第一章「嘆きの荒野交番、開設します」
過労死しました。異世界で交番をもらいました
「お客様は神様だろ! この不良品どうにかしろ!」
休日の家電量販店。フロアに響き渡る怒声に、俺——高杉隼斗は本日五十回目の、角度四十五度の謝罪を繰り出していた。
カウンターに叩きつけられているのは、液漏れした百円の乾電池だ。保証期間はとうの昔に切れている。どう見ても経年劣化。それでも男は、交通費を寄越せと三十分怒鳴り続けている。
(ああ、お客様。それ、うちの管轄外なんですけど)
心の中でだけ呟く。口に出せば終わりだ。うちの会社は「クレームは営業の恥、全て笑顔で自己処理しろ」という昭和の根性論がまかり通る職場で、上に報告すれば逆に三時間の説教が確定する。
連日のサービス残業。終わらないノルマ。食事はコンビニのゼリー飲料だけ。俺のHPとMPは、とっくの昔にマイナスを振り切っていた。
「申し訳ござ……い、ま、せ……」
ズキリ、と。
心臓が握り潰されるような痛みが走った。視界が暗転し、床のPタイルがものすごい速さで顔に迫ってくる。
「え? おい、ちょっと待て、俺は何もしてねえぞ!」
最後に聞こえたのは、クレーマーの焦った声だった。
(あ、やった……。これで明日、会社に行かなくて済む)
そんな安堵にも似た思考を最後に、高杉隼斗二十五歳の人生は幕を閉じた。
◇◇◇
次に目を覚ますと、真っ白な空間の真ん中にコタツがあった。
飲みかけの缶ビール。食べかけのポテトチップス。灰皿。そしてコタツに寝転がり、スマホに向かって奇声を上げている、くすんだピンクの芋ジャージの女。背中には、申し訳程度の白い羽。
「キャアアッ! 月人くぅぅん、今のウインク最高ぉぉ! スパチャ、スパチャしなきゃ!」
「……あの、すいません。俺、死にました?」
「あぁん? 死んだのよ、過労死。あたしは世界神ルチアナ。永遠の十七歳。はい転生ね、剣と魔法の世界。テンプレ」
「え、待ってください、チート能力とかは」
「うるさいわね、今いいとこなの! ほら、スキル適当に付けたげるから!」
女神は画面をテキトーにスワイプし、ポンとタップした。
「よし、なんか付与したわ。じゃ、達者でね」
「なんか付与したって、何を——」
食い下がろうと一歩踏み出した瞬間、ルチアナがコタツを蹴り飛ばす勢いで立ち上がった。その足元には、イボイボの敷き詰められた健康サンダル。
「推しの配信の邪魔すんなっつってんでしょォォオオオ!」
ドゴォンッ。
鼻っ柱にイボイボがめり込む感触を最後に、俺の意識は宇宙の彼方へ吹き飛ばされた。
◇◇◇
そこから、三年。
俺はルナミス帝国アルディス伯爵家の三男坊、リオン・フォン・アルディスとして、順調にすくすく育った。
母は第三夫人のマリア。元はホームセンター『タローマン』の園芸コーナーでパートをしていた平民だ。セメント袋を笑顔で担ぐ姿に父が惚れたらしい。貴族の妻なのにドレスを着ず、作業着のサロペットで庭の芋を掘っている。俺はこの人が好きだ。
そして今日、三歳になった俺は、広間の祭壇の前に立たされている。
スキル検査。この世界で、人生が決まる日だ。
「リオン、大丈夫よ。どんな結果でも、あなたは母さんの宝物だからね」
母が俺の手を握る。その手は、震えていた。
俺はペタリと水晶に触れた。
光。浮かび上がる文字。
【犬のお巡りさん】
広間が、水を打ったように静まり返った。
「……犬の、お巡りさん?」
「なんだそれは。魔法でも闘気でもないぞ」
「ぷっ、くくくっ……伯爵家の息子が、犬っころの衛兵?」
嘲笑がさざ波のように広がっていく。長男は炎魔法と剣術、次男は土魔法と闘気強化。そこへ来て、犬のお巡りさんである。
「素晴らしいスキルですこと。血は争えませんわね。タローマンのパート上がりから生まれた子ですもの」
第一夫人が扇子で口元を隠して笑う。
そして上座から、父グレゴール・フォン・アルディス伯爵が、赤黒く染まった顔で立ち上がった。
「——なんだ、そのフザケた名は!」
「あ、あなた、この子はまだ三歳で……」
「黙れ、マリア! 所詮は平民の嫁の息子ということか!」
父は俺たちを見下ろし、決定的な一言を放った。
「アルディス伯爵家に、犬っころの居場所など無い。貴様ら、母子ともにこの家から出て行け」
