第1話 職業なし
その日も、いつもと同じように仕事が終わるはずだった。
金曜の夜。
月末前でそこそこ忙しかったが、ようやく一区切りついて、俺――相沢恒一は会社近くの居酒屋を出たところだった。
「いやあ、異動前に一回くらいこういうのもいいっすね」
明るい声を上げたのは後輩の篠宮玲奈。
その隣で、少しだけ呆れたように笑っているのが先輩の朝倉美咲さんだ。
「玲奈、まだ終電あるんだから少し静かにしなさい」
「えー、いいじゃないですか美咲先輩。今日は打ち上げみたいなものなんですし」
少し離れたところでは、同期の桐生大雅がスマホをいじりながら欠伸をしている。
さらにその後ろで、営業部の先輩である神崎恒一郎さんが苦笑していた。
「まあまあ。みんな無事に一週間終わったんだ。少しくらい浮かれてもいいだろう」
会社の同僚五人。
特別仲良しというわけじゃないが、仕事の付き合いとしては悪くない距離感だった。
俺はいつものように、その輪の中で少しだけ空気を整える役に回っていた。
玲奈がはしゃぎすぎれば宥め、美咲さんが気を遣いすぎればフォローして、大雅が面倒くさそうにしていれば話題を振る。
別に好きでやっているわけじゃない。
ただ、昔からそういう役回りが多かっただけだ。
「相沢さん、駅こっちですよね?」
「ああ、そうだな。玲奈、転ばないようにしろよ」
「子供じゃないんですけどー」
そんな、何でもない会話の途中だった。
不意に、視界の端が白く染まった。
「……え?」
街灯でも、車のライトでもない。
もっと強烈で、目を閉じても焼きつくような光だった。
地面に、見たこともない幾何学模様が浮かび上がる。
円と文字と、複雑な線が絡み合った巨大な紋様。まるでゲームかアニメで見る魔法陣そのものだった。
「な、なにこれ……っ!」
「おい、ふざけ――」
大雅の声が途切れる。
玲奈が悲鳴を上げ、美咲さんが咄嗟に俺の腕を掴んだ。
次の瞬間、身体がふわりと浮いた。
胃がひっくり返るような浮遊感。
耳鳴り。
視界を埋め尽くす白。
そして――。
◇
石の冷たさを頬に感じて、俺は目を開けた。
「……っ、ここ、は……?」
最初に見えたのは、高い天井だった。
豪奢なシャンデリア。巨大な柱。赤い絨毯。金色の装飾。
どう見ても日本の建物ではない。
慌てて上半身を起こすと、すぐ近くで玲奈が涙目になっていた。
「先輩!」
「玲奈、大丈夫か」
「だ、大丈夫じゃないです! ここどこですか!?」
周囲を見れば、美咲さんも、大雅も、神崎さんもいる。
五人とも無事らしい。
けれど、俺たちを囲むように、銀色の鎧を着た騎士たちがずらりと並んでいた。
さらに奥には、豪華な服を着た老人や、ローブ姿の男女。そして玉座のような席に座る壮年の男。
誰もが、俺たちを見ていた。
まるで品定めでもするような目で。
「異界より召喚されし者たちよ」
玉座の男が、厳かに口を開く。
「ようこそ、レーヴェルト王国へ」
言葉は、日本語だった。
いや、違う。耳には知らない言語として届いているはずなのに、不思議と意味だけが理解できる。
嫌な汗が背中を伝った。
「まさか……異世界召喚、とか……?」
「そんなわけ……」
大雅が否定しかけたが、その声には明らかな動揺が混じっていた。
俺だって信じたくない。
だが目の前の光景は、現実離れしすぎている。
玉座の男の隣に立つ、豪奢な法衣の老人が進み出た。
「諸君らには、我が国を脅かす災厄に対抗する力があると神託があった。まずは“職業鑑定”を行い、その資質を確かめさせてもらう」
「職業、鑑定……?」
聞き返したのは美咲さんだった。
老人は頷き、侍従に合図する。
すると、透明な水晶球が台座ごと運ばれてきた。
「この世界に生きる者は皆、生まれながらにして“職業”を授かる。職業は力であり、役割であり、魂の在り方そのもの。異世界より来た者であれば、なおさら強き職が宿る可能性が高い」
説明を聞きながら、俺は周囲の空気を読んでいた。
歓迎はされている。
だがそれは、俺たち個人を歓迎しているというより――使える戦力が来たことを喜んでいる、そんな空気だった。
