初めての二人きり
フェリクスのお部屋を用意するにあたって、妹二人は別棟に部屋を移した。結婚してるわけでもない若い男女の部屋が近いのはあまり良くないもの。
クレーベ家の方が何もする気がないようなので、勝手に考えて部屋を整えた。と言ってもわたくしは殿方の部屋がどんなものなのかなんて知らない。家宰が「今どきの若い方の好みなぞわかりませんが」と言いながらあれやこれや配置した。
ついでにわたくしの部屋も、既婚者にふさわしく少し落ち着いた雰囲気に模様替えした。
更についでと家中のカーペットとカーテンを新調した。
おかげでやや年季の入った我が邸も、何だか新しくピカピカしていて見える。
教会式からアダルベルト邸に帰ったあと、初めてフェリクスと二人きりになる。
場所はテラスを選んだ。
ちょうど赤いブッシュローズが咲き頃を迎えたところだし、婚家に来たばかりのフェリクスには屋内より屋外の方が緊張もほぐれるだろうと思ったのだ。
まだ夜も迎えていないのに、室内で二人きりになるのもためらわれることだし。
ともかく、わたくしはこの家の当主として、フェリクスを婿に迎えた者として、彼に伝えなければいけないことが山のようにあった。
そして、彼がこのアダルベルト家でやっていこうという心意気があるのかを、確認したい。
初めての二人きりに、わたくしは気合を入れて臨んだ。
家宰はコーヒーを供して、下がっていった。
わたくしとフェリクスはテーブルを挟んで向き合って座り、まずはコーヒーをすすった。
「お部屋はいかがでした?お気に召したかしら?」
尋ねると、フェリクスはコーヒーカップを丁寧にテーブルに置いてから答えた。
「私にはもったいないほどの部屋でした。あれ程のお支度をしていただき、なんとお礼を申し上げればいいか」
わたくしはほほほと笑った。
「アダルベルト侯爵の夫の部屋ですもの。それなりのものを用意するのは当然のこと。ですが、不足があれば遠慮なく言っていただいて構いません」
「お気持ちありがたく存じます」
フェリクスはふわりと微笑んだ。
やはり美しい。目が眩みそう。この顔をこれから毎日見ることになるのね…
「コホン、さて、フェリクスさん。改めてアダルベルト家へようこそ。これから当主であるわたくしの夫として、この家で暮らし、努めを果たしてくださいますように」
わたくしが歓迎の言葉を伝えると、フェリクスは胸に手を当て、かしこまった。
「…精進致します」
「ご存知のように、アダルベルトは王宮に出入りする宮中伯の家系であり、3つの領地を抱える侯爵家。伯爵領からいらしたあなたには、お勉強していただかなければならないことがたくさんあると思いますわ。大丈夫かしら?」
「努力致します。どうぞご教示下さいますように」
なめらかな発音が耳に心地よい。
フェリクスがこの家に馴染む気があるようでほっとした。
クレーベの実家とは違うところもあるだろう。侯爵の夫として覚えてもらわないといけないこともたくさんある。
けど、フェリクスがこの家の一員になろうと努力してくれるのなら、いくらでも助けようがあると思う。
「よろしいですわ。では、こちらを」
用意しておいた紙を20枚ほどずらっとテーブルに並べる。
全て前もってわたくしと叔父が内容を話し合い、家宰が丁寧に記したものだ。
「こちらがこれからのスケジュール。この3枚がお渡しする予算について。こちらが婚姻に際して交わされた契約書。王宮発行の婚姻証明書、貴族登録証明書、上級貴族院の招待状。これがあなたの新しい印章、こちらが、、」
結婚前の準備として、何度も確認しながら揃えた書類をざざっと説明していく。
どれもフェリクスがこの家で暮らしたり、侯爵の夫として外に出る為に必要なものだ。
まず用意した全てを見せ、それから一枚づつ概要を説明していくと、それなりの時間がかかった。
「…と、簡単に説明しましたけれど、すぐ全てをご理解いただけるとは思っていませんわ。我が家の家宰が全て把握していますから、後ほど詳しい事を聞くといいでしょう」
一気に言い切って、喉の乾きに気づいてコーヒーを飲んだ。
当然冷めている。けれど二人きりで大事な話をしているのに、使用人を呼ぶのもちょっとね。
フェリクスはずっと穏やかな表情で黙って、わたくしの長い説明を聞いていた。
しかし冷めたコーヒー飲み終えて顔を上げると、じっと書類を見る彼の表情がどこか戸惑っているように見える。
「質問でも?」
尋ねると、彼ははっとし、表情を取り繕ろうように微笑んだ。
「とんでもございません。身に余るご好意に言葉を無くしておりました。偉大なる侯爵様に心よりの感謝を」
そう言って、うやうやしく手を胸に当て頭を下げる。
まるで王族に拝謁する時のようにうやうやしい。
わたくしはむっと眉を寄せた。
「フェリクスさん、その態度はどうかと思いますの。わたくしの夫になったという自覚を早く持っていただきたいわ」
夫婦になったのだから、もっと気安く接してもらいたい。
そして、貴族らしく貼り付けた微笑みも良いけど、そろそろ素の表情も見せてくれないかしら。
フェリクスはわたくしの言った事が理解出来なかったらしい。
「私の未熟な態度で侯爵様をご不快にさせてしまい、申し訳ありません」
神妙な表情で謝られた。違う!
