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ルーシャ・ウィル・リオネス

「何だ!?」


 灯りが消えた瞬間、人々のあいだから悲鳴が湧き起こった。

 その場にしゃがみこむ者、自分の位置を見失ってあたふたし、壁をもとめて手を振り回す者。

やみくもに走り出し、しゃがみこんだ者につまずいて倒れる者――


 その瞬間、真っ先にフェリスがしたことは、踵の高い靴を交互に踏みつけるようにして脱ぎ捨て、左腰を手で探ることだった。

 だが、そこに慣れ親しんだ感触はない。

 指先が虚しく空を切っただけだ。


(しまった! 今夜は、帯剣してない……!)


 ドレス姿のまま、足首に仕込んだ短剣を手にするのは、騎乗装備の甲冑を身につけて最敬礼をするのと同じくらい難しかった。

 スカートをふんわりと見せるためのパニエをばきばき言わせながら、どうにか足首の短剣をつかみ、引き抜き、身構える。


(どこから来る、どこから――!?)


 神経を研ぎ澄ましながら、思考には、冷静な部分を確保している。

 この《輝けるマーズヴェルタ》で広間の照明を一斉に落とすとは、いったい何者が、どういう技を使ったのか?

 ドナーソン将軍の仕業なのか。

 だが、直前まで、彼は何の動きも見せていなかった。

 あるいは、彼の配下がどこかに潜んでいたのか?  

 それにしても、どうやって?

 あれほど大量の蝋燭を、それも、天井から吊られたシャンデリアに灯されているものを、一斉にかき消すことなど普通は不可能だ。

 だとすれば――


(魔術!?)


 敵には、魔術の使い手がいるのか。

 それならば、絶対に、グウィンの助けが必要だ――


「……あれ?」


 その時になって、不意に奇妙な雰囲気の変化を感じ、フェリスは目をぱちぱちと瞬かせた。

 混乱状態だった人々の声が、すうっと、波が引くように静まっていったのだ。

 そして――広間のあちこちに、ぽつりぽつりと、蝋燭の光が灯りはじめた。


 中央付近にいた人々がざわめき、左右に分かれて道をあける

 そこに姿を現したのは、ぼろぼろの衣装を身につけた人々と、真っ黒な衣装を身につけ、《魔性》の不気味な扮装をした人々だった。


「お……」


 呆気に取られ、思わず口に出して呟く。


「お芝居……?」


 伝統的な様式に従った特徴ある動作があらわすのは、苦痛、嘆き、そして支配、嘲笑――

 役者たちは、一切、口を開かない。

 無言劇だ。

 だが、それが、どんな物語をあらわすものであるのか、フェリスにもわかった。


 今より、五百年の昔に起きた出来事。

 人間種族と《魔性》との一大戦争――

《大戦》と呼ばれる、古の戦いの物語だ。


 《魔性》に虐げられた同胞たちを救おうと、幾人もの人々が立ち上がり、挑むが、敵の力はあまりにも強大であった。

 挑んだ者のことごとくが返り討ちにされ、無残な死を遂げていく。

 無言のままに演じられる苦悶、絶望。

 そして、全ての希望が潰えたか、と思われた、そのとき――


 その《剣》は、出現した。  


 おお……と、千ものため息がひとつになる。

 不意に、いずこからともなく姿を現した、一人の人物。

 純白のフードをかぶり、ローブに身を包んだその人物が、抜き身の剣を掲げ、《魔性》たちのほうへと歩み寄っていく。

 その刃はまるで、透き通る水晶でできているかのように見えた。

 刀身に彫り込まれているのは、今の人間には読むことのかなわない古代の文字。

 護拳は、銀色に輝く翼を模して――


 白いローブの人物が立ち止まり、剣を高々と差し上げる。

 同時、同じく白いローブ姿の役者たちが人混みのあいだから次々と立ちあがり、剣を持つ人物を円形に取り巻いた。

 中央で剣を掲げたひとりを含めて、全員で、十二人。

 そして、どこからともなく、厳かな合唱の声が響き始めた。



   空が  闇に覆われて  世界が暗くなったときに

   希望  全て砕かれて  最後の光が消えたときに


   救いは現れた

   炎のように 

   輝いて  人々の心を

   照らし導いてくれた


   恐れる心に  勇気を

   哀しむ心に  悦びを

   そして 暗闇に光を

   希望という名の 光を――



(あれが……《翼持つ女神の剣エルベリオン》……)


