アダルベルト最終日
「王太子殿下がいらしたことを除けば、10日間予定通りでしたわね」
わたくしが言うと、ソファの隣に座ったフェリクスがにこりと笑った。
控えめだけど、貼り付けた仮面のようではない素の笑顔だ。
この整いすぎた顔にもずいぶん慣れたと思うけど、やっぱりなんだか眩しくて、直視できない時がある。
「アダルベルトはいかがでしたか?気に入っていただけました?」
「はい。学生時代は見えなかったアダルベルトをたくさん知りました。これほどに活気溢れて、領地民が自由に暮らす地は他にないでしょう。この地を誇りに思うマルグリットの気持ちがよくわかりました」
わたくしはふふふと笑った。
「もうフェリクスもアダルベルトの人間ですわ。気に入ってくださって嬉しいです」
使用人がコーヒーを持ってくる。
「レイビック様より、王都へお帰りのお荷物の手配にもう少しお時間いただきたい、と」
「わかったわ、あなたもご苦労さま。世話をかけたわね」
このアダルベルトに滞在した10日間、城の使用人たちもさぞ気を張っただろう。
そう思って労うと、年嵩の女性使用人は嬉しそうに笑った。
「とんでもないことでございます。当主様とフェリクス様の仲睦まじいご様子に、使用人一同どれほど幸せな気持ちにさせていただいたことか」
「まあ」
すこし気恥ずかしい気持ちになり、ホホホと笑う。
密度の濃い10日間だった。
お披露目パーティーをして、代々アダルベルト当主たちが眠る墓に詣でた。
足の悪い祖母を見舞い、領地に新しく出来た法律専科学校の開校式典でスピーチをした。
工場地帯に行き、労働者が働く姿を見て回った。その時に自分たちで糸から選んでデザインした服は、近い内に王都に届けられるはずだ。
その全ての時、隣にはフェリクスがいた。
アダルベルトの数え切れない領地民がフェリクスを見て、あれが領主の夫なのか、と好き勝手に批評したはずだ。
人目に晒されることに慣れたわたくしも、なんだかそわそわしてしまったのに、フェリクスはどこでも動揺を見せず泰然としていた。
わたくしの夫はとんでもなく肝が座っている。
そしてわたくしたちはとても夫婦らしくなった。
10日前だったら、わたくしたちは椅子を向かい合わせて座っていた。今は自然に隣に座っている。
レイビック&カトリナ案の“キス”と“寝室一緒”はそれなりの効果をもたらしたようだ。
「王都に帰ったら、しなくてはいけないことがたくさんありますわ。忙しいこと」
「そうですね。私に出来ることは申し付けてください」
「本当に良い夫ですわ、フェリクス」
わたくしはフェリクスの頬にキスをした。
「当主様、婿殿。これを!」
バタバタと足音が聞こえてきて、部屋のドアが開いた。
レイビックが焦った表情で近寄ってきて、手には新聞紙を持っていた。
「叔父様、新聞に何か?」
「こちらを」
レイビックが広げた箇所には“クレーベ”の文字があった。
“クレーベ伯爵、刺される”
その見出しにぎょっとして、フェリクスを見る。
フェリクスは新聞記事を凝視していた。
“クレーベ領伯爵マルクが王都の自邸にて、短刀で腹部を刺された。出血多量で意識不明の状態。刺したのは義父で前クレーベ伯爵エドウィン。都市警察に逮捕された。家督トラブルが原因か”
フェリクスのお義兄様がフェリクスのお父様に刺された?
義兄は意識不明で、父親は逮捕された!?
フェリクスの顔を覗くと、元から色白な顔色が、白を超えて青ざめている。
「…フェリクス、大丈夫ですか?」
「はい…少し、驚きました」
それはそうだろう。わたくしは今出来ることを考えた。
「…まずはこの記事が本当のことかどうか、確認をとりましょう」
「いいえ、結構です」
フェリクスは間髪入れず、はっきりした声で言った。
「え?確認はしないのですか?」
「私はすでにアダルベルトの者とおっしゃったではありませんか。父も私とは縁を切ると言ったとか。でしたら、これは縁のない他家の出来事です。お気にされる必要はありません」
フェリクスの表情は見たことがないほど冷たく、口調は聞いたことがないほど固かった。
「でも、確認くらいは。お義兄様の怪我の程も気になるでしょう?」
「いいえ。特に」
間髪入れずに返った返事は、“あんな奴、死んでいい”、そう聞こえた。
わたくしは不安な気持ちでフェリクスの目を覗き込む。
何の光も映していないような瞳が、ふっと細められ、逸らされた。
「心配させてしまったようで申し訳ありません。私はなんとも思っておりませんのでお気になさらず」
「‥‥‥」
「出発までもう少し時間がかかるということでしたね。私は私室をもう一度確認して参りたいのですが、よろしいでしょうか」
「…ええ、どうぞ」
許可を出すと、すぐにフェリクスは部屋を出て行った。
わたくしはレイビックと顔を見合わせた。
ブックマークとか評価とか、ありがとうございます!すっごく嬉しいです。頑張って最後まで書き切ります。
土日は更新できないかもしれませんが、少々お待ちください。
次回からフェリクスくんがおかしくなっていきます。




