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前夜

 水面下でうごめく様々な思惑とは何ら関係なく、暦は進み、大晦日の夜である。


「良かったですねえ、安心してこの夜を迎えることができて、本当にまあ……」


「ええ、本当に! 一時はどうなることかと思ったけれどねぇ」


「……母ちゃーん、まだぁ?」


「もうちょっとだろうよ、まあ、おとなしくお待ち!」


 帝都のあらゆる家々で、窓の鎧戸が開けられ、扉も開け放されていた。  

 どの扉、そして窓からも、住人たちが顔を出している。

 人々の頭上で家々の軒先を飾るのは、色とりどりの旗に吹流し、蝋を塗りつけた紙の花だ。


「あれ、あたちが作ったの! ねえ、お父ちゃん、あれ! あたちが作ったの!」


「そうかそうか、上手になったなぁ」


 独創的な色合いの花を指差してぴょんぴょん飛び跳ねる幼い娘の頭を、父親が大きな手で撫でてやる。

 これらの飾り物は、新年の祝いに備えて、子供たちが手作りするのが伝統なのだ。

 誉められてすっかりご機嫌になった少女が、父親の手をぐいぐいと引っ張る。


「こっちのも! こっちのも、あたちが作っ――」


 その時、出し抜けに鐘の音が響き渡った。

《顔の無い女神》の神殿の大鐘楼で鳴り響く鐘――普段から、帝都の人々に時を知らせているものだ。

 俗に「死を司る」といわれる《顔の無い女神》だが、それは、ひとつの側面に過ぎない。

 かの女神は、人がこの世に生を受けてから身罷るまで刻んでゆく「時間」をも象徴しているのだ。


 そして、その鐘の音が響きわたった瞬間。

 帝都の空に、大輪の光の華が弾けた。


「マーズヴェルタの花火だ!」


 爆発のような歓声が通りに満ちた。


「新しい年に!」


「おめでとう! 新しい年に!」


「おめでとう!」


「新しい年に! 今年もよろしく!」


 深紅、黄金、緑、青。

《輝けるマーズヴェルタ》からは色とりどりの花火が上がり続けている。

 幾万もの星が砕けて降り注ぐような、輝く蝶が羽ばたきながら舞い降りるような見事な花火は、広大な《一の庭》の一角から打ち上げられているのだ。

《炉を守る女神》に仕える神官たちの、年に一度の晴れ舞台である。


 突然、道に、賑やかな音楽が流れ始めた。

 毎年この時期には、隣近所で楽器を持っている者たちが集まり、にわか音楽団を結成するのだ。

 人々がどっと通りに繰り出し、音楽に合わせて踊り始める。

 リッカーチェと呼ばれる、二人組になって素早いステップを踏みながらぐるぐる回る踊りである。

 次々に相手が入れ替わり、いつの間にか顔も見たことのない相手と踊っていたということもざらだ。

 祝祭の雰囲気の中では、そんなことも全く気になりはしない。


「お祝いだよ、お祝いだよー!」


「買った買った! 新年のお祝いだよ!」


 下町の露店では、伝統的に新年の三日間にしか売られない甘い焼き菓子や、城で行われる仮面舞踏会にちなんで、様々な仮面を売り出している。

 小銭を握りしめた子供たちがひっきりなしに買いに来て、大盛況だ。


 下町よりは気取った雰囲気の、大物商人や貴族の屋敷が並ぶ地区も、例外なく新年祭の空気に飲み込まれていた。

 どの門構えにも、工夫をこらした装飾がなされ、どの屋敷の窓にも、宴会の明かりが明々と輝いている――


「まったくもって、度し難い! リオネス帝国貴族ともあろうものが、神々への初参詣も済ませず、宴にうつつを抜かしておるとはっ」


「まあ、まあ、あなた? せっかく皆さん、楽しんでいらっしゃるのですから」


 寒さも吹き飛ばしそうな熱弁をふるいつつ、ずかずかと進む巨漢を、傍らを歩くたおやかな美人が穏やかにたしなめる。


「うう……寒いっ!」


「しーっ! 師匠に聞かれたら、拳骨(げんこつ)だぜっ!?」


「我慢しろよな。この後、キャッサさんのシチューが待ってるんだからよ!」


