15 穏やかな夜
「ううん……」
ユラユラと海中を漂うように揺らめいていた意識が集まり微睡んでいた脳が働き出すと共に、私は閉ざしていた瞼をゆっくりと開けます。
最初に見えたのは満点の星が散りばめられた、元の世界ではプラネタリウムでしか見れない様な夜空と視界の端にぼんやりと照らされて見えるオレンジの光。
星の美しさにしばし我を忘れて見惚れていましたが……ふと我に返ります。
ここはどこ? 私は誰?
いえ、私は誰? というのは冗談ですけどね……。ちゃんと覚えていますよ? 私は白井 恵理です。
でも、本当にここはどこでしょう? 確か今日から魔物を相手にした本格的な特訓に入ったはずなんですけど……何故かお昼休憩の後の記憶がありません。
何となくですが、とても……そう、それはもう途轍もなく酷い目に遭ったような気がするのですが……?
記憶に靄がかかった様な、どうにもスッキリしない感覚にもやもやとしていると、視界の隅でぼんやりと照らされていたオレンジの光の方からパチッと何かが弾ける様な音と共に私に呼びかける声が聞こえました。
「起きたか……?」
聞こえて来た声が男性の物だったことに一瞬体が固まりましたが、すぐにその声が誰の物か理解し、肩の力を抜きます。
体を起こして声のした方に振り向くと、思った通りそこには霧島君が――何故かはわかりませんが、少し複雑そうな表情をして焚火の前に座っている姿がありました。
周囲を見渡して見ると、私が寝ていたのは昨日バロール山脈に入るまでの一時的な拠点として選んだ川原でした。
「はい。あの……何で私はここで寝ていたんでしょうか? それと、何故かお昼以降の記憶がないんですが、何があったんでしょう……?」
彼なら何があったか知っているだろうと思い、問いかけたのですが……霧島君は一層複雑そうな表情になると、眉を寄せて考え込んでしまいました。
その様子は知っているけど言っていいものか迷っている様に見えます。
それにしても……魔物になる前からなのかはわかりませんが、若干強面の霧島君が眉を寄せて真剣な表情になって考え込んでいる姿は中々迫力がありますね。
霧島君には失礼ですけど、初対面の人が彼を見たら怯えてしまうかもしれません……。
多少なりとも霧島君の人となりを知ったことと、彼に対して憧れの様な感情を持っているので今でこそ私は怖いとは思っていませんが、始めて見た時は思わず怯えてしまいましたからね。
今思うと、あの時の霧島君の表情は少なからずショックを受けていたのかもしれません。だとしたら彼には悪いことをしてしまいました。
あっ、そんなことを思っているうちに考えが纏まったのか霧島君が顔を上げて私を見ています。
「あー、何というか、昼の特訓中に魔物の大群に追われてだな……」
魔物の大群ですか……。記憶がないので全く覚えていませんがそんなことがあったんですね。
ここで寝ていたことを考えると私はその時に気絶して、魔物を倒した霧島君が私のことをここまで運んでくれたということでしょうか?
だとしたら大変なご迷惑をかけてしまいました……。
昨日少しでも霧島君に近付ける様に頑張ろうと決意したばかりだというのに……私の都合で彼に付いて行くことを許してもらうばかりかいきなり足手纏いになるなんて……私は本当に情けないです。
「すみません、無理を言って付いてきたのに結局何から何まで助けてもらって……」
自分を変えるためにここまで来たと言うのにこの体たらく。
情けなくて涙が出そうになってしまいましたが――そこで霧島君の口から思わぬ台詞が飛び出て来ました。
「いや……魔物を倒したのは白井さんなんだけどな」
「へ?」
え? 私?
