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その者の名は――

 キリエは、ゆっくりと二度、瞬きをした。  

 その表情が、変わっている。

 直前まで見せていた激しい動揺が嘘のように、平静な顔つきになった。


 彼はおもむろに視線をめぐらせ、自分自身の腕を――素肌が剥き出しになった右腕を見た。

 そこには、本来あるべきはずのものが、なかった。

 仮面舞踏会の夜、《紫のケモノ》からフェリスを庇って負わされた、ケモノの爪による裂傷――


「ああ」  


 小さく舌打ちを漏らして、キリエはかぶりを振った。


「ついうっかりして、忘れて・・・いましたよ」  


 キリエが、フェリスに視線を戻す。  

 それと同時、滑らかだった腕の皮膚に、すうっと赤い筋が浮かびあがってきた。  

 色だけではない。

 その部分に触れてもいないのに、ひとりでに皮膚が裂け、端がめくれ、肉が切れて赤い血が肘のほうへ滴り落ちる。  

 痛みなどまるで感じていないかのように、キリエは微笑んだ。


「これで、いかがでしょう?」


「思いのまま……自由自在に、姿かたちを変える……」  


 フェリスは呟いた。  

 自分自身、それを意識していない。

 これまで意志の力で押し隠していた極度の緊張が、一気に噴き出してきたのだ。


「やっぱり、あなたは……おまえ、は……おまえが《魔性》なのね……?」


「その呼び名は好かんな」  


 ごうっ! と、急に烈風が顔を叩いたような衝撃をフェリスは受けた。  

 目の前に立つキリエの姿は、何ひとつ変化してはいない。  

 変化したのは、その気配だ。  

 膨大な圧力をともなった、息苦しくなるほどの気配を、キリエは発している。

 今、魔術師の目でならば、彼の周囲で渦巻く圧倒的な《光子》の流れが視えるはず。  

 これまで巧妙に《光子》の流れを操り、人間になりすましていた、その偽装をキリエは解いたのだ。


「我らは、オルタス。貴様らオプスごときに、おかしな名で呼ばれることには我慢がならん」


「おぷ……?」


被造物オプス。――《造られしモノ》という意味ですよ」  


 出し抜けに、その場に新たにあらわれた声は、フェリスの背後から響いた。  

 フェリスは、驚かなかった。  

 このことは、昨日のうちに念入りに打ち合わせ済みだったからだ。

《魔性》を相手取るのに、武器もなくたった一人で臨むほど、フェリスは無謀ではない。


「陛下……」  


 ラインスが遺した手紙を読み、フェリスが真っ先にしたことは、皇帝ルーシャ・ウィル・リオネスに真相を知らせることだった。

《魔性》が人間になりすまして闊歩し、自身の宮廷にまで入り込んでいたことを知ったとき、ルーシャの表情は石のようにかたく険しくなったが、口を開いたその声に、動揺はあらわれていなかった。


『そういうことでしたか。不覚、でした。……フェリスさん。それでは、軍議を』  


 帝国の陸軍、海軍、魔術師団のすべてを統帥する皇帝の肩書きは、ルーシャについて言えば、伊達ではなかった。  

 今も、ルーシャは何のためらいも見せず、滑るような足取りでフェリスの隣に並ぶ。  

 驚くほど豊かに波打つ青い髪が、同じ色のゆったりとした衣の上に流れていた。  

 武器も持たず、防具も身に着けず、側近くに護衛さえも連れていない。

 とても戦いに臨む姿とは思えなかったが、皇帝の顔にはいかなる種類の恐れも、焦りもなかった。

《魔性》という強敵を前に、さすがに引きつりかけていたフェリスの表情が、ふっと緩む。


「《被造物》ですか? ……ちょっと。こっちこそ、おかしな名で呼んでもらいたくないわね!」  


 ことばの後半は、キリエに向けたものだ。


「キリエ・フラウス」  


 ルーシャが、ゆったりとした口調で呼びかける。  

 その口調は、キリエが将来を嘱望される青年貴族であり、皇帝の忠実な臣下であったときと、まったく変わっていない。


「ずいぶんと長いあいだ、わたくしを欺いてくれましたね。あなたには、色々と期待していたのに、残念ですよ」


「これは、皇帝陛下」  


 キリエの顔に、笑みが浮かんだ。  


「あなたからの信頼は、良い隠れ蓑になりましたよ。

 オプスの真似ごとをするなど、耐え難い屈辱ではあったがね」


「耐え難いなら、我慢してないで、とっとと正体・・をあらわしたら?  