 巨漢と美人――つまりガストンとキャッサの背後には、ごつい体格の若者たち、たくましい少年たちの列がぞろぞろと続いていた。

 一種異様な迫力を放つ一団に、道で踊る人々は皆、ぎょっとしたように場所を譲る。

 だが、中にはこちらの顔を見知っている者もおり、次々に挨拶を送ってきた。


「ああ、どうも、ティンドロック卿! 今年もひとつ、御懇意に!」


「こんばんは、ティンドロック卿! 奥方やお弟子さんがたも! 新しい年に!」


「おお、新しい年に! ……どうだ、懐かしいだろう、ラインス?」


 ティンドロック卿ガストン・ユーザは、にっと笑って、自分の斜め後ろを歩いていた若者に声をかけた。


「ユーザ剣術道場恒例、《翼持つ女神》の神殿への初参詣。寒い道中の後には、温かいキャッサのシチューが待っている、というわけだ」


「ええ、思い出しますよ」


 ラインスは、小さく笑い返した。


「この前、最後に同行させていただいたのは……確か、俺が警備隊に入る、ひと月前のことでしたね」


「だから、いつも言っとるだろうが! この初参詣はな、効き目があるんだよ。もちろん、本人の実力がともなっとる場合は、だがな!」


 ガストンは、ラインスの肩を強く叩いた。


「明後日の御前試合、がんばってこい。全力を尽くせよ」


「もちろんです!」


 胸を張ってそう答えたラインスの腕に、そっと絡められた手がある。

 見下ろしたラインスに、にっこりと笑いかけたのは、ティアだ。

 暖かい裏打ちをつけたマントをはおり、ティアもまた、この初参詣に同行していたのである。


 父親を亡くしてからすっかり塞ぎこんでいるティアの気持ちを引き立てよう、という狙いもあったが、もうひとつ、万が一にも、ラインスの目が離れた隙に、ティアが何者かに襲われることがあってはならない、という理由もあった。

 もちろん、どちらの理由も、ティア本人には伏せられてている。

 兄の必勝祈願に一緒にどうか、というガストンの誘いに、普段、家にこもっていることの多いティアは、大喜びでついてきたのだった。


「ねえ、怪我はしないでね、お兄ちゃん……」


「心配するな、ティア。必ず、勝って帰ってくる」


「うん。あのね、あたし、フェリスさんにも勝ってほしいけど……正直言うと、やっぱり、お兄ちゃんに優勝してほしいな!」


「大丈夫だ。お前が、羽をくれたからな」


 ラインスは微笑んで、胸の辺りを叩く。

 今、彼の胸の隠しには、白い羽が何枚も入っていた。

《翼持つ女神》――戦闘、勇気、勝利を司るといわれ、一月の守護神ともされる女神の神殿では、勝利のお守りとして、女神の翼を思わせる純白の羽が売られているのだ。

 神官たちが祈りを込めたものだが、魔力を持つ品(マジックアイテム)というよりは、身も蓋もない言い方をすれば、気休めのようなものである。

 だが、親しい者、愛する者から手渡される白い羽は、これまでに多くの戦士を勇気付け、その心を奮い立たせてきた――


「……ふん」


 その光景を横目に見て、面白くなさそうに鼻息を吹いたのは、イーサンだ。

 ティアがラインスを見る眼差しは、彼に対しては、まだ一度も向けられたことのないものだった。

 出場するラインスを、心から応援してやることは、今の彼にはできなかった。

 そんな自分が、ひどく狭量な人間に思えて、ますます腹が立ってくる――


「ラインス! お前、明日には登城して、試合が終わるまでは、あっちに籠もりきりになるんだろう?」


 ガストンの大声が、イーサンの意識を現実に引き戻す。


「ええ、明日の昼には、登城します」


「そのあいだ、ティアちゃんは留守番か?」


「はい」


 答えたのは、ティアだ。


「あたし、興奮すると、発作が出やすいから。ほんとは、お兄ちゃんの試合、応援しに行きたいんですけど……」


「そうか、そうか」


 ガストンは、大きく頷いた。


「どうだ、ラインス。お前が城に行っとるあいだ、ティアちゃんのことが心配なら、誰かに頼んで、警護をつけてもいいぞ?

