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39.敗北の後


「おはよう! ノーヒットノーランだって? おめでとう!」


 早朝。朝日を浴びながら走る俺達を追い越しながら、見知った顔のおじさんが声をかけてくれる。俺にではない。となりを走る潤一にだ。


「おはようございます。ありがとうございます!」


 若者らしいさわやかな声で、潤一がこたえる。まるで世間がイメージする健全な高校球児みたいじゃないか。……中身は引き籠もり腐女子のくせに。





 俺と潤一は、相変わらずいっしょに朝のランニングをしている。潤一はまだ大会期間中だが、いつもとかわりはない。


 高級住宅街のそば、いつもの堤防の上の道。毎日のように同じコースを走っていれば、毎日のように顔を会わせるランニング仲間も自然に増える。いつのまにやら親しげに声をかけてくれるようになる。で、試合で活躍すると、それを褒めたり応援してくれる人もいるわけだ。


「ノーヒットノーランだもんなぁ。地元のみなさまが期待して応援してくれるのも当然か」


 俺が潤一だった時は、地方大会でもノーヒットノーランなんてやったことはなかった。こいつ、もともと俺よりも才能あったのかもしれないなぁ。


「はぁ……。同じピッチャーとして、俺はおまえが羨ましいよ」


 潤一の半歩後ろを走りながら、俺はため息をつく。今日はこいつの背中がいつもよりでっかく見える。


「うーん。でもね、あんまり実感はないんだ。キャッチャーの指示通り一生懸命なげていたら、いつのまにか試合が終わっていたんだよ」


 おまえ、なんだその言いぐさは。全国の高校生ピッチャーに謝れ!


「そ、そうか。その調子で決勝では憎っくき小別沢も倒して優勝しちゃってくれよ」


「ははは、そううまくいけばいいね。でも、ひかるちゃんは、あくまでも目標は夏の甲子園予選だから、この大会で全力をみせる必要はないって監督やチームのみんなに指示しているよ」


 ひかるの奴、そこまで考えているのか。ていうか、チームの中で監督よりもえらいのか、ひかるは。


「西高は余裕だなぁ。それに比べてうちは一回戦で、しかも棄権で負け。このままじゃ、甲子園なんて夢のまた夢だよ」


「まだ夏の予選まで二ヶ月近くあるじゃないか。夢実が投げるのなら、美香保学園だって可能性はあるんじゃないかな」


 そりゃ何事も可能性はゼロじゃないけどさ。世の中そう上手くいくわけないよなぁ。


「……でもまぁ、たしかに、一回戦はあそこで棄権したからこそ、『もしピッチャーのケガがなければもう少しやれたかもしれない』と、みんなが思い込んじゃったらしくて、夏に向けてやる気をだしてくれたみたいなんだ」


 試合の後、みんなの目の色が変わったのがわかった。キャプテンには悪いが、もし俺が先発完投できたなら、もしかしてもしかしたらあの小別沢ともいい試合ができるんじゃないかと、チームのみんなは錯覚したみたいだ。


 俺のケガは想定外であったものの、あくまでも結果論であるが、あの試合を捨ててでも選手のやる気を出させるという監督の作戦は、見事にズバリあたったわけだ。


 ……ねぇちゃんの手の平の上で思い通りに操られている美香保ナインがちょっと哀れなような気がしないでもないなぁ。まぁ、指導者なんて如何に選手にやる気を出させるかが仕事であるわけで、これで本当に強くなれればみんなも本望なんだろうけど。





「おはよう! こないだの試合は惜しかったね。手は大丈夫かい?」


 今度はすれ違いざま、犬の散歩をしているおじさまに声をかけられた。……俺? 潤一じゃなくて俺にか?


「お、おはようございます! かすり傷だから平気ですよ」


 おもわず、包帯を巻いた手をあげて見せる。確かに泣くほど痛かったし、血もいっぱい出たけど、骨には異常ないしちょっとした擦り傷と突き指と爪が割れただけだから、一週間も安静にしてれば治るらしい。


「夢実。僕には本当のことを教えて欲しいんだ。本当に本当に大丈夫なのかい?」


「ああ、大丈夫。ちょっと突き指と爪が割れちゃっただけ。数日で治るって」


「よかった。夢実が素手でボールを取りにいった瞬間、僕は心臓が止まるかと思ったよ」


「大げさだなぁ、潤一は……。でも、心配かけたな。ゴメン」





 実のところ、大げさに騒いだのは潤一だけではない。またしても試合を見に来ていた白石の爺さんなんかは、ケガした俺の姿を見て激怒したあげく、学校と野球連盟に直接抗議しにいこうとしたのだ。


 俺はあせった。俺のせいでねぇちゃんの首がとんだり、女子選手の出場がまた禁止になったら寝覚めが悪いからな。で、必死に爺さんをなだめた。ここだけの話だが、爺さんと昔から付き合いがあるという南郷のお父さんにまで、なんとか爺さんを止めてくれるよう俺からお願いしたのだ。こんな小娘のお願いをこころよくきいてくれるなんて、現役の大臣のくせになかなか感じの良いおっさんだったぜ。