 そんなふうに、いつまでも人間のふりなんかしてることないじゃない」  


 フェリスは、極力、軽い口調で言った。

 もしも、伝承が、半分ほどでも真実を伝えているとするならば――

《魔性》が持つ力の凄まじさは、人間の及ぶところではないはずだ。

 それでも、勝算はあった。

 いささか心もとない確率ではあったが。  

 ともあれ、実際に相手の力を引き出したところからが、本当の勝負になる――  

 だが、キリエは、嘆かわしげに両腕を広げただけだった。


正体・・だと? たった五百年年で、これほどまでに何もかも忘れ去っているとはな。その愚かしさが、オプスらしいと言う他ない」  


 意味が分からず、フェリスが沈黙していると、彼は自分の胸に手を当て、続けてきた。


「この姿が『オプスのふり』だとでも思っているのか?

 これは、我らオルタスの、本来の姿。

 貴様らオプスの、その姿こそが、我らオルタスのかたちに似せて造られた・・・・・・・ものなのだ」


 さらりと口にされた、そのことばの内容がフェリスの意識にしみとおるのに、しばしの時間を要した。


「……は?」


『オルタスのかたちに似せて造られた』と、彼は言った。

 それは、つまり――


「あたしたち人間が……《魔性》に、似せて……造られた?」  


 この世界で――いや、少なくとも、この時代に生きる人間たちの中で、このような考えを持つ者は、この瞬間まで、おそらく一人もいなかったに違いない。

 フェリスは、目を見開いていた。

 書物や舞台に登場する《魔性》たちは皆、蒼白い膚に鉤爪、ねじくれた角、蝙蝠に似た翼を持つ、異形の姿をしていた。

 人間世界にひそむとき、彼らは巧みに《光子》を操って姿を変え、人間そっくりに化けるのだろうとフェリスは考えていた。


 だが、真実は……そのだったというのか?

《魔性》が、人間に姿を似せているのではなく……

 人間の姿こそが、《魔性》に似せて、造られたもの……?


「その通り。貴様らオプスという種族は、我らオルタスが生み出した、我ら自身の矮小なる複製・・よ。

 我らオルタスの肉体の組成から、変身能力、再生能力をつかさどる部分を取り除き、かわりに、寿命と生殖能力とを与えた。

 勝手にいくらでも殖えるのだから、便利なものだよ。

 身体能力、思考力、魔力――全てにおいてオルタスよりも劣るものとして造られた、奴隷としての種族!

 五百年前の戦で我らの力が衰えさえしなければ、貴様らなどに、この星を支配させはしなかったというのに」


「あたしたち人間が……あんたたち《魔性》によって、造り出された存在だって言うの?」  


 フェリスにとっては、にわかに信じがたい話だった。  

 彼女たちが語り伝える神話によれば、人間は、創造神である男神オーリと、女神イーレによってこの世界に生み出された存在であるはずだ。

 やがて創造神たちが去り、護るもののなくなったこの世界に《魔性》が来襲して、暗黒の時代が始まった――  

 そして《大戦》が起こった際、人々の祈りに応えて、オーリとイーレの子らである神々、《翼持つ女神》をはじめとした十二柱の神々が降臨して、滅びのふちに立とうとしていた人間種族を救ったのだと。