 わしらの屋敷にかくまってあげてもいいんだが、わしらは当日、お前とフェリスちゃんの応援をしに会場へ行くんで、屋敷は空になってしまうからなぁ……」


「ああ、大丈夫です」


 ティアと手を取り合って、ラインスは、はっきりと言った。


「さすがに、ティアを一人で家に残すわけにはいかないので、そのあいだ泊めていただけるように、近所の方に頼んであるんです」


「ええ……ベルナおばさんっていう方で、あたしたちに、とても良くしてくださるんです」


「――もちろん、何者かに襲撃される可能性も、ないとは言えません」


 ラインスの表情が、目に見えて引き締まる。


「そこは、部長に無理をお願いして、手を回していただいてます。隣の空き家に、警備隊の仲間が潜んで、警護についてくれることになっているんです」


「そうか、うむ、よし! それなら万全、安心だな。さすがだ、ラインス。そういうところにまで、ちゃんと気が回るようになったか」


「まあ、貴方、失礼ですわよ? ラインスさんは、もう立派な帝都警備隊の一員なのですもの」


「む? ……おお! そうだったな。すまん、すまん!」


 キャッサの指摘を受けて、わははははは、と豪快に笑うガストンだ。

 その側で、イーサンは、ますますいたたまれないような気持ちになっていた。

 ラインスは、まっとうな職に就いて、親父さんが亡くなってからもティアが不自由することのないように、暮らしをしっかりと支えている。


 それに比べて、俺はどうなんだ?

 実家の店を飛び出してから、その日その日の請け負い仕事をしては、好きな剣術に打ち込んできたが……その剣術でさえも、ラインスやフェリスには敵わないではないか。

 好き勝手のその日暮らしで、住まいだって、ガストンの屋敷に居候しているような有様だ。


(こりゃ……ラインスの野郎に馬鹿にされるのも、当然かも知れねぇな……)


 こんなふうに自分自身を振り返るのは、イーサンにとって、初めての経験だった。

 冬風が妙に身体に沁みるような気がして、ずずっと洟をすすり――

 ごん、と突然、後頭部に重い衝撃を受けて、イーサンはもうちょっとで顔面から石畳に突っ伏すところだった。


「ってぇッ!? ――てめっ……! 殺すぞ!?」


「すまんな」


 青筋立てたイーサンに胸倉をつかまれても、グウィンは、平然とした顔つきだ。

 この物静かな魔術師もまた初参詣の仲間に加わっていたのだが、ほとんど喋らないため、イーサンは今の今まで、彼の存在をほとんど忘れていた。


「お前が、やけに不景気な面をしているから、励まそうと思ったのだが」


「ざけんな! 励まそうと思って、後頭部殴る奴があるか!」


「リューネではこれは普通だ」


「嘘つけ! 打撃が重かったぞコラ!」


 怒鳴りつつも、飄々としたグウィンの態度に気勢を殺がれ、イーサンはぶつぶつ言いながら相手の胸倉から手を放す。


「ったく……この場にティアちゃんがいなけりゃ、ギッタギタにしてやってるとこだぜ!」


「できるかな?」


 鋭い金色の目にじろりと見下ろされ、イーサンは、気圧されるのを感じた。

 熟練した魔術師は、声もなく、動作もなく、ただの一瞥をもって魔術を発動させるという。

 目の前にいる男の技量は、おそらく、その領域に達しているはずだ。

 息詰まる時間が流れる。

 と――不意に、グウィンの目つきが和らいだ。


「女を手に入れたいのなら、それだけの実力を示すことだ」


「う、うるっせえっ! 俺だってなぁ!」


 叫び、しかし、その後が続かなかった。


「俺、だって……」


 何があるのだ? 自分には、何が?

