80:もう一つの苦手
小女王のいた温泉街を出て一週間。私達はとうとうエローラを抜け、目の前はセープ王国という所まで来た。
ところで、私の苦手なものは幾つかある。虫と、毛深い男。
仲間にリシュルとニルア、そして最後に一緒になったスイ君もいるので大きな声では言えないが、実は蛇も得意では無い。ウロコが嫌だとかいうわけでも無いし、毒があるのがいるからというワケでも無い。しかし怖い。
あのちろちろ見える舌と、音も無く体をうねうねくねらせて動く様、こんな私が言うのも何だが表情の全くわからない冷たい目、そして頭よりも大きな物でも丸呑みにするあの口が……ううっ、思い出したら鳥肌が立つ。実は蛇にはちょっとしたトラウマがあったりするのだ。
小学生の頃、学校で飼っていたニワトリの雛が金網の隙間から入った蛇に食べられた事がある。丁度私が飼育当番だった日だ。ばたばたと落ち着きの無い親鳥の異変に気がつくと、つい前日までピヨピヨと可愛らしく鳴いてヨチヨチ歩いていた、ふわふわ可愛いひよこちゃんがいない。卵が孵った時から皆で楽しみに見守っていたひよこ。藁の敷かれた小屋の隅で丸くなっていた蛇の喉元がぷっくりと膨れてピンクの足が口からはみ出ているのを見た瞬間、たぶん私は人生初の悲鳴を上げたと思う。
駆けつけた男の子と先生の間で、無表情のまま悲鳴を上げていた私の事がしばらく笑い話になっていたが、私は本当に怖かったのだ。
そう……親が目の前で死んだ時ですら悲鳴を上げなかった私がだ。
「……蛇族の国かぁ……」
なんか憂鬱。リシュル達は別に二股に分かれた舌をちろちろしているわけでは無いし、基本普通の人間と変わったところも無いので、一度も気持ち悪いとか怖いと思った事は無い。しかし先程話を聞いていたら、猫族のゾンゲのように蛇族でも先祖返りの者がいるらしい。それを聞いてずーんと沈んでいるところだ。うん、下っ端であろうと蛇の顔した奴が襲って来たら、悲鳴を上げながら走って逃げる自信がある。
「マユカのきゃーって可愛く叫ぶの、聞いてみたいなぁ」
長閑にルピアが言ったので、軽く肘を逆さに曲げて差し上げた。
「きゃーっ!」
「……猫王様が悲鳴をあげてどうするんだよ」
「可愛くないよ」
ぬるい笑みでグイルとイーアがツッコミを入れる。毎度お馴染みの光景だ。
「そっかー、マユカにも苦手なものが結構あるんだね。なんか安心した」
「ミーア、なぜ安心する?」
「だってさ、なんかそういうのって女の子っぽくていいじゃない。いつもはこの中で一番男らしいんだもん」
「うっ……」
男らしい! そ、それは褒められてるのか貶されてるのかどちらだろうか? ルピア以外皆が激しく頷いているのが、ものっすごく気になるぞ?。
「一番男らしくないのはルピア様だけどね。王様ってよりお姫様だわ」
うん。それには私も激しく同意するぞミーア。
当のルピアは同意していない模様。
「待て。ゲンみたいなオカマもいるのにそれは無いだろう!」
「やぁん、オカマなんて。お姉様って呼んでよぉん」
やや和んだ……のか? ところで、リシュルが締めてくれた。
「まあ、先祖返りでも、体は人間の形をしているのだから手足もあって這ってるわけじゃないし、そうそうはいないから安心してもいいと思う」
蛇の国の王子様はそう言ったのに。
「思いっきりいますけど!」
国境の検問。エローラのように隠れているわけでもなく、警護兵らしき武装した大柄の男が三人立っていたのだが……その内の二人までが思いっきり蛇顔なんだけど!
ううっ、袖なしの服から覗くムキムキの腕もびっしりウロコなんですけど! ってか、ちろちろと赤い舌が見えてますけどっ!
