王太子
ボンマン茶店の二階に着いた途端、
「遅い」
アルフレートは一言言った。
我が国の王太子殿下である。
茶金の髪を無造作にひとつで括り、市民がよく着るようなシャツと長ズボンを穿いている。
完全なお忍びスタイルだ。
茶店のテーブルにはお茶も菓子も置かれていない。水差しと空のグラスだけがあった。
アルフレートは席に足を組んで座り、木のテーブルに両肘を乗せ、面白いものを見るような目でわたくしを見ている。
4人の同じ年頃の側近たちが、彼を取り巻くように座り、茶店の入口と窓のところは2人ずつ護衛が立っていた。
その何度も何度も見た光景に、頭の中を勢い良く血が巡り、カッと熱くなる感覚を覚えた。
もう条件反射だ。アルフレートを見るといつもこうなる。
いけない。今日はフェリクスもいるのだし。
落ち着いて、対応しなければ。
そしてとっととお帰りいただこう。
付いてきたフェリクスと護衛兼従者は入口前に待機させ、わたくしはすすすっと彼の前へ進みカーテシーをした。
「アルフレート王太子殿下に置かれましては、我がアダルベルトへのご来訪心より歓迎致します」
これは決められた挨拶だ。本当に歓迎してる訳がない。
「ふん、その割には遅い挨拶だ。我がこの街に足を踏み入れ、二時間たっておる」
二時間。予告もなく、呼び出しもなく。よく二時間でわたくしはここに来れたものだと思う。
ムカムカする気持ちをぐっと抑え、ホホホと笑って見せる。
「王太子殿下はそれほどわたくしに早く会いたいと思って下さっていたのですね。光栄なこと」
「馬鹿なことを言う」
「この馴染みの店で、まだかまだか、とわたくしを待っていらしたのでしょう?」
「うぬぼれが過ぎるな。我はここに遊びに参ったまで。お前が勝手に挨拶に来たのだ」
予想どおりの台詞にわたくしはにっこり笑った。
「ええ、ええ、そうおっしゃると思っていましたわ。お邪魔致しまして申し訳ございませんでした。それでは、アダルベルトをお楽しみくださいませ。ごきげんよう」
「無礼者。お前、我の許可なく下がるつもりか?」
くるりと背を向けようとして止められ、心の中でちっと舌打ちをした。
まあ、これで帰れるとは思っていなかったけど。
「わたくしは勝手に挨拶に参った不要の者ですもの。早くこの場を去った方が殿下のお為かと存じましたのよ」
「ふん。お前それほど暇ならば、アダルベルトの良き店に我らを案内せよ」
わたくしは暇じゃない!
「殿下は我がアダルベルトをよくご存知でいらっしゃいますわ。今更わたくしの案内など」
わたくしの顔は今、“嫌です、嫌です、絶対!”と言っているだろう。街をアルフレートと歩くなんて冗談じゃない。
「アダルベルト、無礼だぞ!」
王太子の回りの側近たちが堪りかねたように非難の声を上げた。
彼らはわたくしが妃候補だった時から、アルフレートの側近くにべったりくっついていた“取り巻き”だ。
「お黙り、取り巻きども!」
王太子本人はともかく、その回りにまで丁寧に接する必要はない。
「相変わらずだな!アダルベルト!この無礼女!」
取り巻きどもがギャンギャン吠える。
幼い頃から何年も変わらない関係だ。
「あなた達こそ、相変わらずなこと。いつまで殿下の威をお借りするつもり?」
「ふん、私たちは殿下の側近としてお取り立ていただいているのだ。殿下に捨てられた女は知らんだろうが」
捨てられた女、とはふざけたことを言う。
彼らにとって次期国王であるアルフレートの側に置かれることは、何にも代えがたい最高の誉れなのだ。
わたくしは違うけど。
「全く、一体あなた達に何の役目が出来るものかしら。殿下の目の曇りが早く払われると良いのですけど」
