第86話 フェン vs サルヴァトール
「それでは、はじめ!」
決闘が始まった。
審判の先生の号令と共に、両者とも杖を構える。
最初に動き出したのは、無詠唱で魔法を発動できるサルヴァトールだった。
サルヴァトール家は、現魔法界の最上層に君臨する名家。
その血統は圧倒的な魔法の才能と不可侵の力の象徴だった。
高火力かつ、大迫力の魔法を次々と放出し、その壮絶な攻撃の度に観客席から歓声があがった。
その魔法に対し、相手側————ニルヴァータはどうしたのかというと。
魔法防御を前方に展開し、ただ防御に徹していた。
「またか……」
サルヴァトールは相手の滑稽な様子に、鼻で笑う。
ニルヴァータは魔法を打ち返すでもなく、避けるでもなく、ただ防御を続けている。
サルヴァトールの高火力魔法の連続遠距離攻撃に対し、為す術がないようだった。。
「前回の雑魚と全く同じではないか……口ほどにもない」
一方的な展開に、サルヴァトールの嘲笑の笑みはさらに深まる。
拍子抜けだが、元より力の差のある魔法使いの戦いはこうあるべきなのだ。
弱者が這いつくばり、強者が見下す。
私の魔法に対応策もなく、そこで姿勢を低くして防御に徹しているその姿は、弱者そのものではないか。
いや————そもそも、この距離で魔法を連発できる私が、卓越しているのだがな。
あの忌々しい一位と二位に目が眩んでいたが、やはり私は強者なのだ。
余裕を見せつつ、魔法を撃ち続ける。
「このまま押し潰してやろう! 貴様はそこから一歩もこちらに来られない!」
勝利を確信したかのような高笑いが黄金の決闘場に響き渡る。
魔法を繰り出し続け、相手は防御を続ける。
この膠着した攻防がしばらく続いた。
雨脚が少しずつその勢いを増していった。
魔法が発する断続的な轟音と、雨粒が屋根に叩きつける音が、静寂に亀裂を入れていく。
決闘が始まってから、3分が経過しようとしていた。
あまりに変わり映えしない状況に、観覧に来た生徒達も誰も声をあげなくなっていた。
何をしているんだ、こいつは……?
さすがのサルヴァトールでさえ、微かな疑念に囚われ始めていた。
目の前の相手はまるで彫像のように動かない。
傘を差したまま、低い姿勢で魔法防御を続けている。
明らかに常軌を逸していた。
状況自体は三日前の決闘と似ていたが、以前の相手には、こちらに攻撃をするために前に進もうとする意思があった。
だが、今目の前にいる相手には、その気配さえ感じられない。
それに加え、あの傘。
決闘が始まったにも関わらず、開いたままで大事に持っている。
魔道具の類かとも思っていたが、使用する素振りは一切ない。
何がしたいんだ……?
まさか————何か、罠を仕掛けているのでは……?
そう思い至ったサルヴァトールは警戒度を上げた。
魔眼を使用して周囲を見渡し、危険な魔法物質がないか索敵した。
罠があるならすぐに気づけるはず————いや、違う!
ふと、サルヴァトールは観客達の異変に気づいた。
さっきまで雨を気にしていなかった観客達が、一斉に悲鳴を上げて屋根の下に避難しているのだ。
何から逃げている?
サルヴァトールは神経を集中させて魔眼を凝らした。
すると————上空から降り注ぐ雨粒、その一つ一つに魔力がこもっていた。
「!?」
サルヴァトールは咄嗟に自分のローブを見ると、その一部が溶け、消えて無くなり始めていた。
間違いない。
酸の雨————『アシッド・レイン』だ。
サルヴァトールは即座に酸に侵されたローブを脱ぎ捨て、全身に魔法防御を展開する。
球体上の防御壁がサルヴァトールを覆い、酸の雨から身を守ったのである。
「こんなことで私を傷つけられると思ったのか……くだらん!」
『アシッド・レイン』は水属性の魔法で、水分に魔力を持たせ、酸性と化した雨を降らせる。
これは中級————いや、低級魔法だ。
雑草除去や虫駆除などにしか使用されないと、授業でも言っていたほどのクソ魔法だ。
それをこの私の前で行使するとは————
その事実に神経が逆撫でされる。
怒りが全身を席巻し、魔力が激しく渦巻き、サルヴァトールの魔法はさらに激化した。
かつてないほどの威力で相手の魔法防御に衝突し、眩い光が空間を引き裂く。
それに呼応してか、酸の雨の量が一気に増えたような気がした。
そんな魔法をいくら増やしたところで、私の魔法防御を破れるはずがないだろう。
このゴミが————
激情に身を委ね、魔法の出力を限界まで押し上げていく。
この程度の策略で、サルヴァトール家当主たるこの私を屈服させられるものか……!
