8(今夜来るんだろ?)
四年生の五月に一匹の猫と知り合った。メスの野良だった。通学路から少しはずれた公園の金網フェンスの向こうで日向ぼっこをしていた。灰色のしま模様で、トパーズ色の瞳をしていた。
美香子は給食のパンをちぎって持ち帰り、フェンス越しにそれをあげた。マンションで動物は飼えなかった。父も母も仕事で遅くまで帰ってこない。こっそり連れ帰ろうと考えなかったわけでない。しかし隠し通せるはずもなかったし、この子もそれを望んでいないと思った。
金網越しだからカナミと名付けた。いい名前だとちょっと得意になった。
カナミはフェンスの向こうからやって来る気配もなかったし、自分が向こうへ行こうとも思わなかった。放課後のひととき、フェンス越しにパンをあげて、フェンス越しに撫でたり掻いたりしてやった。カナミはひとしきりされるがままに咽喉を鳴らすと、ついと手から逃れて伸びをして、お終いとばかりにちょこんと座る。それ以上は触れさせてもらえない。美香子は小さく手を振り、また明日ね、と家路に戻る。
ひと月ほど過ぎて、ふとカナミは姿を消した。公園で会えなくなっても暫くはパンを持ち帰った。茂みの中からひょっこり出てくるのを待っていたけれどもそんなことはなかった。誰もいない家に帰って、牛乳をコップに注いで、パンの切れ端を食べた。給食を持ち帰るのを男子にはやされた。あの子とはもう合うことはないのだと理解した。
*
宛先、増田。
本文、今夜来るんだろ?
ケータイのボタンを押して一拍の後、メール送信の失敗を知らされた。良子は小さな液晶画面を見つめ、左上に圏外のアイコンをみつけた。おかしいな。ド田舎なのは否めないが一部のキャリアを除いてケータイは充分圏内だ。光ケーブルだって通っているし、ケーブルテレビも見られる。地デジもきちんと切り替わった。
居間をぶらぶら歩き、縁側を行き来しても変わらなかった。その後ろをころころとカナミがついてくる。この謎の球に名前をつけたのは姪で、彼女は母親から受け継いだであろう真っ直ぐで強情で、異論も対案も一切認めなかった。由来や意味についてはノーコメントを押し通した。