「魔物を全滅させた後に魔力切れで白井さんは気絶してしまったんだ。それで俺がここまで白井さんを運んで来た」
全く覚えがありませんが……。
もしかして私を気遣って霧島君はそう言ってくれているのかと思い、ジッと彼の顔を見詰めていましたが嘘を言っている様子はありません。
と言うことは本当に私が魔物を? しかも霧島君は大群と言っていましたけど……。
「信じ難いなら自分のレベルを確認してみるといい」
私の様子を見て疑っていると思ったのか、そう進められました。確かにステータスを見ればはっきりします。
彼が大群と言うだけの魔物を全て倒したのなら、それなりにレベルが上がっているはずですから。
私はさっそくステータスを開いて見てみると――
「うそ……」
確かに上がっています。しかも、昼の休憩で確認した時はまだ二十そこそこだったはずなのに、十レベル近くも上がっています。
……どうやら本当に私が全て倒してしまった様です。
「本当に私が倒したんですね……。でも、なんで記憶がないんでしょう? 魔力切れの影響でしょうか?」
その辺が疑問に思い、訪ねてみたのですが――
「……スキルを見てくれ」
「スキル?」
言われた通りスキルの項目を見てみると――
「えっ⁈」
うそっ、今日の昼まではなかったはずのスキルが四つも増えてます!
どういうことでしょう?
「その中に〈狂化〉っていうスキルがあるだろ? おそらくそれが白井さんが気を失っていた原因だ」
確かに新しいスキルの一つに〈狂化〉があります。効果を見てみると――
「そういうことでしたか……」
どうやら私は戦闘中にこのスキルを発動させてしまい、自我を破壊衝動に呑み込まれてしまったみたいです。
結果、魔力切れになるまで暴れ続けてそのまま気を失ってしまったという訳ですか。
それにしても……。
「どうして私はこんなスキルを手に入れてしまったんでしょうか……?」
ビクッ!
あれ? 今霧島君の肩が跳ねたような……気のせいでしょうか?
それと、この〈殺蟲〉というスキルもやけに気になりますね。
このスキルを見ていると何かが思い出せそうで思い出せない様な、私の中のもう一人の自分が必死に記憶を封印しようとしている様な……妙な感覚になります。
まあ、私は蟲が苦手――と言うよりも憎らしい程に大嫌いなので蟲に関することなんて思い出したくもないですが。
「ま、まあ、とにかくだ! そのスキルは迂闊に発動しない様に注意してくれ」
何だか霧島君の様子がいつもと違います。どこか焦っている様な気がしますけど……それが何故なのかはわからないので今は置いておきましょうか。
それに、このスキルを迂闊に使ってはいけないというのは私も賛成です。
高い効果は見込めますが、一度発動すると敵味方関係なく暴れ続けるなんて危険すぎます。下手に発動して霧島君まで魔法に巻き込む訳にはいきません。
このスキルは本当にいざという時、ピンチが訪れた時まで封印しておきましょう。
一番いいのはそんな時が訪れないことですが。
そのためには、もっともっと強くならないと!
「もう食事は摂れそうか? 一応用意したんだが……」
霧島君の視線を追っていくと、焚火の近くに丸焼きにされた動物の肉と、枝に刺されて串焼きにされた川魚、他にも昨日と同じ野草を塩茹でした物と、名前はわかりませんが果物まであります!
おそらくこの森で用意するには最高級の食事内容に私は目を見開いて霧島君に問かけます。
「凄いですね……これ、全部一人で用意してくれたんですか?」
「ああ……うん」
少しそっぽを向きながら霧島君は首を縦に振って首肯します。
照れているんでしょうか?
何だか年下の様な可愛らしさを感じます……って、そう言えば霧島君は私よりも年下でしたね。
まだたった二日の付き合いですが、普段の彼はとてもしっかりしていて頼もしいので、その様子を見ていると私の方が年上だと言うことを忘れそうになります。
「たまたまここに戻って来る道の途中で全部見つけたからさ……この際一回ぐらい魚も食べてみようかと思って」
「そうだったんですか」
そうですよね……たまには魚も――って、ちょっと待ってください。霧島君、今一回ぐらいって言いませんでしたか……?
そう言えば昨日私が野草を採取している時、物珍しそうに見ていましたよね?