だが————その時。
ふと視線を泳がしたその先。
サルヴァトールの眼差しは突如、観客の中のとある人物に釘付けになった。
そこにいたのは、アイスクラッド・アストラ。
見に来た生徒達に紛れて、『ロード・オブ・ウィザード』であるあの男の存在感は、明らかに異質だ。
たった一瞬の出来事だった。
その時、こちらを見ていたアイスクラッド・アストラの表情は、サルヴァトールの脳裏に深く刻み込まれた。
奴は笑っていた。
ざわつくような、歪んだ笑みを浮かべていた。
いつも振りまいていた爽やかな笑顔とは全く異なる、何か底知れない悪意を湛えた笑み。
模範的な優等生であったあの男が絶対にしないような、悪魔のような笑いに、サルヴァトールの心は酷く揺さぶられた。
何だその顔は……
何を笑っている……?
どうしてこの状況で、この私を見て、笑っているのだ。
私は圧勝しているのだぞ。
見下すのなら、相手側の方ではないか。
やたらと周囲の反応が気になり出し、他の観客の生徒達にも目を向ける。
どの生徒も微妙な反応をしていた。
盛り上がるわけでも冷めているわけでもない。
ただ困惑している。
この圧倒的に有利な決闘の状況に、その反応は似つかわしくない。
雨が勢いよく降り注ぎ、土砂降りになっていた。
サルヴァトールの呼吸が乱れ始める。
高出力の魔法と魔法防御を同時に使用しているため、魔力消費が激しい。
それも相まって、サルヴァトールの体力は明らかに削られていた。
もしかして、私はまだ勘違いをしているのか……?
サルヴァトールは魔法の弾幕を張り続けていたが、ふと感じる違和感が頭をよぎる。
一度、攻撃魔法の発動を停止し、相手の様子を確認しようとした。
すると————
「————い、いない!?」
ずっと魔法を防御し続けていたはずのニルヴァータが忽然と消えていた。
サルヴァトールはずっと誰もいないところに、魔法を放ち続けていたのだ。
観客達の困惑の正体、そしてサルヴァトールが感じた違和感はこれだったのか。
あれだけの弾幕を潜り抜けて、奴は一体どこに行ったのだ……?
サルヴァトールは周囲を索敵する。
しかし、奴の姿はどこにもない。
まさか、逃げたのか?
くそ……この土砂降りのせいで視界が————
いや、待てよ……?
サルヴァトールはここで明らかな違和感に気づいた。
私でさえ、魔法防御を展開しながら、魔法を撃ち続けるのは体力を消耗する。
こいつが私の魔法を防御しながら、バケツをひっくり返したような量の『アシッド・レイン』を生み出せるのか?
そんなはずがない……!
サルヴァトールは地面に注目した。
酸の雨のはずなのに、地面にできた水たまりが消えていない。
酸の雨なら蒸発するはずだ……ということは————
『アシッド・レイン』が普通の雨に変わっている。
つまり、これは天然の豪雨で、『アシッド・レイン』を使用していたのは最初だけだったのだ。
全てはサルヴァトールの体力を消耗させるための奴の策略————
何とこざかしい。
あまりに弱い者の発想だ。
魔法使いは正当に、正面から魔法を打ち合うべきだ。
そんな私の戦い方を侮辱するような戦法。
不快だ……不快すぎる……!
