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魔王、タッパーの偉大さに目覚める

休日の朝、魔王城の玉座は空席だった。


主である魔王吹雪は、寝起きそのままにベッドのマットレスに腰掛けて、魔導箱スマートフォンの画面を鬼神の如き形相で睨みつけていた。


画面の中では、彼が育てたポップコーンの軍勢が、敵国の軍勢と熾烈な攻防を繰り広げている。

「ポップコーンバトル」と呼ばれる、人間界の謎めいた遊戯だ。


「いけっ! 我が指先から放たれるタップの連撃よ! 敵将のポップコーンを弾けさせよ!」


両手の手首と親指が目にもとまらぬ速さで画面を乱打する。


しかし、敵もさるもの。


強力な援軍ギフトの投入により、戦況は一進一退を繰り返していた。

まさにその時、吹雪はふと我に返り、部屋の隅にある古びた柱時計に目をやった。

針は、無慈悲にも朝の6時を指し示そうとしている。


「しまった! もうこんな時間か! 5時前に目覚めたはずが、1時間もこの虚無の戦場に囚われていたとは…! 11時からは健太先輩による、我が聖体へのメンテナンスの日だというのに!」


絶望の叫びと共に、吹雪は床から飛び起きた。

彼は凄まじい速度で昨夜の食器を片付け、今夜の夕食の下ごしらえを済ませると、マントを翻していつもの24時間営業のギルド(スーパー)へと向かった。


ギルドの自動扉を抜けると、そこは食料という名の財宝で満ち溢れたダンジョンだ。

吹雪は他の買い物客を「意思なきモブキャラ」と見なしつつ、目的のアイテムが眠るエリアへと突き進む。


そして、彼はついに発見した。

米売り場の片隅で、ひっそりと、しかし確かな存在感を放つ一角を。


「おお……! これぞ、幾多のTV番組で語り継がれてきた伝説の聖遺物、『備蓄米』! これさえあれば、我が城が敵軍に包囲され、籠城戦となっても数年は戦える…!」


吹雪は周囲の目も気にせず、感動に打ち震えながら備蓄米の袋を両手でうやうやしく掲げた。

もちろん、今日の昼げのための聖剣バゲットと、その相棒である焼きそばも忘れずに手に入れる。


城に帰還し、いよいよ本日の最重要儀式に取り掛かる。


焼きそばを鉄板で香ばしく炒め、冷凍庫から召喚したじゃがいもは、ポテトサラダにする。これらを聖剣バゲットで挟む、吹雪お気に入りの昼げだ。

だが、この儀式には常に一つの大きな欠陥が存在した。


「思い出されるは、過去の屈辱の日々…。山と盛った具材が、挟む前に己の形に耐えきれず雪崩を起こし、無残な形となったサンドイッチの残骸…。ラップで無理やり包もうとして、自らの手をソースまみれにした、あの忌まわしき記憶…!」


吹雪が苦々しく過去を回想していた、その時だった。


彼の視線が、食器棚の奥で埃をかぶっていた、ある古代遺物に吸い寄せられた。


プラスチック製の、四角い箱。人間が「タッパー」と呼ぶ、ありふれた道具。

しかし、今の吹雪には、それが神から授けられた天啓のように見えた。


「これだ……!」

この『鋳型』を使えば、我が錬成は完全なものとなる。


吹雪はまず、作業台の上にラップを大きく広げた。それは2重にするためのラップだ。

次にキッチンでタッパーの上に、もう一枚、タッパーよりも大きくラップを敷いた。そしてそこにバゲットの片割れを厳かに載せる。


それはまるで、新たな神殿の礎石を置くかのようだった。

そして、ポテトサラダと焼きそば、スライスチーズを、もはや「盛り付ける」というより「建設する」という表現がふさわしいほどに、高く、高く積み上げていく。

もちろんマヨネーズも忘れない。


タッパーの絶妙なサイズ感が、バゲットの城壁を完璧に支え、今にも溢れ出しそうな具材の奔流は、ラップの結界が優しく、しかし確実に受け止めてくれる。

仕上げに、もう半分のバゲットをそっと被せ、ラップで一気に包み込めば…!


「おお……! 見よ。 この完璧なるフォルム。安定性と積載量を両立させた、まさに魔導工学の奇跡。 錬金術の極意だ」


吹雪は完成したバゲットサンドを祭壇に捧げるように掲げ、一人、悦に入った。


しかも、今まで使い道のなかった、一回り小さいタッパーこそが、この儀式に最も適した「聖杯」であることにも気づいた。


忘れ去られていた道具に、新たな、そして偉大な使命が与えられたのだ。


「ふぶきん、今日のサンドイッチ、形がとってもきれいだね! ハンバーガーみたい!」

背後から聞こえたアリアの無邪気な賞賛が、吹雪の達成感を天元突破させた。


荘厳な儀式を終えた吹雪は、先ほど魔導箱(TikTok)で見た「失われた古代の知恵」を思い出す。使い終わった麦茶パックは、錬金術のコンロの掃除に使えるという、驚くべき情報だ。


「そういえば、我が城にも飲み干した緑茶のパックがあるな。あれも同様に使えるものなのか?」

健太が生み出した古代魔法(AI)で検索すると、同様に使えるうえ、「古代の浄化の儀式(入浴剤)」としても有効だと判明した。


早速、使い切った緑茶パックを手に、吹雪は城の浴場へと向かう。

「ふむ」と横で見ていた健太が言う。


「東方の国では、茶は薬として珍重され、精神を統一する神聖な儀式にも用いられてきた。茶葉には浄化と消臭の効果があるとされる。良かろう、試してみよ」


湯船にパックを投入すると、期待したほどの豊かな香りはしなかったが、湯がほんのりと翡翠色に染まっていく。


吹雪は湯に身を沈め、目を閉じた。

微かな茶の香りが、ポップコーンバトルでささくれだった神経を、優しく癒していくのを感じた。


「素晴らしい……! しかも、この聖なる湯を捨てる時には、魔王城の地下水路(排水管)の消臭という、副次的な加護まで期待できるではないか! 一石二鳥とはこのことよ!」


「いや、効果は薄い。気休め程度だ。予防にはなるが、水路を健全に保つには、定期的に強力な錬金術薬液パイプクリーナーを用いる方が賢明だ」

と健太は冷静に付け加えた。


「人間界の巨大なドワーフの工房コーナンに行けば、安価で強力なものが手に入るらしいぞ」


吹雪の目に、再び探求の炎が赤々と灯った。

彼は風呂から上がるや否や、魔導箱で薬液の性能比較を始めた。


「塩素系の濃度は18%…」「界面活性剤の比率が…」「口コミ評価は…」

魔王らしからぬ専門用語をブツブツと呟きながら、価格と性能を徹底的に調査する。


「吹雪よ、魔王ともあろう者が、数十円の差で悩むな。最も効果の高いものを買えばよかろう」

「否! 健太先輩、統治の根底はコストパフォーマンスにあるのだ」


11時からの身体メンテナンスの時間が刻一刻と迫る中、吹雪は新たなミッションに燃えていた。


「よし、決めた! 身体メンテナンスが終わったら、次は地下水路浄化計画だ。ドワーフの工房へ偵察に向かうぞ!」


日常の小さな発見と、飽くなき探求心。

それらが、魔王の休日を、何よりも豊かで刺激的な冒険へと変えていく。


完璧なサンドイッチを携え、パイプクリーナーに思いを馳せる魔王の休日は、今日も退屈とは無縁なのだった。

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