2 実戦訓練前日
ギイン! ガン! ガキイイン!
帝城の隅に設けられている野外訓練場。そこでは早朝から金属同士がぶつかり、擦れ合う音が絶え間なく響いてくる。
広い訓練場で一定間隔の距離を開け、まだ十代の少年少女達が己の武器を手に持ちぶつかり合い、互いの技術を高め合っていた。そこから百メートル程離れた場所では、一列に並んだ何人かの男女が手に持った杖から火や水の球、あるいは風の刃といったこの世界に存在する魔法を離れた所に立っている的に向かって放っていた。
だが、その顔に浮かんでいるのは真剣に訓練に励もうという真面目な表情ではなく、明らかに面倒臭そうな、いかにもやらされてますと言った表情だ。……まあ魔法を撃っている奴らは割と楽しそうだが。
まあ、それも数日前から俺達が置かれている状況を考えれば仕方がないのだが。
俺はそんな彼らの様子を訓練場の隅に置かれているベンチに座って眺めていた。
……言っておくがサボっている訳じゃないぞ。今はちゃんと俺の休憩時間だ。
「ユウくん」
「ん?」
背後から呼ばれた声に振り返る。
「唯か。そっちも休憩か?」
「うん」
どことなく元気のなさそうな様子に訝しみ、隣に座る様促す。
「ありがとう」
微笑みながら返事は返すものの、やはり普段の元気は感じられない。単に訓練に疲れたという訳でもなさそうだが。
「どうかしたか?」
「……」
俺が聞いても唯は無言のまま答えない。俺は無理に聞き出そうとはせずに黙って唯が話し出すのを待つことにした。人から上手く話を引き出したりすることは苦手なのだ。
それから何分経っただろうか。何となく空を見上げてボーっとしていると、ようやく唯が呟く様な小さな声でぽつりぽつりと話し出した。
「私達……何でこんなことしてるのかな?」
「……」
ジッと待ち続けた末に唯の口から絞り出された問は、俺には答えようのない物だった。
いや、答えようと思えば答えることはできるだろう。
帝国が俺達を召喚したから。
奴隷になったから。
戦争が始まるから。
どれも正しい答えではあるだろうが唯が聞きたいのはこういうことではないのだろう。
結局、俺は無言のまま唯に続きを促すことしか出来ない。
「あの日、本当だったら私達はみんなで出掛けて、遊んで、笑って……ありふれているけど幸せな日常を過ごすはずだったのに……」
「……」
「ねえユウくん……」
「……何だ?」
唯はそこで一瞬躊躇った後、意を決した様子で続ける。
「私達……帰れるのかな?」
「……」
唯の質問は半ば予想出来ていた。そして、その質問に含まれる意図も俺は読み取っていた。
唯の言った『帰れるのか?』という言葉。
これには二つの意味が含まれる。
一つは、俺達の帰還のための条件として提示された戦争での勝利と魔人領の制圧。その条件を達成するまで生き残れるのかということ。
二つ目は、条件を達成した後、皇帝は俺達を本当に元の世界に戻してくれるのかと言うこと。
愛が言ったことは俺も考えていた。と言うよりも召喚された奴等全員が一度は考えていることだろう。
皇帝の言った言葉が真実かはわからないが、俺達にはそれを確かめる手段がない。
調べようと思っても俺達には妙な行動を起こせない様に監視が付けられているし、奴隷の首輪もある。そのせいで皇帝を疑いながらも結局は従うしかなくなっている。
不安ばかりが募るどうにもならない現状にストレスが溜まるが、今は耐えるしかない。耐えて訪れるかもわからない希望を信じるしかないのだ。だが――
「……わからない」
「……そう、だよね」
俺の返答に唯の表情に暗い影が差すが、俺の話しはまだ終わってないぞ。
「でもな」
「……え?」
