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恐るべき少女

 対戦の組み合わせは、皇帝その人が神意をうかがう意味で籤をひき、一試合ごとに、その場で決定される。

 ルーシャの白い手が革袋に差し入れられ、出場者の名を刻んだメダルを取り出すたびに、観客のあいだからどよめきが起こった。


「ようし!」


 と、ひいきの戦士が有利と見て喜ぶ者や、


「ちっ、何だよ……初っ端から、やべえなぁ……」


 逆に、応援する相手が強そうな敵とぶつかってしまい、顔を引きつらせる者もいる。

 無論、観客たちが皇帝のすぐ側まで寄り、その手元を覗きこんでいる、などというわけではない。

 観客席の一角――ちょうど貴賓席の真正面にあたる場所に、巨大な一枚岩の断面を磨き抜いた、真っ黒な石板が据えられている。

 大人の男が六人、限界まで腕を伸ばして手をつないだら端から端まで届くだろうというほど巨大なものだ。

 今、その巨大な石板の表面に、ルーシャの手元の様子がめいっぱいに拡大されて映し出されているのだった。


「ねえねえ、お父ちゃん!」


 生まれて初めて御前試合を観にきた幼い少女は、目を丸くして石板を指さし、父親の袖をぐいぐい引っ張った。

 本当に何の身分もない一般市民であっても、この会場に入ることができるのだ。

 ただし、皇帝からの招待を受ける貴族たちとは違い、市民たちの場合は、観客席の収容人数を超えることがないよう抽選によって入場の可否が決められることになっていた。

 今日、ここに座っている彼女たちは、幸運な人々というわけだ。


「お父ちゃん! あれ、どうやってるの? ねえ! あれ、どうやってあんなふうに映ってるの?」


「あれか? うん、あれはな、魔術だ」


「まじゅつ?」


「そうだ。魔術師の人たちが映してるんだよ。皇帝陛下のきれいなお手が映ってるな。……おっ、見てごらん。今度は、別のところが映った。あれは、審判官だ」


 石板に映し出されたのは、試合場の中央に立つ、黄と緑の旗を手にした男だ。

 彼が、御前試合の主席審判官である。


「しんぱんかんって何?」


「どっちが勝ったか負けたか、よおく見て、教えてくれる人のことだ。

 ほら、見てごらん、旗を持ってるだろう。黄色と、緑と。

 あの旗が上がったほうの戦士が勝ちだ」


「やっつけたら、勝ち?」


「そうだよ」


 と、父親はしごく大ざっぱに言ったのだが、実際の勝敗の判定にあたっては、いくつもの細かい規定があるのだった。

 かいつまんで言えば――

 どちらかの戦士が「真剣であったならば致命傷となっていた」と判断される攻撃を相手に加えた場合は、その戦士の一本勝ちとなる。


 また「真剣であったならば相手に手傷を負わせていた」と判断される攻撃を加えれば「有効打」と見なされ、それが幾度か――つまり、真剣同士の戦いであったならば、相手が戦闘不能になるであろうという段階まで――積み重なれば、その戦士の判定勝ちとなる。


 どこまでが「有効打」でどこからが「無効」なのかについても、事細かに決められているのだが、その辺りは、素人目にはほとんど分からないくらいの微妙な条件の差であった。  


 つまり、御前試合の勝敗は、一瞬ごとに移り変わる攻防のさなかで交わされる打撃の軽重、打ち込みの浅さ深さを見極める審判官たちの、目の確かさ、公正さにこそ委ねられていると言ってよい。  


