第19話 疑心
また失敗した。
スタジオを出てから、その気分のまま立ち直れていない。
香奈ちゃんに今の状況を伝える最大のチャンスだったと思う。前の体の成田と、今の僕を結びつけるにはこれ以上ない瞬間だった。
失敗した。
その反芻にため息が漏れる。
「森さん、いつまで手洗ってるんですか」
リビングから家主の友永の声が聞こえる。洗面所に入って流れる水に手を浸してどれくらい時間が経っただろう。
冷たい水にさらされて、少し手の感覚がなくなっている。いや、これは本当に、僕が前まで感じていた冷たさと同じだっただろうか。
「すみません」
これ以上返事を伸ばしていると、また余計な干渉を増やしてしまうのだろう。そのことだけが今は嫌だった。
濡れた手をふく気にもならない。そのまま僕は、洗面所を出た。
リビングにつながるドアを開けると、友永がテーブルにつきコンビニで買っていたご飯を食べていた。
「マジでいい加減飯食ってください。普通に腹減ってるでしょ」
サラダチキンのような形をしたオレンジの物体を片手に、強い語気で友永が聞いてくる。
この体になってからどれくらいたっただろうか。
まだ何かを食べる気にはなれていないし、それを答える気力もない。
問いかけに答えず、僕は友永に背を向けソファに倒れこむ。
少しの沈黙の後、何かを激しく叩きつける音がした。
その大きな音に反応もできず、ゆるゆると振り向く。
鋭い視線をこちらに向ける友永と共に、床に転がったサラダチキンが目に映る。
「森さん、俺TAMASHIIに出られるかもしんないです」
絞り出すような友永の声。それが怒りに震えていることは、今の僕にもわかる。
だがその内容まではわからない。頭が回っていないのか、よく聞き取れていないのか。
何も言わない僕に友永は怒りを制御できないようだった。
頭をかきむしり、弱くはない力で一定の間隔でテーブルを叩き続ける。
「地下のおっきいとこですよ。ここで結果だせれば表にも出られる。俺の目標知ってるでしょ。なんで一緒に喜んでくんないんですか」
ゴン、ゴン、とテーブルと拳のぶつかる音が響く。やがてその間隔は広がっていき、友永は下を向いたままうなだれた。
「すいません」
友永の拳が固く握られる。息を荒げて、テーブルに向かって拳を振り上げる。
しかしそれは振り下ろされないまま、ゆっくりと拳を下ろした。
「すいませんとか、二度というなよ」
消え入りそうな声で友永はつぶやき、立ち上がってリビングから去っていく。
広い空間で僕だけがただ一人残された。
何をするでもなく、自分の体を抱いて目を閉じた。
今の僕にはそうすることしかできなかった。