俺は身体の向きを変えて、真剣な表情で唯の顔を真っ直ぐに見つめる。
「もし元の世界に帰れたとしても、帰れなかったとしても……俺達はずっと一緒にいることは出来る」
「! ユ、ユウくん……」
「この先どんな結果になったとしても、どんな状況になったとしても俺達が離れ離れになることは決してない。だからさ……まあ、その、なんと言うか……あまり思い詰めるな」
「……」
拙い言葉になってしまったが上手く伝わっただろうか。気休めにもならんかもしれないが、一応俺としては唯がこれ以上不安にならない様にと精いっぱい気持ちを込めたんだが……。
それにしてもさっきから唯の反応がないな。無言は辛いので早く何か言って欲しいんだが……。
俺は恥ずかしくなって途中で逸らしていた視線を元に戻す。と、そこには――
「ユウくうん……」
頬を朱に染め上げ、トロンと潤んだ瞳とどこか艶のある表情で俺を見つめる唯が――って、何だこれ⁈
普段の子供らしさの残る無邪気な笑顔がすっかり鳴りを潜めて、今は上気した顔に恍惚とした笑みを浮かべながら火傷でもしそうな程の熱視線を俺に注いでいる唯を見て、俺は咄嗟に声を出すことが出来なくなった。
初めて見る幼馴染の表情に目を奪われていると、先に唯が動き出した。
「ユウくん……」
耳が蕩けてしまいそうな甘い声と共に伸ばされた両手が、俺の頬を包み込もうとゆっくりと伸ばされてくる。
それを、スローモーションでも見ているかの様に引き伸ばされた感覚の中でボーっと見ていると、あと数センチで俺の頬に触れるという所でハッと我に返り、慌ててベンチの上から飛び退く。
何故そんな動きをしたのかは自分でもわからないが咄嗟に動いてしまったのだ。
「あぁん……」
唯の方を見ると、切なそうな声を出してとても残念そうな顔になっていた。
その表情を見るととても悪いことをした気持ちになってしまうが、何とかそれを抑え込む。
「さ、さて、俺も休憩は終わりにしてそろそろ訓練に戻らないとな!」
取り繕っているのがバレバレだろうと自分でも思ってしまうが、何故かさっきから心臓がバクバクと激しく脈打っていて冷静に話せないのだ。
「む~~~~!」
唯は頬をぷっくりと膨らませて「不満です!」と全力で訴えて来ているが、俺はその子供っぽい仕草で逆に冷静さを取り戻すことが出来た。
いつもの幼馴染の姿に安心すると共に苦笑が漏れる。
「あんま怒んないでくれよ。俺は戻るけど唯はどうする?」
「むう……私も一緒に行く」
まだ少し膨れっ面だがそれ程怒ってはいないようだ。
何に怒っているのかもよくわからなかったが。
そのことに安心し、訓練を再開するために二人でみんなのいる方に歩き出す。
まあ、訓練と言っても俺は武器を持つことは殆どないのだが。
訓練を開始する前に俺達は全員自分のステータスを報告することを、訓練担当となったデミット・ローレンに命令されていた。
その際にステータスに記される職業を見たデミットが俺達を前衛・後衛に分け、さらにそこから細かく班分けし、それぞれに適した訓練を課してきたのだ。
だが俺の職業は調合師。まあ、その名の通り二つ以上の素材を調合して新しい何かを生み出すという職業だ。
どちらかと言えば後衛職だが魔法職の様に魔法を使って攻撃出来るわけでも味方を回復出来るわけでもない。
出来ることと言えば薬草と水を調合して回復薬を作ったりという完全後方支援職だ。
最初は剣を持たされて前衛の訓練にも参加させられていたのだが、周りに比べて圧倒的に低いステータスのせいで全く付いて行けない。
それでも訓練を続けてステータスが伸びれば何とかなると思っていた。