まさか――
「あの……霧島君って私と会うまでは何を食べていたんですか……?」
「ん? 適当に動物狩って丸焼きにしてた」
「ほ、他には?」
「いや、それだけだけど? 果物が生っている木も今日初めて見つけたし」
何ということでしょう……。
「霧島君がこの森まで流されてから私と会うまでどれ位経ってるんでしたっけ?」
「う~ん、二週間位かなあ」
に、二週間……。その間ずっと肉だけ食べ続けていたんですか⁈
「だ、駄目ですよ⁈ 肉ばっかり食べてたら絶対体を壊します!」
「えっ? いや、でも俺の体魔物だし大丈夫だろ?」
「そういう問題じゃありません!」
「⁈ お、おう、すまん……」
はっ! いけない、つい熱くなってしまいました。
ああ……私の剣幕に霧島君が若干引いてしまっています。
自分が食べる物でもありますし、元の世界では叔父の分も用意していたので文句を言われない様にと食事内容には気を付けていましたから、どうにも栄養のバランスを整えることが癖になっている様です。
そのせいか霧島君の偏った食事内容につい口を出してしまいました。
この森では充分な栄養を摂取するには限界があるとは思いますが、いくら何でも毎日肉だけというのは駄目です。
今まで霧島君が適当な食事を続けて来たのは魔物の体になったことで内臓とかその他諸々も人間より強化されているからなのかもしれませんが……う~ん、そういう所はやっぱり男の子なんですね。
ここでの食事に関しては私がしっかりしないと。
「ま、まあ、取り敢えず食べたらどうだ?」
む、そうですね。後でしっかりお話しさせてもらいますが、せっかく霧島君が用意してくれたんですから今は夕飯を頂きましょう。
ついつい甘そうな果物に目が言ってしまいますが、まずは串焼きにされたお魚から頂きます。
「はむっ」
……美味しいですね。
皮はパリッと焼かれていて、それでいて身の方はふわりとした触感です。
川魚だから泥臭かったりするかと思ったんですが全然そんなことはないですし、しっかりと身の詰まった白身は脂がのっているもののくどさは感じられず、さっぱりとした味わいです。塩加減も絶妙ですね。
夢中で食べ進めていたらいつの間にか一匹丸々食べ終えてしまいました。
次は昨日も食べた野草の塩茹でと丸焼き肉です。
野草は苦みが少しありますが、それがアクセントになっていて私としては好みの味です。
お肉は塩だけだと正直微妙ですね。他にも調味料が手に入ったら何か霧島君に料理をしてあげたいです。
それなりにお腹が膨れて来たところでついにデザートです!
私はいくつか積まれて置かれている果物を一つ手に取ります。
少し楕円形になった実からは所々戦端が丸まった突起物が飛び出しています。
リンゴの様に真っ赤な色をしていますが、大きさは一回りもこっちの方が大きいですね。
何という名前なんでしょう?
「それはクラムっていう果物だ」
上や下から角度を変えて手に持った果物を眺めていたら、霧島君が名前を教えてくれました。
クラムと言うのですか。
確か元の世界でも似たような名前の果物があった様な気がしますが……ああ、あれはプラムですね。まあ、似ているのは名前だけで形も大きさも全然違いますが。
私はクラムと呼ばれる果物に皮ごと齧りつきます。
「んんっ!」
とっても瑞々しいです! 噛んだ瞬間果汁が口の中いっぱいに溢れてきました。
実は甘すぎず、程よい酸味が効いていてとてもさっぱりしています。
味は色を見て想像した通り元の世界のリンゴに近いです。
私はシャクシャクとした食感を楽しみながら、あっという間に食べ終えてしまいました。
「ふう~」
とても満足のいく食事でした。
かなりの量を食べたはずですが私のお腹はもう少し余裕があります。ですが、腹八分目と言いますしこれ位にしておきましょう。霧島君に大食いと思われるのも嫌ですし。
私は元々小食だったはずなんですが、召喚された際に肉体が強化された影響かこっちの世界に来てから随分食事の量が増えました。
かといって、その分体重も増えたのかと言うとそんなことはありません。
どうやらこの世界は魔法を使うと魔力と一緒に余計なカロリーも少し消費されるみたいで、特に魔導師である私は頻繁に魔法を使うのでどれだけ食べても太らないんです。
その御蔭なのか、元の世界に比べて顔や体のラインがはっきりわかる位に引き締まって、自分で言うのもなんですがモデルの様な体型になってしまいました。
素晴らしいですね魔法。
まあ……そのせいで私と一緒に召喚された人たちに森で襲われたのかもしれませんが。
止めましょう。思い出すと嫌な気分になります……。
「……」
焚火を挟んだ反対側では霧島君が昨日に引き続いて調合をしています。
その表情は真剣そのものです。
調合しているのは魔力回復薬の様ですが……はて? 昨日も調合していた様な気がしますが私の気のせいでしょうか?
