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第三王子の安らぎ

 

 あの頃の僕は、自分の気持ちを理解できていなかった部分が多い。まあ早熟であったことは否めないが。

 あれが初恋というものだとはっきりと認識したのも、少し後になってからのことだ。


 20才になった今なら、もっと器用に立ち回れただろうと思うのだが、どうやっても失恋は最初から確定していたのだ。


 **************************


「ローゼを頼む」


 紫苑兄様は、黒苑兄ちゃんと闘うことを決意した時、僕にそう言った。

 僕が彼女を憎からず思っていたことを、兄様は薄々感じていたのだと思う。


「俺がもし戻って来なければ、ローゼを助けて守ってやってくれ、頼む」


「お前にしか頼めない」と、真摯な眼差しを向ける兄様に、僕は机に置いた手を見つめたまま頷いた。本当に兄様が戻らなければ、ローゼは悲しむ。勿論僕も嫌だ、嫌だけれど………微かに自分の中に芽生える醜い感情に辟易した。


 兄様がいないことに気付いた彼女が、僕に連れて行ってと縋り付くのに顔を背けて立ち竦む。本当にこれでいいのかという焦りが僕を(さいな)んでいて、海へと飛び込んでまで兄様を追おうとする彼女を目にして僕は恥じた。


 なんて矮小な想いだろう。番でなくても竜族は誰かに恋することができるが、番であって更に想い合う二人に僕の入り込む余地はない。


 傷だらけの兄様の元へと駆け寄り、互いを抱き締めて共に在ることを誓ったローゼに、僕の心は震えた。

 強い想いの前に、僕の想いは緩やかに形を変えていった。

 僕は二人の心を愛しいと思った。守ってあげたいと感じた。


 ローゼが傷付き兄様が狂う様に、愛しさは涙となって溢れ続けた。必死で彼女に涙を注ぎ、傷を舐めた。


『竜の精』は、竜族が伴侶や番に与えるもの。もしくは愛する唯一に与えるもの。

 僕はそれを彼女に捧げた。その意味を彼女が知らなくていい。ただ生きていて欲しかった。

 涙は、僕の密やかな告白。

 彼女が目を開けた時、僕を苦しめたさざ波のような想いは静まった。


 その後のローゼとの旅は、僕の良い思い出だ。兄様を探す旅だったが、最後に彼女を独り占めできたことは嬉しかった。

 ともすれば不安に顔を曇らす彼女を、励まし元気付けて明るく振る舞うことは、彼女の笑顔を見る為なら苦にはならなかった。


 ローゼが兄様を見つけ出し狂気を取り払った時、僕の初恋は終わりを告げた。


「兄様が羨ましいよ」


 結婚式の日に、彼女の指先にキスを贈り呟いた言葉。

 その意味を知ることが、ローゼには決して無いだろう。


 *************************


「考えごと?」

「昔のことを思い出してたよ。君と兄様の馴れ初め」


 城の中庭で、僕は彼女の手作りケーキを頬張る。今日はシロップ浸け林檎が混ぜ込まれていて、甘酸っぱさが癖になる美味しさ。

 バリエーションも増えて、腕を上げたね。

 それもこれも兄様が喜ぶから毎日のように作っていたからだと思うと複雑だが。


「なんだか思い出すと居たたまれない。勘違いにすれ違いで………」


 照れて両手で口元を隠すローゼは、20ほどの年齢の容姿のままだ。結婚して10年経つが、彼女の体は時を刻むのを止めた。

 以前より表情は柔らかくなった。はにかむ笑顔は、春の日射しのように優しく美しい。

 ちなみに僕は母様に似ていて、兄様とはあまり顔立ちは似なかった。ローゼが素敵だと言ってくれるから満足している。


「でもあの時があったから、君は今こうして義弟の僕にケーキを食べさせてくれてる。感謝しなきゃね」


「それにこんな可愛い甥っ子もいるしね」と、僕は彼女の膝の上でケーキを食べている幼児の頬をつついた。ふにふにして柔らかい。


「うん」


 噛み締めるように頷いた彼女が、一人息子を腕に抱いて頬を寄せる。辛いこともあった。報われることなく去ってしまったヒトを思えば、未だに胸に痛みが鈍く残っている。


「ローゼ!ようやく抜け出した」


 政務から逃げ出したらしい兄様が息を切らして小道を走ってくるのが見えて、最後の一口を口に入れるや、僕は甥っ子を抱き上げた。


「灰苑様?」

「夫婦で、どうぞごゆっくり」


 ニヤリと笑い、幼児を肩車すると、気を利かせた僕は退場することにした。すれ違いさまに、兄様が息子の髪を軽く撫でた。


 困ったように微笑んだローゼは、彼女の元へと歩み寄った兄様を見上げて、座ったまま手を伸ばした。引き寄せられるように身を屈めた兄様が、ローゼを優しく抱き締めて頬にキスを贈る。


「はあ、ローゼ………ようやく会えた」

「紫苑」


 彼女の首に顔を埋めて、兄様は目を閉じて安らぎを享受する。

 朝も昼も夜も、時間があれば番といるのに、よく言うよ。

 そんな兄様の頭と背中を抱き、くすぐったそうに笑うローゼを映してから背中を向けた。


「兄ちゃんと遊ぶか?」

「あちょぶ!きゃきゃ」


 中庭に隣接する運動場まで行って、甥っ子を上へと放ると竜化してしまった。小さな翼で飛び回る仔竜と追いかけっこだ。


「君もいつか番を見つけたりするのかな」


 そうしたら兄様のように、無様な程の愛を番に向けて縋るのだろうか。

 僕にも、その日は来るのだろうか。


 番を瞳に映した瞬間に、甘く苦い初恋はかき消えてしまうのだろうか。それは少し淋しいな。


 どうかその時は、緩やかな雪解けのように僕の心に安らぎを与えてくれますように。


ありがとうございました!

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