48 責任とってね♡ その2
南郷が、ぽつりととんでもないことを言い出しやがった。
「……おれ、野球やめることにした」
がばっ!
俺は反射的に起き上がった。そして、ベットから飛び降りる。まだ正座している南郷の襟元をつかみ、正面から顔をみつめて問い詰める。
「な、なんで?」
南郷は答えない。だまって俺の顔を見据えている。
……爺さんか? 爺さんだな? 俺にケガさせたから、白石の爺さんに野球をやめろと言われたんだな?
「ちがう」
「違わない! 絶対にそうだ。俺にはわかる。おまえは俺と同じくらい野球が好きな野球バカだ。そのおまえが野球をやめたいなんて考えるはずがない!」
「……もともと俺は、高校を卒業したら親父のあとを継ごうと思ってたんだ」
「嘘をつけ!! ……だめだ。俺のケガはおまえの責任じゃない。お願いだ、野球やめるなんて言わないでくれ。俺のせいでやめるなんて、絶対にだめだ!!」
俺はベットを飛び出した。そして、廊下にでる。爺さんが入院している部屋は隣だ。
南郷が俺を止めようとする。しかし、床に正座していたこいつよりも、俺の方がはやい。そもそも、こいつには乙女である俺の身体を本気でつかまえるような度胸はない。止めようとする南郷を引きづるように、俺は爺さんの部屋に乱入した。
バタン!
ノックもなしに、病院ではあらざるべき音をたててドアが開かれる。そして、頭に包帯を巻いた少女が病室に飛び込んで来た。
「お爺さま!!」
「夢実?」
病室のドアをあけると、爺さんがベットの上に半身を起こしていた。その爺さんの前で、南郷の親父さんが直立不動の姿勢でなにやら話をしている。
「夢実? 検査の結果がでるまで安静にしていろと……」
爺さんがあっけに取られている。しかし、余計な話をする余裕などない。
「南郷賢に野球をやめろと言ったのは、お爺さまですね?」
「……なんのことじゃ?」
「どうして南郷が野球をやめなければならないのですか? そんな事をされても、責任とったことにはならない事くらい、お爺さまもおわかりでしょう?」
「い、いや、本当になんのことかわからんのだが……」
俺の顔をみる爺さんの表情は困惑している。仕事中の爺さんを見る機会はあまりないが、この人は基本的に他人には決して弱みは見せようとしない。常に強面かつ鉄面皮。だが、俺の前でだけは別だ。それなりに感情を表す普通のジジイだ。その爺さんがこんな顔をしているということは、……本当に何もしらないのか?
爺さんは俺の顔を凝視している。つぎに俺の後ろの南郷賢に視線を移す。そして、大きなため息をひとつついた。
「夢実。南郷賢がお前にケガをおわせたと聞いたとき、確かに儂は激昂した。怒りに震えた。親子で土下座されても、殴りつけても、この怒りはおさまらない。今もはらわたが煮えくりかえっている。昔の儂ならこのままふたりとも、……いや、昔の事はいい」
爺さんは憮然とした表情のまま、視線を俺からそらした。なんだ? 口元が少し緩んだ。自嘲している? 過去の自分を恥じている?
「……だがな。儂だってバカではない。あれが賢くんのせいではないことくらいわかる。自分のこの怒りが理不尽なものだということくらい、儂にもわかっとる」
そして、ふたたび俺の顔に視線を移す。
「わかってくれ、夢実。儂はな、同じあやまちを二度繰り返すほど愚かではないのだ」
同じあやまち? なんのことだ? 俺が夢実になる前、夢実となにかあったのか?
「今の儂は、昔の儂とは違う。賢くんに責任を取れなどと言うわけがなかろう」
「そ、そうなのか?」
爺さんは嘘を言ってはいないようだ。俺は振り向く。ふたたび俺に詰問された南郷賢は、……だまって頷いた。
「お爺さまに言われたのでないのなら、いったいなぜ?」
「おまえのケガの状況を知った時、俺は絶望した」
なぜ? どうしてお前が絶望しなきゃならないんだ? というかその前に、おまえ視線をそらすな。人に話をするときには顔を見ろと習わなかったのか?
「……おまえが、俺とおなじくらい野球バカだということは俺もわかる。そんなおまえがもうマウンドに立てないかもしれないと知った上で、おれは野球できないだろうと思ったんだよ。お前のため、というより、俺がもう野球を楽しめないと思ったからやめるんだ。これが俺の責任の取り方だとおもってくれていい」
……バカ野郎。
ぽたっ。
床に落ちたのは涙だ。俺の涙。頬を伝わって、後から後から涙が落ちる。止まらない。このまま泣きじゃくりたかった。
しかし、俺はありったけの気合いを絞り出して声を張り上げる。このバカ野郎を更正してやらなければならない。俺の涙が止まらないのは、俺が野球をできなくなるからではないのだ。それを、こいつに理解させなければならない。
「こ、こ、こ、このバカ野郎が!!」
こいつが、こんなにアホな奴だとは思わなかった。思い切り背伸びをする。それでも届かない。思い切り腕を振り上げる。そして、全身全霊の力をこめて、南郷の頬をひっぱたく。
ばぁぁん!