「陛下……」  


 フェリスは思わず、隣に立つルーシャに呼びかけていた。


「本当、なんですか? こいつの言ってること……」  


 神話や、古代の歴史に関して、フェリスには、グウィンの講義をいいかげんに聞き流していた程度の知識しかない。

 キリエが大嘘をついてこちらの動揺を誘おうとしているのか、それとも真実を語っているのかの判断など、つくものではなかった。


「そのような説をとなえる者たちがいるという話は、聞いたことがあります。  

 ですが、わたくしは皇帝として、そのような説を容認してはいません」


「おまえたちの祖先は、真実を知っていたぞ。

 だが、寿命を持たぬ我らオルタスとは違い、オプスは生殖により子孫を残し、死ぬ。

 世代交代するごとに、過去の情報は失われてゆく。

 不完全な、あるいは歪められた伝達によって、以前の出来事は簡単に忘れられ、あるいは、誤ったかたちで流布していく――」


 貴重な伝承が失われることを嘆く学者のような口ぶりで、キリエは言った。


「三百年ほど前には、もうすでにオプスどものあいだに間違った説が蔓延していたものだ。オプスこそが、この星にもともと・・・・住んでいた種族であり、そこに我らオルタスが現れて、彼らを弾圧しはじめたのだ――とな」


「星……?」  


 フェリスには、キリエが言っていることの半分も理解できなかった。  

 ルーシャは、無論フェリスよりは深く理解できているのだろうが、それによってどんな感情を抱いているのかは、その表情からはまったくうかがい知ることができない。


「まあ……」  


 やがて、ルーシャは小さく肩をすくめ、言い放った。


「とりあえず今は、そんなこと、どうでもよろしいのですけれどね」


「……何だと?」


「確かにっ!」  


 ルーシャのことばを受け、フェリスは、ばしっ! と自分の手のひらに拳を打ちつける。  

 その拳を開いて、キリエに、真っ向から指先を突きつけた。


「大昔に、何がどうしてどうなった……なーんてことは、今、あたしがあんたをブッ倒すのを遠慮する理由には、全然ならないからね!

 あんたが、ラインスさんや、他の人たちにしたことを、あたしは絶対に許せない。

 キリエ・フラウス! あたしは、あんたを倒す!」


「倒す?」  


 キリエの口元に、あわれむような笑みが浮かんだ。  

 完全武装の戦士が、木の棒を振りかざして突進してくる子供を見るような目で、彼はフェリスを見ている。


「私を? おまえが?」


「キリエ・フラウス」  


 驚くほど悠然とした口調で、ルーシャが言った。


「人間種族は、この五百年の間に進歩したのですよ。

 己の力に慢心し、無為に過ごしてきたあなたとは違ってね」  


 キリエの表情が歪んだ。


「それはどうかな?」  


 そのことばとともに――

 様々なことが、同時に起こった。  


 ざわっ! と、辺りの空気が、一瞬にして変質するのをフェリスは感じた。  

 それは聴覚や視覚のレベルではない変化で、あえて言うなら皮膚感覚――

 ざらついたような、という表現が、一番あたっている。  

 それは、フェリスにとってはなじみのある感覚――

 戦場の空気感に、とてもよく似ていた。


「まだです」  


 反射的に、皇帝を庇うように前に出たフェリスを制し、ルーシャはなおも悠然たる態度で、周囲に視線をめぐらせる。  

 やがて、遠くから、いくつもの叫び声や激しい物音が響き始めた。


(あの、音は……)

 