 うつむき、黙り込んだイーサンの様子を気にするでもなく、グウィンは黙々と歩みを進めていたが、


「まあ、健闘を祈る」


 やがて、前を向いたまま、ぼそりと呟いた。

 イーサンはちらりとその顔をうかがったが、本気で励ましてくれたのか、それとも馬鹿にしただけか、表情からは全く判断がつかなかった。


「……ちっ。偉そうに言いやがって!」


 勢いをつけるように吐き捨てて、イーサンはいきなり、どかっ! と裏拳でグウィンの二の腕を叩く。

 本気で腹を立てたような目つきで振り返ってきたグウィンに、両手を挙げ、にいっと笑ってみせた。


「おっと、怖ぇ顔すんなよ。こっちもな、気合い入れてやったんだよ、気合い!

 あいつ(・・・)は、そこらの女とは比べ物になんねぇくらい手強いぜ。根性出していけよ!」


「何の話をしている?」


「またまた」


 無表情な魔術師を肘で小突き、囁く。


「その羽。あいつにだろ?」


 グウィンは何も言わず、視線を下げた。

 ローブの懐からほんのわずかに覗いていた、白い羽の先端を、無言のまま、指先で押し込む。


「やっぱりな。……おい、だけど、どうすんだよ? あいつは今、城にいて、試合が終わるまで会えないんだろ?」


「そうだな」


「いや……そうだな、じゃねえよ。そういうのは、試合前に渡さなきゃ、意味ねぇだろうが!」


「分かっている」


 呟き、グウィンは、光の華に彩られた白亜の城を見上げる。

 その口の端には、あるかなしかの、微かな笑いが浮かんでいるようだった。



     *      *      *



「離れろおっ!」


 シュシュシュシュッ……と、まるで毒蛇の吐息のような音が聞こえる。

 導火線(・・・)が燃える音だ。

 ごつい革の手袋をはめ、濃茶色のローブを着た男たちが、一斉にだだっと下がって地面にしゃがみ込み、耳を押さえた。

 フェリスも一緒に走って離れ、両手で耳を押さえる――


 ズウン! と地面が揺れ、全員が一斉に空を見上げた。

 白い煙が漂い、星々の光も定かには見えない。

 息詰まる数瞬。

 そして――

 軽やかな破裂音とともに、暗い夜空に大輪の光の花が咲いた。


「おおおおぉ~っ!!」


 中央は濃い深紅、縁に近いあたりは淡いピンク、そして最外周は、混じりけのない金。

 見事な色調の移り変わりに、フェリスは子どものように歓声をあげて拍手を送った。


「いやあ、今年はいいね、風もなくてさ!」


 黒光りする――絶えず火を扱う職場にいるからだろう――顔に笑顔を浮かべて、《炉を守る女神》に仕える神官のひとりが言う。

 戦士も顔負けの分厚い胸板をした彼が、この打ち上げの全てを取り仕切る神官長だった。


「それにしても、お嬢ちゃん、怖くないのかね?」


「ええ、ちっともです!」


「はっはぁ! 勇気あるな!」


 彼は、フェリスのことがすっかり気に入ったようだった。

 今、大勢の貴族たちがマーズヴェルタ城のテラスに集まり、打ち上げを見物している。

 だが、彼らが見惚れるのは、夜空に咲く絢爛豪華な光の花にであって、その真下で奮闘する神官たちの仕事ぶりにではない。


 花火の玉を詰めた筒を運び、地面にしっかりと立てては火を着けて離れる神官たちの動きは、訓練された兵士の一団のように見事なものだ。

 フェリスは目を輝かせて、彼らの素早い動きと、彼らが生み出す光の芸術に見入っていた。


「ほんとに凄いですね、これ! どうして光に色が着くんですか? 魔術?」


「はっは、それはなぁ……っと、いかんいかん! こりゃ、神殿の秘密だった!」


「えー! 教えてくださいよ!」


「うん? ……はっは、そうだなぁ、詳しくは言えんが、魔術じゃないぞ。俺たちの秘伝の技だよ。ま、その昔は、北方のドワーフたちから伝来した技術なんだがな!」


「へえ……!」


 フェリスは、頷きながら、空気に漂う独特のにおいを嗅ぎ分けていた。


(これ……昔、一度だけ爆発を見た「爆裂弾」と同じにおいがする。ってことは、これって「火薬」ってやつ……?)


