第9話 新しい生活へ
車の後部座席に押し込まれ、再び移動する。
窓の外を見続けると吐いてしまいそうで極力見ないようにした。
「いつからピアノやってたんすか?」
横にいる友永がしきりに話しかける。
やけに親切にしてくれると不審に思うが、今はそれが多少の拠り所になっていた。
彼はまだ僕のことを森だと思って接している。
どういう風に接すればいいかわからず、濁すように答えた。
「昔から」
「へー。そういうの嫌いかと思ってました」
車内に訪れる沈黙。
友永は沈黙が苦手なのかもしれない。
またつらつらと話し出す。
「でもピアノってどうやって金稼ぐんすか? ただピアノ弾いてるだけの動画とか投稿して回すんすかね。俺だったら絶対そんなとこ見ないけど。辰巳さんなんか考えてんのかな」
「うるせえぞ」
助手席に座る男が冷たい言葉で制す。
声にならない返事をし、友永は押し黙った。
「森。いい加減その芝居やめろや」
今度は運転席の男が続けて僕に言葉をぶつける。
「今すぐはなんもしねえってわかったろ。入れ替わったとかそんなんもういらねえから」
「すいません」
僕は森という人を知らない。だからここもあいまいに答えることしかできなかった。
助手席の男が半身をこちらに向ける。
「友永、お前しばらく森の面倒見ろ。逃げねえかみはっとけ」
「森さんは逃げないっすよ。そんな人じゃないっす」
「今はそんな話してねえよ」
語気を少し強めて制される。それだけで車内の空気が冷えるのが伝わる。
「友永。辰巳さんから伝言なんだけど。お前連帯責任な」
「はい?」
「お前そんだけ森をかばうんだろ。だったらそんくらい当然だろ。お前がかばわなかったらとっくに森はもう死んでんだからな」
こともなげに生き死ににかかわる言葉を発する。
普通ならば現実味のない発言だった。
でもあの人ならやりかねない。
人の命をなんとも思ってない人ではないと、あんな風に人間を痛めつけることはできない。
「連帯責任って、どういう」
「とりあえず損失分を埋めるために森には働いてもらう。いろいろ考えがあるから、まあ連絡を待っとけ。よかったな森、お前の好きなピアノで稼がせてやるよ」
「わかりました」
助手席の男がふっと笑う。どこまでもあざけるような、不純な笑みのまま、体勢を戻してシートに深く腰を掛ける。
「感謝しとけよ森」
それっきり車内に会話が生まれることはなかった。
◇ ◇ ◇
辰巳の組織の主な収入源は薬物と店舗経営。そして最近は暗号通貨を使った投資案件にも手を出そうとしている。
そのシノギから金を得るには、相当の準備が必要だった。
確かに辰巳にはカリスマ性があった。圧倒的な暴力で他者を圧倒する。
だが所詮はチンピラ上がりの若者だ。裏の仕事でやっていけるほどの力は今の彼にはほとんどない。
ではどうやって彼は今のシノギで収入を得るまでに至ったのか。
背後には現役の暴力団員がいるからに他ならない。
竜門会系荒田組。そこ幹部の男と懇意にしていた。
車で事務所前まで送られた辰巳は中へと入る。
構成員が事務所の中を先導して歩いてくれるのだが、明らかにその視線には侮蔑が込められていることを辰巳は知っていた。
所詮半端ものだと。
だけどここで事を構えるわけにもいかない。
涼しい顔を装い、辰巳はとある部屋へと入っていく。
会議室のような部屋だった、
中に入った瞬間キンと張りつめた空気が漂った。
ここに来たのは初めてではない。ただ相変わらず静かだなと、辰巳は感じた。
簡素な部屋だった。真ん中にテーブルがあり、向かい合うソファがふたつ。
辰巳の視線の先にはソファに座る30代後半くらいの男。
永田はじっくりと辰巳を見つめ、口を開いた。
「どうだ最近。景気は?」
「まあまあです」
たったそれだけの会話なのに切り込まれたような、そんな錯覚を辰巳は覚えた。
座れと促され、辰巳は永田の対面に腰かけた。
「店火事になったらしいな。災難だったな」