わたくしはよく、怒っている訳ではないのに怒っていると思われることがある。おそらく話し方が悪いのだと思うけど、自分ではよくわからない。
今もフェリクスを勘違いさせたのはわたくしの言い方が悪かったのだろう。
フェリクスに夫婦らしい楽な態度で接して欲しいと、どう言えば上手く伝わるのか、少し考えて良い事を思いついた。
「フェリクスさん、わたくしの事をマルゴと呼ぶ許可を差し上げますわ」
マルゴは両親亡き後は妹たちしか呼ばないわたくしの愛称。最も気安い呼び方だ。
そんな呼び方を許すと言えば、フェリクスにもわたくしの言いたい事が伝わるだろう。
彼が低い静かな声で「マルゴ」とわたくしを呼ぶところを想像した。
まあ、これはかなり夫婦っぽい気がするわ。
「とんでもない」
フェリクスが固い顔で言った。
「私は身の程をわかっております。どうして侯爵様をそのように呼べるでしょう」
わたくしはふわふわした想像をビリッと破られた気持ちでフェリクスを見る。
「…身の程?それは、あなたが田舎伯爵領出身だから、かしら?」
身分の差を気にしているのかと尋ねると、フェリクスの張り付いた微笑みが、微かに歪んだ。
彼は少し躊躇いながら、こう言った。
「‥‥‥私が、侯爵様に、買っていただいた身だということです」
「は?」
わたくしの脳の回転が一瞬止まった。
結婚したことを“買い上げてやった”と表現するのは聞いた事がある。
身分ある男が下品に笑いながら、
“私に相応しくない卑しい身分の女だけど、見た目は良いので、嫁という座でその身を買い上げてやったのだ”というような事を言ったりする。
非常に嫌らしい言葉だと思う。
そんな言葉をこの場でフェリクスが敢えて使ったのは、それほどに自らが卑下すべき者だと言いたいのか。
それとも下位の家から婿を取ったわたくしが、そういう下劣な輩だと思われてるわけだろうか?
なんと反応すべきかわからず、まじまじとフェリクスを見た。
そんな強烈な言葉を言いながら、相変わらず口元に浮かぶ笑みと、冷たい光を宿した薄茶の瞳を見た。
それで、少なくてもひとつの答えがわかった気がした。
「フェリクスさんは、この結婚をお望みではなかったのですわね?」
つまりはそういうことなのだ。
彼にとってこの結婚に自分の意志はなく、上位の家から買われたようなもの。対等な夫婦になどなれるわけない、と言いたいのだ。
フェリクスは柔らかい声で答えた。
「私などにこのようなご縁がありましたこと、まことに光栄なことと存じております」
光栄なこと、と言う。決して望んでいた、とも喜ばしく思っている、とも言わない。
何か、わたくしの胸の内で、脆い何かが崩れ落ちる感覚がした。
ああ、駄目だ。
もう結婚は成立した。時間は戻せない。
わたくしが無意識に口にしたのは、意味のない憎まれ口。
「当然ですわ。田舎伯爵家の元跡継ぎが、このアダルベルト侯爵の夫になれるなんて。世にも稀な幸運ですこと!」
ホホホ、とわたくしの口が笑う。そうだ、笑ってしまおう。
そしてもう彼と話していたくない。
「さてさて、わたくしからお伝えすべきことはこれで全てのようです。お夕食までお部屋でゆっくりされるといいでしょう」
暗に下がれと告げると、フェリクスはさっと椅子から立ち上がり、辞去の挨拶を述べた。
その恭しく従順な態度の奥で、この婚姻を厭い、わたくしをひどく嫌っている。
なんて、外面のいい者だろう。
わたくしは最後に言わずにいられなかった。
「そうそう、言い忘れたことがありましたわ。今夜はご自分のお部屋でゆっくり休んでくださいませ」
意味は通じたはずだ。
フェリクスはやはり微笑んだまま、
「かしこまりました」と胸に手を当てた。




