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第十二話「しばらく耳に残りそう」

 ドラゴンはその大きい翼で空に浮かんだままこちらに顔を向ける。


「ほう……戦場の後方で指揮を執っていた矢先、妙な気配を感じて来てみれば魔王様に攫われたマヌケ姫ではないか。ここにいるということは城の連中はしくじったということだな」

「喋った!?」


 魔物や魔獣の中には知能が人間並みに高いものもいるがそれでも人語を解するものは稀だ。そしてその手の魔物は総じて強靭な身体、強力な魔法を使えるという共通点がある。

 おまけにドラゴンはグランドスコーピオンやロックグリズリーとは比べものにならないほど強固な甲殻、多彩且つ強力な魔法攻撃を持っている危険な存在であり、他国だが過去にたった一体で国を壊滅させるほどの被害を出したことさえあった。


「よくぞ我一撃を躱すことができたな。人間の分際で魔王軍双頭の一角である我の前で数秒持ったのは大したものだが……さあて、あと何秒持つかな」


 ドラゴンはそのまま猛スピードでこちらへ滑空してきた。

 それと同時に、もつれ合ったまま倒れていた私をエイスが抱え上げ、幸運にも無傷だったバイクの座席の後部に私を乗せた。


「しっかり掴まっていろ」


 そう言うとこちらの返事も聞かずバイクを急発進させる。

 同時にさっきまでいた地面がまた爆発した。

 後ろを振り向けばドラゴンが大人ならば二、三人まとめて飲み込めるほど大きな口から、複数の火球を私達めがけ発射してくる。


「ひっ!!」


 火球はバイクを操縦するエイスに躱され地面にいくつかの穴を穿つ。

 しかし、それでも追撃の手を緩め無いドラゴンは火球だけでなく巨大な氷塊、風の刃、岩の大棘を連発してくる。

 周りに飛んでくる家さえも吹き飛ばしてしまいそうな程の攻撃の雨をエイスは紙一重で避ける。

 向こうの攻撃は強力だが精密性はそこまで高くなく、バイクの機動性の方がギリギリ上だった。


 だが、それだけだった。


 エイスの後ろで私は震えていた。

 襲ってくる敵はこれまでで最強。

 こちらには碌な武器はなく、何とか首の皮一枚で避けるのが精一杯。

 こんな状態がいつまでも続かないことなど誰の目にも明白だった。

 現にドラゴンの攻撃はバイクの前に集中しだしていた。恐らくバイクの機動力を落とすつもりなのだろう。そして、徐々に攻撃の余波がバイクに掠りだす。


 万策尽きるとはまさにこのことだ。

 全く打つ手がなかった。

 掴まる手には禄に力が入らず、急速な方向転換に何度か投げ出されそうになる。

 しっかりヘルメットを被っているのに悲鳴を上げることはおろか、まともに息をするのさえ出来ないほど私の心は深い絶望に染まっていた。

 頭は、もうまともに動いてはくれない。

 目から溢れた涙の雫が顎まで伝い、風に溶けていく。


 だが、脳が思考を完全に思考を放棄する寸前、あることに気がついた。


(あれ……?)


 視界の端に幾つかの魔獣や騎士達の死体があるのが見えた。

 周りを見てみる。

 そこは先ほど双眼鏡で見た戦場、

 つまりーー


(王都の市壁近く!いつの間に!?)


 どうやら私の気がつかないうちに王都の近くまで来ていたようだった。


「ちょ、ちょっと、どういうつもり!?」


 このままではドラゴンが王都に入ってしまうことになる。

 そうなれば王都の陥落が更に早まってしまう。

 抗議の声を上げ、座席前方にいるエイスに顔を向けるとそこにはーー


 真っ直ぐ前をーー前方に見える市壁の門を見据えるエイスの視線があった。



 先程までの動揺のこもった目は既に無く、いつものように何を考えているか分からない無機質な視線だった。

 何故だろう。

 この非常時の、

 この危機的状況の中の、

 この『いつも』がとても頼もしく感じられた。


 エイスは片手でバイクを操縦したままもう片方の手で拳銃を取り出すと構え、後方のドラゴンに向ける。


 バン!バン!バン!