「そうですね。金はある程度持って出れたんでよかったです」
「誰か死んだか?」
「誰も死んでないです。気を遣っていただいてありがとうございます」
ただの世間話。
しかしどこに地雷があるかわからない。
特に部外者へのクスリの横流しに関してはばれてないだろうかとひやひやした。
荒田組とは、一年前から薬物のシノギを共同で回している。
辰巳側が持ち込んだのは、海外のルートから仕入れたMDMAだった。
しかし幸いそのことはまだ耳には入っていないらしい。
それとも金をきちんと入れているから、見逃してくれてるだけなのだろうか。
そんな甘いものではないことくらいわかってはいるが。
ちらりと入口に目をやると、目つきの悪い組員の男が自分を睨んでいるのを辰巳は感じた。
「それで用件はなんでしょうか」
辰巳はあくまでここに呼ばれただけであった。
そうでもなければこんなところに顔など出したくない。
「TAMASHIIって団体あんだろ?」
最近名を上げ始めた地下格闘技団体の名前だった。
「はあ、一応は」
「あれ、運営に一枚嚙むことになったんだよ」
どんな手を使ったのかは辰巳は知らない。
ただ噛むことになったというより、無理やり参画したという方が正しいはずということは、彼自身理解していた。
「おめでとうございます。なんでその話を俺に?」
「暴対法でよぉ、今ロクに動けねえんだわ。客も選手もやんちゃな奴らが集まるからうまいこと現場回したり、あとSNS使ってもっと盛り上げてくんねえかな。おっちゃんにはその辺難しいわ」
要はケツ持ちと広告の実行部隊をやれという話のようだった。
その二つを持ちかけるということは、よほど中枢に食い込んだと見える。
金をさらに生み出したいという欲は透けて見えた。
ただ辰巳自身は悪くない話だと感じた。
売り上げのほとんどは吸い上げられるだろうが、こちらの取り分も多少は期待できる。
何よりクスリやぼったくりバーに頼らない合法寄りの仕事で金が得られる。
辰巳にはそれが魅力的に見えたのだ。
「わかりました。詳しい話はまた今度聞かせてください」
「おう、お前のツレの若いので出たい奴いたら出してもいいぞ。お前んとこはなんか新しいシノギやってないのか」
また探りを入れられる。
やってないといっても警戒をされ、やってると言えば無理やり参画し甘い汁を吸われる。
そのことは辰巳には理解できた。
準備を進めている綺麗な金につながりそうな投資案件。これを永田に気取られるわけにはいかない。
ただ一つだけ、これならばいいスケープゴートになると彼は考えた。
「ピアノっすかね」
永田の顔が多少ゆがんだのを感じた。
「は? ピアノ?」
「俺んとこに一人弾ける奴がいて。何か稼げねえかなと」
実際辰巳はそんなに期待はしていなかった。
森は実際優秀な男で周りからの人望も厚い。辰巳自身も割と信頼はしていた。
クスリの横流しに関して、森の下の人間に吐かせるのにも苦労した。
そんな人間を、いくら失態があったからといって簡単に殺してしまっては軋轢を生みかねない。
ケジメという言葉が嫌いだからヤクザにならず半グレになった。
そんな人間が周りに多いことを辰巳は理解していた。
それに辰巳が以前から近づきたかった人間の中に、クラシックに金を出している者もいた。
万が一にもその人間とつながることができるかもしれない。
殺すより生かす方が得策だと彼は考えた。
少なくとも今は。
「そんなにうまいのか」
「俺はあんま明るくないんでよくわかんないですけどね。まあ普通に弾けてましたよ。ちょっと新しいことやってみようかなと」
夢物語のような話だ。
現に永田もあきれたように鼻で笑っている。
「まあがんばれや」
「ありがとうございます。他に何かありますか」
「なんもねえよ。かえっていいぞ」
永田は完全に興味を失い、電子タバコを吸い始める。
それを少しだけ眺め、辰巳はすぐに事務所を後にした。