母が悲鳴を上げる。衛兵が俺たちの腕を乱暴に掴む。母は「ごめんね、ごめんねリオン」と繰り返しながら、大粒の涙をこぼしていた。
(——よし、言質は取った)
跡継ぎ争いも、マナー講座も、領地経営も、これで全部おさらばだ。
◇◇◇
荷馬車が止まったのは、日がすっかり落ちた頃だった。
「ここが伯爵領の境界線、嘆きの荒野だ。魔獣の餌になるか野垂れ死ぬかは勝手にしろ」
衛兵は荷物のズタ袋ごと俺たちを放り出し、土煙を上げて去っていった。
乾いた風。赤茶けた大地。遠くから聞こえる獣の遠吠え。木も洞窟もない。三歳児とか弱い女が一晩越せる場所ではない。
「……大丈夫よ、リオン。母さんが絶対に守るから。昔、資材置き場で野宿したこともあるの。まずは風を凌げる窪地を探して、火を——」
母の声は震えていた。強がりなのは明らかだった。
それでも、俺のために母親をやろうとしている。その横顔を見て、腹の底に何かが灯った。
俺は母の腕からするりと降り、両足で荒野の土を踏みしめた。
「リオン!? 危ないわ、離れちゃ——」
「大丈夫だよ、母さん。もう無理しなくていい」
三歳児の舌足らずをやめて、二十五歳の声で言った。
「え……? リオン、あなた、喋り方が……」
「ずっと黙っててごめん。ここからは、俺の仕事だ」
何もない空間に、右手を突き出す。魔力を練り上げ、強く念じた。
「——『交番召喚』」
パァンッ。
荒野のど真ん中に魔法陣が展開し、光の柱が立ち昇った。地面がゴゴゴと鳴動し、四角い建物が下からせり上がってくる。
ガラス張りの引き戸。掲示板。そして屋根の上で、クルクルと回る赤い光。
赤色灯だ。
入り口の看板には、ルナミス語でこう書かれていた。
『アルディス領 嘆きの荒野交番』
「え……お家? 魔法で、お家が建ったの……?」
腰を抜かしかけている母の手を引いて、俺は引き戸を開けた。
ウィーン。
ブワッと温風が二人を包み込む。外の刺すような寒さが嘘のように、室内は適温に保たれていた。蛍光灯。グレーの事務机。奥に並ぶいくつかの扉。
「暖房が効いてる。奥は仮眠室で、寝袋がある。シャワーも出るよ。壁は魔獣が突っ込んできても壊れない」
「……リオン、これ……」
「母さん。腹、減ってるだろ」
俺は給湯室の配膳ボックスの前に立ち、ボタンを押した。
チーン。
扉が開く。湯気を立てる丼と、熱い緑茶を乗せたお盆が現れた。出汁と醤油の甘じょっぱい匂いが、狭い交番いっぱいに広がっていく。
「どうぞ。カツ丼」
母は震える手で箸を取り、黄金色のカツと半熟卵のかかった飯を一口、口に運んだ。
そして、目を見開いたまま固まった。
「…………っ!」
ボロボロと、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「なにこれ……美味しい……すっごく、美味しい……っ」
それは追放された時の涙ではなかった。温かい部屋で、温かい飯が食えた。ただそれだけの、安堵の涙だった。
「よかった。朝は納豆定食、夜はカップ麺だ。食費は一生タダだよ」
「リオンっ……あなた、すごい子ねぇ……!」
母がタローマン仕込みの馬鹿力で抱きしめてくる。骨が軋む。
外では魔獣が吼え、冷たい風が吹き荒れている。だが、この四角い建物の中だけは、完全な安全地帯だった。
俺は母の背中を叩きながら、空中に浮かぶ半透明の画面に目をやった。
【名前】リオン・フォン・アルディス
【階級】巡査
【ユニークスキル】犬のお巡りさん
【給与】月給 一八〇〇〇〇円
交番維持費 −四〇〇〇〇円
手取り 一四〇〇〇〇円
家賃ゼロ。光熱費ゼロ。食費ゼロ。
その上で、毎月十四万円。
前世で血反吐を吐いて営業成績を上げても、みなし残業という魔法の言葉で一円も増えなかった俺の給料。それが今、ただ息をしているだけで振り込まれると言っている。
「……不労所得、万歳」
もう誰にも謝らない。もう誰にも怒鳴られない。ここで母さんと、静かに暮らす。
そう決めた、その時だった。
画面の一番下。さっきまで見えていなかった小さな注意書きが、じわりと浮かび上がってきた。
『※警告:完全な職務放棄が確認された場合、戒告、減給、
最悪の場合は懲戒解雇(スキル剥奪)となります』
「…………え?」
赤色灯が、クルクルと回っていた。
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