 放たれた弾はドラゴンに命中するも、ロックグリズリー以上の堅さを誇る甲殻には傷一つ付けられずに弾かれる。

 それでもエイスは弾が切れるまで撃つのを止めなかった。


「グオオオオオオオオオオオ!!」


 ドラゴンが背後で咆哮する。

 自分の肌を撫でるだけの攻撃を鬱陶しいと感じたのか、それとも火球や氷塊では仕留めきれないと感じたのかその鋭い歯の並んだ顎や巨大な爪で直接仕留めようと猛スピードで接近してくる。

 対してエイスは拳銃をしまうとバイクを市壁の門に向かって直進させる。

 市壁の周りでは魔獣達が私達の接近に気づき蜘蛛の子を散らすように逃げだす。

 門の周りで柵を作り、魔獣達の侵入を防ごうとしていた騎士達も門の中に退避し、門を閉じ始める。

 無人となった戦場で更に速度を上げたバイクはそのまま柵を突き破り、閉まりかけている門へ疾走する。

 後ろでは大口を開けたドラゴンが手を伸ばせば届きそうな距離まで迫っていた。

 大小様々な大きさの歯が並んだその顎に追いつかれればミンチでは済まないだろうことは明らからだろう。

 テラテラと陽の光を反射するその唾液が、ドラゴンの口の中から漂ってくるすえた臭いが、視覚と嗅覚を刺激するたびに胃の奥がから何かがせり上がってくる。


(早く早く早く早く早く!!)



 バイク(エイス)とドラゴン。

 二者のデッドヒートをせいしたのは、

 バイクだった。


 バイクはそのまま閉じかけた門に身体をねじ込み、そのまま入り込む。

 それにほぼ間髪入れずドラゴンが門に激突した轟音が響いた。


「やっ、やった!」


 バイクの上で思わず歓声をあげる。

 まさか、ほぼ無傷でドラゴンから逃げ切り、オマケに王都に入ることが出来るとは思わなかった。

 逃げ切ったことによる余裕からか一つ気づいた。

 もしや、これも作戦だったのだろうか?

 これまで、市壁周辺で行われていた戦闘のせいで王都に近づくことが出来なかった。

 だが、ドラゴンにバイクの周りに攻撃を当てるように誘導しながら王都に近づき、それに気づいた周囲の人間や魔獣がとばっちりを受けないよう退避させる事で周りから邪魔なものを排除し王都にたどり着きやすくした。


 しかし、私たちは逃げ切っただけにすぎない。ドラゴンはまだ門の外にいる。

 早くアレをなんとかしなければならない。

 だが、私達には対抗策を考える時間はなかった。

 強烈な爆発音と共に目の前で門が砕け散る。

 ドラゴンが火球で門を破壊したのだ。

 辺りには焼け焦げた門の破片が散らばる。


「うまく逃げたようだがこれで終いだ!!」


 そして、阻む物を排除したドラゴンが門から頭を出す。

 周りには門の内側に逃げ込んだ兵達と突然のことに慌てふためく無防備な王都の市民達。 ここで、暴れられたら多大な犠牲が出てしまう。

 何とか兵達が市民の避難とドラゴンとの応戦に分かれるがそれも焼け石に水だった。

 またもやドラゴンがその大口を開く。

 その中ではこれまでの数倍の大きさの火球が生成されていた。

 あんな物を打ち込まれたら街一つが消し飛んでしまう。


(あんなの避難したって無駄じゃない……)