「ココ通サナイ」
く、来るな! こーわーいいいぃ。
「先祖返りは完全な人型より丈夫なのが多いから選らばれたのかな」
そういう情報は先に言っておいて欲しいぞリシュル!
「額の印は見張りクラスだな。強行突破でいいな、マユカ?」
「あ、ああ」
こんな時でも多分私は、平然としているように見えるんだろうな。だが、任せたぞみんな!
というわけで、私はじわじわーっと後退りしながら様子を見る。下っ端クラスなら私が出なくても楽勝だろう。
ゾンゲ、グイル、リシュルの三人であっという間だった。見た目はアレだが、戦闘力自体は大した事ないようだ。みんなそれぞれ強くなってるし、役付きじゃないからかもしれない。
ルピアと耳かき部隊でヴァファムを取り出すようだけど……耳朶無くても一応耳に寄生してるんだな。
「むぅ、この耳は虫が取りにくいなぁ」
ルピアが言ってるのが聞こえても、私は詳しく見たくないので、一人で少し離れ、検問所の建物の横の木に凭れて遠目に様子を伺っていた。
「おい」
男の声がして、とんとんと肩をつつかれた。
振り返ると誰もいなかった。私は木に凭れていたのだから当然のこと、背後は木だけだった。念のため、木の後ろを見ても誰もいない。
「ここだよ、ここ」
ん? 上から声がした気がする。視線を上げると目の前に最初に見えたのは赤いちろちろと動いている細長いもの……二股にわかれた……更に見上げると、金色の目と黒光するウロコの大きな顔……。
「きゃああああああぁ――――――!!」
自分でもよくこんなに声が出たなと思うほど叫んで、こんなに飛べるんだと思うほど飛び退った。勢い余って尻餅をついてしまったが。
「マユカ?!」
ルピアの声がする。たーすーけーてー!
走って逃げたかったのに腰が抜けている。そこへ目の前に木の上から何かがどさっと落ちて来た。
「いってて……なんつー声出すんだよ、お姉ちゃん。びっくりして落ちたじゃねぇか」
「へ、蛇っ!」
「当たり前だろうが、ここセープだぜ?」
喋り方が普通なのが唯一の救いだ。
「マユカ、どうしたの?」
「ルピアっ、蛇っ、蛇がっ」
ルピアが走ってきたので、思わずしがみついた。
「貴様! マユカに襲い掛かったのか?」
ルピアが勇ましく立ちはだかると、蛇は首を振って否定する。
「いや、助けて欲しくて話しかけようとしたら、思いっきり叫ばれてびっくりして落ちて来ただけ」
え……? 蛇さんは私に助けを求めようとした?
とりあえずルピアに隠れてそーっと様子を伺う。
「そうなのか。君は寄生されていないのか?」
「うん。あんたら伝説の戦士さんご一行だろ? そろそろ来るかなーってここで待ってたら、ここの虫つきに追いかけられて木の上に隠れてたんだ」
顔さえ見なければ、普通の青年っぽい。なんかいきなり驚いて失礼な事をしてしまったかもしれない。
でもなー、怖いものは怖いんだもん。
「無事でよかったね。君はどういった人?」
「俺、シン。反ヴァファムの活動をしてる」
シンは顔はアレだが、中身は結構感じのいい青年だった。国境を越え、馬車で彼のレジスタンス組織のアジトのある村へ案内された。
「こちらも武器を持って戦ってきたが、先日近くの町を解放に行って仲間はほぼ全滅した。といっても寄生されただけでほぼ死んではいないけど。残ったのは俺とあと数人だけと女子供だ。武器は取り上げられてしまった」
……流石は大女王のお膝元。かなり壮絶な事になってるな。
シンには悪いが平常を保つため、なるべく顔を見ないようにしている。声だけ聞いてるといい声なんだけどな。その舌が……目が……。
「あんた達の事はディラのローアから連絡をもらった」
「兄さんから?」
知った名を聞いてイーアが嬉しそうに声を上げた。魚族の国ディラのレジスタンスのリーダーはほとんど寝たきりなのに情報網は広いようだ。頑張ってるな、ローア。