 このアレスティア大陸においては「燃える粉」――火薬の扱いは、ほぼドワーフたちの専売特許だ。

 その原料となる岩石の産出地が、彼らの支配圏にしか発見されていないからである。


 ドワーフたちは山岳地帯に暮らし、固い岩盤を掘り抜き、鉱山を切り拓くことに長けた種族だ。

 彼らの暮らしぶりは非常に閉鎖的で、自分たちの「山の賜物」――つまり領土の資源を貪欲なまでに守ろうとすると言われている。

 また、彼らは人間社会で流通する貨幣にはほとんど価値を認めず、稀少な鉱物や宝石、または高度な技術で作られた金属の細工物を貴ぶため、人間とのあいだの交易は、ほとんど行われていないという。

 ドワーフたちが満足するほどの宝石研磨、金属加工の技術を持ち合わせる人間の職人は滅多におらず、取引そのものがなかなか成立しないのだ。


(にも関わらず、これだけの花火を打ち上げることができるってことは、それだけの火薬の持ち合わせが帝国にはあるってことで……

 それはつまり、ドワーフさんたちとそれだけの繋がりを持ってるんだってことを、国内外に向けてさりげなく誇示してるってことだよね!)

 

 まあ、火薬についてのみ言うならば、魔術をもってすれば「爆発」という現象を起こすことは比較的容易なため、戦場では、わざわざ管理の手間と費用をかけて火薬を用いるよりも、魔術師に任せたほうが効率が良い――という側面もあるのだが。

 

(……っと! いけないいけない。こんなこと、ぼーっと考えてる場合じゃなかった)


 美しい光の芸術が花開く真下にいても、つい、戦略的なことに思考が向いてしまうフェリスである。


「ありがとう、神官長さま! わがまま言って見学させていただいちゃって。すごーく勉強になりました。でも、あたし、そろそろ行かなくちゃ」


「おー? そうか。こいつは、離れて見るのもいいもんだからな! まだまだ、本番はこれからだ。俺たちが見られないぶんも、しっかり堪能してきてくれ」


「はい!」


 反射的に、拳を胸に当てる敬礼を返したフェリスに、顔を煤で黒く汚した神官たちが、どっと笑った。


「かっこいいぞ、嬢ちゃん!」


「また来年来いよぉ!」


「次の次、特にでかいの行くからな。急いで、いい場所取れよ!」


「はい!」


 ああ、みんな、いい人ばっかりだな。

 その場を離れながら、フェリスは思わず表情をほころばせた。

 彼らを見ていると、リューネで待っている、辺境警備隊の面々を思い出す。

 全員でひとつの大きな家族のようなあたたかい雰囲気と、ひとつの目的に向かって進む者たち特有の団結力が同じなのだ。


(明後日……いや、もう、明日か! あたしは、明日の試合で《翼持つ女神の剣(エルベリオン)》を勝ち取って、みんなが待ってるリューネに帰るんだ!)


 ――すでに、自分が優勝することが前提になっている。

 ぐっと握りしめた剣の柄が、いつもどおり、自信と落ち着きを与えてくれた。


 そう、今のフェリスはもはや、窮屈なドレス姿ではない。

 城に留め置かれることが決まったその日、フェリスのためにと、ルーシャ皇帝がティンドロック卿の屋敷に使者を送り、普段身につけている衣服や装備一式を取り寄せてくれたのである。


(いや、ほんと、ありがたいわ! ドレスなんか着てしてうろうろしてたんじゃ、試合までにくたびれ果てちゃうもん。

 陛下には、ほんとに感謝……したい、ところ、なんだけど……)


 ずんずん進んでいた足取りが、ぴたりと止まった。


これ(・・)だけは、どうしても、気に入らないんだよねぇ!)