《大戦》を終結させたのは、他の十一柱の神々とともに、翼を持つ乙女の姿をして地上に降り立った女神であった、と伝説は語る。

 女神は自ら剣を振るい、《魔性》の首領を討ち果たし――

《大戦》が終結した後は、剣を残して、いずこへともなく去ったという。

 その剣は、レティカ王国の宝物庫に秘蔵され、レティカ王国が倒れて後は、リオネス帝国の皇帝家に受け継がれたのだと……


 それでは、あの剣が、そう・・なのか。

 フェリスは、食い入るようにその剣を見つめた。


 代々、御前試合の優勝者に授与されてきた《翼持つ女神の剣エルベリオン》。 

 授与されるといっても、あくまでも形式的な所有者となるだけで、実際に剣が保管される場所は《輝けるマーズヴェルタ》の宝物庫なのだが……

 それは、全ての剣士にとって、何者にも代えがたい栄光の証。


 ――やがて、《魔性》に扮した役者たちがすべて床に倒れ伏し、合唱の余韻も消えて、広間に沈黙がしみとおる。

 白いローブの人物は、蝋燭の光に照らされながら、静かに剣を下ろした。

 そして、言った。


「今、この部屋を照らすのは、わずか数本の蝋燭の光……」


 女性の声だ。

 それを耳にした途端、貴族たちが、目に見えない巨大な刷毛(はけ)で一撫でされたかのように、一斉に身体を揺らした。

 フェリスは、目を見開いた。

 白いローブの女性を中心として、まるで草が風に吹き倒されるように、全員がその場に膝をついたからだ。


 女性は、芝居の続きを思わせる、抑揚のついた声で語った。

 ひそやかに、けれど、広間の最も隅にいる一人にまで届くように、力強く。


「そう、小さな灯り。……しかし、暗闇を覚えている者にとって、この小さな灯りの、なんと頼もしいことでしょう。

 戦乱の時代は遠い昔に過ぎ去り、今、わたくしたちは平和を謳歌することを許されています。

 平和は富を生み、そして……驕慢を呼びます。

 千の蝋燭を灯したシャンデリアに慣れれば、ほんの数本の蝋燭の灯りなど、人は、無いも同然と思ってしまいます。

 しかし、今、この小さな灯りのおかげで、あなたがたは、わたくしの姿を見ることができる。

 そして、わたくしは、あなたがたの姿を」  


 白いローブの女性は、目の前にひざまずいた者たちすべてを包むように、大きく両腕を広げた。


「この仮面舞踏会のはじまりを、皆さんはご存知のはずです。

『仮面をつけるとき、人は、その者ではなくなる』――

 新しい一年を迎えるにあたり、古い自分を捨て、心を新たにする。

 その決意をあらわすための、これは、儀式だったのです」  


 贅を尽くした衣装できらびやかに着飾った貴顕たちが、恥じ入るように顔を伏せた。  

 と、その空気を読み取ったのか、白いローブの女性は、急に口調を柔らかなものにして、


「もちろん、愉しいお祭り騒ぎは、わたくしも大好き。ですから、みなさん、大いに楽しんで構わないのです。

 ――けれど、わたくしたち皆、心の片隅には、いつも留めておくことにいたしましょう。

 かつて、大いなる暗闇があったことを。

 それに立ち向かう、人間の勇気があったことを。

 今、わたくしたちが当たり前のように享受している平安は、かつての人々の決死の戦いによって勝ち取られた、この上なく貴重で、尊いものであることを……」


 思わず周囲に合わせてひざまずいていたフェリスだが、このときにはさすがに、白いローブの女性の正体に気付いていた。

 そして、自分が、いつの間にか涙を流していることにも。

 頬を拭おうと手を挙げかけたところで、自分が短剣を握ったままだったことに気付き、必死でごそごそと足首の鞘に戻す。

 ついでに脱ぎ捨てていた靴も履き直したが、幸いなことに、周囲の人々は食い入るように白いローブの女性を見つめており、フェリスの動きに注意を払う者はいなかったようだ。  


 これだけの人間の心を、これほどまでに、動かす。  

 それは、巧みな演出、流麗な弁舌――

 それ以上に、その人物の人間性が持つ、圧倒的な力によるものだった。


(そうなんだ……この方が……)


 白いローブの女性は、大きくうなずいた。


「そのことさえ忘れなければ、後はよろしいの。――さあ! 音楽を!」


 急に、眩いばかりの光と音楽が復活し、《青の広間》を埋め尽くした。

 一同はあっと声をあげ、目を片手でかばった。


「光の世界!」


 大きく手を広げて叫んだ白いローブの女性の、そのローブを、控えていた侍従たちがさっと左右に引いた。


「おおっ……!」


 人々が一斉にどよめく。

 純白のローブの下から現れたのは、高々と結い上げられた黒髪と、蝶の形の仮面、けばけばしい装飾が施された真っ赤なドレスだ。


「平和で、贅沢な世界!」


 くるくると回り、滑稽な身振りで叫ぶその貴婦人に、貴族たちのあいだから、笑い声と賛嘆の拍手が湧き起こった。

 その貴婦人――

 リオネス帝国皇帝、ルーシャ・ウィル・リオネスは、高らかに宣言した。


「わたくしたちの世界!

 ――さあ、皆さん、立つのです。今宵は、仮面舞踏会。わたくしの演説は胸の片隅にしまっていただいて、共に、心行くまで踊り明かしましょう!」


「皇帝陛下、万歳!」


「ルーシャ・ウィル・リオネス陛下に、神々の祝福を!」


 立ち上がった人々が、口々に歓呼の声をあげる。


(すごい……)


 たちまち興奮のるつぼと化した大広間の片隅で、フェリスは、感動のあまり立ち尽くしていた。

『常に備えよ。質実剛健であれ』――

 そんな父祖の教えを、彼女は、暗闇を用いた演出と芝居という方法を用いて、人々の心の奥底に鋭く射込んだ。

 そして、せっかくの宴席が白けてしまうことのないよう、跳ね上がるような反動の演出によって、場の空気を一気に陽気なものとしたのだ。

 人の心を意のままに動かす、鮮やかな手腕。


(これが、皇帝陛下の……ルーシャさまの力なんだ。親父が言ってた通りだわ。ほんとに、すごい人……)


 侍従たちを従えて白い(きざはし)を上り、玉座についたルーシャの堂々たる姿を仰いで、フェリスは、心からの尊敬の念に打たれていた。

 皇帝は《翼持つ女神の剣(エルベリオン)》を、まるで(しゃく)のように床についている。


(……あ!? そうだっ、ドナーソン将軍は!?)


 あの芝居が始まって以来、完全に失念していた。

 まったくもうっ、リューネの戦士にあるまじき失態っ、と内心くちびるを噛んで、きょろきょろと周囲を見回す。

 ――と、そこへ。


「翼持つ女神よ、一曲、ダンスをお相手いただけますか?」


 低く、ひどく魅力的な声が、フェリスの真後ろからかけられた。



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