だが何時間剣を振っても遅々として伸びない。そのくせ他の前衛職はグングン実力を付けていくのでその差は離れるばかりだ。
結局俺は前衛の訓練から外されて別のことを一人ですることになった。
ちなみに今の俺のステータスはこうなっている。
名前:霧島 雄二
種族:人間
職業:調合師(奴隷)
LV:1
体力:22
魔力:60
攻撃:23
防御:20
魔功:20
魔防:20
敏捷:24
魔法:――
スキル:鑑定、調合、言語理解
ちなみに帝国にいる兵士の強さは新米兵士で各ステータスが大体100。一般兵で200。部隊長クラスで500。一軍の副隊長で1000。デミットの様に隊長クラスになると1500以上だそうだ。
この結果、俺はせいぜい一般人よりは強い程度だ。
召喚された他の奴らは全てのステータスが最初から大体100~200。
最低でも50以上あるし、職業によっては250位ある項目を持っている奴もいるから、この世界に来た瞬間から一般兵並みの強さを持っている。
昨日で五日目の訓練が終わったのだが、ふと誠のステータスを見せてもらうと全ての項目で初期ステータスより百以上増えていた……。 さすがは勇者と言うことだろうか。
そういえばステータスが変化しているのにレベルが変わっていないのは何故かと思ったのだが、どうもレベルを上げるには訓練ではなく戦場で実戦を積まなければ上がることはないらしい。実際に戦場で命を懸け、魂を磨き己を高めることでレベルは上がるそうだ。魂とか何言ってんだと最初は思ったが、魔法や魔力なんかがある世界だし実際そうなのかもしれない。そして、命を懸ける分、レベルが上がった時のステータスの上昇値は訓練の時とは比較にならないらしい。
それにしては訓練だけで誠達のステータスが上がり過ぎではないかと思ったが、それも召喚された者に与えられる恩恵なのだろうとデミットは言っていた。
だが、いずれ訓練によるステータスの上昇も限界が来るので、そのうち実戦訓練に切り替えるそうだ。
しかし、恩恵があると言うなら俺のこのステータスは何なのか……。
本当に涙が出そうだ……。俺なんかが戦場に出たら真っ先に死ぬのは確実だろう。
魔力だけはそれなりに伸びているが、それは素振りではなく調合の成果だ。
俺の持つ〈調合〉のスキルは使用する際に作る物に応じて魔力を消費するのだが、どうやら魔力を限界まで消費すると回復した時に以前よりも最大魔力量が増えるらしい。まあ、魔力量も人によって限界値があるそうなので俺もそのうち上がらなくなるだろうが、今の所はなんとか増え続けている。
そのため前衛の訓練から外された後、毎日残存魔力がギリギリになるまで調合を繰り返し、魔力が回復したらまた限界まで調合するという訓練を延々とさせられた。
訓練として城の倉庫に保管されていた素材を全て調合する様に命令されたのだが、倉庫に入った瞬間あまりの量に意識が飛びそうになった。
学校の体育館程ありそうな倉庫の壁から壁、床から天井までぎっしりと埋め尽くされた素材の山。
それらを数日以内に全て俺一人で調合しろと言うのだ。ふざけた要求に奴隷の首輪がなかったらその場にいた兵士をぶん殴っていただろう。
『自分達で調合するのが面倒なだけだろ』と思ったが、出来なければ一日の食事を減らすと言われた俺は死に物狂いで調合を繰り返した。
夜になっても部屋には戻らず倉庫に籠りひたすら調合した。倉庫から出たのなんて食事時だけだった気がする。愛達は心配してたまに様子を見に来てくれたが、こっちの世界に来てから肉体が以前より強化されている様で数時間の仮眠を入れるだけで体の方は何ともなかったし、その努力あってか何とか全て終わらせることが出来た。
その後は何をやらされるのかと思ったが、適当に訓練していろと言われ放置された。
