽しいわ。会話と言っても、ほとんどひかるが一方的に話し続けて、俺が相づちをうつだけ。内容といえば、昨日のプロ野球の話から、同級生の○○ちゃんが××君に告白したとか、たわいもないものばかり。だけど、それが楽しいんだ。つい昔、俺が潤一だった頃、ひかると四六時中いっしょに居た日々を思い出しちゃったぜ。
会話に参加できない潤一はちょっと不満だったかもしれないが、まぁ女の子の集団に入ってしまった男というのは、こういうあつかいをうけるものだ。どうせおまえは学校や部活でひかるといっしょにいるんだから、ランニング中くらいいいだろ?
「あ、そうそう、白石さん。今日から潤一君のお弁当は私が作るから」
ランニングも終わって別れ際、ひかるが俺に向かって思い出したように宣言した。
「へっ? どういうこと?」
「ひ、ひかるちゃん。僕のお弁当を夢実が作ってくれてたの、知ってたの?」
俺だけでなく、またしても潤一までも驚いている。
「気がつかないわけないでしょ。記憶なくした潤一君は覚えてないかもしれないけど、私達は十年以上ずっとふたりでいっしょにお昼食べてたのよ。それが最近突然こそこそひとりでお弁当食べ始めてたら、私だって気になってしらべちゃうでしょ。……ていうか、やっぱり隠していたつもりだったのね。やましいことがあるってこと?」
ぶんぶんと首をふる潤一。
「潤一君は西高のエース、そして白石さんは美香保のエースなんだから、やっぱり夏の予選にむけて敵同士がなれ合うのはどうかとおもうのよね」
あいかわらず理屈っぽい女だな、ひかる。でも、おまえがそう言うのなら、そうなのかもしれないなぁ。
「心配いらないよ、ひかる、……ちゃん。私が潤一にお弁当つくってたのは、事故の時かばってくれたお礼のつもりだから。そういうことなら今日から潤一の弁当はひかるちゃんに任せた」
「ええええ? ゆ、夢実い……」
未練がましい顔の潤一は無視する。俺はうれしかったのだ。ひかるが俺達を敵だと認めてくれたことが。
潤一よ。いつもひかるといっしょに居られるのは、おまえの特権なんだぞ。ありがたく思え。そして、ひかるの尻にひかれるのは琴似潤一の身体をもつ者の宿命だ。あきらめてうけいれろ。……うらやましいぞ。
俺は、この先ずっと夢実としていきる人生を、ある程度受け入れてしまった。野球さえできれば他はささいな事だからな。
だから、呑気な俺は忘れていたのだ。夢実の身体をもつ俺の中身が潤一であるように、目の前の潤一の中身は潤一ではない別のひとりの人間だと言うことを。
物語の進行速度が極めて遅いのは自覚していますが作者の仕様です。のんびりと気長にお付き合いいただけると幸いです。
2016.05.08 初出




