第53話 吹雪の帰還
「まもなく、当主様がお帰りになります」
ジンが言葉を発した瞬間、空間全体が張りつめた。
さっきまで微かに聞こえていた風の音さえも消え去り、まるで世界そのものの時間が止まったかのようだった。
一体、何のことか分からずに黙っている『ラウェルナ』側のメンバー。
その一方で、アストラ家側の者達は、目に見えるほどの緊張をその身体に走らせ、焦燥感が表情の端々に滲み出ていた。
「リーヤ! ミュガ! シーナ! すぐに当主様をお迎えする準備をしろ!!」
「はい!!」
カルメロがとてつもない気迫で叫ぶ。
彼のその一声に、使用人達はまるで弾かれたかのように即座に反応し、足早に部屋を出ていった。
カルメロの姿も、その後に続く。彼の背中には、重圧が滲み出ていた。
「お母様が……!」
セラフィリアの表情にも緊張が満ち、額に汗が滲む。
どうしてこんなにも急にお帰りになられるのか。
魔法の研究で数年は帰られないという話だったはずだ。
次に帰ってきた時には、次期当主を正式に決めるとも。
もう次の当主を決められたとでもいうのか。
いや————違う。
このタイミングでお母様が帰還する理由は明白だ。
セラフィリアはちらりと円卓の奥に座る黒い男を見やる。
「おうおう、なんだぁ? 誰が帰ってくるって?」
リック兄弟の兄、ジャレッドが肩を竦めながら問いかける。
その無頓着な態度は、部屋の重苦しい空気を軽んじているかのようだ。
事態を何一つ把握していないのは、アイスとリルも含めて『ラウェルナ』のメンバー全員だ。
ジンは冷静そのもので、無表情にその問いに答えた。
「このアストラ家の当主、すなわち、伝説の魔女と謳われるお方がここに戻ってこられるのです」
2000年の時を生き、古くから畏怖の対象とされていたアストラ家という魔女の家。
英雄達と魔王による戦乱の中でも強大な力を示し、今でも伝説の魔女というその異名が、このヴァイ・セヴァルトの地に誰も寄せ付けないようにしている。
「へえ、要は魔女の親玉ってことかよ————いいこと思いついたぜ兄貴」
「ああ、弟よ。多分俺も同じこと考えてたぜ」
兄弟の二人は顔を見合わせて笑みを浮かべる。
そして、息を合わせてお互いが考えていることを言った。
「「そいつを潰せば、俺達がこの家を牛耳れる!!」」
リック兄弟はそう宣言した。
この身の程知らずな悪党は、事もあろうに伝説の魔女を手にかけようと言いだしたのだ。
「き、貴様ら! お母様に少しでも失礼な態度を取ってみろ! すぐに焼き殺してやる」
「はっ! 上等だ! この家のボスを俺達で潰せれば、少しはこの生意気なガキも大人しくなるだろうよ!」
セラフィリアの怒りに対し、リック兄弟はその言葉を嘲笑で返す。
再び、お互いの獲物を向け合って、臨戦体制となった。
お母様に楯突こうなど断じて許されない。
このような下賤な輩に、アストラ家当主が低く見られるなどあってはならないことだ。
「————まあ、いいでしょう」
しかし、ジンは驚くほど冷静に、リック兄弟の無礼をあっさりと許す。
その声は、冷ややかでありながら不気味なほど落ち着いていた。
「ジン! なぜだ!」
「いずれにせよ。賢者様とそのお友達は、当主様にご紹介しなければなりません。どういう形であれ、ね?」
ジンの声には氷のような冷たさが含まれており、唇の端には冷笑が浮かんでいた。
その表情がどんな感情なのかは全く読み取れず、何を考えているか分からない怖さがある。
一体何を企んでいるのだ……?