「ディラはあんた達のおかげで既にほぼ元に戻ったらしいじゃないか。だからこちらにも手を貸して欲しいと思って」
「それは勿論手を貸すよ、目的が同じだからね。だがこのセープはヴァファムの本拠地だ。他の国のようにそこを任されている上位の役付きを捕まえるだけでは無く、大女王を倒さなければならない」
ルピアが残念で無いお利口さんモードで返答している。こういう難しい話は王様に任せておこう。
村の年配の女性が入れてくれたお茶はどこか日本の緑茶のようで美味しかった。デザールのある向こうの大陸は何となく西洋っぽかったが、こちらのディラ、エローラといい、このセープといい、アジアっぽいというより日本に近い気がして懐かしい感じがする。
「ああ……ここには大女王がいる。俺達はその事を忘れてたんだ。今まで順調にやって来た。この村や近くの村も俺達だけで解放した。数人犠牲は出たが、ほぼ無血で。仲間も百人以上に増えて、このままひょっとしたらなんて思ってたのに……」
「何かあったのか?」
「上位の役付きに目をつけられた。すごく強い奴がたった一人で仲間を全員……連れて行かれた彼らは、次に見た時には虚ろな目の虫付きになってたよ。中にはその場で絶望して自ら死んだ奴もいる」
「な……」
たった一人の役付き。百人以上を一人で? いくら相手が上級幹部でもどんな強さなんだ。
シンのおかげで少し蛇な見た目にも慣れて来た気もするし、お茶をいただいてほっこりした頃。
建物の外でかーんかーんとけたたましい音が鳴り響いた。
「何だ?」
「ヴァファムが攻めてきた様だ」
シンが部屋の隅に置いてあった錆びた鉄の棒に手を掛けた。
「私達が行こう。お前は村の女子供達を安全な場所へ」
「すまない」
建物の外では既に耳かき部隊とデザールの兵達が待機していた。村の中央にある高い物見櫓の上から、見張りをしていた青年が叫ぶ。
「あ、あいつだ! スレカが来た!」
「大勢いるか?」
「一人だ!」
「……俺達を全滅させた役付きだよ」
シン青年の怯えた声が聞こえた。
「とにかく、お前達は仲間を守れ。行け、シン」
「はいっ!」
さて。役付きが一人でお出ましとは。いつもこちらから乗り込んでいくので、迎え撃つというのはノムザ以来か。アクティブな幹部みたいだ。
村人と耳かき部隊、医師団らを避難させ、私達は村の入り口の方に向かった。
緑豊かな田園風景の中の、荒い舗装の街道を、一人の男が近づいて来る。堂々としたその歩き姿。かなりの大柄だ。
刑事スキャン始動。身長百九十~九十三、非常に筋肉質なので体重は百以上はあるだろう。腕に銀色に光るウロコ。蛇族のようだ。繊細そうな細身の多い蛇族とは思えない大柄だ。顔や頭髪は見えない。顔を覆うように布を被っているからだ。
すたすたと凄い勢いで歩いて来た男。
「村には入らせないぞ」
私が前に出ると、他の五戦士とゲンも続いた。ルピアはちょこっと下がらせてある。
立ち止まった男は、私に向って言う。
「女、何奴?」
何奴って……なんか低いいい声で時代掛かった言い方で言われても。
「私は東雲麻友花。デザールから、大女王を倒しに来た」
「ほう。貴殿が噂に聞く女戦士か」
男がばさっと顔に被っていた布を取って投げた。
「うっ!」
「我が名はスレカ。スレカイアという。女王様の城には行かせぬ。伝説の女戦士、ここで我が斧の錆となるがいい」
時代劇みたいな重々しい声と共に、鈍く銀色に光る戦斧が目の前に突き出された。名前にイアとつくと言う事は第一階級!
斧はそう大きくは無い。飾り気の無い少し長めの無骨な持ち手とヘッドはコンパクトな両側に大小大きさの違う蝶型の刃。トマホークというやつだろうか。
それより、何が怖いって、しゃーっとかいいながら舌ちろちろさせてる事なんですけど! 顔が怖いんですけどっ! こいつも先祖返りなんですけどぉ!




