37.春の大会 その6
「夢実ちゃん、大丈夫?」
セカンドの一希ちゃんが声をかけてくれる。
「大丈夫大丈夫!」
笑って答える俺。しかし、大丈夫なわけがない。痛い。右手の中指と薬指と小指が痛い。死ぬほど痛い。だけど、俺はバッターボックスの南郷を睨む。この野郎、すかした顔しやがって。いま、吠え面かかせてやるからな!
初球。
拓馬のサインはストレート。もちろんストライクには投げられない。外角低めにはずす。ここでホームランを打たれたら、その時点でコールドゲームだ。
口をへの字にして、無理矢理投げる。
あっ!
リリースの瞬間、おもわず叫んでしまった。まったく指がひっかからない。見なくてもわかる。すっぽぬけの大暴投だ! ジャンプした拓馬の遙か上をこえて、ボールはバックネットまで転々ところがっていく。
『さぁピッチャーの白石さん、四番南郷君への初球は、……あああ、大暴投。キャッチャー捕れません。三塁ランナー、労せずして今ホームイン。七人連続三振の白石さん、初ヒット直後につづけて失点。これで九対ゼロになりました』
『うーん、白石さん、ゆび、大丈夫ですかねぇ。さきほど打球を受けたせいでなければ良いのですが……』
な、……なぁに。どうせもともと負けは覚悟していた。これでランナーがいなくなったんだ。かえってバッターに集中できるぞ。
俺は、口の中だけで精一杯の強がりを言う。そして、自分の手を見る。ああ、中指曲げた状態で打球にあたっちゃったから、爪から血が出てきてる。赤いの見たら、余計いたくなってきた。どうする。人差し指だけでなげられるか。
拓馬から新しいボールが返ってくる。人差し指をたて、指先にボールを乗っけてみる。俺は、指先の感覚とバランス感覚だけはずば抜けているはずだ。……よし、指先にのせたボールは微動だにしない。人差し指だけで十分だ。まだ大丈夫。大丈夫。大丈夫だ。大丈夫なんだよ! やってみるさ。
まいったな。
バッターボックスの南郷賢はひとりごちる。マウンドから自分を睨みつける少女の表情に、ほんの少しだけ圧倒されている自分に気づいたのだ。
ピッチャーは、前のイニングから完全に息が上がっている。チームメイトのエラーに動揺を隠し切れなかったのも、スタミナ切れが原因だろう。しかも、さきほどの打球でおそらく指をケガしている。もうまともなボールは投げられまい。要するに、肉体的にも精神的にもギリギリ、テンパっている状態のはずだ。
なのに、あの表情ができるのか。
チームはコールド負け直前で、自分で言うのもなんだが高校ナンバーワンのスラッガーを目の前にして、それでなお俺を睨みつけるだけの気力が残っているのか。一年生の女の子が!
あれは、決して勝利をあきらめ投げやりになった顔ではない。勝つつもりだ。チーム同士の決着はすでについている。だからこそ、この打席、俺に対しては真っ向勝負以外にあり得ない。
ふふ。
一瞬、ほんの一瞬だけ、無意識のうちに口元が緩む。そして、引き締める。
地方大会の一回戦、こんな弱小無名校相手の試合でこんな相手と勝負できるとは思わなかった。そちらがそのつもりなら、正面からうけとめてやろうじゃないか。
……この指じゃ、ボールにバックスピンをかけるのは無理だ。それをわかっているのかいないのか、拓馬のサインはスライダ。俺は首を振る。スライダも無理だ。絶対無理。
拓馬はため息をひとつついた後、サインを変えた。チェンジアップか。
うむ。ただのスローボールならば、たぶん投げられる。試してみるか。南郷の奴がタイミングを外してくれることを祈ろう。
上半身を倒すいつものフォーム。しかし、まともにボールを握れない。仕方ないので、人差し指一本でボールを保持。ボールを握るのではない。腕を振りながら、ボールの重心を押してやるのだ。
そして、地面ギリギリの位置からリリース。その瞬間、人差し指の先っちょで正確にボールの重心に力をつたえ、回転ゼロのまま前方へ押しだす。
これ難しいんだぜ。ちょっとでも力の方向がボールの重心からズレると、へんな回転がかかって思わぬ方向に飛んで行くんだから。神経使うぜ。
よし! 今度は暴投にならない。おもった方向に投げられた!
