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ちょいと偉人に会ってくる  作者: 鈴木ヒロオ
夏の末、秋のきっかけ

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213/229

そこはかと心情は

 そこはかと心情は、翁から仙人へと移ろい、隣に腰かける気配を消した若い仙人にのんびりと尋ねる。


 「花里は、雄鶏の一羽一羽に壱、弐、参と呼び掛けていたが、するとあの一番大きな黒い雄鶏がなのか」


 真之介は静かに首を横に振り、名前はついていないと言う。


 名があるのは雄の三羽だけで、黒い雄鶏と雌鶏には名は付けていないと話す。


 座る縁側の陰から、真之介は光の明るさに目を細めていた。


 その視線の先では、三羽の雄鶏がせわしなく餌を啄んでいる。


 花里と同じように、真之介もその姿を優しげに見つめていた。


 俺は小さな疑問を覚えながら、誰が名をつけたのかそろり尋ねる。


 真之介は、何故か嬉しそうに、花里が一羽一羽を吟味して名付けたのだと、口元に笑みを浮かべて答える。


 黒い雄鶏が胸を張り、羽根をばたつかせて、他の雄鶏を威嚇する。


 俺の心に雨雲が湧き、ぽつりと一つ染みとなる。


 空は晴れ渡り、その下で若鶏たちは濃い影を地に映す。


 俺の心は晴れぬまま、名の由来を恐る恐る尋ねる。


 ごくり。


 真之介は喉を一つ鳴らす。


 俺もまた、乾いていない喉を鳴らす。


 真之介は、直接、名の由来を語らず、雄鶏の生態について語り出す。


 群れに雄が複数いると、雄同士は本能的に序列を決めようとする。


 ひよこでいる間は良いが、成長するにつれ、くちばしで突く、羽ばたいて威嚇するなどの小競り合いが始まる。


 特に強い雄が雌を独占しようと他の雄との衝突が増え、執拗に追い回す、羽をむしるなど、怪我になる。


 さらに雌が少ないと、雄同士の争いはいっそう激しくなる。


 つまり、今の雌の数では一羽の雄で十分だと話を締める。


 一羽の雄が、まだ慣れぬのか、未熟な声でひとつ鳴く。


 真之介は声音こわねも変えず、無慈悲に告げる。


 名は食べる順番であると。


 

 俺は気が付かない内に、桃源郷からディストピアにさらわれていた。


 俺の中で劇的な常識と価値観の転換が起きる。


 風景が反転する。


 花鳥風月に、さめざめと袖を濡らす俺の知る花里は、どこにいる。


 あの慈しみの優しげな眼差しは、一体何だったのだろう。


 すんすん。


 それは命の匂いを嗅ぐのではなく、食の匂いを確かめていたのか。


 小六の励ましの「早く大きくなれ」は、食への期待だったのか。


 じゅる。


 小六の唾を啜る音が、聞こえてくるような気がする。


 ごくり。


 すると、隣で真之介が喉を一つ鳴らした理由は、そこだったのか。


 点と点がつながる。


 俺は軽い眩暈を覚える。


 

 仕事に戻る真之介の後ろ姿を見送る。


 若い仙人の姿はもういない。


 俺は縁側に座ったままでいる。


 俺は一炊の夢を見ることもなく、ましてや微睡まどろむこともなかった。


 仙人は翁に戻り、やがて俗世の凡夫ぼんぷとなる。


 ここには月を愛でるかぐや姫は存在せず、ましてや玉手箱を渡す乙姫もいない。


 天女は食に羽衣はごろもを忘れて鬼女となり、渇望と貧欲の小鬼が二人、脇を固める。


 黒い雄鶏が命拾いしたことを知らず、蹴爪けづめで辺りをおどす。


 誰にも気が付かれぬよう、小さく名を呟く。


 死から生還したゆえの、「拾い」。


 名を呼ぶと、じんと温かくなる。


 ツクツクボウシがつくづくと命を憐み鳴いている。



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