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暗闇

(見張られている……)


《臙脂の間》の壁際にたたずみ、グウィンはひとりごちた。

 先ほどから、辺境警備隊としての任務で鍛え抜かれた感覚が、何者かの視線を察知しているのだ。

 どこからだろうか、と精神を研ぎ澄まし、気配を探る。


 今、グウィンの目の前に展開するのは、仮面で素顔を覆った無数の男女がくるりくるりと入れ替わる、影絵のような世界が展開していた。

 ここまで主人に随伴してきた従者たちもいれば、《臙脂の間》に戻ってきた、あるいは留まったままの貴族たちもいる。

 そのうちのどこかから、意思を持った何者かの視線を確かに感じるのだが、その源を特定することはできなかった。


(素人ではないな)


 自分は、人混みにとけ込む従者のお仕着せを身につけているのだ。

 その自分を特定して、注意を向けてくるというのは――


(魔術師団の連中か? ……それとも……) 


 敵だろうか。

 だが、なぜ、この俺を?

 フェリスと一緒にいるところを見られていたのか?

 だが、フェリスの身分を知る者は、フェリス本人と自分を除けば、この城内にはユーザ夫妻しかいないはず――


(身分が割れる可能性があるとすれば、招待状を提示したときだが、今夜は仮面舞踏会だ。その内容が、周囲に知れ渡ることはない……)  


 通常、貴族たちが集まる席では、部屋の入り口に専任の係官が立ち、入室者の姓名と身分を大声で呼ばわるのが慣わしである。

 だが、今夜は、人々が素顔を隠す仮面舞踏会。

 そのような席で客たちの正体を暴き立てるのは無粋ということで、今夜ばかりは係官も休業だ。


(だとすると、やはり、魔術師団の連中なのか?)


 在学中に幾多の武勇伝を生み出した《荒くれグウィン》の姿を一目拝んでおこうという、物見高い人間がいたとしても不思議ではない。

 あるいは、貴顕居並ぶこの会場で厄介ごとを起こされてはかなわないと、わざわざこちらの動向を監視しているという可能性もある。

 それならば、構わないのだが――


(万が一、敵の手の者だとすれば……おそらく、フェリスのほうにも……)


 グウィンは、従者の姿に身をやつしている自分を歯痒く思った。

 この服装をしている限り、奥の《青の広間》に足を踏み入れることはできない。


(くそ、俺が念話の術を使えれば、フェリスに警告することもできるのだが……いっそのこと、裏に回って《青の広間》付きの給仕を襲い、制服を奪うか?) 


 不可能と知りつつ、つい、そんな考えも頭に浮かぶ。

 フェリス本人の戦士としての実力、そしてガストンがついていることを考えれば、多少の危険はものともせずに乗り越えるだろう。

 だが、それでも、気がかりだった。

 せめて自分を監視している相手の位置だけでも見定めようと、グウィンは鋭い視線を周囲に走らせ――


「まあ、金の瞳! 素敵。まるで、鷹のようですわ!」


 頭をめぐらせた途端、満面の笑みをたたえた貴婦人と、まともに視線がぶつかった。

 グウィンは、これまで特に女性を苦手と感じたことはなかったが、それでも反射的に顔が引きつったほど、強烈な相手だった。

 薔薇の花を模した布飾りをふんだんに縫い付けた深紅のドレスは、スカートの裾があまりにも広がりすぎて、彼女と握手しようと思えば爪先立ちで手を伸ばさねばならないのではないかと思われた。

 高く複雑に結い上げられた髪は、銀粉を散らした漆黒で、ドレスの赤とけばけばしい対照をなしている。

 宝石をちりばめた蝶の形の仮面の向こうから、きらきら光る青い目でグウィンを見つめ、貴婦人は、真っ赤なくちびるでにっこりと微笑んだ。


「ねえ、あなたの御主人様はどなた? 今の境遇に満足していて?

 わたくし、あなたが気に入ってしまったの。よろしければ、わたくしの屋敷にいらっしゃいな。今より、もっといい暮らしをさせて差し上げてよ?」


 貴婦人の背後には、取り巻きと思しき男たちが数人、表情をうかがわせない顔つきで突っ立っている。


(あ、愛人の勧誘か?)