 フェリスは、油断なく身構えながら、顔をしかめた。

 帝都リオネスの街かどで《顔の無い女神》の神殿の鐘が乱打されている。  

 平時は人々に時を告げ、今、人々に急を告げるその鐘の音は、他の辻々の、もっと小さな半鐘の音と重なり合い、次々に広がっていった。  

 これまで、大火事のときくらいしか鳴らされることのなかった鐘だ。

 市街地で、いったい何が起こっているのか――


「!?」  


 フェリスの視線が、小さく、左右に動く。  

 闇のとばりに閉ざされた周囲から、何者かが、こちらに向かって近付いてくるのだ。  

 なまなましいまでの殺気が、敵の接近を伝えていた――  

 それも、複数。


「まさか……」  


 庭園の芝や砂利を踏み、足音もなく、それら・・・は、闇の中から現れた。

 ヒトのものとは、違う肉体。

 湾曲した鉤爪を備え、鮮やかな紫の毛皮に覆われた、直立した狼にも似た姿。

《紫のケモノ》。

 それが、何体も――


「嘘……! ラインス……さん……!?」


「ああ、確かに、あの者――ラインスに施したのと同じ術だよ」  


 フェリスが思わず漏らした呟きに、キリエの満足げな声が答える。


「『ラインスを紫のケモノに変えた、魔術でも《黒の呪い》でもない方法とは、いったい、何なのか?』  

 おまえが口にした疑問の答えが、これだ。  

 言っただろう? オプスは、我らオルタスの肉体の組成をもとに、変身能力や再生能力をつかさどる部分を取り除いて造り出された種族なのだと。

 私は、その『取り除かれた部分』を、疑似的に復元する技術を開発したのだよ。

 オプスの体内に特殊な細胞・・を埋め込み、増殖させることで、再生や変身といった、我らに近い能力を発揮させる――

 そして、もちろん、その能力の発動は、私の意志によって行うこともできる。

 こんなふうにね」


 空気を震わせ、ケモノたちが一斉に咆哮した。

 底無しの闇が宿ったような、ふたつの穴のような眼窩の奥に、鬼火のような炎が揺れている。


「魔術――《光子》を動かして物質のありようを変えることを、オプスどもはそう呼んでいるが、それとは違う。

 これは科学技術・・・・というものなのだよ。

 おまえたちには、説明したところで、理解すらできぬだろうが――」  


 フェリスと、ルーシャを完全に取り囲んだケモノたちが、じわり、と間合いを詰めてきた。  

 視界に入っているだけで、七、とフェリスは敵の戦力を計った。

 背後にもいることを考えると、実際の数は、おそらく倍以上。  

 いや、市街地の騒乱が、このケモノたちの同類によってもたらされたものであると考えると、その数字は、さらに跳ね上がっていくことになる――


「この技術を実用に耐えるまでに練り上げるには、なかなかの歳月を要した。私は決して、五百年を無為に過ごしていたわけではないのだ……

 だが、まだまだ、研究の余地はある。先の戦争で、オプスどもを掃討するために開発されたウイルス兵器・・・・・・――おまえたちは《黒の呪い》と呼んでいるな? あれのように、感染力を持たせるまでには至っていないのが、目下の課題だ。

 私の手で、ひとりずつ埋め込みの施術をしなければならなくてね。

 さすがに、なかなか手間がかかったよ」


「この……人たち……みんな、元は、人間だったのよね!?」


「無論だ。貴族、商人、男に女――いろいろといたが、だから何だというのだ?  オプスどもはすべて、かつて我らが造り出したモノ。

 創造主が、被造物をどのように扱おうと、構わないではないか」


「ふざけんな! みんな、あんたが《魔性》だと知りながら、その施術を受けたっていうの?」


「馬鹿なことを! オプスどもは、そもそも我らオルタスが今も存在していることすら、知らないのだからな。

 最新の魔術という触れ込みだよ。この術で手に入れることができるものは『思いのままの美しさ』……『若返り』……そして『不老』。オプスどもには、昔から、こういった言葉が呆れるほどによく効く」


「ラインスさんにも、そう言って近づいたの……?」


「ああ、あれには、別の口車を使った。

 御前試合への出場を目指す者どものうち、あれが、もっとも動かしやすそうだったので声をかけたよ。

 あれは、勝利への渇望にとりつかれていたからな。『最強の戦闘能力を手に入れることができる』と教えたら、喜んで施術を承諾した」  


 フェリスの目が、憤怒にぎらりと光る。  

 並の戦士ならば後退らずにはいられなかっただろう視線を受けて、キリエの気楽そうな態度は崩れない。  

 むしろ、フェリスの怒りを面白がるように、彼はにやりと笑った。


「もちろん、恩恵はそれだけではないぞ? 『再生能力』だ。あれには、死にかけている妹がいるという。自分自身で試して、良いものであれば、いずれは妹にも……と、そう考えていたようだな」


「ティアちゃんにも、手を出したのかっ!?」


 フェリスの怒号が爆発したが、キリエはいっそう笑みを深くしただけだった。


「知り合いだったのかね? ……安心したまえ、妹には何もしていないとも。兄のほうは、どうやら私の施した術があまり気に入らなかったらしい。妹には手を出すなと、何度も言っていた――」   


「くそったれが」

 