「あの」


 歩くうちに、ちょっとした林の中の小路にさしかかっている。

 暗がりの中で、フェリスは恐れ気もなく、前方の闇に向かって呼びかけた。


「任務、お疲れ様です。でも、あたし、どうも、こういうのに慣れてないっていうか。正直言って、すっごく居心地が悪いんですけど?」


 数瞬の、沈黙。

 そして――がさりと音を立て、すぐ近くの茂みの中から、ふたつの人影が姿を現した。

 フェリスは、目を細めてその姿を見極めようとした。

 影に溶けるような黒い衣服を身につけた彼らは、似たような風貌に似たような表情のせいで、くるっと入れ替わったら、どちらがどちらか分からなくなってしまいそうだ。

 彼らは例の、ルーシャ付きの従僕のうちの二人である。

 城にいるあいだ、フェリスの護衛として、彼女の行く先へはどこへでも音もなくついてくるのだった。


「自分のケツは自分で拭け――じゃなくて、オホン。自分の面倒は自分で見ろってのが、リューネの流儀でね。あたし、自分の身の安全くらい、自分で守れますよ?」


 腰に手を当て、二人にびしっと指を向けて、フェリス。

 ――転んだ子どもは、自分で立つまで放っておけ。

 ――泣いている奴は、自分で泣き止むまでそっとしておけ。

 それが、リューネ市民の気風だ。

 そんな風潮の中で育ったフェリスにとって、こんなふうに護衛されているという状況は、ありがたいという以上に、ありがた迷惑という感覚のほうが強い。

 見分けのつかない男たちは顔を見合わせ、ついで、おもむろにかぶりを振った。


「陛下の御命令です」


「再び襲撃があったとき、御身を危険に晒すわけには参りません」


「う……」


 自分がドレスの裾を踏んですっ転び、あわやという事態になったことを思い出して、思わず苦虫を噛み潰したような顔になるフェリスだ。


「いや、あのときは、ちょっと動きにくい格好だったから! 今は、慣れた服を着てるし、ちゃんと武器もあるし!」


「陛下の御命令です」


「御身を危険に晒すわけには参りません」


「うー……」


 四角四面というか杓子定規というか、判で捺したような回答をする男たちに、フェリスは、むうっと頬を膨らませた。


(何よっ、このあたしが、大丈夫だって言ってるのにっ!)


 持ち前の負けん気が、むらむらと頭をもたげてくる。

 そう、それは、奇妙に懐かしい――


(ん?)


 ふと心をよぎった奇妙な感覚に、フェリスが首を傾げた、その瞬間。

 木立を揺らし、ひときわ大きな発射音が響き渡った。

 フェリスと男たちは思わずそちらを振り向き、重なり合う木々のこずえの間から夜空を見上げた。

 乾いた破裂音。

 同時、漆黒のベルベットにダイヤモンドをぶちまけたように、銀色のきらめきが空いっぱいに散らばる。

 ひとつひとつがきらきらと輝きながら舞い落ちるその様子は、さながら、天から星が降るようで――


「!」


 夢のような数瞬の後、地上に視線を戻した男たちは、思わず硬直した。

 ほんの数秒のあいだに、彼らの前から、フェリスの姿が消えていたのだ。


 二人の男たちは、ものも言わずに駆け出した。

 さすがは皇帝直属の部下、その動きは、常人とは比較にならぬ速度をもっている。

 ざっ、と木立が切れ、男たちの目の前に壮麗な水の塔が現れた。

 大樹のように幾筋にも分かれて降り注ぐ水が、どうどうと滝のような音を響かせている。

《三の庭》の大噴水だ。

 男たちは、鋭い視線で周囲を見回しながら、ゆっくりと庭の奥のほうへ進んでいった。

 彼らの姿が、完全に見えなくなって、さらに十数秒……


「ふふーん! やったねっ!」


 勝ち誇った様子でその場に姿を現したのは、言わずと知れたフェリスだった。

 ざばざばと膝上まである水を分けながら、なだれ落ちてくる水をまともにかぶらないよう、幾重にも重なった水の幕のあいだから慎重に身体を滑り出させる。

 彼女は、男たちをまくために、噴水の中に身を隠していたのだった。


「ふっふっ。このあたしに、鬼ごっこだのかくれんぼだので勝とうなんて、百年早……っくしっ! さ、寒ッ!?」


 勢いで噴水の中に潜んだものの、今は真冬である。

 しかも深夜だ。


「あ痛たたたた……!」


 あまりの冷たさに、膝から下がじんじんと痺れている。

 フェリスは慌てて噴水の縁を越え、ばたばたとその辺りを走り回った。

 他人に見られたら、正気を疑われかねない行動だ。

 試合前だというのに、これで風邪でも引いたら、完全無欠の馬鹿である。


(か、隠れるためなら後先考えないとこって、昔から、全然変わってないかも……!)


