魔王、筋肉コルセットを鍛える
玉座から動けなくなるほどの激痛に襲われてから、四日目の朝。
魔王吹雪の腰は、竜の健太による神業のごとき施術(矯正)のおかげで、なんとか動ける状態にまで回復していた。
「健太先輩。我が腰の構造は、常人とはどう違うのですか。そして、この痛みは今後どうなるのでしょう」
書斎で、吹雪は真剣な面持ちで尋ねた。
もう、ただの不調として見過ごすことはできない。
「お前の背骨は、長年の玉座での生活のせいか、常人より固く、密集している」と健太は答えた。
「ゆえに、一度痛みが出ると何倍もきつく感じる。そして、このまま何もしなければ、いずれ必ず同じ、いや、もっとひどい痛みに見舞われるだろう」
その言葉は、吹雪に重い覚悟を決めさせた。
「…腹筋台はもうやめます。あれは我が背骨には良くない。これからは、プランクとドローイン…『竜の体幹術』を基本とします」
そして、吹雪は自らの新たな誓いを語り始めた。
「今後の人生において、筋力は何よりも必要不可欠なものだ。特に、我が体には『筋肉のコルセット』を鍛え上げる必要がある」
それは、二つの単純な動作からなる。
一つは、日常的に腹をへこませること。
もう一つは、尻の骨で座り、頭のてっぺんから糸で吊られているかのように、まっすぐな姿勢を保つこと。
「寝ている時も、TVを見ている時も、仕事をしている時も。この二つの術を常に意識し、我が人生の『当たり前』とする。習慣化するまで三週間、慣れるまで半年…つまり、年末までやり続ける」
吹雪の目には、悲壮なまでの決意が宿っていた。
「体を痛めたことで、改めてその大事さを理解しました。体が少し痛いだけで、気力は失われ、何をするにも億劫になる。人間界の老人がゴミ屋敷で過ごすのは、きっと、体が痛くて何もする気が起きなくなってしまうからなのでしょう。この城に住む我が、そうなってはならぬ」
未来に確実に起こるであろう身体の不具合。
その対策を今から講じることこそが、今の自分に課せられた、最小限にして絶対の使命なのだ。
お金を貯めること、健康に生きること、そしてその習慣を身につけること。
その土台の上で初めて、英語や簿記といったスキルが意味を成す。
「そして、魔力(データ通信量)の使い方も見直さねばなりません」
吹雪は、先日からの悩みの種であった通信契約について、新たな方針を健太に語った。
「200GBという制限に固執するのはやめます。ストレスなく使えることが肝要だ。ただし、無駄遣いはしない。パソコンで動画を見る際は、画質を480pに落とす。これだけで消費は5分の1になる。そして、移動中は魔力収集(ポイ活)を控え、勉強と読書に時間を充てる」
休日。
京橋のいつものカフェで、吹雪は早速その新しい生活様式を実践していた。
彼の前には、パソコンと、三台の魔法の石板が並べられている。
「家でポイ活をしないと決めると、『早く外に出なければ』という気持ちになりますね。これは良い発見でした」
吹雪は、パソコンで魔導日誌を書きながら、器用に三台のスマホを操作している。
「しかし…」
と彼は独りごちる。
「スマホ3台並べてパソコンを打つ姿は、なかなかに異様だ。以前、イオンで同じことをしている人間を見て、『なかなかキモいな』と思ったものだが…まさか自分がそれをするとは」
その時、隣の席でクリームソーダを飲んでいたアリアが、きらきらした目で吹雪の手元を見つめた。
「わー! 吹雪くん、すごい! なんだか、宇宙船の船長さんみたい!」
「…船長、か」
アリアの純粋な一言に、吹雪の心にあった小さな自己嫌悪が、ふっと軽くなるのを感じた。
そうだ。
人からどう見られるかなど、些細なことだ。
この趣味ともいえるポイ活は、攻略という観点から見れば、実に奥深く、楽しいのだ。
「攻略、か。悪くない」
健太が、どこからか取り出した茶をすすりながら言った。
「他者の評価など気にするな、吹雪。その戦略が理に適い、お前自身がそこに楽しみと目的を見出しているのなら、それは一人の王として、実に価値ある時間の使い方だ」
健太の言葉に、吹雪は静かに頷いた。
腰の痛みから始まった厄災は、彼に多くの気づきと、新しい生活様式をもたらした。
体を労り、時間を賢く使い、自分の楽しみを追求する。
それは、少し奇妙に見えるかもしれないが、紛れもなく、彼が自分の足で選び取った、新しい生き方だった。
吹雪は、目の前の三台のスマホを、まるで大切な艦隊を指揮するかのように、再びタップし始めた。
彼の壮大な休日は、まだ始まったばかりだ。