私は膝を抱えて体育座りの格好になります。
私と霧島君の間に会話はありません。焚火が弾ける音を聞きながら、彼が調合している様子を私がただ眺めているだけ。
これが他の人とだったらこういう時間を気まずく感じていたと思いますが、何故でしょうか……霧島君とだとそんなことはありません。
とても、とても穏やかな時間が過ぎていきます。
誰かと一緒にいてこんな気持ちになったのは随分と久しぶりで、最後がいつだったかも思い出せない位です。
両親が死んで友達も殆どいない元の世界は私にとって息苦しい場所でしかなかったんですね。
誰も私を見ない。誰も私を気にしない。そして、私もそんな世界には見向きもしなかった。したくなかった……。
今思うと私はこの世界に召喚されたことを本当は喜んでいたのかもしれません。いえ、考えてみればそれも当然ですね。
元の世界では目標や趣味を持つでもなく、ただ惰性で生きている様なものでしたから……そこから解放されたことを心の底ではきっと喜んでいたことでしょう。
召喚された当初は元の世界での生活の延長の様なものでしたが……今は違います。
今の私はやりたいことが出来た。目標を持って本気で生きてる。
目標に向かって全力で生きることがこんなに充実しているなんて思いもしなかった。
ずっと忘れていた、自分のことを心配してもらえることや褒めてもらえることの喜びを思い出した。
私が知らなかったことも、忘れていたことも全部霧島君が教えてくれました。
運命なんて言葉を使うのは恥ずかしいですが、もしそんな物が本当にあるとしたら私にとってのそれは霧島君との出会いだったんでしょうね。
「ぅ……」
……そんなことを考えていたら何だか恥ずかしくなってきました。
きっと私の顔は赤くなっていると思いますが、見られても焚火の御蔭で誤魔化せるのは幸いですね。
一人で悶えていると霧島君は今日の調合を終えた様で、出来上がった物を私の鞄に片付けていました。
「俺はそろそろ休もうと思うけど……白井さんはどうする?」
特にすることはないんですが……さっきまで寝ていたせいか全然眠くありません。
「私はもう少し起きてますので霧島君は休んでください」
「そうか。それじゃあ先に休ませてもらう」
「はい。おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
そう言って横になると、霧島君はあっと言う間に夢の中に旅立ってしまいました。
早いですね……。
焚火に照らされた彼の横顔は起きている時の凛々しい表情から打って変わって年相応のあどけなさを感じます。
どこからどう見ても穏やかに眠っていますが、彼は魔力を感知するスキルを持っているので何者かが一定距離に近付けば瞬時に起きていつでも戦闘態勢に入れます。
その御蔭で就寝時に見張りを立てる必要がありません。
今は何から何までお世話になっていますが、少しずつでもお世話になった分を返していって、いつか私も彼の力になりたいです――いえ、なってみせます。
明日の体力を考えると私もいつまでも起きている訳にはいきませんが……もう少し彼の寝顔を眺めていられる、この穏やかな時間を楽しもうと思います。
次回は木曜に投稿します!