「まずはそこの女性から」
促されて前に出たのは、美咲さんだった。
緊張した面持ちで水晶に手を触れる。
次の瞬間、水晶がまばゆい光を放った。
ざわり、と広間が揺れる。
「おお……!」
「これは……高位職……!」
水晶の中に、金色の文字が浮かんでいた。
《聖導姫》
老人が目を見開く。
「聖導姫……! 回復、支援、浄化、結界を司る希少職……!」
「素晴らしい……!」
「まさしく神の祝福だ!」
さっきまで様子見だった周囲の反応が、一気に熱を帯びる。
「朝倉さん、すご……」
「わ、私、そんな……」
戸惑う美咲さんをよそに、続いて玲奈が呼ばれた。
玲奈が恐る恐る触れると、再び水晶が輝く。
《精霊弓姫》
今度はさっき以上のどよめきが走った。
「連続で高位職だと!?」
「精霊弓姫まで……!」
「今回の召喚は大成功だ……!」
玲奈はぽかんとしていたが、周囲の熱狂ぶりに自分が“当たり”なのだと理解したらしい。少しだけ不安そうに俺を見る。
その後も続いた。
大雅は**《剣聖》。
神崎さんは《賢王参謀》**。
どちらも名前を聞いただけで強そうな職業で、騎士たちは興奮を隠さなかった。
玉座の男――おそらく王も、満足そうに頷いている。
「これほどの逸材が一度に……!」
「我が王国に勝機が見えたぞ!」
四人が次々と歓迎される中で、最後に残ったのは俺だけだった。
「では、最後の一人」
老人の視線が俺に向く。
広間中の期待が集まっているのが分かった。
ここまで来れば、俺にも何かすごい職業が出る。そう思われているのだろう。
けれど、不思議と嫌な予感がした。
理由は分からない。
ただ、水晶に近づくほど胸の奥がざわついた。
「相沢さん……」
「大丈夫です、よね……?」
玲奈と美咲さんの声が背中から聞こえる。
俺は小さく息を吐き、水晶へ手を伸ばした。
触れた。
ひやりと冷たい感触。
一秒。
二秒。
三秒。
――何も起きない。
「……は?」
思わず、誰かがそんな声を漏らした。
水晶は沈黙したままだった。
光らない。文字も出ない。反応がない。
老人が眉をひそめる。
「もう一度だ」
「は、はい」
言われるまま、もう一度触れる。
だが結果は同じだった。
無反応。
さっきまで熱狂していた広間の空気が、急速に冷えていくのが分かった。
「まさか……職業が、ない?」
「そんなことが……」
「あり得ん……この世界に、職業なしだと……?」
ざわめきの質が変わる。
歓声ではなく、困惑と嫌悪と、薄気味悪いものを見るような声。
俺自身が一番混乱していた。
職業が、ない?
この世界では全員に職業があるんじゃなかったのか。
なら、俺は何なんだ。
老人は険しい顔で何度も水晶を確かめ、やがて低い声で言った。
「……空白、だな」
「空白……?」
「職業欄そのものが存在しない。こんな事例は記録にもない」
その言葉を聞いた瞬間、王の目が変わった。
期待ではなく、警戒へ。
騎士たちの視線も同じだ。
さっきまで“勇者候補”を見る目だったのに、今は正体不明の異物を見る目になっている。
「おい、どういうことだよ」
大雅が苛立ったように言う。
「失敗とかじゃないのか?」
「失敗ではない」
老人は即座に否定した。
「水晶は正常だ。ゆえに、異常なのは――」
そこで言葉を切り、俺を見る。
その沈黙だけで十分だった。
異常なのは、お前だ。
そう言われたも同然だった。
玲奈が一歩前に出ようとする。
「でも、先輩は――」
「篠宮殿」
騎士の低い声に、玲奈はびくりと肩を震わせた。
美咲さんも唇を噛んでいる。
神崎さんは黙ったまま目を細め、大雅は露骨に顔をしかめた。
広間の空気が、俺だけを切り離していく。
ついさっきまで同じ場所に立っていたはずなのに。
同じ会社の、同じ同僚だったはずなのに。
俺だけが、別のものになってしまった。
やがて、玉座の王が冷たく告げた。
「……その者は、ひとまず別室へ」
歓迎の声は、もうどこにもなかった。
ただ一つだけ分かったのは――
この異世界に来て早々、俺は**“外れ”**を引いたらしいということだけだった。




