秋東の仇敵
「……決闘宣言、された」
すっかり片付いた部屋で、床にあぐらをかいた吉野はぼそっと言った。
片付いたというか、物がほとんどなくなっていた。本当に必要最低限の家財以外は廃棄されてしまった。いや、それでも秋東らが帰ってからゴミ捨て場から回収すればいいかなくらいに思っていたのだが、あろうことか秋東はトルクシュタインに命じて、ゴミを全て光で灰にしてしまったので、回収しようにもゴミ捨て場には灰しか残っていない。
半ばやけっぱちに、この部屋ってこんなに広かったんだな、と思うくらいである。
「決闘? 何それ」
自身の掃除の成果に満足しているらしい秋東は上機嫌に、どこから取り出したのか紅茶のセットを用意してひとりで紅茶を嗜んでいる。
「随分と古臭いのね」
「まあ、それは俺も思うけど……何だっけ、向日・相馬とか名乗ってた。知ってるか?」
「うん? さあ……知らない名前ね」
小首を傾げる秋東は、本当に初耳のように見える。しかし、確かあの向日とか名乗った少年は秋東のことを知っていたようだったが。
「そういえば、『翔光』って何だ?」
ことのついでに、思い出したので訊いてみる。と、秋東は途端に苦い顔になった。
「何それ。誰から聞いたの」
「いや、それもその向日って奴からだけど」
そう、と秋東は思案するように視線をさまよわせ、しかしすぐに諦めたように吐息した。
「協会がつけるコードネームよ。一定以上の実力を持つ人形遣いに、協会はそうやってコードネームをつけて管理、観察するの。――自称じゃないから、勘違いしないでよね。なに、そいつ、協会の関係者だったの?」
どうやらそのコードネームが相当嫌いらしい様子の秋東に、ああ、と吉野は頷く。
「そうみたいだった。ただ、本人の目的はセネカじゃないとか何とか……秋東さんの騎士、とか何とか名乗ってたけど、本当に知り合いじゃないのか?」
「私の騎士? 何それ、気持ち悪いわね。そんなの――」
本気で気味悪げだった秋東の言葉が、ふと止まった。え、ちょっと待って、と独り言のようにぶつぶつと言うと、不意に目が見開かれ、
「あ――――!!」
「っとびっくりしたあ……何だよ、急に叫ぶなよ」
文句を言う吉野に構わず、秋東は頭を抱えて天を仰ぐ。
「思い出したあ――――! 思い出したくなくて無理矢理忘却してたのも思い出した! 向日・相馬! あいつかあ――――!」
「え、何なの、やっぱり知り合いだったの?」
初めて見る勢いに気圧されながら吉野が問うと、秋東は髪を振り乱しながら、
「ストーカーよストーカー! 何年も前から私に付きまとってきてた優男! ここ半年は私も全力で警戒してたし、そのお陰かあんまり見ることもなくなってたからやっと解放されたのかとも思ってたけど……そうじゃなかったのね……!」
拳を握りしめてぶるぶると震える。その剣幕に、吉野はたじろぐしかない。
「し、知り合いなんだな? どういう奴なんだ」
「冗談じゃない! あんな奴、誰が知り合いだ……どういう奴っていえば、見たまんまよ。あんたも見たんでしょ? ナルシストよ!」
「ああ、まあ、それは……確かに」
何か言うたびにポージングが付随するあたりに、そんな印象はあったが。
「秋東の騎士、っていうのは?」
「あいつが勝手に言ってるだけよ! そんな気持ちの悪いもの、認めるわけがないでしょ。近づいて来たらトルクで塵も残さず焼却してやるんだけど、あいつ、トルクの射程距離にはなかなか入って来ないのよね……」
本気で歯噛みしている。先日戦っていた間にも見なかった表情だ。正直、あの戦闘中にこの顔をされていたら、吉野は全力で逃走したのではないかというような凄絶な顔である。
「き、協会の所属だって言ってたけど」
「それは初耳ね。少なくとも半年前まではそんなことになってはいなかったから、私が見ないでいたうちに加入したんでしょ。……ま、実力は確かだから、悪いようにもされないだろうしね。協会に所属することによるメリットだってバカにならないし」
「実力が確かって、あんたが言うくらいなら……あの向日って奴にもコードネームがあるのか? あんたの『翔光』みたいに」