仕方がないので俺なりに出来ることをやっていたが正直身に付いているとは思えない。
結局、俺は昨日の午後から今に至るまで無為に過ごす羽目になっていた。
別に訓練に参加したい訳ではないが、他の奴らがどんどん実力を付けていくのに俺だけ取り残されている様でどうにも焦ってしまう。
訓練場に戻っても何をやればいいかわからないことに若干気が重くなりながら唯と共に歩いていると、俺達が向かっている方向からこっちに向かって歩いて来る人影が見えた。
「あ、雪ちゃん達だ」
唯の言う通りこっちに歩いて来ているのはいつもの幼馴染―ズだった。
そのことに気付いた唯が、中でも一番小柄な雪に向かって走って行く。
「ゆ~きちゃん!」
「むぎゅ……唯、苦しい」
抱き着かれた雪は頭部を唯の豊満な胸に抱きかかえられ苦しそうにしている。若干唯の胸を羨ましそうに見ていたが気付かなかったことにしよう。
「みんなも休憩?」
「私達は二人のことを呼びにきたのよ」
「ん?」
唯の行動に苦笑しながら鈴音がそう答えると、追い付いた俺が加わった後、誠が説明してくれた。
「デミットが全員集合する様に言ってきてな」
「何だ? 何かあるのか?」
俺が聞き返すと誠は真剣な表情になって続けた。
「ああ。どうやら明日から実戦訓練を始めるらしい」
その言葉を聞き、俺と唯の表情が強張った。
ついにか……。いずれは来ると思っていたけど思ったよりも早かった。
「で、これからデミットの野郎が説明するから休憩で訓練場を離れている奴らを呼んで来いってよ」
「そっか。わざわざ悪いな」
俺が礼を言うと誠は肩を竦めて返す。
「そっちもちょうど休憩が終わったみたいだし、そういうわけだから行きましょ」
俺達は頷くと、鈴音達の後に続いてみんが集まっている場所に向かって行った。
その途中、実戦訓練と聞いてからやけに暗い表情で俯いている唯に気づいた。
「……」
俺は無言で唯に近づき――
ポン。
「ユウくん……?」
俺は唯の頭をなるべく優しく撫でながら、
「大丈夫だ」
唯は驚いた様に目を丸くしていたが、俺の想いはそれなりに伝わったのか唯の表情に僅かながら笑みが戻った。
「……うんっ」
今はこれでいい。どうせなる様にしかならないのだから多少なりとも不安が晴れればそれでいいと思った。
大事な幼馴染の様子にホッと息を吐き、俺は視線を戻した。
「全員集まった様だな。今から明日の実戦訓練についての説明を行う! 一回しか言わんからよく聞け!」
訓練場の中央に集まった俺達を見回すとデミットは明日の訓練内容について話し出した。
「貴様らには明日の早朝に帝城を発ち、グリン峠に向かってもらう! そこで魔物を狩るのが今回の訓練だ! グリン峠に出て来る魔物は殆どが新米兵士でも倒せる様な魔物ばかりだ。お前たちのステータスならば問題ない。まずは明日の班分けを行う。五人一組で一班だ。呼ばれた者同士で集まれ!」
同じ班になるメンバーはデミットが勝手に決めていた様で、俺達は呼ばれた順に集まる。
「おっ、雄二も一緒か」
「おう。よろしくな」
「唯と雪は別になっちゃったけどこれはしょうがないわね」
運がいいことに俺の班には幼馴染である誠と鈴音がいた。正直実戦ということで不安があったから気心のしれた仲間がいるというのは心強い。
「俺は全く戦えないからな! 頼むぜ勇者」
「勇者はやめてくれ。マジで恥ずかしい……」
俺が勇者と言うと誠は頭を抱えて悶え始めた。……そんなに嫌か勇者。
「ほら、元気出しなさいよ。いいじゃない勇者。かっこいいわよ勇者」
落ち込んだ誠を鈴音が恋人らしく慰めているが……その慰め方は余計に追い詰めている様にしか見えん。いや、あいつ顔がニヤついてやがる。わかってやってんな……。