夢実がボールを投じた瞬間、キャッチャーの拓馬は真っ青になった。
これはただのスローボールだ。
ふらふらの山なりのボールには、まったく回転がかかっていない。球速がないこともあり、縫い目まではっきりと見える。ハエがとまりそうだ。そんなボールがよりによってストライクコースに向けて山なりにおちてくる。
南郷賢は無表情のままだ。甲子園でホームランを打ったときとまったく同じ。彼にとって、これが真剣勝負の顔なのだ。そして、鋭い狙い澄ましたスイング。凄まじい速度。だが……
『ファール! 南郷君の打球はレフト線、スタンドを遙かに超える場外大ファールです。打った瞬間は三打席連続ホームランかと思いましたが……。ピッチャー白石さんほっとした表情』
『いったい何メートル飛んだんでしょう。微妙にタイミングがズレましたかねぇ』
『バッター南郷君、不思議そうにバットを見ています』
『わずかにボールが不規則に揺れたようにも見えました。そのせいかもしれませんねぇ』
すげぇ……。相変わらず凄い奴だ。同じボールをもう一球続ければ、次は確実にバックスクリーンだろうなぁ。
打球が消えていったレフトスタンドの先を見つめながら、ひとつため息をつく。
でも、俺のこの右手は、手応えを感じている。もしかしたらなんとかなるかもしれない。いまのボールを、ほんの少しでもいい、いまよりも速く投げてやれば……。
最後の力を振り絞り、また指一本で投げる。人差し指一本で、ボールの重心を正確に押し出す。全身全霊の力をこめて、思いっきりだ!
よし! いいぞ!
いつものストレートには及ばないが、それでも速度はそれなりに乗った。しかも完璧な無回転だ。この投げ方でどんなボールになるのかは自分でもわからない。しかし、しかし、もしも俺の想像通りだとしたら、……ちょっと特殊な変化をするかもしれないぞ。たのむ!
今度はストレートか……。しかも、打ち頃の球速。
先ほどの山なりのスローボールよりもよほど打ちやすい。余裕をもってタイミングを図りながら、南郷賢の脳裏には数瞬後の映像が明確に浮かぶ。ジャストミートされた打球がバックスクリーンの上、電光掲示板を直撃するイメージだ。
今の彼女にとって、おそらくこれが精一杯のボールだろう。それが完璧に打ちかえされた瞬間、あの娘はどんな顔をするだろう? 泣き崩れるだろうか? それとも、またあの目つきで俺を睨みつけるだろうか?
……できれば後者であってくれ。
だが、南郷賢のそんな思いは、取り越し苦労に終わった。
なに?
まさにスイングを始めようとした瞬間、目の前でボールがふらふらと揺れたのだ。そして急ブレーキをかけたようにまずは左に、つぎに右に曲がりながら下に落ちる。まるでバット避けるように。
驚いたのはキャッチャーの拓馬も同じだ。
バッターが空振りしたボールを、キャッチャー拓馬も目で追うことが出来なかった。ホームベースの上でワンバンドになったボールを、なんとか身体にあてて前に落とすのが精一杯だ。
『空振り! ワンボール・ツーストライク。白石さん、南郷君を追い込みました。……放送席まで音が聞こえてきそうな豪快な空振りでしたが、いまのボールはなんでしょう?』
『うーん、なんでしょう? 無回転のボールが不規則に揺れたように見えましたが。まさか、ナックルの一種ですかねぇ?』
『アンダースローからナックルですか?』
『投げ方はかなりかわってますが、そうとしか考えられませんねぇ』
おかしな投げ方で悪かったな。俺は俺なりに必死なんだよ!
この試合は次回で決着です。
試合の内容とか、ボールの変化とか、そもそも女の子がそんなボールを投げる体力があるのかとか、いろいろとつっこみどころ満載だとは思いますが、ファンタジーということでご容赦いただけると助かります。
2016.02.14 初出




