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魔王、11円の覇権を握る

「見たまえ、健太。余が手に入れた新たなる力の源だ」


魔王吹雪は、煤けた黄色の球体を恭しく掲げてみせた。

ここは彼の居城であり、会社の休憩室でもある。

その声は、世界の支配を目論むには少しだけ覇気が足りない。


向かいの席に座る先輩であり、現実という名の鱗に守られたドラゴンでもある健太は、書類から目を離さずに言った。


「吹雪、それただの中古テニスボールだろ。百均になかったからって、わざわざテニスショップまで行ったのか」


「愚問だな。これはただの球体ではない。余の新たなる治世の礎となる『宝珠』だ。しかも価格は11円。もはや天命と言わざるを得まい」


吹雪が熱弁を振るう横で、幼馴染のアリアがひょいと宝珠を取り上げた。

彼女は不思議な行動でいつも場の空気を変える。


アリアは宝珠の匂いをくんくんと嗅ぎ、「犬の匂いがする!」と屈託なく笑った。

しかし吹雪はめげずに、その宝珠がいかに万能であるかを語り始めた。


「いいか、庶民はテニスにしか使えぬと思っているが、それは違う。まず、この足裏で転がすだけで、扁平足である余の足裏は歓喜の声を上げる。玉座オフィスチェアに座りながらにして、血行は促進され、脳は活性化するのだ」


彼は靴を脱ぎ、早速ゴロゴロと転がし始める。

その顔は、魔王というよりは温泉に浸かる猿のように気持ちよさそうだ。


「太ももやふくらはぎに転がせば、それは筋膜を剥がす聖剣となる。壁と背中の間に挟めば、どんなマッサージチェアにも劣らぬ癒やしが訪れる。そして…」


吹雪は宝珠を手に取り、軽く宙に放っては受け止める。

「こうして遊ぶだけで、老いにより鈍った反射神経が研ぎ澄まされる。握れば握力も鍛えられるのだ。まさに完璧な兵器トレーニンググッズと言えよう」


健太は呆れたようにため息をついた。

「まあ、コスパがいいのは分かったけどな。仕事中にゴロゴロさせるのはいいが、集中力が切れたからって俺の方に転がしてくるなよ」


その日の午後、吹雪は自らのスマートフォンで何かを熱心に読み込んでいた。


「やはり、余の考えは間違っていなかった」


彼は健太と、宝珠を床でバウンドさせて遊んでいたアリアに見せつけるように画面を向けた。

そこには、以前ジェミニに尋ねたという「健康に生きるための基本事項」がリストアップされていた。

食事、運動、休養、そして「生きがい」。


「余の今後の人生は、『金がない』のが前提だ。だが、我慢はせぬ。金以外の得たいものは全て手に入れる。その第一歩が健康、すなわちこの肉体の完全なる統治だ」


吹雪は立ち上がり、窓の外を見ながら宣言した。


「食事…これは今後の課題だ。塩に頼った現在の食生活は、いずれ余の王国を蝕む。料理のスキルを磨かねばなるまい。運動と休養は、この宝珠と共に既に着手している。気分が乗らぬ時はやらぬ、という選択肢も維持し、心の平穏こそを優先する」


「そして、最も重要なのが『生きがい』だ」


吹雪は振り返り、真剣な目で二人を見た。

「サラリーマンという仮の姿以外の、余自身の役割を見つける必要がある。そこで思いついた。動画配信だ」


「配信?」と健太が眉をひそめる。

アリアは「わーい!」と手を叩いた。


「そうだ。散歩(領地の視察)をしながら、その様子を配信する。耳からはオーディオブックで新たな知識を吸収し、ついでにポイ活アプリで小銭を稼ぐ。一つの行動で三つの利益を得る、完璧な三位一体の計画だ」


吹雪の計画は壮大だった。しかし、すぐに彼は眉を曇らせる。


「だが、問題がある。余の前のスマートフォンは、前の戦いで画面が割れている。衝撃を与えれば闇に飲まれるのだ。配信には今のスマホを、ポイ活には…もう一台欲しい。勉強用は古くても聞ければいいのだが…」


彼は腕を組み、唸った。

「そうだ。かつて使っていた、古のスマートフォンが眠っているはず。動くかどうか…」


「よし、決めたぞ」

フブキは11円の宝珠を固く握りしめた。


「次の休日、我らは『ハードオフ』という名の古代遺跡に向かう。古のスマホが復活するかを見定め、余の新たな挑戦の準備を整えるのだ」


健太は「俺も行くのかよ…」と頭をかき、

アリアは「お宝探しだね!」と宝珠を高く放り投げた。


こうして、魔王フブキの新たなる野望は、たった11円のテニスボールから、また少しだけ現実的に、そして相変わらずコミカルに、その一歩を踏み出したのであった。

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