「げっ、霧島が一緒かよ……」
「えぇ……最悪なんですけどぉ」
俺が誠と鈴音のやり取りを生暖かく見守っていると、二人組の男女が俺のことを嫌そうな目で見ながら近付いてきた。
どちらも髪を金髪に染めピアスをつけている。さらに着ている服を着崩してちゃらちゃらした雰囲気を出している……まあ、不良の典型だな。
「……何か問題でも?」
男子の方は近藤 実。女子の方は斉條 茜。学校ではよく問題を起こして頻繁に生活指導のお世話になっていた問題児だ。ついでに言うと不良の例に漏れず頭は悪い。
正直こいつらと会話なんぞしたくないが一応聞いておく。
「大ありだろうが。何でお前みたいな雑魚と一緒に訓練しなきゃなんねえんだよ」
「ほんとそうだよねぇ。霧島相手だったらあたしでも素手で勝てるんだけどぉ」
「俺だったら片手で十分だぜ!」
そこまで言うと何が面白いのかぎゃははは! と大口開けて笑い出した。
近くで俺達の様子を見ていた他の生徒もニヤニヤしながら嘲る様な視線を俺に向けている。
不愉快極まりないがこっちに転移して来て二日目からずっと受けて来た視線なのでもう慣れた。今ではいちいち相手にするのが面倒臭いという思いの方が強い。
どうやら俺の様に全く戦う力を持たない職業を授かった生徒は他にいないらしく、俺が前衛の訓練で無様を晒して訓練から外された頃から「お前だけ楽してんじゃねえよ!」だの何だのと、こいつらは俺のことを陰で悪口を言って馬鹿にする様になったのだ。
こっちの世界の生活でのストレスが溜まっているのかもしれないが、俺をその捌け口にするのは止めて欲しい。
そもそもこの職業を選んだのは俺じゃないんだが。
「はぁ……」
面倒なので無視して放っておこうと思ったのだが、俺の代わりに動く奴らがいた。
「いい加減にしろお前ら。アホ面晒して笑いやがって」
「そうね。正直同じ女として恥ずかしいわ」
いつの間にか、さっきまでじゃれ合っていた(俺にはそう見えた)誠と鈴音が好き勝手言っていた二人の前に立っていた。
凄まじく嫌な予感がする……。
「ああ⁈ 天野てめえ今なんつった!」
「あんたらさぁ、ちょっと周りにちやほやされてるからって調子乗ってんの?」
案の定、近藤と斉條はあっさりと怒りの沸点を突破したのか顔を真っ赤にしてキレている。
いや、こいつらキレんの早過ぎだろう……。
(めんどくせえ……)
誠達も無視すればいいのにと思うが俺のために怒ってくれているのでそれも言いにくい。
四人の言い争いはどんどんヒートアップし、ついに近藤が武器を抜きそうになったその時――
「お前ら何をしている! 勝手な行動をしていないで並べ!」
騒ぎを聞きつけたデミットが怒鳴り込んで来た。
普段は鬱陶しいだけだが今だけは役に立った。
「ちっ! てめえら覚えてろよ……」
「マジ最悪なんですけど」
デミットが割り込んだことで二人は最後に俺を睨み付けるとみんなが並んでいる方に歩いていった。
いや、俺なんも言ってないよな? 罵倒されただけなんだけど……。
勝手に絡まれた挙句に勝手に恨まれて終わったことに遠い目をしていると背中を叩かれた。
「何ボーっとしてるのよ。私達も行くわよ」
「ん? ああ」
「ていうか、あんたも何か反論しなさいよ! 何で言われっぱなしになってんのよ」
「そうだぞ雄二。見てるこっちの方が腹が立ったぞ」
いや、そう言われてもな……。
「面倒だし」
俺の返答を聞いた二人は揃って溜息を吐いた。
「そういえばこういう奴だったわね……」
「そうだったな……」
なんか二人の中で俺がどういう人間か勝手に決まってないか……?