 私達が逃げても無駄なようにこの辺り一帯丸ごと消し飛ばすつもりなのだろう。

 頭の中が真っ白になる。

 ドラゴンが火球を発射しようとその首をかかげた瞬間ーー


「目を閉じろ」


 不意に背後から聞こえてきた声が黒い影と共に一瞬で私を追い越した。

 影はドラゴンの鼻筋に向かって拳大の大きさの塊を投げつけるのを視認したのと同時に目をつぶる。


 すると、瞼を突き破るほど強烈な閃光が辺り一面にまき散らされた。


 周りでは閃光に目を焼かれたのか何人かの人々が悶えているが殆どの人々がドラゴンから逃げるために背を向けていたため閃光を見ることはなかった。

 そして、その閃光を鼻先で放たれたドラゴンは、


「ギョアアアアアアアアアアアアア!?」


 耳が痛くなるほどの大絶叫を上げた。

 無理もない、あれだけの閃光を至近距離で放たれたのだ。いくらドラゴンでも失明は免れない。

 視覚を絶たれたことへの驚きなのか、怒りなのか、ドラゴンは首を振り回して暴れ狂う。 市壁に、地面に、近くの建物に、手当たり次第に首をぶつけて暴れ回る。

 なんとか視覚を奪ったがこれでは危なくて近づけない。

 そんな中たった暴れ回るドラゴンに突っ込む者ひとりいた。


 たった今、強力な閃光でドラゴンの目を潰した黒い影ーーエイスだった。

 彼はドラゴンの目の前に立つと一言こう言った。


「どこを狙っている。俺はここだ、巨大トカゲ」


 魔獣は総じて強靱な肉体を持っている。そして、それに見合った五感も兼ね備えていた。

 その魔獣の中でも最たる者の一種であるドラゴンはその声を聞き逃さなかった。


「そこかああああああああああああああ!!」


 ドラゴンはそれまで無作為に暴れ回っていたのが嘘のような正確さと早さでエイスのいるところへ噛みついてくる。

 しかし、目を潰されたからなのか、頭に血が上っていたからなのか。

 その攻撃は易々と彼に躱され、地面を噛む。

 いつの間にか彼の右腕には一抱えもするような大きな黒い箱のようなモノが装着されていた。

 そして、攻撃を躱すのと同時にエイスはドラゴンの眉間にその大きな箱の着いた右腕を押し当てた、瞬間ーー


 ズドォン!!


 お腹の底に響くような爆発音が彼の右腕から響いた。

 見れば、装着された箱の底部からは煙が上がっている。

 一体何が起こったのだろう?

 彼はドラゴンの眉間から右腕を離すと、

 ズルリという生々しい音と共に箱から飛び出した巨大な杭が引き抜かれ、箱の中から拳銃を撃った時に出てくる金属の筒を大きくしたような物が飛び出る。

 それと同時にドラゴンは呻き声一つ漏らす事なく地に伏すと、それきりドラゴンが動く事はなかった。

 周囲の人々が起こったことを理解できないのか静寂が辺りを包む。


「嘘……ドラゴンに勝っちゃった?」


 そんな静寂のせいか、私の声は大きいものではなかった筈なのに辺りに響く。

 それまで事態を飲み込めなかった兵士や町民達がザワザワと騒ぎ出す。

 皆んな信じられないのだ。

 かく言う私も自分で言っていて信じられなかった。

 一匹現れれば間違いなく国が滅びると言われた最強の魔獣であるあのドラゴンが。

 絶命したのだ。

 それも彼の、たった一撃で。


「っ……エイス!!」


 エイスの下に駆け寄る。

 彼はドラゴンの前で跪き、左手で右肩を抱いていた。


「エイス!ちょっと、大丈夫なの!?」


 右腕はダラリと力無く下がったまま、今なお杭のついた黒い箱は濛々と煙を上げている。

 私に気づいたエイスは背を向けて何事も無かったかのようにスクッと立ち上がる。


「……ああ」

「ああ、じゃないわよ!!あんたなにしたのよ!?」

「これを……使っただけだ」


 彼は少々息を切らしながら、尋常じゃない爆発音を発しドラゴンを一撃で倒した異世界の武器ーー自らの右腕の黒箱に目を向ける。

 

「これは、パイルバンカーと言われる武器だ」

「ぱいる、ばんかー?」

「これは……金属で出来た杭を……爆発によって高速射出し……標的を打ち抜く武器だ」


 そう言って次に前方に目を向ける。

 そこには眉間の甲殻や魔力石を頭蓋骨ごと粉砕されたドラゴンの頭があった。


「パイルバンカーは強力だが……射程が短い近接武器だ。空を飛ぶこいつに当てるには先ず地面に下ろす必要があったが……」

「……まさか、アンタその武器を当てるために効果の無い攻撃でドラゴンを挑発して門まで誘導したんじゃ……」


 エイスはしばし沈黙すると口を開いた。


「……すまない。ドラゴン相手では……これしか思いつかなかった」

「……まあ、いいわよ」


 周りを見渡す。

 被害を受けたのは市壁と市壁近くの建物、他には門に続く街道等に物的被害は大きかったが奇跡的にも人的被害は見受けられなかった。

 正直、彼を責める気にはなれなかった。確かに、一歩間違えれば多くの人々がその命を失っていただろう。だが、いきなり現れた国を滅ぼす程の存在相手に、たった一人で打ち倒したのだ。