病室に派手な音が響く。あっけにとられたのはひっぱたかれた当人である南郷だけではない。爺さんも、南郷父も、口をポカンとあけている。だが……。
くそ、ぜんぜん効いてない。潤一の身体なら、こいつが泣いて謝るまでぶん殴ってむりやり理解させてやるのに。この非力でか弱い夢実の身体で、いったいどうすればいい?
「だめだ。だめだ。頼む、お願いだ。野球をやめないでくれ!」
正直に言おう。俺自身が野球をやれないかもしれないと聞いたとき、俺は絶望した。野球ができないなら死んだ方がマシだと思った。
しかし、しかし、しかし、そんな俺のために誰かが野球をやめるなんて、それ以上にイヤだ。それも、他の誰でもない、南郷賢だ。正真正銘の野球の天才だ。俺が勝手に生涯のライバルと決めた男だ。こいつがこんなくだらないことが原因で野球をやめるなんて、絶対にダメだ。そんな俺の気持ちが、なぜこいつはわからないのか?
「……ゆ、夢実」
爺さんが目をまん丸にして俺を見ている。ごめん。俺、やっぱり夢実とは違う。クールでおしとやかなお嬢様のふりは無理だ。
「ま、まだ、見えなくなると決まったわけじゃない。それに、もし野球ができなくても、おれ、最近はチアガールも楽しいかなと思ってるんだ! ホントだぞ!!」
そ、そんな悲しそうな目で俺を見るな。哀れむな。
「ほ、ほ、ほんとだって。なんなら、おまえがまた甲子園で優勝できるように応援してやる。いや、プロになっても、メジャーに行ったって一生応援してやるぞ! それならどうだ……」
そうさ。俺は野球が好きなんだ。たとえ自分で出来なくても、応援することだって大好きだ。それも、掛け値なしの天才であるこいつをサポートできるのなら、あるいみ本望とも言える。これは本心だぞ。
一瞬、南郷の表情がかわった。いいぞ。野球をつづける気になったか? ……しかし、それはほんの一瞬。すぐにいつもの仏頂面にもどる。
「……ごめん。決めたんだ。もうマウンドからバッターを睨みつけるおまえのあの顔を見られないかもしれない。それなのに俺だけが野球を続けるなんて、……無理だ」
ぼろぼろぼろぼろ。涙が止まらない。人間って、こんなに泣けるものなのか。
もう立っていられない。俺は南郷の足元にすがりつく。這いつくばって懇願する。
「お、おねがいだ。おねがいです。野球をやめるなんて言わないでくれ。やめないでください。おまえに責任なんてないんだよ。おねがいします。俺は、潤一とお前の勝負がみたい。南郷賢が野球をする姿がみたいんだ。だから、たのむ。おねがいします。おねがいします。おねがいします!」
だが、それでも南郷賢は俺に視線を向けなかった。
くそったれがぁ! この大馬鹿野郎。どうして俺の気持ちがわかってくれないんだ!
どうする。この脳みそ筋肉の野球バカを、どうやって説得する。こいつに責任なんてないことを、どうやって理解させればいい? ……よ、要するに、責任をとらせればいいのか? こいつバカだから、それで納得するのか?
「わ、わかった。どうしても、どうしても責任をとりたいというなら、別の方法でとってくれ。それならいいだろ?」
アホがやっとこちらに顔を向けた。見上げる俺と、正面から視線があう。俺は涙だけでなくよだれも鼻水もでてひどい顔をしているような気がするが、いまはそれどころではない。
別の方法? 南郷が不思議そうな表情をしている。
そ、そりゃ、おまえ、えーと、こいつどうすれば気が済むんだ? そ、そ、そうだ!
「……お、お、お、お、お、女の子の顔に傷を付けた男がとる責任ったら、決まってるだろ」
はっ?
「お、おまえ、白石家のむむむむ婿になれ。それで責任はとった。おまえは、俺に気を使うことなく、気兼ねなく野球を続けてくれ。俺はそれを身近から全力でサポートしてやる。ちからいっぱい応援してやるから」
はぁ?