「いや、言っとくけど俺だっていつも無抵抗な訳じゃないぞ? 直接手を出されたら反撃位はする。今回はあいつらも悪口程度だったから何もしなかっただけだから」
俺が誤解を解こうと説明すると二人はもう一度溜息を吐き。
「まあ、今回はいいか」
「でも、また絡まれたりしたら私達に言いなさいよね」
「ああ、ありがとな」
呆れながらも俺のことを心配してくれる幼馴染に頬を緩ませながら頷いた。
「ユウくん!」
「うおっ!」
突如背中に感じた衝撃に驚いて振り向くと、背後から抱き着いて来た唯が何やら心配そうな顔で俺を見ていた。
今は班ごとに分かれて集合した後、それぞれの班に同伴する兵士との顔合わせと明日の連絡事項を聞き、訓練の終了と解散を指示され移動を開始した所。その矢先の出来事だった。
「いきなりどうした?」
「だって、ユウくんさっき近藤君達に絡まれてるみたいだったから……。大丈夫だった?」
ああ、さっきのか。ていうか見られてたのか。
「大丈夫だ。特に問題ないよ」
「本当?」
「ほんとほんと」
随分と心配性な幼馴染に思わず苦笑が漏れる。
クイ。
と、そこで誰かに袖を引っ張られる感触があったのでそちらに視線を向ける。
「……何かあれば力になる」
そこにはいつもの無表情でありながら、その瞳に確かにこちらを心配する色を宿した雪がいた。
嬉しくなって思わず頭を撫でてしまうと雪はくすぐったそうに首を竦める。だが、離れようとはしないので嫌な訳ではない様だ。
「むう……ユウくん! 雪ちゃんばっかりずるいよ!」
「えっ!」
さっきまでの心配そうな表情から一転、今度は頬をぷっくりと膨らませてやたら不満気な表情になった唯が俺を睨み付けていた。……まあ、全然怖くないんだが。
俺が困っていると唯は俺の肩から必死に乗り出して来て「撫でろ!」と言わんばかりに頭部を突き出して来た。
「はあ……ほら」
してやるまでは引きそうにないので大人しく撫でてやる。
「えへ♪」
途端に嬉しそうな表情になる唯。……それはいいんだがそろそろ離れてくれないだろうか。さっきから背中でむにゅむにゅと形を変えながら押し当てられている物体が気になって仕方がない……。
と、俺が理性と戦っていると隣から助け船が出された。
「いつまでくっ付いてるの唯? そのままじゃ歩けないでしょ?」
中々離れようとしない唯に痺れを切らしたのか、隣で俺達のやり取りを見守っていた鈴音が唯を引き剥がしにかかった。
「ああっ! 鈴音ちゃんひどいよぉ……」
何とも切なそうな表情をする唯に後ろ髪を引かれる思いだが、あれ以上続けられると俺の理性がやばいので仕方がない。
「我慢しなさい。また後でくっ付けばいいでしょ?」
「そっか。それもそうだね!」
いや……鈴音さんや、何故そこで余計なことを。また俺に自分の理性と戦えと?
俺の葛藤をよそに、唯を引き剥がした鈴音はすでに城内に向かって唯達と喋りながら歩き出していた。
「唯と雪は同じ班なのね」
「うん、そうだよ!」
「……唯がいてよかった」
表情は変わらないが雪は心底嬉しそうに頷いている。
他人とのコミュニケーションが苦手な雪にとっては命がかかった戦場で普段関わりのない奴らと一緒にいるのは不安なのだろう。
「そういえば、さっきは近藤君達と何を揉めてたの?」
「……気になる」
「えっと……」
さっきのやり取りのことを聞かれた鈴音が困った様に俺の方を向いて来る。
まあ、特に話すことでもないが知られて困ることではないしな……。俺は軽く頷くことで答える。
それだけで鈴音には俺の意志が伝わった様だ。
「実はね――」
その後、鈴音から掻い摘んで説明された唯と雪は――
「何それ! そんなのユウくんが悪い訳じゃないのに!」
「……ムカつく」
まさに怒り心頭といった様子だった。普段表情を変えない雪ですらはっきりわかる程眉を吊り上げている。
「落ち着きなさい二人とも。この件についてはもう終わったことだから」
「私抗議してくる!」
「いや、ちょっと待て唯⁈」
俺は駆け出そうとした唯の腕を掴んで必死に止める。
「俺は気にしてないから! 大丈夫だから落ち着け!」
このまま行かせたら何をしでかすかわからん。こいつはたまに突拍子もないことをするからな。
「でもぉ……」
唯は納得いかないと言う風に顔を顰めるが頭を撫でて必死に宥める。
「……唯、大丈夫」
傍で唯の様子をじっと見ていた雪が突然話しかけてきた。さっきは雪もだいぶ怒っていた様だが今は落ち着いているみたいだ。
ああ、よかった。こいつは冷静なよう――
「……私の暗殺者のスキルはこの時のためにあった」
全然冷静じゃねえな⁈ むしろ唯よりひでえな!
