弁護人
話を聞いた弁護人はあっさりと言った。
「その偽造印章と偽印が押された権利書は全部燃やしてしまうのが良いでしょう」
「わお!」
あんまりにもシンプルな解決法だった。
弁護人は銀縁眼鏡をくいといじった。
「良いですか?権利書は前クレーベ領主のマルクさんの指示でフェリクス様が発行したのです。けれど権利書というものがよくわかっていないマルクさんが燃やしてしまったのです」
「まー。全部マルクさんが悪いってことね!」
「当主様は話が早くていらっしゃる」
弁護人は満足気に頷いた。
「もちろんクレーベ城にはマルクさんがフェリクス様にそれを指示したという記録が残っているでしょう」
「ええ、もちろんそうでしょうね」
調子良く、弁護人の話に合わせた。
印章と権利書を密かに燃やす。マルクがフェリクスに指示を出したという記録を用意する。
関わった者と口裏を合わせる。
取るべき対策が決まった。
まだクレーベに国の官吏が来てなくて良かった。アダルベルトの者を送り込んでおいて、本当に良かった!
「一刻も早く、クレーベにいる者に場を整えるよう指示を出すことにするわ、フフフ」
「それがよろしいでしょう。くれぐれも抜かりなきよう」
二人で頷きあった。
これでひとつ解決の目処がたった、と拍手したい気分のわたくしに弁護人が言った。
「ところで、フェリクス様はご一緒にいらっしゃらなかったのですね」
「ええ。それが?」
先日の偽造印章の相談をする為に、今日は弁護人の邸宅をひとりで訪れていた。
彼は王宮からさほど離れていない高級地に小さな邸宅を構えている。
「今日は王宮の役目を済ませた帰りに来たから…フェリクスがいた方が良かったかしら?」
フェリクスはこの偽造印章について、とても気に病んでいる様子だった。なので今日はフェリクスのいないところで話をしたかった、というのはある。
「ずいぶん甘やかしていらっしゃる」
弁護人が含みのある言い方をした。
「当主様にご報告がありまして」
弁護人は一枚の紙をテーブルに載せた。
「マルクさんがエドウィンさんをクレーベ伯爵家から除名したと断言するので、迂闊にも信じていたのですが、書類が通っていなかったようなのです」
「どういうこと?」
弁護人は経緯を説明した。
マルクは王宮にエドウィンを除名する旨の書類を提出しに行ったが、誤字脱字がひどくて処理出来ないと返却されたらしい。それを通ったと思い込んでいたのだと。
「想像以上ね、マルクさんは…」
さすがにお馬鹿過ぎる。
「つまりエドウィンさんは未だクレーベ伯爵家の一員で貴族ということになります」
「それは良かったこと」
貴族が平民の身分に落ちるのはひどく惨めなこと。貴族のままであることを知ればエドウィンは喜ぶだろう。
「ついでに調べましたが、フェリクス様は跡取りを降ろされたとおっしゃいますが、特に登記上では何の事項もなく、クレーベを継ぐことが出来る身分でした」
わたくしは一度息を止め、それから頷いた。
「…そうなの」
「クレーベの事は国預かりになっていますので、もちろんこちらの一存で次期領主を決める事はできません。が、アダルベルト侯爵の後押しがあればフェリクス様が次期クレーベ領主になるのは難しい事ではないと存じます」
「そうかもしれないわね…」
わたくしはソファの背もたれにもたれて、はあ、と息を吐いた。
考えたくない現実をとうとう目の前に突きつけられた気分だ。
フェリクスがクレーベ領主になるという可能性。
もちろんこれまで考えてこなかったわけじゃない。
レグがそれを言った時、“フェリクスがクレーベから出てこなくなるから嫌よ”と軽く流したけど。本当はそんな軽い話ではない。
「離婚されるなら私がお手伝いさせていただきます」
さらりと言った弁護人に、わたくしは眉を潜め不快の意を示した。
「離婚なんて言葉はもう少し慎重に使うべきよ?」
弁護人は、おや、と眉を上げた。
「フェリクス様がクレーベの領主になるのなら、当然そうなるかと存じましたが」
離婚なんて本人が言わないのに他人が簡単に言うべきではない、という事がこの弁護人にはわからないらしい。
事実と正論を扱うのが商売だから仕方ないのかしら。
少し考え、この遠慮のない男の意見を聞いてみることにする。
「…フェリクスがクレーベ領主になれば、離婚するしかないと思う?」
「アダルベルト侯爵の婿はクレーベで暮らす事が可能ですか?」
反対に聞き返された。
「‥‥‥」
フェリクスがクレーベの領主になれば、領地で暮らすことになるだろう。
王都から3日もかかる地に暮らしながら、アダルベルト家の婿としての努めも果たす。そんなことはさすがのフェリクスでも不可能だ。
アダルベルト家の者もそんな婿を認めはしない。
「フェリクスが王都からクレーベを統治するのは無理かしら」
「難しいと思いますね。他の領地ならそれでいいでしょうが、クレーベの領主のあり方は実に特殊です」