秋東のコードネームを口にした吉野を、ぎろりときつく睨み「私を二度とその名で呼ばないで」と語気を強めながらも、秋東は頷く。
「ええ、あるわ。あいつにもコードネームが……それも、恐らく今回、あんたには相当に相性の悪そうなコードネームがね。あいつのコードネームは」
一拍おいて、腕を組み尊大に鼻を鳴らすと、秋東はその名を言った。
「――『人形狩り』よ」
「人形、狩り」
復唱した吉野に、秋東は軽く頷いて返す。
「協会に加入したのがいつからかは知らないけど、『人形狩り』の名はそれよりずっと前からつけられていたわ」
「狩り、ってことは、人形を……ええと、どうするんだ?」
「狩るのよ。――ただし、人形じゃなくて、人間をね」
「人間を?」
そう、と秋東は頷く。
「決闘するって言ったわね。私は絶対に行かないけど、情報くらいならくれてやるわ。あいつのホムンクルスは二式狼型。近接高速タイプよ。全速力を出せば、トルクの光撃ほどの速度は出なくても、それを見切って回避するくらいのことはやってのけるわね」
「それで、相手のホムンクルスを瞬殺して、そのまま人形遣いまで倒すってこと?」
「全然。考えが甘いわ」
そんなに冷たい目で見下ろさなくても、というほどの冷えた目で秋東は吉野を見る。
「あいつはまず初めに、人形遣いを瞬殺しにかかるわ」
「え」
どういうことだ、と見返す吉野に、だから、と秋東は含めるように言う。
「あいつはホムンクルスの高速力で、最初に人形遣いを倒しにかかる。人形遣いが倒れれば、ホムンクルスは何もできなくなるからね。『人形狩り』の人形は、ホムンクルスじゃなくて人形遣いってこと」
「それって、『人形狩り』じゃなくて『人形遣い狩り』って言った方がいいんじゃ?」
「語呂が悪いでしょ」
「え、語呂……? そこなの? 大事なのってそこなの?」
とにかく、と秋東は言う。
「戦闘開始と同時にあんた自身が瞬殺されないように、気を付けることね。私のときみたいに悠長な戦い方は、できないわよ」
「速度、か……セネカ、大丈夫か」
セネカを見る。セネカはと言えば、いつものようにぼんやりとこちらを見返すだけだ。
……うーん。
「ま、何とかなるさ」
「え、ちょっとあんた、そんな安易な」
「なるようにしかならないだろうさ。あんたと戦ったときだってそうだったし、むしろ今回は、あんたに教えてもらえてる分だけ、あのときよりずっと楽だ。――ありがとな」
「んな、べ、別に私は……」
やや頬を赤らめながら仰け反る秋東に、それはそれとして、と間髪入れず吉野は言う。
「決闘にはあんたも来てもらうから」
「……え?」
「連れてこいって言われてるんだよ、あのナルシスト……もとい、向日に。絶対に連れてこいってさ」
吉野の言葉に一瞬唖然とした秋東だったが、その意味を理解していくにつれみるみる表情を失っていき、顔色すらなくして全力で手を振った。
「いやいやいやいやいやいや! 絶対に嫌よ! 何で自分からあの変態の前に行かなきゃいけないの! 死んでも嫌よ!」
凄い勢いでの拒絶である。心底あの『人形狩り』が嫌いなようだ。
しかし……あの向日の剣幕を思い出すと、秋東がいなければ向日の機嫌は著しく悪化しそうである。それで余計に敵を加速させるのは、避けたいところだ。
「そんならその決闘、すっぽかせばいいんじゃない?」
拗ねるように唇を尖らせながら言う秋東に、そんなわけにいくか、と吉野は顔を顰めた。
「向こうからステージを指定してきてくれるなら、それに乗っかった方がこっちとしても戦いやすいんだから。この間のあんたみたいに突然襲い掛かられるよりは、ずっとな」
ぬ、と秋東もやや眉根を寄せる。そのまま口の中でもごもごと何か言っている秋東に、まあ、と吉野は軽く言う。
「あんたとしても、俺とセネカがどうなっていくのかは見ていた方がいいんだろ。もし俺が負けたりなんかすれば、その場でセネカを倒さなきゃいけないんだろうし。ほら、あんたも来るしかない」
「くっ……」
下唇を噛んで唸るが、どうやら秋東にももう逃れる方策はないようだった。




