天命 其の五
三国志の史実と演義の登場人物が出てくる中で、あらゆる策謀が渦巻く中、彼らとどう対峙していくか。
水鏡に濁流と言われた柚の話の最終話。
柚は馬車から降りると、泉の畔で体を寛がせた。
産後、仲達が止めるのも聞かず長安を後にしたのだが、どうにも体調が良くない。無理をしてまでの強行軍には訳があった。
今戻らねば、仲達に託した我が子に情が湧いてしまいそうで怖かったのだ。
愛しくて、愛しくてたまらない気持ちが、自身を責め立てる。
柚の居た現代には、乳母制度などは特殊な環境でしか知りえないくらいで。子を守る為とはいえ、見捨てる形をとらねばならない立場に、虚しさと理不尽さを感じていた。
自身で決めた事だろうと。
仲達は笑って諌めたが、それも彼なりの慰めだと分かってるので気持ちは苦しくなる一方だった。
自然と思考が子供へと向いてしまうのだ。どうにか中断させようと、唐突に声をかけた。
「カイ、居るのでしょう?」
落ち着いた声がカイを探す。周瑜に攫われて以来、片時も離れていなかった彼の気配を。
「何故、私が此処に居ると?」
一瞬息を呑む気配がして、木陰から姿が現れる。
「貴方は孟徳が手配した、私を監視するための草だから」
「気付いて‥‥おいででしたか」
頷く柚に、カイは姿を現しながら苦笑いした。
全てが露見した今、カイが握っている情報は彼女にも仲達にも命取りになる。だが、柚はカイの手を握ると書簡を握らせた。
「別に子供のことを報告してくれても構わない。孟徳は見逃す筈だから」
「本気でそう思っていらっしゃいますか?」
「ええ。でも公にはしないで欲しいの」
本音を言えば、曹操にも言って欲しくないのだと。しかし、彼の草としての口を閉ざすことなど出来はしない。
カイは柚の瞳をじっと見つめて頷いた。
「きっと私が報告すれば、私は露見を嫌った丞相に口を塞がれますね」
「カイ?貴方‥‥」
これでは報告も出来ないと、笑いながら共犯になる事を同意した。
「ありがとう」
「いえ、ところでこの書簡は?」
色彩に彩られた泉を歩きながら、カイにこの数ヶ月間の草の動向を話し始めた。それは龐統が約束を守って、ナガトに柊の所在を教えたところから始まった。
草の彼女を使って柊と連絡を取り合い、今の状況も過去に出会った者たちも把握することが出来た。
柚は歴史が三人を飲み込んだ辻褄を合わせる為に、奔走する事を覚悟していたのだ。しかし、それは一人では成し得ない。
あの時の龐統が言ったように、もう一人の手が必要だった。
結城は孔明と対を成す濃師として、妻として生きることを選んだ。
柊は五虎将の妻として、静かに余生を送っている。
動けるのは自分しか居ない。
しかし‥‥
「ナガトとカイでその書簡をずっと‥‥後世にも伝えていって欲しいの。読める文字で羅列してあるから、読めないところは気にしないで頂戴」
分厚い書簡をめくって、カイはクスクスと笑い出した。読めるのはほんの一ページ程度なのだ。
如何にもこの寵姫らしいと、笑って承諾した。
歴史は巡る。
様々な思いを飲み込んで。
人はすれ違う
様々な相対の中から
渡りえる術を学ぶ
人 之に惑い見失うなれば
人心を無くし
元来の姿を留めぬだろう
柚の書簡はカイの子孫を介して、現代に受け継がれた‥‥。
現代の親友、ユキの手に渡ることを希望として。
柚の章 完
ここまで読んで下さって、ありがとうございます。
貴重なお時間を使って頂き、心から感謝します。
夏休み企画で載せた、結城の章と対になる柚の章の最終話です。
三国志の史実も演技も、時を刻んでいくと、少しずつ解釈が変わってくるようです。
天涯地神伝を書いた20年前は、最終のユキの章まで書いていたのですが、
ユキの章はとても解釈が微妙な部分があって、載せる為には書き直し一択。
今は、此処までで良いかなと思っています。
時間があったら、資料を読み直し、書き直してみようと思っています。
読んで頂けることが、執筆活動の励みになります。
誤字脱字に関しては、優しく教えて頂けましたら幸いです。




