魔王、体幹の重要性に目覚める
月曜の朝、午前3時。
魔王城はまだ深い静寂に包まれている。
しかし、その主である吹雪は、すでに玉座の間で、床に寝そべり奇妙な体勢をとっていた。
片腕と片足を、ゆっくりと天に掲げている。
「…健太先輩。我は、我が肉体を蝕む呪いの、本当の正体を見つけました」
いつの間にか背後に立っていた竜の健太に、吹雪は息を整えながら言った。
その顔には、疲労ではなく、ある種の光明を見出したかのような輝きがあった。
「それは、老化ではなかった。筋力訓練そのものでもなかった。全ての元凶は…『体幹の弱さ』。これに尽きます」
吹雪は、ここ数日の研究成果を、興奮気味に語り始めた。
筋トレで腰を痛めたのは、体幹が不安定なまま、無理に力を加えたことで身体がブレていたからだ、と。
「人間界の矯正院の者が言っていた。『筋トレしている者は腰を痛めている人が多い』と。その謎が、今、すべて解けました」
彼は、自らに課す新たな日課を宣言した。
「まずは『プランク』『デッドバグ』『バードドッグ』『ドローイン』。この四つの基本術で、我が身体の『芯』を鍛え上げる。これらは日常的に鍛えられる『遅筋』への働きかけ故、毎日行っても問題ないとのこと」
そして、その強固な土台の上で初めて、先日ジェミニに組ませた「脚の日」「押す日」「引く日」の三位一体の筋力訓練が意味を成すのだ、と。
「なるほど」
と健太は頷いた。
「いかなる強固な城壁も、その土台が脆弱であれば、自重で崩れ去る。お前は、ようやく自らの力の『土台』に気づいたのだな」
吹雪は、満足げに頷くと、もう一つの議題に移った。
「そして、朝の時間の使い方です。先日、徒歩での魔力収集(ポイ活)は控える、と布告しましたが…あれは撤回します」
「ほう。気まぐれな王だな」
「違います。戦略的転換です。休憩時間を叡智の探求(勉強)に費やすためには、魔力収集は移動中に済ませるのが最も効率が良いと判断しました。幸い、『アルコイン』という、歩数とCMのタイミングが完璧に同期するアプリを見つけたので、姿勢を正して歩くことにも支障はありません」
だが、そこで最大の難問が立ちはだかる。時間だ。
「7時の魔導列車(電車)に乗るためには、6時半には城を出ねばならない。しかし、5時に起床しても、朝の儀式…デュオリンゴに15分、洗い物と調理に30分…どう計算しても、20分ほど時間が足りないのです」
吹雪が頭を抱えていると、健太は静かに言った。
「時間は、川の流れのようなものだ。川幅を広げられぬのなら、流れそのものを変えることはできぬか? 夜にできることを、なぜ朝にやろうとする」
その言葉に、吹雪はハッとした。
「…時間転移の魔術…! そうか、夜のうちに、朝の時間を錬成すればいいのか!」
その夜。吹雪の行動は、いつもと違っていた。
夕食の鍋に火をつけ、それが温まるまでの間に、彼は手際よく明日の朝の準備を始めた。
米を洗い、冷蔵庫に入れる。
明日の鍋の野菜を切り、調味料と水を入れた鍋ごと冷蔵庫へ。
サラダも作り置きしておく。
夕食を食べ終え、その食器を洗う。
全てを夜のうちに終わらせてしまえば、朝の時間は大幅に短縮できる。
「ふぶきん、何してるの? 明日のご飯もう作っちゃうの?」
夜食のプリンを食べにきたアリアが、不思議そうに尋ねる。
「ああ、アリア。これは、朝の貴重な20分を、夜の豊かな時間から錬成する、高度な時間魔術なのだ」
「ふーん? よくわかんないけど、明日の朝、ゆっくりできるってこと?」
「そういうことだ」
アリアはにっこり笑うと、プリンを片手に自室へ戻っていった。
吹雪は、準備万端となった厨房を見渡し、静かな満足感に包まれた。
体幹という、己の力の土台。
そして、夜のうちに朝を準備するという、時間の使い方。
魔王は、また一つ、賢い王へと近づいた。
彼の統治する王国は、彼自身。
そしてその王国は、日々の小さな工夫と発見によって、少しずつ、しかし確実に豊かになっていくのだった。




