魔王、一つの不具合に思考を囚われる
魔王城の執務室は、重苦しい沈黙に満ちていた。
玉座に腰かけた吹雪は、手にした新しい魔法の石板を、忌々しげに睨みつけている。
この、反抗期の家臣のように言うことを聞かない石板のせいで、彼の思考は完全に停止していた。
「うまくいかぬ…」
吹雪は、傍らで古文書を読んでいた竜の健太に、溜息混じりに語りかけた。
「この新しい石板、なぜか魔力収集(ポイ活)の術がうまく発動しないのです。CM動画の再生が、ことごとく失敗する。元々、このために購入したわけではないと分かってはいますが、得られるはずのものが得られないというのは、不満が募ります」
この一つの不具合が、吹雪の精神を蝕んでいた。
魔導日誌を書こうにも、頭の中は反抗期の石板のことでいっぱいだ。
「我は、一つのことに引っかかると、そこから先に進めなくなる性格のようでして…。今朝も、朝の儀式の段取りを間違えました。本当は、ポチポチ系の細かい魔力収集を先に終わらせ、放置できるTikTok系の術を後に回すべきだったのに、この石板の不具合に気を取られて、すっかり失念していた」
二つの石板を同時に稼働させるという新しい戦術は、この反抗的な新入りのせいで、早くも混乱をきたしていた。順調に動いてさえいれば、何も問題はなかったはずなのだ。
気分を変えようと、吹雪は湯を沸かし始めた。
「最近、茶を沸かした余り湯で、珈琲を作るようにしているのです。休日に向けての作り置きですが…」
しかし、その珈琲ですら、新たな悩みの種だった。
「インスタント珈琲の減りが早い。そして、高い。つい一年前は一杯7円だったものが、今や20円、いや、30円に届こうとしている。三倍以上の値上げとは、我が魔王軍の財政に対する、由々しき挑戦です」
「ふぶきん、難しい顔してる」
いつの間にか部屋に入ってきていたアリアが、心配そうに吹雪の顔を覗き込んだ。
「ああ、アリアか。少しな。明日の休日の計画を考えていたのだ」
吹雪は、明日の作戦計画を練り始めた。
いつもの京橋の拠点は、きっと多くの民でごった返しているだろう。
なので、チョコザップという名の城塞にある机を使う。
腰痛のため、ストレッチの術はまだ禁じられている。
朝、料理を終え、拠点で日誌を書き、その後は詠唱訓練へ。
だが、問題は昼飯の場所だ。
「詠唱訓練の部屋では、食事ができん。どこか、我が弁当を広げるにふさわしい場所はないものか…。天王寺のハルカスか、あるいは、てんしば公園か…」
健太は、その一連の独り言を聞き終えると、静かに口を開いた。
「吹雪よ。お前の思考は、一つの不具合に囚われすぎだ」
「…と、言いますと」
「反抗期の石板、値上がりした珈琲、そして昼飯の場所。お前は、解決できぬ問題と、まだ起きてもいない未来の問題ばかりを眺めて、堂々巡りをしている。石板が言うことを聞かぬのなら、今は一旦放置するがいい。珈琲の値段は、お前が今どうこうできるものではない。だが、昼飯の場所は違う。お前はすでに、ハルカスとてんしばという、二つの選択肢を見つけているではないか」
健太の言葉に、吹雪はハッとした。そうだ。自分は、解決できない問題にばかり意識を向け、解決可能な一歩を踏み出すのを、自ら躊躇していたのだ。
「ふぶきん!」
とアリアが明るい声を上げた。
「明日、ピクニックしよ! 『てんしば』って、写真で見たけど、すっごく広くて気持ちよさそうだったよ!」
ピクニック。その、あまりにも楽しげな響き。
吹雪は、昼食を「解決すべき問題」として捉えていたが、アリアにとっては、ただの「楽しい予定」なのだ。
「…そうか。ピクニック、か。悪くないな」
吹雪の口元から、ふっと力が抜けた。
反抗期の石板の問題は、まだそこにある。
だが、それはそれだ。今、考えるべきことではない。
今は、明日のピクニックのために、どんなおかずを作ろうか。
そんな、少しだけ前向きなことを考えても、罰は当たるまい。
健太は、そんな吹雪の表情の変化を見て、満足げに頷いた。
「思考の切り替えも、王の重要なスキルの一つだ」
一つの不具合に囚われ、止まっていた魔王の時間が、アリアの屈託のない一言で、再びゆっくりと動き始める。
彼の悩み多き一日は、まだ終わらない。
だが、少なくとも明日は、少しだけ楽しい休日になりそうな、そんな予感がしていた。