 下品なまでに派手ではあるが、衣装にこれだけの金をかけていることからも、これだけの取り巻きを引き連れていることからも、この貴婦人が相当に有力な家の人間であることは間違いない。

 こういった世界では、金と暇とを持て余した女性が、退屈しのぎに若い愛人を何人も囲うのは珍しいことではないのだ。


「……私は、さる侯爵家にお仕えいたしております。このようなお声掛けをいただき、この身に過ぎる光栄と思いますが、私は、今の立場に心より満足いたしておりますゆえ」


「まあ、残念だわ。でも、御主人様があちらで愉しんでらっしゃるあいだに、少し休憩するくらいのことは構わないでしょう? ちょっとそこまで、一緒においでなさいな。夜のお散歩をいたしましょう?」


 何だ、この臆面もないしつこさは、と辟易して顔を背けながら、グウィンは慌てて周囲の気配を探った。

 ――先ほどまで確かに感じていた、あの視線の感触は、消え失せていた。


「ねえ、あなた! お名前は何と言うのかしら?」


「いえ、私ごときの者、名乗るまでも……」


「いいから、教えてちょうだいな! ねえ、良いでしょう?」


 ここがリューネの酒場で、相手がしつこい客引きの女なら、魔術の力をちらつかせて少し凄んでやれば事は解決する。

 だが、ここは貴人居並ぶ皇帝の城で、相手は相当な権勢を持つ名家の女性だ。


(くそ! 上手く理由をつけて、とっととこの場を離れなければ)


 ひきつった笑みを浮かべながら、グウィンは、内心で大きく天を仰いだ。



    *      *      *



「美しい姫君よ、私と一曲、踊っていただけませんか?」


「残念ですけれど、あいにくわたくし、足を痛めておりますの」


 にっこりと笑って誘いをいなし、ドレスの裾をさばいて颯爽とその場を歩き去る。

 取り残されてぽかんとする男には目もくれず、フェリスは、ただライバルたちの姿のみを求めて進んでいた。


『へーっ、親父でも舞踏会なんかに出ること、あるんだ?』


 数年前、マーズヴェルタ城での仮面舞踏会についてマクセスから話してもらったとき、フェリスは、目を丸くしてそう言ったものだった。


『ダンスなんて、嫌いだと思ってたけど』


『ああ、大嫌いだぞ? 好きでもない人間とべたべたくっ付かなきゃならんなんて、ほとんど拷問だからなぁ』


 長椅子に寝そべり、気に入りのパイプをのんびりとくゆらせながら、マクセスは言った。


『だがな、面白いこともあるのだ。舞踏会の夜、広間の中央は、踊る男女の列でいっぱいになる。――だが、本当に面白いのは、壁際だよ』


『壁際?』


『ああ、そうだ。そこでは、ありとあらゆる秘密の会話が交わされている。人物評、社会情勢の展望……誰と誰とが付き合ったの別れたの、というような話もな』


『はあ? それの、何が面白いの?』


『分からんか? お前も、まだまだ子どもだなぁ』


『うるさい!』


 そうだ……あの頃は、まさか他ならぬ自分自身がその仮面舞踏会に出席することになるなんて、思ったこともなかった。

 そして、今ならば分かる。

 父が『面白い』と言った、その意味が。


「……まあ! 本当ですの?」


「ああ、まず間違いなかろう。西の三国の動きが、ここのところ急に活発になってきて――」


 歩みを進める、そのたびに、いくつもできた人の輪から、忍びやかな会話が漏れ聞こえてくる。


「今度の御前試合では、ウォリスタ伯爵が優勝をおさめられるに違いない」


「いや、貴公はそう仰るが、私はノーバートのウォーラン殿も穴馬と見ておるぞ」


「おや……あの女が、アランデル公の一番新しい愛人か? ゼイネ界隈の娼婦あがりだという話ではないか」


「元娼婦だから何だ? 女に変わりはないさ。見ろよ、あの胸元と腰つき……アランデル公は果報者だと言わねばなるまい」


(舞踏会の壁際は、情報の宝庫――)


 平然と歩みを進めながらも、フェリスは二つの耳に全神経を集中して、求める情報を聞き分けようとした。


「まあ、その衣装! 裾の飾りが異国風で、とても素敵だわ」


「わたくしの甥が、今度の御前試合に出ますのよ。もう、毎日、心配で心配で」


「おお、フェッセン殿! その節は、大変お世話になりましたな」


「塩の密売ルートを洗い出すのは大仕事だったが、密偵から連絡が――」


「アボロスの奥方は、若い従者と、夜の散歩と洒落込まれたようだぞ」


「――あら嫌だ。来ているわよ、あの男」


「まったく! 黒い疑惑に取り巻かれた身でありながら、このような晴れやかな場に、臆面もなく姿を見せるとは!」


(……これかっ!?)