「そのスキルは人じゃなくて魔物に使ってくれ⁈」
こいつ、無表情の裏ではこんな過激なこと考えてんのか⁈
「……(スッ)」
「おい⁈ 何故目を逸らす!」
ぽんっ。
俺自身冷静さを失いかけていると、不意に後ろから俺の肩に誰かが手を置いた。
誰かと思って振り向くと、そこには笑みを浮かべサムズアップした誠が――
「愛されてるな」
「うるせえ!」
俺の叫びが訓練場に虚しく響き渡った。
その日の夜。
汗を拭き、食事を終え、今は就寝前に僅かに与えられている自由時間。
俺はその時間を利用して城の中庭に出て夜空を眺めていた。
この世界には二つの月が存在している。血の様に紅い月と澄み渡った海の様に蒼い月。夜空で輝く二つの月を眺めながら、初めてそれを目にした時のことを思い出し、改めてここが地球ではないことを再認識する。
そんな風に何をするでもなくしばらく眺めていると、離れた所から草を踏みしめる音が聞こえてきた。
誰か来たのかと思いそちらに顔を向けると、ゆったりとした寝巻に身を包んだ唯が、おっとりとした笑顔を浮かべて俺の方に向かって歩いて来る所だった。
そのまま俺の隣まで来て止まると、俺がしていた様に顔を上げて空に浮かぶ月を眺めだした。
「どうした?」
月を眺めているだけで口を開かない唯に俺の方から話しかける。
数秒の間があった後、唯は口を開いた。
「……特に理由はないんだけど、何となく夜風に当たりたくなって……かな」
「そうか」
そのままお互い口を閉ざし無言の時間が過ぎる。
しばらくそうして時が流れた頃、今度は唯の方から話しかけてきた。
「……ユウくん」
「ん? 何だ?」
「明日のことなんだけどね……」
「ああ」
続きを待つが……唯はまたも口を閉ざして黙り込んでしまった。
今唯が浮かべている表情はここに来てから何度も目にして来た。そのため何を言いたいのかは何となくわかるのだが……待っていても中々口を開かないので俺の方から切り出すことにした。
「怖いのか?」
「えっ」
驚いて目を丸くしている唯を見てやはりかという気持ちになる。
「図星か……」
「うん……」
「心配するな。確かに実戦は初めてだけど唯のステータスなら死ぬことはないだろう。ここの奴等だって俺達が死んだら困るんだからいきなり無茶な所には連れて行かないさ」
「うん……」
「それに唯の職業は治癒術師だろ。前に出て戦うことなんてないだろうし、もし怪我したってすぐに治せるんだしさ」
「……」
再び訪れる沈黙。
普段唯と会話をしている時にこんなに間が空くことはないのだが、こっちの世界に来てからはそういうことが多くなった。
また俺の方から切り出すべきか迷っていると不意に袖を掴まれた。
「……魔物と戦うのは怖いよ。でも私は……それ以上にユウくんのことが心配なの」
「俺?」
予想だにしなかった台詞に困惑している俺をよそに唯は話を続ける。
「だって……ユウくんには悪いけど、ユウくんのステータスは私達に比べて全然低いでしょ? それにスキルだって戦闘向きの物なんて何も持ってないんだし……それなのに魔物と戦うなんて危険すぎるよ」
そこまで聞いてようやく唯が心配している理由がわかった。
確かに唯の言うことは尤もだ。というか真っ先に自分が考えなければいけないことだった。
「……大丈夫だ。俺は唯と同じで支援職だから直接戦闘することなんて滅多にないよ。それに俺の所には誠と鈴音がいるんだし、あいつらなら何かあれば俺が頼まなくても助けてくれるさ」
「……うん」
わかっていたことだがやはり唯の顔色は優れないままだった。
……だが、俺には気休めにもならないとわかっていても「大丈夫」と、ただそう繰り返すことしか出来ない。
こんな時、誠の様に胸を張って大丈夫だと言える強さがないことが恨めしい。
「ユウくん、これ」
「ん?」
唯は俺の袖を握っていた手を放すとポケットの中から何かを取り出した。
「これは……ミサンガ、か?」
「うん」