 それゆえにこそ、審判官たちもこの日に備え、出場者たちに負けず劣らずの厳しい鍛錬を積んできている。

 帝国の剣技の最高峰とうたわれる試合だ。

 出場者たちは皆、己の腕に対し、強い誇りを持っている。

 下手な審判を下せば、まず出場者たち自身が黙っていないし、観客たちも石板の映像を通してはっきりと勝負を見ているから、おかしな判定があればすぐさま騒ぎ出す。

 つまり、この場は、審判官たちにとっても、一世一代の大勝負の舞台なのである。


「緑、フェリスデール! 黄、ガイアス! 前へ!」


 緑と黄の旗を手にした主席審判官が、勢い込んで叫んだ。

 途端に、観客席から歓声が上がる。

 それぞれの控え室から姿を現した戦士たち――フェリスとガイアスは、主席審判官の位置から、それぞれ大股に五歩ほどの距離を隔てて向かい合った。


 両者の姿が、石板に大きく映し出される。

 くすんだ黄金色の鎧に身を包み、兜をかぶったフェリスと、黒光りする鎧を着込み、頭に板金をあてた鉢巻を巻いた大柄なガイアス。

 フェリスの腕には、緑色の布が巻かれている。

 ガイアスの腕には、黄色の布が。

 どちらも、盾は持っていない。

 フェリスはただ一振りの剣だけを手にしているのに対し、ガイアスは両手にそれぞれ片手剣と、短剣を握っていた。

 二人は揃ってルーシャのほうを向き、定められた作法の通りに皇帝への最敬礼をした。


(さあ……)


 顔を上げ、武器を構えて相手と向かい合ったとき、フェリスのみどりの目には、火花のような光が宿っていた。


(いよいよ、勝負の始まりよ。刃のない剣の名誉にかけて――

《魔性》だろうが、そうじゃなかろうが、あたしが、みんなブッ倒してやる!)


 首席審判官が、すっと鋭く息を吸い、同時、緑と黄の旗が水平に振られて交差する――


「驚いたな!」


 即座に片をつけようと飛び出しかけたフェリスは、相手がいきなりそんなふうに話しかけてきたので、もう少しで勢い余ってつんのめるところだった。

 ――いや、それは、気持ちの上でのみ。

 実際には、隙らしいものはほとんど見せていない。

 ほんのわずかに、膝を沈めた。それだけだ。


「あんたみたいな若い娘が、俺の相手だとは」


 向き合った戦士――ガイアスは、頬に大きな傷痕のある顔に笑みさえ浮かべて、フェリスを見ている。

 年のころは、三十後半といったところだろうか。

 見た目だけで言えば、年齢的には、フェリスの父親と言っても通るくらいだ。


「きれいな顔してるなあ。あんた、本当に兵隊なのか? 噂じゃあ《辺境》のほうでずいぶんと暴れ回ってるらしいが、とてもそうは見えねえ……」


 ガイアスは片手剣を肩にかつぐように構え、短剣は逆手に握り、背中に隠すようにして構えている。

 じりじりとすり足で間合いを詰めてくる動作には緊張が漲っていたが、その口調は、まるで茶飲み話でもしているかのように呑気なものだ。


(……どういうこと?)


 フェリスは、内心で激しく戸惑っていた。


(さっきの審判の動きが、試合開始の合図だと思ったんだけど。

 もしかして、戦う前に、相手とお喋りする作法でもあるの……?)


 フェリスが混乱しているあいだにも、ガイアスの言葉は続いた。

 あんたみたいな若い娘を、こんな大勢の観客が見ている前でやっつけるのは気の毒だ。

 せめて、あんたがもうちょっと不器量だったら、こんなことも言わないんだが。

 そのきれいな顔に、俺と同じような傷なんか付けちまったら、きっと後々まで寝覚めが悪い……云々。


 彼の言葉を聞いているうちに、フェリスの眉が、だんだんと寄ってくる。

 戦いは、いつ始まるのだろう?


 彼女はそれでもしばらく、喋り続ける目の前の相手を眺めていた。

 せめてこのあいだに、目の前の相手が真犯人であることを示す証拠でも見つけられないかと、目を皿のようにする。

 だが、見た目や物腰のどこからも、そんな気配は感じられない。


 フェリスが微動だにせず見返すあいだに、ガイアスの様子が変わり始める。

 すり足で近付くのをやめた彼は、言葉を止めて、フェリスの反応をうかがうように見つめたが、フェリスが何の言葉も返さず、動きも見せないので、居心地悪そうな顔つきになった。