 それに、あの時の私に彼以上の策を考え、実行出来たかと問われれば首を横に振るしかない。

 私はただ怯えることしか出来なかった。


「そういえば、そんなおっきい武器なんてどこに積んでたの?」

「座席の下だ」


 振り返って見ればバイクの座席が持ち上げられており、その下は空っぽになっている。

 彼の腕に着いているパイルバンカーはかなりの大きさだがまさかそんなところに積んでいたとは。

 ドラゴンが突っ込んでくるまでの僅かな間に取り出して装着していたのだろう。

 エイスは右腕からパイルバンカーを外し地面に下ろすと息も絶え絶えなまま何かを探すようにフラフラと辺りを歩き出す。


「ねえ、本当に大丈夫なの?」

「問題ない……。それより、どこかに大きめの岩……瓦礫は無いか」

「瓦礫?そんなの何に使うのよ?」

「……パイルバンカーは……俺が、持っている武器を全て出し尽くし、それでも足りないときに使う、いわば奥の手だ。だがその分欠点もある。先ほど言ったように近接武器故射程が短く、当てるには敵に接近しなければならない。それともう一つ……」


 エイスはパイルバンカーの説明をしながら一抱えもある瓦礫を見つけるとその前で立ち止まった。

 すると、瓦礫に右肩を向け、


 ゴギン!


 右肩を下に、瓦礫に倒れ込んだ。


「ちょっとお!?何やってんのよ!!?」


 エイスの肩と瓦礫がぶつかり鈍い音が撒き散らされ思わず目を背けてしまう。

 しかし、当の本人は何事もなかったかのように立ち上がった。


「パイルバンカーは衝撃が強力なせいで、一発撃つと装着した腕の肩が外れてしまうと言う欠点がある」

「じゃあ、今のって……」

「外れた肩を入れた。うまくいって良かった」

「見てるこっちが痛いわ!!」


 鈍い音の次は私のツッコミの声が響いた。

 その後市壁の騒ぎを聞きつけた王城の騎士達が様子を見に集まると、私がいた事で驚き更なる絶叫の3連コンボが発生したのだった。



 騎士達に連れられ私達は王城に入ることができた。

 城の中は戦中と言うこともあって慌ただしかった。だが、それでも多くの侍女や兵達が泣きながら出迎えてくれた。

 そして、城の王の間に到着し、扉を開ける。

 部屋の最奥、玉座には細身の美女と、がっしりした質実剛健を体格で表したような男性、国王夫妻がーーこの一月半ずっと会いたかった両親がいた。


「ソニア!」

「父様、母様。ソニア、ただ今戻りーー」

「ゾ、ゾニアアアアア!!!!!」


 私を見るなりその彫りの深い顔面を涙鼻水まみれにしながら抱きつこうと父様が両腕を広げて突進してきた。

 鬱陶しいのでさらりと躱す。


「へぶん!」


 そのまま床にヘッドスライディングした父様は「娘の反抗期がつらい……」と泣きながら蹲っていた。

 失礼な。親離れだ。

 父様に続いてやってきた母様に苦しいくらい抱きしめられ、自然と笑みがこぼれてしまう。


「よかったわ。怪我はない?体調は?」

「平気よ。エイスが守ってくれたから」

「エイス……?」

「誰だそいつは!?」


 母様が頭の上で疑問符を浮かべ、父様は私の口から知らない男の名前が出てきた事に反応し勢いよく飛び起きて詰め寄ってくる。

 そういえば父様達がエイスと会った時はまだ名前が無かったんだっけ。


「ああ、エイスってのはアイツの事よ。名無しみたいだったから付けてあげたの」


 そう言って私はに王の間に入らず扉の外で立ちすくんでいたエイスに視線を向ける。


「おお、傭兵殿の事だったか。そんなところで何をしている」


 エイスは父様から声をかけられるとビクッと肩を振るわせると少し視線を下げた。

 それでも部屋に入ってこようとしないエイスの元に私は駆け寄る。


「どうしたの?」

「いや……入って良いものか……と思ってな」


 目を合わさず呟く。

 私達に気を遣ってくれているのだろうか?