唯は俺の腕を取ると、色とりどりの糸で編まれたミサンガを俺の手首に巻き付けた。
「えへへ、お揃いだね!」
そう言いながら唯は自分の手首に巻き付けていたミサンガを嬉しそうに見せて来る。そして大事そうに自分のミサンガを撫る。
「お守り、かな。私はユウくんと一緒には行けないから、代わりにユウくんのことを守ってくれますようにって……」
「そっか」
きっと精一杯自分に出来ることを考えたのだろう。その上で明日同行出来ない自分の代わりにと、このミサンガを持って来たのか。
笑顔でお揃いと言って喜ぶ唯の姿に少し照れ臭くなりながらも、優しい気遣いに頬が緩む。
「ありがとう唯。大事にするよ」
「えへへ、うん!」
さっきまでより随分といい顔になった。やはり唯は辛気臭い顔をしているよりも笑っている方がいい。
「そろそろ戻るか。風も冷たくなってきたし」
「は~い!」
二つの月が俺達を照らす中、俺と唯は寄り添いながらゆっくりと城内に戻った。
雄二と唯が中庭で傍から見たらイチャイチャしていた時、皇帝が公務を行う執務室では二つの影が向かい合っていた。
一つは当然ながらこの部屋の主である皇帝、ゼド二ア・フォン・ヴォルガラード。もう一人は雄二達の訓練担当となった、帝国軍第三軍団隊長デミット・ローレン。
今は皇帝がデミットから五日間に及ぶ雄二達の訓練結果の報告を聞いている所だった。
「そうか。どうやら異界より召喚された者が何らかの恩恵を授かると言うのは本当の様だな」
「はい。通常の訓練だと言うのに凄まじいまでのステータスの上昇率です。すでに一般の兵士では相手にならないでしょう。これならば実戦を積ませてレベルを上げていけば王国との戦争では充分役立つはずです」
皇帝は報告の前にデミットから受け取っていた雄二達のステータスが記された手元の羊皮紙を眺め、満足そうに頷く。
が、ゆっくりと動いていた皇帝の視線が羊皮紙のある所で止まった。
そこに記されているステータスとそれ以前に見たステータスを見比べて眉を顰めると、羊皮紙に落としていた顔を上げデミットを見る。
「このユウジ・キリシマという者……他に比べてやけにステータスが低い様だが?」
その質問が来ることは予想していたのか、デミットは「はい」と返事を返すと皇帝に指摘された少年の顔を思い出しながら話し始める。
「おそらくその少年が持っている職業が原因かと思われます。調合師という職業から考えて明らかに前線に出て戦闘を行うことは想定されていませんから、他の勇者と同じ様な訓練を課したとしても、この先その少年のステータスが伸びることはないでしょう。そのため訓練二日目より彼には城に保管されていた素材を全て調合させておりました」
「素材と言うと……第二倉庫か?」
「はい」
「あの量を全てか……くくっ、中々酷なことをする。まあ、勇者と言えど我々にとっては所詮は奴隷。それにこの程度のスキルしか持ち得ないのなら代わりはいくらでもいる。こいつ一人どうなろうと構うまい」
皇帝は大量の素材で溢れる倉庫の中で必死に調合を繰り返す少年を思い浮かべ、嘲る様に「くっくっ」と、声を漏らし笑う。
その笑みに釣られたのか、皇帝の目の前に立つデミットも嘲笑を浮かべていた。
「まあ、この少年の処遇は明日の実戦訓練の結果次第ですな。もしレベルが上がってもステータスの変化が芳しくない様なら……」
「この国には使えない者にかける費用はない」
「はっ!」
皇帝の言葉にデミットは嗜虐的な笑みを浮かべると一礼し退室していった。
一人執務室に残った皇帝は椅子に深く腰を沈めて一つ溜息を吐くと、何も存在しない虚空を睨みながら小さく呟く。
「もうすぐだ……王国、そして魔人領。どちらも手にし、私の代で歴代皇帝達の悲願を果たすのだ」
願いや希望と言うには重く暗い……執念とも言える皇帝の悲願。
まるで呪いの文言を唱えるかの様に粘着質な声音を含んだ皇帝の台詞は、誰に聞かれることもなく虚空へと消えていった。