取り巻きへの嫌味と同時に、アルフレートの人の見る目のなさも皮肉ってやる。
アルフレートはわたくしたちのやり取りを馬鹿にしたような顔で見ていた。
「殿下?いつまでわたくしにこの者たちの相手をさせるおつもりですの?」
妃候補だった時から、アルフレートはわたくしが取り巻きどもに何を言われても絶対に放っておく人だった。今みたいに人を馬鹿にした顔で見ていた。
だから取り巻きどもは際限なくつけあがっていったのだ。
ああ、思い出したら更に頭に熱がこもった。
早く帰りたい。
「疲れたならそこらに座るがいい」
アルフレートがそこらに置かれている席を示す。違う。そんな気遣いはいらない。
「殿下もご多忙のことと存じます。わたくしはそろそろ下がらせていただきたく」
取り巻きが声を上げる。
「殿下は座れと仰せだ!アダルベルト!」
「お黙り!」
反射的に言い返してから、意識して深呼吸をした。
「殿下、ご要件をお伺い致しますわ。本日は何用でアダルベルトに?」
「用がなければ来てはならんのか?先程歓迎すると言ったではないか」
わたくしは大きくため息をついた。
「もうわたくしの元にいらっしゃるのはおやめください、とあれほど申し上げていますのに」
「…別にお前の元に行こうという訳ではないと言うに」
アルフレートは足を組み換え頬杖をついて、つまらなそうに言う。
しかしこの王太子殿下がわたくしの前に現れることが偶然だとかたまたまだとか、誰が信じるだろう。
「王都を歩けば殿下が現れる。アダルベルト領に帰れば殿下がいらっしゃる。お茶をしていれば殿下が乱入なさる…どうして殿下はこんなにもわたくしの前に現れるのです?」
ちなみに前回は王宮前の馬車置き場だった。どこの王族があんなところに用があるのと言うのか。あれからまだひと月もたっていない。
アルフレートはニヤと嫌な笑い方をした。
「お前の嫌がる顔は面白いからな。時折無性に見たくなるのかもしれん。それならばお前が悪いな」
このいじめっ子が言うような台詞。
これを聞くのは初めてではない。
最初は冗談だと思っていたけど、最近はこれが本心だろうと思っている。
要は嫌がらせだ。
アルフレートがわたくしを執拗に構ってきても、妃候補の頃なら世間は微笑ましく見ていた。わたくしは本当に嫌だったけど。
妃候補を降りてもやってくるアルフレートを見て、世間が様々に噂したけど、まだわたくしへの嫌がらせの範疇だったかもしれない。
しかし事は今、国際問題になろうとしている。
「隣国より嫁いでいらっしゃる方が何と思われるか」
「お前とは関係のないことだ」
「そんなわけに参りますか!」
この殿下は来年を待たずに、隣国の王女を娶るのである。まだ14歳だという。
「別に世間が噂するように殿下がわたくしに恋々としている、なんて勘違いはしておりません。もちろんわたくしも殿下におかしな薬を使ったり、誑かしたりはしていないわけですし。殿下がいつも突然にわたくしの前にいらっしゃるのが単に嫌がらせなのだと心得ておりますわ。けれどわたくしも結婚致しましたし、殿下も結婚なさる。いい加減、嫌がらせもやめていただきませんと」
わたくしは冷静に説得したつもりだった。
アルフレートはわたくしの言うのを聞き、馬鹿にしたように笑った。
「世にはストレスが多い。お前の不器用な顔を見て我の気が晴れるのなら、ありがたく思うべきではないか?」
何を訳のわからことを言っているの、この人は。
「我に気に入られて嬉しいであろう、アダルベルト侯爵?」
「‥‥‥っ」
頭の中が沸騰しそう。
アルフレートは王太子。将来の国王。
アダルベルト侯爵として誠意を持って仕えなければいけない存在。