 ……それはともかく。


「……潤一だから本当の事を言うけどな、俺、あそこで審判に止められなかったら、かなりやばかったかもしれない。あ、ケガのことじゃないぞ。ケガとは関係なく、腕も肩も肘もあの時点で限界だったんだよ。スタミナの残りはゼロで、あのまま投げてたら倒れちゃったかもな。いやぁ、まいったまいった」


 口ではこう言うしかない。できるだけ明るい口調を意識したのは、本当の気持ちを隠したかったからだ。


 ……たしかに、スタミナ切れでのコールド負けは初めから覚悟の上のはずだった。俺も了解の上での、ねぇちゃんの作戦通りだったのだ。


 だが、実際に負けが決まった瞬間、……そんな作戦なんてどうでもよくなった。ただ単純に勝負に負けたことが悔しくて悔しくて情けなくて。全身の疲労よりも、右手のケガの痛さよりも、精神的なダメージの方が遙かに遙かにでっかかった。


 だから、涙があふれた。誰が見ていようとも、チームメイトもライバルも観客もTVカメラも、あの時は関係なかった。とにかく涙があふれて止まらなかった。生まれてからあんなに泣いたのは記憶にない。去年の秋は我慢できた涙が、今回は我慢できなかった。我ながら恥ずかしい。恥ずかしいのを隠すためには、笑い話にするしかないのだ。





 しかし、潤一からの突っ込みは、俺が予想したものとは少々違っていた。


「……僕としてはね、夢実。スタミナ切れでフラフラになる前に、君は自分からマウンドを降りて欲しかったな。君が無理している姿はみたくない」


 な、なんだ。いきなり真面目な口調になりやがって。精神的なダメージはともかくとして、ケガはたいしたことないし、ただのスタミナ切れだってば。


「い、いや、そんなに深刻になるような問題ではないんだよ。……そ、そうか、この身体はもともとお前のものだもんな。無理させちゃって、ごめん」


「そうじゃないんだよ、夢実」


 潤一が突然立ち止まって振り返る。びっくりした俺の肩に両手をのせ、正面から睨みつける。そして、ドスの効いた声。


「もともと誰の身体かなんてどうでもいいんだ。僕が心配しているのは、『君の身体』だ。僕の気持ちがわからないのか?」


 こいつ、いったい何を怒っているんだ? 俺にはいまひとつピンとこない。


「あ、ああ。ごめん。次からは、あまり無理しないようにするよ」


 よくわからんが、こーゆー時はとりあえず謝っておくに限る。





「おはよう! こないだの試合は惜しかったね! 次はあんな無茶するんじゃないよ」


 たぶん同じマンションに住むランニング仲間のおばちゃんが、陽気な口調で声をかけてきた。


「は、はい。ありがとうございます」


 おばちゃんだけではない。立ち止まっている俺達を追い越していく人、すれ違う人々が、次から次へと俺に声をかけていく。ノーヒットノーランを決めた潤一ではなく、泣き虫の俺にむかって。


「連続三振かっこよかった!」

「あ、ありがとうございます」

「夏の甲子園には出場できるように頑張って」

「がんばります!!」

「いっしょに写真撮ってください」

「はぁ? は、はい」


 ご近所の皆様は、なぜかあの試合の顛末を知っているらしい。たかが地方大会の一回戦、優勝候補を相手に弱小校が順当に負けただけなのに、どうして?





「夢実、本当に君は呑気者だな。呑気すぎる。全国放送のスポーツニュース見なかった? 史上初の公式戦出場女子選手として、かなり大きく取り上げられていたのに」


「は?」


 最近、早寝早起きの生活が身についてしまって、テレビなんてほとんど見ないからなぁ。


「たまたま僕が見たのはニュース番組の中のスポーツコーナーだったけど、連続三振や素手で打球を取りに行ったシーン、あの南郷を変則ナックルで三振させたシーンから、泣きながらマウンドを去るところまで、長々と映っていたよ。たぶん他局でもやっていたんじゃないかな」


 はああ? たかが地方大会の一回戦を?


「それだけ夢実のインパクトが大きかったということさ。それに、ネットの方でも……」


 でも、ってなに? なんで口ごもったのさ、潤一。


「僕もちょっとびっくりしたんだけど、夢実の映像はネットの一部でも大人気みたいで、いろんな所にアップされてたよ。連続三振のかっこいい映像とか、審判を前に可愛らしくイヤイヤしたあと泣き崩れる映像とか、あと、例の始球式のスカートがまくれあがった映像とか、あきらかに盗撮の学校での映像とか……」


 ええええ? 勘弁してくれぇ。





 その後、俺はおそるおそるネットで自分の名前を検索してみたわけだが。……激しく後悔したのは言うまでもない。




 

2016.02.28 初出

 


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