 再び、ぺらぺらと喋り出す様子は、どことなく焦っているようにも見える。

 ややあって――


「あのう」


 湧き上がる疑問にとうとう抗しきれなくなり、フェリスは唐突に口を開いた。

 目の前のガイアスから視線は外さないまま、審判の方に向かってちょっと首を傾げ、質問する。


「すみませんけど。……この試合って、いつ始まるんですか?」


 前代未聞の問いかけだった。

 主席審判官は、その役目に相応しく常に冷静さを失わない男であったが、これにはさすがに、思わず二度見するほど驚いた。

 あまりにもびっくりしたために、彼はかえってあっさりと「えっ。さっき」と告げ――

 次の瞬間、再び、度肝を抜かれることとなる。


「え!? なぁんだ!」


 心外そうな声だけが、その場に取り残された、ように思えた。

 ぎぃん! とただ一度、鋼の鳴る音が響いたときには、二人の出場者の身体がほぼ密着している。

 それっきり、どちらも動かない。  


 いや……正確に言えば、そのうちの一人は、もはや一歩も動くことができなくなっていた。

 鋼でできた模擬剣の切っ先が、鎧にも兜にも覆われていない顎の真下を貫く直前――

 皮膚をぐっとくぼませた状態で、ぴたりと静止していたからだ。

「なぁんだ!」の一言と同時、フェリスが出し抜けに踏み込み、相手が慌てて振り下ろしてきた切っ先をかわして、凶悪なまでに正確な刺突を繰り出したのである。


 疾風のような動き。

 観客たちに――それどころか、対戦相手にさえ――何が起きたのか悟る暇を与えぬほどの、恐るべき早業だった。


「しょ……勝者! フェリスデール!」


 今、自分の口から出ている言葉が信じられないという口調で宣言しつつ、主席審判官が、緑の旗を掲げる。


「ありがとうございました!」


 がん、という音がガイアスの鼓膜を打ち、呆然としていた彼は、はっと我に返った。

 自分の手甲を胸甲にぶつけてガイアスに敬礼した少女は、今度はくるりと向きを変え、作法どおりに皇帝に最敬礼をする。

 その動きに慌ててならいながら、ガイアスは、信じられないという目で少女のほうを見ずにはいられなかった。


 向き合った瞬間から、分かってはいた。

 感じられたのだ。

 目の前の少女は、その見た目とは違い、毒蛇のように危険極まりない敵だと。


 ここに立っている以上、ガイアスとて凡庸の戦士ではない。

 己の腕をたのみに幾多の戦場を渡り歩き、百人斬りのガイアスとさえ呼ばれた傭兵だ。

 その彼をして射竦めてしまうほどに、少女が発する気魄、その構えの隙の無さは、尋常ではなかった。


(負けるかもしれない)


 本能的にそう感じ取った彼は、ひとつ、剣を交える前に、相手の牙から毒を抜いてやろうと試みた。

 万が一にもこんな小娘に負けるなどということがあったら、傭兵としての名声は地に落ちる。

 彼女くらいの年頃の少女ならば、少し甘い言葉をかけてやれば、心をほだされずにはいないだろう。

 情をかき立て、相手を動き辛くしておいて、油断に乗じ、一気に倒すのだ。

 卑怯だとは思わなかった。

 頭の固い騎士どもとは違う、これが、傭兵の戦い方だ――


 だが、何の効果もなかった。

 恐ろしい速さで肉薄してきた少女に向かって、咄嗟に振り下ろした剣は、達人が子どもの一撃をあしらうようにあっさりと避けられた。

 痺れたようになっていた手を上げ、顎の下に触れてみると、そこには傷はなく、痛みすらも残っていなかった。

 獣が仔を甘噛みするように、少女は彼に――百人斬りと呼ばれた男に対し、手加減をしたのだ。

 もしも、あの一撃が全力で突き上げられていたら、いかに模擬剣といえど、柔らかい皮膚は破られ、顎は砕かれていただろう。

 そして、もしも、彼女の武器が真剣であったとしたら。

 彼は間違いなく、先程の一撃で死んでいた――


(何なんだ……この、ガキは……)


 屈辱よりも、怒りよりも、ガイアスの足元から起こり、今さらのように全身を震わせる感覚があった。

 それは、恐れ。

 ――畏怖。


(動きが速すぎる……! 負けた……完敗だ……!)


 彼は、がっくりと膝をついた。

 事態に全くついていけない様子で沈黙していた観衆が、このときになって、ようやく騒ぎ始める。

 激しいどよめきの中から、やがて幾万もの声が合わさり、繰り返されるひとつの名の響きに変わっていった。


 フェリスデール! フェリスデール! フェリスデール!