 最近は初めて会ったときのような無神経さはあまり見せなくなり、こちらに気を遣うようになった彼ならば考えられる。

 だがこのままでは拉致が空かないのでそのまま手を引いて部屋の中に引き入れるとエイスは私達から数歩離れたところで立ち止まった。


「傭兵殿!此度は本当に良くやってくれた!本当に、本当にありがとう!!」


 父様は床スレスレまで頭を下げようとするが周りの兵達に止められる。


「お待ちください陛下!国王ともあろう人がそのようなことしては……」

「いいや、聞けばこの者はソニアを救い出しだだけでなく、市壁で『あの』ドラゴンを仕留めたそうではないか。これ程の功績を立ておいて礼の一つも無いようでは私の気が収まらん!」


 そう言って兵士を退かすと改めてエイスに向き合う。


「傭兵殿ーーいや、今はエイス殿か。王として、父として心から礼を言いたい。……本当にありがとう」


 深々と頭を下げる父様の目には涙が溢れていた。

 基本的に過保護で暑苦しい父だが、こういうところは嫌いではない。

 エイスはそんな父の様子を黙って見ていた。

 ふと、彼の顔に視線を向けるとーー


(ん?)


 彼の目が少しだけ虚ろげに見えた。


 それは変化らしい変化ではなかった。傍から見ればいつもの無表情に見える。だが、その僅かな変化が再び私に嫌な予感を呼び起こさせるには十分すぎた。


「ね、ねえーー」

「王よ、報酬のことで話がある」


 私の声を遮るようにそれまで黙っていたエイスが口を開く。


「おお、そうだった。して、どのようなのーー」


「報酬を望むのか」父様はきっとそう言いたかったのだろう。

 母様や周囲にいた兵達もエイスに注目する。

 一国の姫を救い出しただけでなく最強の魔獣ドラゴンを倒した異世界人は、その見返りに何を望むのか。

 莫大な富か、それとも他の何かのか。

 しかし、父様の言葉を言い終わる前に放った彼の声に誰もが驚愕した。



「報酬はいらん。結構だ。無報酬でかまわん」



 無報酬。

 何もいらない。

 彼は確かにそう言った。 


「な……何を言う?そなたは契約通りソニアを……」

「王よ。俺は……お前に『姫を無事に送り届ける』ことを約束した。だが……今の姫の様子は無事とは言えん」


 そう言って私を指さす。

 確かに今私は少し足を擦りむいており、着ている町娘の服には少々泥が跳ねていた。

 だがそれは先ほどドラゴンの攻撃を受けそうになった時彼にとっさに突き飛ばされた際のものであり、それ以外の怪我など全くない。

 完全なこじつけだった。

 今は戦中だが報酬が出せないほど逼迫しているわけではないし、父様もこれだけの功績を打ち立てたエイスには本当に望むだけの報償をとらせるつもりだろう。

 にもかかわらず、


「俺は任務を果たせなかった。だから報酬はいらん。それだけだ」


 そうとだけ言いエイスは私達に背を向け歩き出す。

 あまりのことに誰も声が出なかった。


 このまま彼を行かせてしまって良いのだろうか?

 確かに王都に着き契約が解消された今、彼を留めておくことは出来ない。

 でも、本当にそれでいいのか?

 私を助け出してくれた人を、ここまで無事に送り届けてくれた人をこのまま行かせてしまって本当にいいのか?

 そうこうしているうちに彼はもう部屋の扉に手を掛けようとしていた。


(まだ、言いたいこと何も言えてないのに)


「ま、待って!」


 ようやく出た言葉と共に彼の元へ駆け寄る。彼はもう扉の取っ手に手を掛けていた。

 その時、僅かに上下する視界の下方、王の間に敷かれた真っ赤な絨毯にあるものが見えた。

 何かを引き摺ったような黒く盛り上がった線。

 それは目の前で立ち止まっている彼の足下に繋がっていた。

 ぞわり、と先ほど虚ろな彼の目を見たときの感覚が蘇る。


 その瞬間エイスの身体が傾いた。


 ほんの数歩。

 だが私が駆け寄るより早く、吸い込まれるようにエイスは床へ倒れた。


「エイス!?」


 彼の肩を掴んで揺さぶるがその目を開けることはない。

 だが、その代わりに


「え……」


 彼の口から一筋、血が流れ出ていた。

そろそろこの話も終盤になります

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