 フェリスはさりげなく立ち止まり、ちょうど通りかかった給仕から酒のグラスを受け取った。

 高価な酒を味わうふりをしながら、全身を耳にしてその会話に聞き入る。


「噂によると、怪しげな術を使って殺し屋を操り、目ぼしい敵に送りつけているとか」


「まあ、恐ろしいこと! そこまでして勝利を得たいだなんて、殿方の戦好きには、とてもついていけませんわ」


「今、皇帝陛下の手の者が、秘密裏に彼の身辺を探っているとか。帝国陸軍の誉れとうたわれた《鉄の男》も、汚辱に塗れて終わるということか……」


「それにしても、見ろ! あの平然とした面を。まったく、彼は、羞恥心というものを持ち合わせぬのか?」


 一人の男が憤然と指差した先を、フェリスは視線で追った。


(あの人が……二連続優勝の、ドナーソン将軍……)


 その男は、一人で立っていた。

 話しかける者もなく、近づく者もなく、ただ一人で。


 髪にも、口髭やあごひげにも、白いものが多く混じっている。

 だが、濃い緑を基調とした衣装に包まれたその長躯は、がっしりと引き締まり、年齢を一切感じさせない。  

 盛り上がった肩は、その腕によって振るわれる剣の威力を想像させる。

 隙のない立ち姿は、立ち合いの巧みさを思わせる。  

 そして、その目つき。


(あの人、まるで……たった一人で、戦場に立っているみたい――)  


 フェリスは、思わず息を呑んだ。  

 ドナーソン将軍の周囲だけは、空気が違っていた。

 高価な香水や楽の音ではなく――まるで、そこにだけ、土埃の立つ、熱く乾いた風が吹いているような。


 限界まで鍛え上げられ、研ぎ澄まされた、長大な剣。

 フェリスは、そこに立つ男から、そんな印象を受けた。

 誰よりも鋭く、触れるもの全てを切り裂き――それゆえに恐れられ、人は寄り付かぬ。 

 この男が、黒幕なのか? それとも……  

 そして、この男と、あたしは戦うのか。


「フーッ……」


 自然と呼気が漏れた。

 身の内が、かっと熱くなる。

 高価な酒のためばかりではない、それは、純粋な興奮だった。

 今、自分の目の前にいるのは、本物の・・・強敵だ。


 巌のようなドナーソンの顔が、ぴくりと動いた。

 視線が、ゆっくりと巡らされる。

 青い目が、ぴたりとフェリスの顔を見据えた。  

 その瞬間、背筋をぴりぴりと走り抜けた震えは、恐怖ではなく、武者震いだ。

 臆さず、見返す。  


 その場にぴんと張り詰めた、一本の強靭な糸のごとき緊張に、居合わせた者たちもさすがに気付いたらしい。  

 壁際の貴顕たちが振り向き、見たこともない姫君と、疑惑の将軍が微動だにせず睨み合う様を目の当たりにしてざわめく。  


 楽の音が、遠ざかる。

 香水の匂いが、かき消える。  

 二人のあいだに吹き交わされたのは――戦場の、血と土のにおいを含んだ風。


 フェリス自身、気づいてはいなかったが、彼女のくちびるには、淡い笑みが浮かんでいた。

 みどりの目が底光りしている。

 全力を賭して立ち合い、打ち負かすべき、敵だ。

 負けてなるか。


(あなたに、勝つ……!)


 その、瞬間だった。

《青の広間》じゅうの照明が、一斉に消えた。



     *      *      *



「!?」


 それまで輝くばかりの光に満たされていた《青の広間》が一転して闇に閉ざされた瞬間、となりあう《臙脂の間》の照明もまた、それに連動するように消え去った。

 女性たちの金切り声、男たちのどよめきが、一瞬にして場内を満たす。


(魔術だ!) 