アルフレートは自分の立場とわたくしの立場をよく知っている。
「そうだ!殿下のおっしゃるとおり!ありがたく思え」
取り巻きどもまでが調子にのって笑い声を上げた。
「あなた方…っ」
「マルグリット」
後ろから名前を呼ばれた。
低くて柔らかい、胸に染みるような声。
「殿下に私を紹介して下さらないのですか?」
「フェリクス」
取り巻きどもは下品な笑い声を止めた。
アルフレートは頬杖のまま、眼光鋭くしてフェリクスを見た。
フェリクスは私の横に並び、優雅に腰を折る。
「初にお目にかかります。マルグリットの夫、フェリクスと申します。王太子殿下のご尊顔を拝す機会を賜りまして、恐悦至極に存じます」
王太子の回りにいる高位の貴族たちにひけをとらない、流暢な挨拶だった。
「…ふん。お前がマルグリットの夫とやらか」
アルフレートがわたくしを見て、口をへの字にした。
「マルグリットがやっと見つけた婿がこれか。お前が顔で男を選ぶ女だとは意外だったぞ」
「殿下!いくらなんでも失礼ですわ」
わたくしがフェリクスの為に怒ったのに、フェリクスは微笑んで首を振った。
「いえ、殿下。お褒めいただきありがとうございます。私の唯一の取り柄が見た目だとはよく言われることでございます」
「‥‥‥」
わたくしは悲しくなった。
フェリクスが本心からそう言っているように見えたからだ。
「ふん、礼儀はわきまえた男のようではないか。マルグリット、婿から学べ」
アルフレートはつまらなそうな顔で、ふいとそっぽを向いた。
フェリクスは黙って再び腰を折った。
アルフレートは礼儀を見せたフェリクスにまともな言葉もかけない。
そして、かつて妃候補として礼儀を叩き込まれたわたくしに対し礼儀を学べ、ですって?
あなたがそれを言う?
「‥‥‥」
黙り込んだわたくしをアルフレートが顔の向きを戻して怪訝そうに見た。
「何か言い返さんのか、マルグリット」
わたくしの名を呼ばないで欲しい。
わたくしは本当にこの男が大嫌いだ。
苛立ちに限界まで熱くなっていた頭の中が、今度は氷水が流れたようにサーと冷めていく。
ドレスをつまみ深く膝を折った。
「全て殿下のおっしゃるとおりでございます。明日よりよく夫から礼儀を学んで参りますので、今日のご無礼は広い心でお許し下さいますよう」
アルフレートはヤバい、というようにはっと目を見開き、頬杖から頭を上げた。
「マルグリット…お前を責めたつもりはない」
責めたつもりがないなら何だと言うのか。
もうどうでもいい。いちいち言い返そうとも思わない。
熱が冷めた無関心な目をアルフレートに向けると、フェリクスがそっと横からわたくしの肩を抱き寄せた。柔らかい声で進上した。
「恐れながら、殿下。妻はただいま体調を崩しておりまして、このように殿下の前に礼儀正しくあることも困難なのです。無礼を致す前にこの場を下がる許可を」
「…許す」
意外なことにアルフレートはすんなり頷いた。と思えば、また余計な事を言う。
「婿を迎えたばかりで疲れているだろうからな」
「恐れ入ります」
フェリクスはさらりと流した。
「帰りましょう、マルグリット。私たちの城へ」
「え?ええ、そうね」
フェリクスが“私たちの城”ですって。
少し違和感を覚えたけど、早く帰りたいわたくしは頷いた。
「では御前失礼致します。このあともアダルベルトをお楽しみくださいませ」
スカートをつまみ、カーテシー。
アルフレートはこちらから顔をそむけ、手でしっしっと追い払う仕草をした。
思ったより長くなりました。これに付き合ってたらマルゴも疲れるよな…
次回はちょっとだけマルゴの過去に触れようと思います。