 歓呼の爆発の中、フェリスは先程のようにゆっくりと拳を突き上げ、周囲にぐるりと見せつけた。


(違う……)


 だが、その顔に、勝利の笑みはなかった。


(やっぱり、こいつじゃなかった。こいつがあの《紫のケモノ》なら、こんなに弱いはずないもん)


 そして、彼女の表情を曇らせているのは、そのことだけではない。


(これが、御前試合? 帝国の剣技の最高峰? こんなの、全然、戦いとは言えないじゃない。腕慣らしにもならないくらいだよ……)


 次は、もう少し、骨のある奴に当たると良いのだが。

 そう、きっと今のは、十人の敵のうち、一番弱い相手と当たっちゃったんだ。

 次こそは、きっと――


 そんな考えで自分の気持ちを引き立て、フェリスは改めて笑顔を作ると、いまだ大歓声を惜しまない人々に向かって大きく手を振り、控え室へと戻っていった。



      *      *      *



「ああ、なんて素晴らしいんでしょう! ねえ、あなた、今の、ご覧になりまして? わたくし、まだ、自分の目が信じられませんわ! なんて素早い動き! まるで、風のようでしたわね!」


「ううむ……」  


 周囲の観客たちと一緒に立ち上がり、興奮し切った様子で肩を揺さぶってくるキャッサに、ガストンは席に座り込んだまま、唸り声で応えた。  

 目の前で展開された、ほんの一瞬の攻防は、ただその一瞬で《不死身》と謳われた将軍を圧倒した。  

 みぞおちを強く打たれたように、すぐには、立ち上がることができなかった。


(まさか、これほどのものとは……)


 フェリスの戦いぶりを実際に目にする機会は、これまでにも、幾度かあった。

 まずは、初日に、フェリスがイーサンを下した試合。

 そして、門下生たちを相手にした、剣術道場での練習試合。

 そのいずれにおいても安定した強さを見せつけたフェリスだったが、そこで発揮されていた力は、彼女の真の実力の十分の一にも満たなかったのだと、さしものガストンが、今日、このときになるまで気付かなかった。


 道場でのフェリスは、あくまでも「相手が自分の力量を悟ることができるように」「相手が上達するための助けとなるように」試合をしていたのであって、相手を打ち負かそう・・・・・・などとは、これっぽっちも考えていなかったのだ。

 その彼女が、万全の装備で、相手を倒すことのみを考えて戦うとき、どれほど強くなるのかを、ガストンは初めて知った。


「やれやれ。あの程度の相手では……」


 呆れたような呟きに、ガストンが思わずそちらを見やると、やはり腰を下ろしたまま、呆れたように呟くグウィンの姿があった。


「あいつにとっては、腕慣らしにもならない。

 相手も、そこそこの腕前はあったでしょうに、観客の目を気にするあまりに――敗れることを恐れるあまりに、出足が鈍ったのですな」


「だが……」


 ガストンは、思わず反駁はんばくせずにはいられなかった。


「これだけの観客に囲まれて試合をせねばならんという条件は、フェリスちゃんも同じだったではないか。

 それなのに、彼女の動き……あの、技の冴えは」


「あいつは、場慣れしていますから」


「場慣れだと?」


 グウィンがあっさりと口にした言葉に、目を丸くして言い返す。


「フェリスちゃんは、今年が初出場だろうが? それに、帝都に来たのも今回が初めてで、こんな場所で戦った経験は、一度もないはず――」


「ええ、確かにそうです。だが、あいつは、幼い頃から、見られながら戦う・・・・・・・・ことに慣れている」


 自分の思い違いだろうか、と、ガストンは注意深く耳を傾けた。

 常に傲慢でそっけない態度をとる若い魔術師の声に、どこか、誇らしげな響きがあるように思えたのだ。


「いえ、慣れているというよりも、それが当然だと思っているのでしょう。

 あいつは、初めて戦場に出たときからずっと『隊長』という立場だった。

 レイド将軍が、そのように采配なさったのです。

 隊長というのは、常に部下たちから見られる立場だ。その言動、表情、あらゆる挙動が注視され……評価される。隊長の実力、判断力が、直接的に部隊の士気に関わり、隊長の威厳のあるなしが、そのまま、部隊の規律に反映される。

