帰領
「では、エリー。また明日お医者様が来てくださるそうだから、少なくてもそれまでは寝台から出てはいけませんよ」
「わかってますわ。でもお姉様のお見送りくらいできますのに…」
エリーは赤くなっている頬をぷうと膨らませた。
「だーめ。ここにいなさい。ベルモンド店のチーズケーキ買ってくるわ」
ちゅっ、とエリーの熱くなっている額にキスをする。
昨夜から発熱しているエリーの事が心配だけど、わたくしは今日アダルベルト領に帰ることになっている。
結婚のお披露目の為にいろんな準備がされているので、そうそう予定変更が出来ない。
わたくしは旅支度を整え終えて、エリーの私室を見舞った。
後ろで立っているレグにも声をかける。
「レグ。エリーと、この家のお留守番お願いね。10日で帰りますからね。何かあったらすぐに早馬を使うのよ」
レグは頼もしく頷いた。
「はい、大丈夫です。お任せください。お姉様もアダルベルト領までお気をつけて参られませ」
「ではね、行ってきます」
レグにもキスを送る。
2人の妹に別れを告げ、わたくしはアダルベルト領に向けて出発した。
アダルベルト領は王都に隣接する領なので遠くはない。
王都のアダルベルト邸からアダルベルト領の城まで馬車で3時間ほど。王都からアダルベルトの中心街まで通る大道路をまっすぐ行く。
馬車は全部で3台。荷馬車一台、使用人たちで一台、そしてわたくしとフェリクスで一台である。
つまりフェリクスと二人きり。ゆっくり会話するにはちょうど良い時間になる。
「アダルベルト侯爵家は3つの離れた領地を持ってますけど、ただアダルベルト領と言う時には先祖代々継いできた本来の領地の事を言いますのよ」
「はい」
「アダルベルト城はアダルベルト子爵が管理しています。当代の子爵はレイビック叔父様ですわね。わたくしたちは王都住みですけど、アダルベルト領には“帰る”と言いますわ。わたくしたちの根元たる地ですからね」
「はい」
「アダルベルト領の中心街は王都に次ぐ大都会と言われてますけど、いらした事は?」
「はい、私はアダルベルト領の寄宿学校にいましたから」
「ああ、そうでしたわね」
道も整備されているから、馬車旅は快適だ。
二人きりの時間は穏やかに始まった。
「では、そろそろ聞かせていただきましょうか」
「はい?」
「昨日お約束致しましたわ。なんでもお話します、と。そうですわね?」
ふふふと笑うと、フェリクスは首を傾げた。さらりと白金の髪が流れる。
「何をお尋ねでしょうか?」
「それではまず…」
わたくしはうーん、と考え無難なところから聞いてみることにした。
「好きな色は?」
「色、ですか?」
フェリクスは拍子抜けしたような顔をして、少し考えて答えた。
「マルグリットの瞳のような青、でしょうか」
「それでは、好きな事は?」
「マルグリットの話を聞いているのが、最近の好きなことです」
「今、欲しいものは?」
「すでに全てのものはマルグリットが下さいましたから」
「‥‥‥」
フェリクスはキラキラな微笑みでわたくしを見ている。わたくしはちょっと怒って言った。
「フェリクス、わたくしは口説けとは言っておりません。あなたの好みを正直に答えていただきたいのです」
「そのような…」
フェリクスは驚いたようだ。
そんなつもりはない、と言いかけて、それから思い直したように謝った。
「いえ、不誠実な答えに聞こえてしまったなら、私の不徳です。申し訳ありません」
すぐ謝る。そういうところが良くないのよ!
フェリクスはいつもこの調子だ。取り繕ったようなことしか言わない。すぐ謝る。
買われたという負い目なのか、単に新しい環境に緊張しているのか。
それとももしかすると、結婚前からずっと彼はこうだったのかもしれない。とにかく度が過ぎていると思う。
わたくしはフェリクスの好みを聞きたかっただけなのだけど。
「はぁ、もぅ良いですわ。質問はおしまいにします」
わたくしは諦めて言った。
「フェリクスは自分のことを話すのが苦手なのですね、よくわかりました。無理しなくてよろしいですわ」
フェリクスは何かを言いかけ、再び、申し訳ありません、と謝った。
馬車は進む。
「王都を抜けますわね」
領境の検問所のところで一度馬車は止まり、検問兵がちらりと馬車の中を見てくる。
チェックはそれだけで、再び馬車は走り出しスピードを上げた。
王都を抜けると風景がガラリと変わる。木々の間をちらほらと昔ながらの赤茶の屋根の家が見える。
そのまましばらく走ると、家の数が増え始め、道行く市民や外で遊ぶ子どもたちの姿が見え始める。
もう少し行くと灰色の平屋の工場がいくつも見えてくる。
「繊維工場地帯ですね」
「ええ。紡績から織物、染色、縫製工場まで揃ってますのよ」
「ここで働きたいと他領からも人が押しかけてくるとか」
「最近は少し落ち着いたようですわね。人は欲しいのですけど、一気に増えると昔からいる市民たちから不満が噴出して面倒なんですの」
「左様でしょうね」
工場地帯を抜けると、急に建物の密集度が減り、立派な庭付きの邸宅がいくつも現れる。
ここらへんの建物の持ち主は皆、アダルベルト領主として無視出来ない実力者たちだ。
「あれがヴェーゲナー社、ひとつ向こうがリンデン社、あっちのごつい塀に囲まれてるのがサイキ紡績社の邸宅ですわ。どれもアダルベルト領を支える大企業ですから、お披露目パーティーにも企業代表が来るはずです」
「教えていただきありがとうございます」
フェリクスは今聞いたことを確認するように、じぃと窓の外を見ている。
そこから更に行くと、フェリクスも通った寄宿学校や大教会、時計塔などがあり、中心街に近づく。
大道路には街の車入れに混雑で入れない馬車が往生していて、わたくしたちの馬車は隙間を見つけながら蛇行して進んでいく。
「この街には学生時代お世話になりました」
「あら、どんなお店にいかれましたの?」
アダルベルト領の中心街ウィニーは他国にまで名を知られる繁華街で、大きな百貨店や多種多様な物を扱う大小の店が並ぶ。
王室御用達の商店や貴族向けの飲食店もあるから、学生時代のフェリクスが通っても不思議はないが、なんとなく彼は学校の寮にずっと籠もっていそうなイメージだ。
「これというお店はありませんが、学友たちにあれやこれやと連れていかれまして」
「まあ、フェリクスの学生姿、見てみたかったこと」
学友たちとわいわい繁華街に繰り出し、こっちの店が良い、あっちであれを買おう、と手を引かれるフェリクスを想像する。
あらあら、可愛くて良いわ。
フェリクスの表情も柔らかい。きっとアダルベルトで過ごした学生時代は悪くないものだったのだろうと窺える。
いつか、この街での思い出も話して聞かせてくれるかしら。
そうして馬車はゆっくりと中心街を抜け、その先は大道路を外れ、石畳で塗装された小道に入る。
そしてすぐに懐かしい白亜の城、アダルベルト城が見えてきた。




