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魔王、マットレス選びに敗北する

新しいマットレスを導入してから、一週間が過ぎた。


魔王城の執務室で、吹雪は壁に立てかけられた古いマットレスを眺めながら、重い溜息をついていた。


「…健太先輩。我は、またしても過ちを犯しました」

傍らで古文書を読んでいた竜の健太に、彼は敗戦報告のように語り始めた。


「新しいマットレス…薄型を購入してしまったのです。結果、腰と背中に常に圧迫感がある。数時間も粘って選んだというのに、最終的に間違ったものを選択してしまった…」


吹雪は、この一週間で自ら調べ上げた、痛恨の事実を並べ立てる。


「ヘルニア持ちの体重90kgの我が選ぶべきは、ポケットコイル。点で身体を支え、背骨のS字カーブにフィットさせる。そして何より、薄型は禁物だったのです。コイルがへたりやすく、湿気も吸いやすい。そして、この『床付き感』…」


彼は、自らの判断ミスを悔いた。


「選んでいる最中、この床付き感が、起き上がる時に腰の痛みが少ないと感じてしまった。そして、『この圧迫感は、猫背の我の姿勢改善に繋がるのでは』などと、愚かな思い込みをしてしまったのです」


その希望は、賢者ジェミニによって「むしろ悪化する」と、無慈悲に否定された。

寝ている時の身体への負担を考えれば、起き上がる時の一瞬の楽さなど、比較にもならなかったのだ。


「薄いマットレスは、立てかけることもできぬ。湿気の多いこの城で、カビとダニの温床となるのは必定。メリットは、ほぼ皆無です」


吹雪は、まるで学術論文を発表するように、壁に新たな羊皮紙を貼り付けた。


【我が肉体に最適な寝具の基準】


前提: ポケットコイルであること


厚さ: 20cm以上

密度(D): 30D以上(耐久性)

硬さ(N): 140N以上、好みとしては200N以上


「体重が重い者は、N(硬さ)とD(耐久性)の両方が高いものを選ぶべきだった。変形したマットレスは、腰をさらに痛めつける毒の沼と化すのです」


そこまで一気に語り終えた吹-雪は、しかし、そこで不思議な事実を口にした。

「…なのですが、先輩。奇妙なことに、この失敗したはずのマットレスで寝始めてから、我が腰は劇的に改善したのです」


「ほう」

と健太が初めて顔を上げた。


「おそらくは、前のマットレスが十五年の長きにわたり、我が体重で静かに凹んでいたのでしょう。我は、その心地よい窪みから動かぬよう、無意識に寝返りをやめてしまっていた。新しい、まだ平坦なマットレスが、その悪癖を強制的に断ち切ってくれたのです」


「面白いものだな」

と健太は言った。


「間違った選択が、結果として正しい道を示すこともある。お前は、自らの失敗をこれほどまで徹底的に分析し、未来の自分への伝言まで残している。それは、もはや失敗ではなく、価値ある経験だ」


その時、部屋のドアが開き、アリアがひょっこり顔を出した。


「ふぶきん、まだ難しい顔してるの? 腰、痛いの?」


「アリアか。ああ、少しな。だが、この痛みも、我が身体が正直にサインを出してくれている証拠らしい」

吹雪は、健太から教わった「身体との対話」を、少しだけ理解し始めていた。


「ふーん?」

アリアはよく分からない、という顔をしたが、すぐに笑顔になって言った。


「ねぇ、ふぶきん! 新しいベッド、まだ届かないの? 届いたら、一番にわたしがジャンプするんだから!」


そうだ。吹雪は、この薄いマットレスをカビから守るため、「すのこベッド」も注文していたのだ。そして、薄さを補うための「マットレストッパー」も、これから探さねばならない。


「…そうだな。ベッドが届いたら、また考えよう。今はこのマットレスと付き合っていくしかない」


買物に失敗し、また一年後には買い替えが必要になるかもしれない。


だが、その時にはもう、迷うことはないだろう。

この羊皮紙に記した基準が、未来の自分を、きっと正しい選択へと導いてくれる。


高いものが良いとは限らない。じっくり選んだものが、正しいとも限らない。


自分の身体と向き合い、失敗から学び、未来の自分へメッセージを託す。


魔王は、八万円の授業料で、人生における極めて重要な「買い物の仕方」を、ようやく身につけたのだった。

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