幕間
私の名前は白井 恵理。
ひょんなことから異世界の王国に勇者として召喚されて魔導師なんかやっていますが、一週間前まで日本の高校に通う普通の女子高生だった十七歳です。
私は今、王国領に存在する大森林の中を遙か遠くに霞んで見えるバロール山脈目指して走っています。
いえ、走っていると言うのは語弊がありますね。
進んではいますが私は実際に足を動かして森の中を走り続ける男性におんぶされているので、運んでもらっていると言った方が正しいでしょう。
そして、私を背負って障害物だらけの森の中を絶叫マシンの如く凄まじい速度で疾走する男性。私より一つ年下の彼の名は霧島 雄二。
私と同じく勇者召喚によってこの世界に召喚された日本人です。
この森で偶然出会い、私の危機を救ってもらい、問答無用で攫われてという怒涛の展開の後、話を聞いて彼が私と同じ日本人だと知った時はそれはもう驚きました。
そんな馬鹿なと思いましたが、ステータスに表示された名前は明らかに日本人特有のもの。それに地球にしか存在しない数々の名前をいい当てられ、彼が本当に日本人なのだと確信しました。
でも、そうなると当然気になることがあります。
それは、彼の姿。
私の目の前には彼の後頭部がある。その頭部を覆う髪の色はどこか毒々しい紫色。本来なら黒に染まっているだろう頭髪はどこにも見当たらない。
視線を下げていった先には歴戦の戦士に勝るとも劣らない引き締まった筋肉に包まれた逞しい肉体があります。でも、その体色は浅黒く、所々に薄らと輝く紫色のラインが走っているのが見えます。
どれも日本人では――いえ、地球でもこの世界でも普通の人間ではあり得ない特徴でした。
失礼ですが、明らかに人間離れしていて……どちらかと言えば魔物に近いその姿は何なのだろうと思いました。
私は彼に問い掛け――そして知った。
彼がこの世界に来た理由。奴隷にされた仲間達。召喚した帝国の数々の非道。魔物の肉体へと変化するに至った過程。
話を聞いているだけでも帝国に対する怒りが体の奥から溢れんばかりに沸き上がり、それが人のすることかと憤慨した。
彼が生きるためには魔物の肉体を取り込むしかなかったことに悲しんだ。
彼が辿って来た道のりの過酷さを知り、涙した。
……でも、最も私の心を根本から揺らしたのは別のこと。
『何でそこまで頑張れるんだ?』
バロール山脈に出発する直前に彼に言われた言葉を思い出します。
確かに彼の言う通り、本来私にとって王国の事情は全く関係ありません。今の王国の状況を考えれば大変だとも可哀想だとも思います。でも、だからといって私が命を懸けてまで戦場に出て戦う必要は正直に言わせてもらうと全くない。
私も最初はそう思ったし、国王様に戦争に参加しない勇者は王城で戦争が終わるまでもてなすとも言われたからそうしようかとも思いました。
でも、私は素直にその言葉を信じることは出来ませんでした。自分は何もしないのに施しだけを得るのは怖かったんです。
もしかしたら後になってから何か言われたり、無理難題を押し付けられたりするんじゃないかって勝手に想像してしまいました。
自分でもひねくれた考えだと思いますが……きっと、日本での叔父との生活もそういう考えに少なからず影響してるんだと思います。
日本にいたころはただの無駄飯ぐらいだと思われて家を追い出されない様に、出来ることを探して居場所を守ろうと必死でしたから。
そこに加えて一緒に召喚された周りの人達が全員戦争に参加すと言うのを聞き、元々自分の意見を主張する性格でもなく、人と違う行動を取って目立つのが嫌だった私は嫌々ながら結局戦争に参加するって言ってしまいました。
でも、そんな気持ちだったから……訓練に参加したり王国の人達と良好な関係を築いていたのは、単に私の他に召喚された勇者があんな人達ばかりだったから『私まで目を付けられない様にやっておいた方がよさそう』位の考えでした。
……怒られるのは嫌でしたから、気持ちはともかく一応は真面目に訓練に参加しましたけど。
知り合いも親しい人もいない場所で(元の世界でもそんな人は殆どいなかったけど)睨まれる様な行動はしたくなかったんです。