 無論、閣下には、申し上げるまでもないことですが……」


「ああ」


 ガストンは、深い実感を込めて同意した。

 どのような職場にも、上司と部下の関係はある。

 だが、命を預け合う戦場において上官に向けられる兵士たちの目ほど厳格な批評眼は、他にあまりあるまい。  

 へぼな上官の下に配属されれば、自分の命に関わるのだから、それも当然だ。


 単に腕っ節が強いだけとか、戦術・戦略に通じているというだけでは、兵士たちの心を掴むことはできない。

 規則を重んじて、あるいは懲罰を恐れて上辺だけは従ってみせる兵士たちも、いざ命懸けの場面に出くわせば、後足で砂を掛けて逃げ出すか、そうでなければ、やけを起こしてこちらに剣を向けるに決まっているのだ。

 隊長たる者には「この人に従おう、そうすれば生き延びられる、勝利を得ることができる」と、兵士たちに確信させるだけの実力と、カリスマ性とが求められる。


「あいつは幼い頃から、一部隊を預かる隊長として、そのことを叩き込まれて育ちました。あいつは戦うとき、本能的に、自分がどう見られるか――いや、『どう見られるべきか』を、計算して動くのです。それも、無理にではなく、まるで呼吸をするように自然に。

 もともと、それだけの資質があったということでしょう。

 あいつは今では《リューネの戦乙女》とまで讃えられるようになった。

 ひとたび人々の心を掴み、英雄の誉れを勝ち取れば、それがどれほど大きな力になるかを、あいつはよく知っている……」


「将たる器、か」


 ガストンは、感じ入ったというように頷いた。


「マクセスの教えの賜物だな。

 娘ができたと聞いたときには、奴に人の親などつとまるかどうか、と仲間内で言い合ったものだが……存外、やりおるわい。

 もしもわしらに娘があったとしても、とても、フェリスちゃんのようには育てられなんだろう……」


 思わずといった様子でそこまで口にして、ガストンは、はっと口を噤み、キャッサのほうを見た。

 だが、彼女はすっかり興奮した様子で、隣にいた誰とも知らぬ女性と、今しがたの戦いについて熱く話し合っている。

 ガストンがほっとした表情を浮かべるのを、グウィンは冷静に観察していた。


 ガストンとキャッサには、子どもがいない。

 望まなかったのではなく、できなかったのだと、ユーザ邸で過ごすあいだのちょっとしたやり取りの端々から、グウィンは感じ取っていた。

 あるいは、だからこそ彼らは、剣術道場を開き、幼い子どもたち、若者たちを導き育てることにしたのかもしれない。

 望んでも得られなかった、我が子のかわりに――


「あなた!」


 キャッサの声が、それぞれの理由で黙り込んでいたガストンとグウィンの意識を、現実に引き戻す。


「ラインスさんが出てきましたわ!」


「何っ! ……おお! よし、行け、ラインス!」


 緑色の布をきりりと腕に巻き、対戦相手と向かい合った教え子に、ガストンは勢いよく立ち上がって声援を送った。


「そんな野郎はぶちのめし、尻を月まで蹴飛ばしてやれ! 胸を張ってティアちゃんに報告できるような試合をせんと、承知せんぞっ!?」


 一方、グウィンはその場に腰を下ろしたまま、鋭い目つきで、石板に大写しになった若者の姿を見つめていた。

 あの男は、手強い。

 次の試合、あるいはその次の試合で、フェリスとぶつかる事になるかもしれない。


 奇妙な胸騒ぎがするのを、グウィンは感じていた。

 相手を睨み据えるラインスの目に、たとえ相手を叩き殺すことになったとしても勝つという覚悟が、はっきりと見て取れたからだ。


 フェリスが実力で劣るなどとは、考えたこともない。

 ――だが、ティアの一件がある。

 ラインスが、どれほど深く妹を愛しているか、そして、あの病弱な少女がどれほど深く兄の勝利を願っているかを、ほんの短いあいだとはいえ、フェリスはその目で見たのだ。


 情に流されて太刀行きを鈍らせるフェリスではないと知っている。

 だが、それは命を懸ける戦場に臨んだ場合のことだ。

 この試合の場で、彼女が、何を感じ、どう動くのか。

 さしものグウィンにも、読み切ることができなかった。


(勝てよ、フェリス)


 彼は我知らず右手をローブの懐深くに差し込み、そこに収められたものに触れていた。

 勝利の祈りを込めた白い羽。

 フェリスに渡した羽の、対となる一枚。


(勝てよ、フェリス……)



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