決めたぞ。
この土砂降りの間にどこに隠れているのか、あるいは逃げたのかは知らないが————
必ず見つけ出して、痛めつける。
泣いて詫びようと、この私の恐怖を植え付けるまで続ける。
前回のあの雑魚も、一緒にいたあの女もついでだ。
なんならCクラスの全員に罰を与えても良い。
今は右にも左にも、後ろにも見当たらないが、必ず見つけ出してやる。
この私を怒らせたことを、後悔させてやる————
サルヴァトールは怒りに燃え、鬼の形相を浮かべていた。
降っているのは通常の雨である以上、魔法防御を展開しておく意味はない。
サルヴァトールは魔法防御を解除した。
その瞬間————
サルヴァトールは宙を舞っていた。
「……!?」
脳が後頭部から飛び出しそうな衝撃が顔面を襲い、身体は無重力状態で空中に投げ出される。
そしてどういうわけか、天には青々とした晴れ渡る空が広がっていた。
何倍にも引き伸ばされた一瞬を感じた後、サルヴァトールは地面を転がった。
「……ごはああっ!!」
地面に叩きつけられ、手に持っていた杖がどこかに吹き飛ばされる。
そして、尋常じゃない顔の痛みが、サルヴァトールを襲った。
今……何が起こった?
なぜ、この私が地面に倒れている?
この顔面の痛みは……この赤い液体はなんだ?
これは、私の血……なのか……?
混乱するサルヴァトールは、ここで初めて自分が殴られたことに気づいた。
「な、なぜ……?」
痛みで朦朧とする意識の中、サルヴァトールは疑問を口にした。
どうして貴様がそこに立ち、私は倒れ伏している。
私の魔法は全くと言っていいほど負けていない。
こざかしい魔法に翻弄されたが、魔法戦において私は圧倒していたはずだ。
それがどうしてこうなった?
どうして消えていなくなったはずの貴様が、すぐ隣にいる!?
そして————どうして、土砂降りだったはずの天気が晴れている!?
その答えを、目の前のニルヴァータは一言で説明した。
「幻惑魔法だ」
ニルヴァータの回答に、サルヴァトールはぽかんと口を開けた。
「最初の『アシッド・レイン』で魔法防御を展開したのを確認して、こっちは別の魔法を発動した。お前の魔法防御の上から幕を張るように魔力を込めた液体を降らせたんだ————お前の防御内にだけ適用される簡易結界を貼って、そこで嘘の情報を流したのさ」
魔法名は『ファントム・フィールド』
魔力による領域を展開し、中にいる対象者に幻覚を見せる魔法。
これはサルヴァトールでも行使することができない、高難易度魔法であった。
ニルヴァータは幻惑魔法で、サルヴァトールに土砂降りの雨の映像と、緑色の服装をした人物を透過するという仕掛けを行っていたのだ。
「簡易結界に閉じ込めた後、馬鹿みたいに虚空に魔法を撃っているお前に忍び寄り、お前が魔法防御を解くのを待っていた————その頃には、雨も上がって、虹が見えていたぜ?」
「な、なんだと……?」
サルヴァトールは愕然とする。
私は、この男に騙されていたのか。
こんな騙し討ちような勝負があっていいのか?
魔法使いとして、明らかに実力の差があるはずのこの男に、知恵の差で、負けた……?
屈辱と衝撃が、サルヴァトールの全身を震わせた。
地を這うようにして後ずさるサルヴァトールに、ニルヴァータは静かに語りかける。
「悪く思うなよ? 勝負は勝負だ————お前が僕達を見下してさえいなければ、こんなことにはならなかったはずだ」
「ま、待て……!」
拳に魔力を集中させながら、ニルヴァータは言い放つ。
その表情は慈悲も容赦もない。
弱った敵を討ち滅ぼそうとする狩人のような目だった。
サルヴァトールの制止の声も、まるで聞き入れない。
「これは————僕の友達が教えてくれた魔法だ。これでショーイが味わった痛みを思い知れ……!」
「や、やめろおおおおっ!!」
サルヴァトールは顔を歪め、必死に叫ぶ。
しかし、ニルヴァータは聞く耳を持たず、その魔法の拳を振りかぶった。
その瞬間、彼の意識は暗闇へと消え去った。
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