今日この森に来た時点でも『一応しておこう』程度の気持ちでした。
でも、一緒にこの森に連れて来られた勇者に無理やり拠点を連れ出され、理不尽に責任を押し付けられて彼らが私のことを慰み者にしようとした時に本気で後悔しました。
こんなことなら周りの目なんか気にしないではっきり戦争参加を拒否すればよかったと……あの時決断できなかった自分を心底恨みました。
でも、私はまだ天に見放されていなかった様です。
こんな場所で好きでもない人に無理やり私の純血は散らされるんだと諦めかけていた時に、彼――霧島 雄二が現れて私を押さえ付けていた三人の勇者を一瞬で殺して助けてくれました。
そして、この森での彼との出会いがきっかけで、元の世界でもこっちの世界でも変わらず私の中に存在し続けていた『目を付けられない様に』という消極的で卑屈とも言える行動原理はガラリと変わってしまったのです。
帝国の行いや彼が魔物になった話には大きな衝撃を受けました。
でも、それだけでは両親が死んでからの三年でほぼ固まってしまった、私の中にある白井 恵理という人間を構成する根本は変化しません。
そんな私がここに来て初めて本気で王国を救うため考え始め、今日出会ったばかりの彼を助けたいと思ったのは、それは――彼が今を生きる理由だった。
帝国に囚われた幼馴染を助けたいという彼の目的が私の心を激しく揺らしました。
そんなことかと言う人もいるかもしれない。大した理由じゃないと言う人もいるかもしれない。
でも、それだけの理由が良くも悪くも今の私を変えるきっかけとなったんです。
単純な理由でありながら、どうして私の心をこんなに揺らしたのかは何となくだけどわかっていました。
きっと、今まで彼の様な人間を見たことがなかったことと、この先の人生を生き続けても私では決して彼の様な理由で行動することが出来ないと思ったからだと思います。
元々友達の少ない私は、叔父に引き取られて今の学校に通う様になってから益々一人でいる様になりました。
家にいてもすることといえばただ朝食や夕食の支度をするだけ。食事も二人で摂ったことなど数える位しかなく、その際に会話はありません。家事が終わればずっと部屋に引き籠っていました。
学校に行ってもいるのは不良ばかり。女子も少しはいますが、私以外全員髪を染めたり制服を着崩している所謂ギャルしかいません。当然馴染めるはずもなく、そもそも怖くて彼らと関わる気がなかった私はずっと教室の隅で人の影に隠れる様にしてなるべく人目に触れない様に生きて来ました。
家にいても外に出ても他人と関わることのない灰色の人生。そんな毎日を過ごして来た私が誰かのために本気で生きられる訳がない。
だからこそ彼を知って衝撃を受けました。
この三年で固まりかけていた白井 恵理の行動原理が崩れた。
自分の命を懸けてまで助けたいと思える人がいる彼が羨ましいと思った。
なにより――
人の存在から外れ、魔物になっても。
元の世界に生きる居場所がなくなっても。
それでも、帝国に囚われた大事な幼馴染を助け出すために本気で生きる彼の姿は、
――美しかった。
魔物だとかそんなのは関係ない。
容姿など、彼が魅せる輝きを曇らせる要因には決してなり得ない。
もっと彼を見ていたいと思った。
もっと知りたいと思った。
彼と一緒にいることで私も変わるかもしれない――いえ、変わりたいと思いました。
惰性で生きて来た今までの何の価値も感じない人生をこれ以上続けたくなかった。
だから、彼について行くことを決めました。
白井 恵理という人間を変えるために、まずは彼の願いを叶えて王国を救うために本気になろうと思いました。
その後はどうしようか……。
彼は私に言っていました。
もう自分は元の世界に戻れないと。
幼馴染達が元の世界に戻ることが出来たらそれで充分だと。
彼にこんなことを言う訳にはいきませんけど……私にとって元の世界にそれ程の価値はありません。
私はジッと彼の後頭部を見詰めて考えます。
彼がこの世界で生涯を終えるというのなら、その時は――
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