「それでよろしいですね? 賢者様」
彼女は視線を円卓の最も奥に座る男へと向け、静かに問いかける。
アイスはその問いを聞いて、少し間を置いた後、口元に微笑みを浮かべた。
「断る理由がねえな。伝説の魔女とやらに会ってみようじゃねえか————異論はねえな野郎ども」
「おい、あたしを野郎にカウントするんじゃねえよ」
「あら、私もいるのよ」
女性陣がアイスに抗議する。
だが、全員異論はないみたいだった。
ジンはその後、セラフィリアに目を向ける。
「セラフィリア様はお支度を願います。当主様は『些事を片づけてすぐに帰る』とおっしゃっていましたので、転移魔法ですぐにお帰りになられるでしょう」
「……ああ、分かっている」
あまり納得いっていないが、セラフィリアも杖を収める。
お母様が久しぶりに帰ってくるのだ。
セラフィリアも心の準備をしなければならなかった。
「それでは正面玄関へ、ご案内します」
*
「な、なんだこりゃあ……!?」
リルが信じられない光景に瞠目していた。
無理もないだろう。
リル、そして『ラウェルナ』のメンバーの前に広がっていたのは————
猛吹雪の雪景色であった。
「冗談じゃねえぜ……ついさっきまで雲一つない快晴だっただろうが。そもそも今は、このパーカーすら脱ぎたくなるほどの夏の気候だったんじゃねえのか?」
リルは寒さに身を震わせながら、疑問を口にする。
彼女の言っていることは何も間違っていない。
わずか数分前まで、空には一片の雲もなく、太陽が燦々と輝いていた。
それが今や何もかもが一変し、凍えるような冷気が辺りを支配している。
こんな不条理は、魔法の為せる技だ。
「来たぞ……お母様だ」
セラフィリアは空中を指差す。
その視線の先には、吹雪を吸い上げるような寒気の塊が、目に見える形でそこにあった。
吹雪の中に現れた冷気を纏う風が、異様な存在感を放つ。
生きているかのように渦を巻き、見る者に恐怖を与える。
空気が凍りつくほどの冷たさは、まるでその塊自体が周囲の温度を奪っているかのようだ。
しかし、そんな以上事態に構わず、横にいた狂犬達が走り出した。
「先手必勝ってやつだ! 行くぜブラザー!」
「おうよ兄貴!」
猛吹雪の中、二人はためらいもなく玄関を飛び出す。
白銀の世界に飛び込み、風が切り裂くように吹きつける中、渦巻く風の塊に突進していった。
視界が奪われるが、兄弟はその先にいる敵を見失うことはない。
「あいつら————」
「待て、セリー」
杖を振るって追いかけようとしたセラフィリアをアイスが止める。
アイスの視線は、その冷気の塊に釘付けになっていた。
「こいつは、ちとやばそうだな……」
笑みを浮かべてはいるが、この世のものとは思えない光景に動揺を隠せていない。
黒眼鏡の隙間から見える瞳は、ほんの少し陰っているように見えた。
「はっはっはぁ! 早く降りてこいや! 伝説の魔女とやらよぉ!」
リック兄弟は銃を乱射しながら突き進んでいく。
しかし、これだけ弾丸を撃ち込んでいても、全く手応えがない。
冷たい風が彼らの弾丸をも凍らせるかのように、音が吸い込まれていく。
そんなことは意にも介さず、狂犬達は渦巻く風の中心地へと辿り着いた。
「撃ち落としてやるぜ————あれ?」
初めて、リック兄弟の動きが止まった。
再度、引き金を引こうとした瞬間、異変が起こったのだ。
銃が重くなり、引き金が動かない。
思い通りに動かない自身の右腕を見ると、腕全体が徐々に凍りついていた。
「あ、兄貴! 足が————」
弟のアイザックの動揺した声に振り向くと、足がみるみると氷に覆われていく光景が目に飛び込んできた。
それはゆっくりと、しかし、確実に支配されていく。
足から腰、腹へと凍りは広がり、ついには全身を氷が覆い尽くした。
そしてそれは、自分の体も同じ————
「あ————————」
もはや悲鳴を上げることすらもできなかった。
冷気の塊が兄弟の上に落ち、凍てつく空気が二人の体を包み込む。
瞬く間に氷は彼らの筋肉と内臓を侵し、彼らは生きたまま氷像へと変わり果てた。
そして、寒気の塊は静かに消え去る。
そこに現れたのは、二つの氷像と一人の魔女だった。
黒いローブが風に揺れ、長い赤髪が冷たい空気に舞う。
彼女の冷ややかなエメラルドの瞳が周囲を見渡し、その視線は鋭く、まるで世界を支配するかのようだった。
「あれこそが伝説の四大魔女が一人、『絶対零度』」
通り名が目の前の光景の全てを物語っていた。
ジンが目の前の存在の真名を告げる。
「アルファ・エルケーニ・アストラ、あれこそがアストラ家の当主様です」
読んでくださりありがとうございます。
今作を読んで、なんかおもろそうやんと少しでも思ってくれたら↓の★★★★★を押して応援してくれると嬉しいです!
ブックマークもお願いします!
あなたの応援が、作者の更新の原動力になります!
よろしくお願いします!