 グウィンは反射的に《青の広間》への扉があるはずの辺りに向かって駆け出した。

 視界はまったく利かないが、だいたいの位置関係は把握できている。


 周囲が闇に閉ざされる寸前、《光子》が動くのを感じた。

 暗闇を生み出す魔術が、ここと、そして《青の広間》で同時に用いられたのだ。

 尋常の事態ではない。

 一刻も早く、フェリスのもとに駆けつけなくては――

 その肘を、誰かが、ぐっと捕まえた。


「お待ちなさい!」  


 ぼうっと浮かび上がったのは、例の貴婦人の顔だった。

 取り巻きのひとりが、相変わらずの無表情で、凝った細工の携帯用手燭を差し出している。


「放せ!」


 もはや、相手の身分などに構ってはいられない。

 彼女の手を荒々しく振り払うと、混乱する人々のあいだを縫って、再び走り出そうとする。

 そんな彼の足に、突然、何かが絡みついた。


「うっ!?」


 まともに足を取られる。

 床に転倒したグウィンを、何本もの手が押さえつけた。

 慌てて首をひねり、見上げれば、貴婦人の取り巻きたちだ。


「貴様らぁっ!」


 こいつらが、敵の回し者か?

 グウィンの目に殺気が走り、その衣服が風を孕んだようにはためいた。

 急激に呼び集められた《光子》の流れが、大気の動きとなって具現化しているのだ。

 こんな場で魔術を使えば、極刑もまぬかれない。

 だが、そんなことは、グウィンの脳裏をかすめさえしなかった。

 フェリスを、守らなければ――!


「あなた、落ち着きなさい!」


 熱くなった思考に冷水を浴びせるように、ぴしりと、貴婦人が言い放つのが聞こえた。


「これは、芝居の演出に過ぎないのですよ!」


 ――数秒のあいだ、理解できなかった。

 今、一体、何を言われたのか。


「な……に?」


 グウィンが思わずそう呟くころには、周囲の人々のざわめきは、微妙に調子を変えつつあった。

 それは、もはや、恐怖と混乱ではなく――


「ほら、ご覧なさい」


《臙脂の間》のあちこちで、蝋燭が灯されている。

 かそけき灯りが、貴顕たちの顔を照らし出す。

 それを手にしているのは、ぼろぼろの服を身につけた人々だった。

 だが、本物の浮浪者が、それも、これほどに大勢《輝けるマーズヴェルタ》に入り込んでくるはずがない。


 役者たちだ。

 彼らは、蝋燭を手に、声もなく見つめる人々のあいだを縫ってよろよろと《青の広間》へと入っていく。


 そして、その後を追うように姿を現したのは、漆黒の衣装を身につけた役者たちだった。

 彼らは皆、鎌や、三叉の槍や、とげのついた棍棒といった恐ろしげな武器を手にしていた。

 顔は、死人のように蒼白く塗られている。

 角が生えていたり、蝙蝠のような翼があったりと、姿にも不気味な趣向が凝らされていた。

 書物などで幾度も見たことがあるその姿に、グウィンは、思わず口に出す。


「これは……《魔性》の、扮装……?

 それでは……これは、五百年前の《大戦》の――?」


「芝居は静かに愉しむものです」


 貴婦人が小さくうなずくと、取り巻きたちは忠実な猟犬のように、グウィンを押さえつけていた手を一斉にどけて引き下がった。


「魔術師、あなたは、あの少女を本当に大切に思っているのですね。

 けれど、無茶はなりませんよ。その姿で《青の広間》に踏み込めば、斬り殺されても文句は言えません。

 あの部屋には、皇帝の配下の精鋭たちが幾人も、変装して紛れ込んでいるのですから――」


 貴婦人の口調が、変わっている。

 金と権力はあるけれども頭の軽い、若い男にうつつを抜かす女の印象は、嘘のように掻き消えていた。


「あなたは……いや、あなた、さまは……」


「扉のところまでならば、来てもかまわないのですよ、魔術師」


《魔性》に扮した役者たちは、ぼろを来た人々を追って《青の広間》へと入っていく。

 さらにその後を追うように、ゆったりと歩き出しながら、貴婦人は、いたずらっぽくグウィンに微笑みかけた。


わたくしの・・・・・演出を、できるだけ多くの人に見てもらいたいですからね」


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