 故郷のガイガロス砦でかくれんぼをしていて、巨大な貯水甕(ちょすいがめ)の中から出られなくなったり、塔の窓から出て外壁に張り付き、登るも降りるもできなくなって大騒ぎになったりと、幼いころから数々の武勇伝――というより迷惑な伝説を残してきたフェリスだった。


(まあ、それはずーっと小さい頃の話……って、そうでもないか?)


 貯水甕にはまり込んでしまったのは、確か、五、六歳の頃。

 だが、塔の外壁で立ち往生したのは――?


(あ!)


 不意にフェリスは、先ほどの奇妙な感覚の正体に気付いていた。



『あっち行ってよ! あたしには、守り役なんて要らない!』


『黙れ。これが、俺の任務だ』


(そっか……グウィン、か……)


『何よ! あんたなんか、この砦の中で、あたしについてこられもしないくせに!』


『言ったな。勝負するか? 負けたら大人しくしろよ』


『あんたこそ、負けたら帰れ! かくれんぼで勝負よ。百、数えたら、あたしを見つけてごらん! 魔術は反則だからね!』


(ああ……)


 ほろ苦いような、あたたかいような不思議な感覚が、胸に広がった。


(そうだった。それで、塔の窓の外にぶら下がるなんて無茶苦茶なことをやったんだっけ)


 しばらくは外壁に取り付いていたものの、未熟な筋力では自分の体重を支えきれず、だんだん指が痺れてきて――

 あわや墜落しそうになったところを、魔術で飛んできたグウィンに、間一髪で救われた。


(でも、確か、あたし、お礼も言わなかったんだよね! 逆に「魔術を使ったから反則だ」とか文句つけて、しばらくゴタゴタやってたっけ……)


 そうだ、あの頃は、彼がどこへでもついてくるのが嫌で嫌で仕方がなかった。

 ――いつからだろう?

 まるで空気のように、この腰にある剣のように、グウィンが側にいるのが当たり前で、いないときには、何だか物足りないと感じられるようになったのは……


(会いたいなぁ)


 素直に、そう思った。

 あれこれ喋ったり、特別なことは必要ない。

 いつものように、ただ、そこにいてくれるだけでいい――


(まっ、試合が終われば、普通に会えるけどね!)


 フェリスは、手のひらにばしっと拳を叩きつけた。

 この気持ちの切り替えの早さが、フェリスのフェリスたる所以だ。


(よーし、そのためにも絶対、優勝しなくちゃ! でないと、グウィンにも、ティンドロック卿たちにも、合わせる顔がないもん)


 再び、噴水を見上げる。

 視線の先にあるのは、降り注ぐ水を切り裂いて、まっすぐに剣を掲げ、飛沫の中にすっくと立つ《翼持つ女神》の姿――


(どうか)


 手を組み、目を閉じて、フェリスは祈った。


(あたしに、あなたの恩寵をお与え下さい。揺らがぬ心と、迷いなき剣を。手足には力を、瞳には敵を貫く光を……)


 一心に祈るフェリスは、まだ、気付いていない。

 彼女を背後から見つめる、一対の視線に。

 じりじりと音もなく近付いてくる、その足取りに。

 そいつ(・・・)は少しずつ、少しずつ、フェリスの背中に迫り――


「!」


 目にも留まらぬ速度で、銀光がひらめいた。

 ギィン! と甲高い音が響く。

 背後から振り下ろされた武器を、フェリスの剣が、振り向きざまの抜き打ちに受け止めたのだ。

 闇に小さな光の花が咲いた。


「はッ!」


 相手の攻撃を跳ね除け、フェリスは素早く両手で剣を構え直し、目を細めて相手を睨みつけた。

《紫のケモノ》――では、ない。


(人間……!?)


 黒いローブのような衣服、深く下ろされたフード。

 その下から覗く、無表情な、青白い顔。


(《魔性》っ!?)