弁護人はばっさり切り捨てた。
マルクがフェリクスを管理者として領地に置いていたように、クレーベの全てを管理できる者を領地に置けば、領主が王都で暮らすことは可能だと思う。
けれどそうすると、そもそもフェリクスを領主にする意味が薄れる。フェリクスもそんな統治の形は認めない気がする。
つまりどうあってもクレーベ領主とアダルベルト侯爵の婿は両立できない。
やっぱりそうよね。わかっていたわ。
「なら、フェリクスをクレーベの領主にはできないわね」
当然の結論を口にした。
彼はもうアダルベルトの婿なのだから。今更クレーベに返すわけがない。
フェリクスはそれを望むかもしれないけど。クレーベはフェリクスを必要としているかもしれないけど。
「どうしてです?離婚なされば良いではありませんか」
「は?」
弁護人は眼鏡の位置を指で直しながら言った。
「お二人は白い結婚だと聞いております」
ずばり言われた衝撃的な言葉がぐっさーと胸に突き刺さった。
「白い…な、なんでそんなこと…」
「私が知っているくらいですので、アダルベルトの家人はもちろん、親族家の皆様もあらかたご存知かと」
白い結婚とは実態を伴なっていない結婚のこと。
わたくしとフェリクスは肉体関係を未だ持っていない。それは実際の夫婦になっていない、と世話では見なされる。
「あの婿は失敗だった。早々に離婚させるべきでは。そのような声も聞いています」
「そんなことを言われる筋合いはないわ!」
カッとなって怒鳴った。
「そうでしょうか。当然の意見かと。婿の存在価値とは何でしょうな」
「…っ」
婿の最大の努めは跡継ぎを作ること。
その努力もしないフェリクス。
何の為に婿入りしたの?
皆がそう思っていることくらいはわかっていた。
だからその状況をどうにかしようといろいろ頑張ってるんじゃないの!
「フェリクス様がクレーベの領主になることは、離婚の良い口実になりましょう。早めに離婚して次の婿を探すことをおすすめします」
「なっ」
次の?次の婿ですって?
よくもそんな、部屋の家具を入れ替えましょうみたいに。
けれど弁護人はまるで悪びれない。
事実を述べているだけですが何か?という態度。
裁判のときには頼れるその態度も、自分がされると無性に腹がたつ。
「そんなことはあなたが口出す領分ではないわ。わたくしが当主です。わたくしが決めます」
「…左様で」
「良いこと?フェリクスをクレーベにはやらないし、離婚はしない。これがわたくしの決定です!」
「はあ、そうですか」
弁護人はつまらなそうに言った。
※※※
もやもやしたものを抱えて、アダルベルト邸に帰った。
出迎えてくれたフェリクスのエスコートを受けて部屋に戻る。
話がある、と言えばフェリクスはすんなりわたくしの私室の中に入った。
「ということで、印章も権利書も全部燃やしてしまうことにしましたわ」
「そうですか。…お手数をおかけ致します」
謝るな、といつも口を酸っぱくして言っているせいかフェリクスは謝らなかった。
けれど申し訳なく思っていることはものすっごく伝わってくる。
「偽造印章の件の始末はわたくしが致します。ですからフェリクスはもうこのことは忘れていただいて結構ですわ」
「そういうわけには…」
「結構です、と言ってるのですわ」
にっこり笑うとフェリクスはうっと引いた。
「はい…」
その耳の垂れた子犬のような情けない表情に苛立つ。
「そんなに自信のないような顔をなさらないで。あなたはこのアダルベルト侯爵の夫なのですよ」
「…はい」
少し目を伏せて返事をしたフェリクスは、やっぱり自信なさげで。
今にも“あなたの夫である資格は私には…”とか言い出しそうな雰囲気だった。
胸がしんと冷えた。
「…いつまでわたくしの夫になることから逃げるつもりですの?」
「…はい?」
わたくしの尖った声に、フェリクスは訝しげにこちらを見た。
ああ、わたくし今かなりイライラしてるわ、と自覚した。
弁護人とあんな会話をしたから…
「…いえ、何でもありません」
「マルグリット、何か…」
フェリクスが心配そうな顔でわたくしに一歩近づいた。
わたくしは手のひらを向けて彼を静止した。
「…わたくし、ちょっと疲れているみたいですわ。お話は済みましたからもう下がっていただいていいかしら?」
無理に微笑んだ。
あなたを追い出そうというわけじゃないの、ちょっと疲れてるだけなの、そう伝える為に。
「…お疲れでしたら、リラックスできるお茶でも持ってこさせましょう」
下がれと言ったのに、そんなことを言うフェリクスにまた苛立ちが膨らみかける。
「結構ですわ。…考えたいことがあるので、ひとりにしてくださいませ」
強く言うと、わかりました、と返事があった。
そしてフェリクスは物言いたげにしながら、部屋を出ていった。
次回は、追い出されたフェリクスに少し頑張ってもらおうと思います。




