魔王、休日朝の1時間戦争
魔王城の執務室に、吹雪は巨大な羊皮紙を広げ、週末の新たな行動計画を練り込んでいた。
それは、もはや単なる予定ではなく、緻密な計算の上に成り立つ、壮大な軍事作戦のようだった。
「健太先輩。我が王国の休日に関する、新たな法を布告します」
吹雪は、傍らで静かに茶を飲んでいた竜の健太に、決然とした表情で告げた。
「今後、休日は仕事の日と同様に過ごす。すなわち、朝9時には城塞にて、詠唱訓練を開始する、と」
「ほう。朝から活動的で良いではないか」
「ですが、そこには大きな課題が…」と吹雪は唸る。
「9時に訓練を開始するには、7時半には城を出立せねばならない。つまり、起床してから、兵糧(弁当)の準備と補給(買い物)を、わずか1時間で完遂させる必要があるのです。これは、至難の業です」
吹雪は、この「1時間戦争」に勝利するための、新たな兵糧戦略について語り始めた。
「今までの我がバゲットサンドは、凝りすぎていました。焼きそばとコロッケを同時に詰め込むなど、過剰戦力だったのです。味もぼやけていた。最近気づいたのですが、シンプルな方が、遥かに美味しい」
彼の新しい兵糧計画は、明快だった。
バゲットには、コロッケだけを挟む。
あるいは、ハムとチーズだけ。
そして、主食として、おにぎりを数個用意する。
「兵站の管理も重要です」
と吹雪は続ける。
「城の食糧庫(冷凍庫)には、冷凍肉各種、ソーセージ、ミートボールが常備されている。これらを活用し、無理に新たな肉を買う必要はない。3割引の肉があれば購入を検討する程度で十分です」
健太は、たかが弁当作りのために、そこまで緻密な兵站管理と戦略を練る吹雪の姿に、感心するでもなく、ただ静かに耳を傾けていた。
「コロッケを温める術も、新たに入手しました。コンロのグリルで、アルミホイルを一度くしゃっとさせてから広げたものの上で焼く。これにより、グリルの臭いが移るのを防げるそうです」
「お前は、随分と楽しそうだな」
健太の言葉に、吹雪はハッとした。
そうだ。
この不可能とも思える1時間戦争の計画を練っている自分は、確かに、どこか楽しんでいる。
その時、執務室のドアがそっと開き、アリアが顔をのぞかせた。
その手には、少し不格好だが、温かそうなおにぎりが握られていた。
「ふぶきん、お腹すかない? さっき、わたしがにぎにぎしたの。中に梅干しさんが入ってるよ」
「アリアか。これは…」
「はい、どうぞ!」
アリアから手渡された、ほかほかのおにぎり。
吹雪は、それを一口頬張った。
絶妙な塩加減と、梅干しの酸味。
複雑な計算など何もない、ただ純粋な美味しさが口の中に広がった。
そうだ。忘れていた。
この兵糧作戦の目的は、完璧な計画を遂行することではない。
美味しく、心満たされるものを、自分の手で作り上げることだったのだ。
健太が、面白そうに言った。
「多くの王は、複雑で壮大な計画を好む。だが、真の達人は、その中にある単純な真理を見出すものだ。お前も、ようやく気づいたようだな」
吹雪は、アリアの作ったおにぎりを味わいながら、自分の計画書を見つめた。
1時間という、絶望的に思えた時間制限。
だが、この温かいおにぎりのように、シンプルに、そして心を込めて臨めば、あるいは乗り越えられるのかもしれない。
「…よし」
と吹雪は呟いた。
「次の休日、この至難の業に、挑戦してみるとしよう」
彼の顔にはもう、不安の色はなかった。
そこにあったのは、困難な任務に挑む前の、静かで力強い闘志だった。
魔王の新たな休日は、すでに始まっていた。