 そいつは、手にした銀色の杖で再び打ちかかってきた。


「フッ!」


 驚くよりも、考えるよりも先に身体が反応している。

 フェリスは、相手の攻撃のことごとくを受け、払い、かわしてのけた。

 だが――


(殺意が、ない!?)


 打ち合いながら、フェリスは目を見開いた。

 獰猛な感情がもたらす、かっと体温が上がり、その直後にすうっと冷えてゆくような感覚がない。

 代わりに、その場に流れるのは、まるで演武のように美しく、張り詰めた空気――

 ぎゃりんっ! と金属同士が擦れる耳障りな音をたて、剣と杖、二つの武器が再び噛み合う。

 同時、空に、大きな金色の華が弾けた。


 花火の光を受け、照らし出された敵の顔は、動きのない、青白い――仮面。

 その中から、ふたつの金色の目が、じっとこちらを見つめている。

 フェリスは、あんぐりと口を開けた。

 その、隙だらけの一瞬にも、相手はそれ以上打ち込んでくることはなかった。


「グ……」


 信じられない、というように後ずさって、フェリスは呻いた。


(グウィン!?)


 光の華はすでに散り、辺りには再び暗闇が戻っている。

 だが、間違いない。

 一瞬だけ照らし出された、金色の眼差し。

 そして、見慣れた、まっすぐな銀の杖。


「グウィン……よね?」


 問いかけても、答えはなかった。

 ただ、静かにこちらを見つめてくるだけだ。


「どうして、ここにいるの……!? まさか、勝手に――」


 それに応えるように、黒いゆるやかな袖に包まれた手が上がって、ローブの懐に差し込まれる。

 フェリスは、反射的に身構えた。

《魔性》は、思うがままに、自在にその姿を変えるという。

 こいつが本当に(・・・)グウィン(・・・・)である(・・・)という保証はないのだ。

 もしも、懐に、仕込み武器か何かがあるとしたら――


「あ……」


 油断なく身構えたフェリスの前で、黒い衣装のひだから、ゆっくりと取り出されたもの。

 それは、真っ白な羽だった。

《翼持つ女神》の神殿で授けられる、戦士の勝利の象徴――


 無言のまま、すっと差し出されたそれを、フェリスは夢の中にいるような気持ちで受け取った。

 指先が、ほんのわずかに触れ合う。

 青白い仮面の奥で、金色の目が、細められたような気がした――


「……殿! フェリスデール・レイド殿!」


 近付いてくる声に、弾かれたようにそちらを見たのは、二人、同時。


「行け! 見つかる!」


 フェリスの鋭い声が響くよりも早く、黒いローブ姿は一陣の風とともに舞い上がり、あっという間に夜空に消えていった。


「あー、ここよーっ! ここ、ここ!」


 剣を収めたフェリスが叫ぶのとほとんど同時に、黒服の男たちが駆けつけてきた。


(ふっ……増えてるっ!?)


 さっきまでは二人だったのに、いつの間にか六人になっていた。

 どうやら、フェリスを見失った最初の二人が応援を呼んできたらしい。

 そして、六人に増えても、あいかわらず全く見分けがつかなかった。


「フェリスデール・レイド殿。陛下の家で、無体な振る舞いをしていただいては、困ります」


「あ、あははははは。ごめんなさい!」


 ずいと男の一人に真顔で迫られ、笑ってごまかすフェリスである。

 と、男の視線が、ふとフェリスの手元に落ちた。


「あ……」


 たった一枚の、真っ白な羽。

 危険を顧みず届けられた、自分のためだけの、贈り物。

 フェリスは、それをぎゅっと胸元に押し当てて、にっこりと笑った。


「女神さまが、下さったの」



 ――そこから、かなり離れたひとつの茂みの中で、


「あの魔術師を追い、捕らえますか?」


「いいえ」


 残りの男たちと共に影に潜み、全てを見届けていたルーシャが、にっこりと微笑む。


「その必要はないわ」



 勝利への祈り。

 勝利への渇望。

 勝利への執念。


「あたしは、勝つよ、グウィン……」


 全ての者の心を飲み込み、時は刻まれる。



 そして、その日はやってきた。



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