 グウィンがいれば諫めたに違いない、低い罵声がフェリスのくちびるから漏れる。

 キリエは反応しなかった。

 オプスの娘など、彼にとっては、小さな羽虫一匹ほどの存在ですらないのだ。

 ましてや、今、彼女は剣さえも持っていない。


「ともあれ、ちまちまと動くのには、もううんざりだった。

 ちょうど帝国ではそこの皇帝陛下の目が光っていて、動き辛さを感じていたところだったしな。

 そこで、御前試合を観覧にやってくる各国の大使たちを通じて、他国の軍に、この技術を売り込むことを思い付いたのだよ。

 大使たちには、事前に話を通してあった。その国の軍部に食い込めば、兵士たちにまとめて施術を行い、我が尖兵を一度に、大量に増やすことができるからな」


「そのために……ラインスさんを、実験台に……!」


「実験台? 聞こえの悪い表現だ。せめて、商品見本とでも呼びたまえ。

 そう、あの大舞台で、ラインスの性能を披露するつもりだったが――

 その計画は、君のおかげで台無しになってしまったよ」


「あの家を焼いたのも……おまえの差し金ね」


「無論! 私との関わりを示すような品が残してあったら厄介だ。  

 しかし、まさか帝都警備隊の本部にあったとは、誤算だった。あれは、同僚たちに事が露見するのをひどく恐れていたからな。

 ……まあ、あのように惰弱な精神の持ち主に術を施した、私の人選が悪かったということなのだろう。秘密を抱え切ることもできず、ひそかに手紙などを残していたとは情けない。

 そもそも、オプスごときに、そこまでの働きを期待するのが間違い――」


「黙れッ!」  


 気魄に満ちたフェリスの怒声に、じりじりとわずかずつ間合いを詰めていたケモノたちが、思わずぴくりと身体を揺らして足を止める。


「それ以上……死者を、侮辱するんじゃない!」


「そんなふうに大声を出したところで、どうにもならんよ」  


 フェリスの怒りを、むしろ気の毒がるように、キリエは頷きかける。


「もしも君がオルタス並に、一声で《光子》を動かす力を持っているとでもいうのならば、話は別だがね。

 それに……君たちは、もはや、死者の心配をしている場合ではない」  


 ケモノたちが次々に身を低くし、低い唸りを上げはじめた。

 その姿はまさに、獲物に跳びかかる寸前の野獣のそれだ。


「この者たちを尖兵として、オプスどもを、この世界から駆逐する。今宵は、その記念すべき最初の夜となるのだ。

 当初の計画より、いささか早まってしまったが、それもよかろう。

 再び、我らオルタスの世界を取り戻す。君たちを、その最初のにえとしよう!」


「させませんわ」  


 ルーシャの唇には、この期に及んで、笑みすら浮かんでいる。


「では、どうするというのかな、オプスどもの皇帝よ? 今頃、城内は血の海になっているはずだ。自分の城の中に、いったい何体のケモノが紛れ込んでいたか、知れば驚くだろうよ。

 ラインスは心弱くもためらい、そこの娘におくれを取ったが……この者たちは皆、私の意志で能力を発動させたのだ。私の命令があるまで、破壊をやめることはない。到底、オプスどもの手には負えん」  


 ルーシャの笑みが、いっそう深くなった。


「それは、どうでしょうね」  


 不意に、背後で、激しい爆音が連続した。  

 フェリスは、思わず振り向き――そして、見た。

《輝けるマーズヴェルタ》の白亜の外壁の一角が内側から・・・・吹っ飛び、もうもうと煙が上がるのを。  

 その動きは、あまりにも大きな隙となった。  

 徒手空拳のフェリスに、二体のケモノが、同時に飛びかかる!  


 ルーシャが片手を挙げた。  

 バヂィッ!! と激しい火花が散り、二体のケモノは巨体を数歩分も弾き飛ばされて苦鳴をあげる。


「魔術の盾……」  


 キリエの表情が曇った。  

 ルーシャは、呪文もなしに、ただ片手を挙げる動作ひとつで魔術を使ったのだ。


「あなたも知っているでしょう、キリエ。五百年のあいだ、わたくしたちが、あなたがたを殲滅するために研究を重ねてきたことを。

 成果のうちのいくつかは、あなたも知っているでしょうけれど、それらは、決して、全てではない――」  


 ルーシャは、それきりキリエを無視し、慌てて向き直ったフェリスに向かって微笑みかけた。


「人間種族は進歩しているのです。あの戦の時よりも、ずっと」



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