「だから、、な、な、な、頼む。お願いだ。それで、それで、いいだろ、な」
南郷があきらかに狼狽している。
「ままままってくれ、おまえ、自分で何をいってるのかわかっているのか?」
「わかっているさ。わかっているとも。俺がおまえの嫁になってやる。だから、……だから野球をやめるなんて言わないでください。お願いです。お願いです。……お願いです!」
俺は南郷の足元で跪く。何度も何度も、まるで土下座のように。
「夢実お嬢さん。もう、結構です。顔をあげてください」
沈黙を破ったのは、南郷のお父さんだ。俺の身体をやさしく抱き起こす。涙とよだれと鼻水でぐしゃぐしゃの顔を拭いてくれる。そして、息子を一喝した。
「賢! おまえ、何をボーッと見ている。男だろ! しっかりしろ!!」
「あ、い、いや、その……」
「南郷賢!」
次に口を開いたのは、爺さんだ。口調がさっきまでとは明らかに違う。激しくはないが、静かに怒りに震えている。背中から発せられる怒りのオーラが見える。それだけでちびりそうだ。これこそが裏世界のフィクサーと恐れられた男の本領なのだろう。
「は、はい」
本能的に南郷親子が背筋を伸ばす。気をつけの姿勢だ。格の違いという奴か。
「責任をとって野球をやめるなどと、言う方は楽かもしれないが、無責任きわまりない言いぐさだな。君は自分のことしか考えていない。仮に夢実が君に死球をぶつけ逆の立場になったとして、夢実が野球をやめると言い出したら君はどう思う?」
南郷の呼吸がとまる。一秒、二秒、三秒。さらに何度か口を開いて閉じてを繰り返した後、やっとのことで一言だけ声を絞り出した。
「……はい」
「君の軽率な『責任を取る』が、わしの孫娘にここまで言わせる事になった。儂としては、ケガをさせた事よりもこちらの方が許しがたい。……わしの言っている事がわかるな?」
「はい。軽率でした。……申し訳ありません」
南郷があたまを下げる。本気で後悔していることがわかる。俺に対してしたような土下座はしない。
「ふむ。わかればよい。もともと儂は君のことは高く買っていたのだ。だから南郷くん、……まさか夢実の言葉を無下にはしないであろうな。『責任』をとってもらうぞ」
えっ?
横から南郷親父が口をはさむ。
「も、もちろんですよ。なぁ、賢。おまえ、責任とるんだよな」
え? 責任? この場合の『責任』って、なんだ?
南郷賢は混乱している。
軽率に野球をやめようとしたことは、白石夢実に対して申し訳ないと思っている。これは本心だ。だから、野球はやめない。
その代わりの『責任』? 爺さんと親父は、いったい何を言っているんだ? えっ? さっき彼女はなんと言った?
「や、野球を続けてくれるのか?」
おそるおそる見上げる俺。南郷は目をしろくろさせている。しかし、なんとか視線を合わせた後、返事をしてくれた。
「あ、ああ」
「そ、そうか。そうか。ありがとう。うれしい。わかってくれたんだな。嬉しいよ、南郷賢。嬉しい!」
また涙がでてきた。我ながらすぐ涙がでる身体だな。俺はもう一度の身体に南郷にすがりつく。今度は足元ではない。正面からだ。潤一よりもちょっと細くて筋肉質だが、それでも女の子である俺とは根本的に違う逞しい肉体。ついでに潤一よりも男臭い。
そんな俺達をみて、爺さんと南郷親父もニコニコしている。そうだよな。こいつが野球を続けるんだ。みんな嬉しいよな。
ふたたび爺さんが口を開いた。
「君は野球を続けたまえ。そして、……夢実の言うとおり婿になってもらう。君は儂の息子だ。いいな?」
えっ?
叫んだのは俺だ。
えええっ? あっ。
とっさに南郷から離れる。おれ、とんでもないことを言ってしまったような気がする。
あ、あ、あ、あれは、あれは、えーと、その、あの、じょ、じょうだ……
再びおそるおそる見上げると、南郷が真っ赤になってこちらを見ている。
視線があう。今度はそらさない。あれは冗談だと言おうとして、言えない。いつもの仏頂面とはちょっとちがう南郷の真面目な視線をうけて、俺は何も言えなくなったのだ。
コンコン。ドアがノックされた。入ってきたのは若い医者の先生だ。この先生は、前に入院したときも世話になった。ちょっと親しくお話しもできる仲だ。
「あー、夢実さん。やっぱりここにいまいしたか。安静にといったのに」
「ご、ごめんなさい。先生」
「まぁいいか。あとで院長から直々に詳しい報告があると思いますが、先にお知らせしちゃいますね。精密検査の結果を元に当病院の医師全員で慎重に検討したのですが……」
ま、ま、まって先生。いきなり重大なこと言い出さないで。こ、心の準備が……。
「夢実さんの網膜にも眼底にも視神経にも異常がないということで意見が一致しました。目の周辺の頭蓋骨の骨折もありません。打撲のせいで今は見えずらいでしょうけど、数日で視力は回復するでしょう」
はっ?
「大丈夫、野球は続けられますよ。僕、高校野球大好きで、夢実さんのファンなんです。だからぜひ甲子園いってくださいね、……って、あれ? どうしてみなさん固まっているんですか? いい話なのに。おふたりはどうしてそんな真っ赤なんです?」
2016.04.29 初出
2016.05.04 誤字脱字を数カ所修正しました




