白い世界 4
「大丈夫……って……?」
当然、ミヤ君は疑問に思ったようだ。彼の泣き出しそうな様子に、私は確信がないのに口走ってしまった。ミヤ君の表情が、何もわかっていないはずなのに瞳の奥に微かな希望を宿しているように見えた。今さら何でもないなんて、言えない。
「路線図を見てごらん」
だから例えこの考えが確かじゃなくても……いいや、私が信じたこの考えを告げよう。きっと間違っちゃいない、大丈夫だ。
「この電車は一番右から発車して、今9つ目の駅に到著しようとしているんだ」
「うん」
「この電車のルールは知ってるかな」
「……乗り降りが、ひと駅にどちらか一人だけ、だっけ?」
私は頷く。
「そう、そして君は2つ目の駅から間を入れずに乗降を繰り返した。次に君は9つ目の駅で降りる」
「また死んだら、10つ目の駅で乗ってくるんだろうね」と、ミヤ君は嘲笑する。それに対して今度は首を横に振った。
「10つ目の駅では、私が降りる」
「カノが……?」
「そう。私が降りれば、この電車には誰も乗れない。それがルールだから」
「だから、僕はその電車に乗ることはない?」
「その通り」
だから大丈夫。と、言いたいところなのだが……ミヤ君がこの電車に乗らないことと死なないことは直接的に結びつかない。彼も何も言葉を返しはしないが不安な表情は拭えずにいる。
「でも、最後の駅で私が降りなかったら君は乗ってくるかもしれない、この電車は折り返してまた走り出すだろうね。でも私が降りることで少なくとも今まで繰り返してきた法則性を壊すことができる、それが何かに繋がるかもしれない。確信は……無いのだけれど……」
最後の最後でやっぱり自信をなくしてしまった。死を約束されたミヤ君にこんな不確定要素たっぷりの慰めの言葉をかけて、私は酷い奴だ。
「わかった、信じるよ」
でもミヤ君は信じた。
「ホントに……?」
「うん、だからカノも、頑張って降りてね」
「あ……」
もしかして、シノ君の時から気づいていたのか。
「よいしょっと」
ミヤ君が立ち上がる。外にホームが見えた。9つ目の駅だ。
「多分カノは、どこからか落ちたんだと思う」
開いたドアの前に立って、背中を向けながらミヤ君は言った。
「このホーム、電車と同じ色だし、そもそもこの世界にはこの色と白の2色しか存在しない。赤いライトと僕たち人を別としてね。だから僕も降りる時、どれくらいの段差があるのか正直わからないんだ。カノは言ったよね、このホームが暗い闇に見えるって、きっとカノは暗い時間帯、光もない真っ暗な場所で何処かに落たんだ。それがきっと、このホームと重なって見えてしまっている」
「……」
一瞬、ほんの微かにだが、私の脳裏にある映像が浮ぶ。
そうだ、私は──
「それじゃあね、カノ。……まぁ、失敗しても、またカノに会えるなら許せる気がするよ。その時は17歳の僕をよろしくね」
ミヤ君は最後にそう笑って電車を降りた。また車内に静寂が訪れる、走行音も、機械音もない、本当に無音の世界だ。路線図を見る、9つ目と10つ目の中間で光る赤色は、最後の駅を示したところでひとまずの役割を終えることだろう。
椅子に座る私の体はずしりと重くなった。
真っ暗な場所でどこかに落ちたんだ。ミヤ君のその言葉でハッキリとわかった。
私は自ら命を投げ捨てたんだ。真夜中に家を飛び出し、どこか高いところへと登った記憶がある。街灯もないどこかに。そこから私は……
その次の瞬間にはあのホームにいた。
「ろくな記憶もないのに立派に怖がっちゃって」
自己嫌悪を込めて呟いた。どうして自殺を図ったのかは思い出せないけど、それならそれでいい。そのかわり今の私にまとわりつかないでほしかった。
私はしばらく俯いて何も考えずにいた。ぐったりと、ぼーっと、時々足をぶらぶらさせたがそれだけだ。しばらくして私が顔を上げたのは、視界の端で何かが動いたからだった。
ドアが開いていた。私はバッと立ち上がってドアの前まで駆けた。降りなくちゃ、ここでミヤ君が乗ってきてしまう可能性があるんだから、乗ってくる前に私が降りなくちゃ……!
しかし勢いよく駆けたわりには、私の体はホームと電車の境界を目の前にして停止してしまった。暗闇だ、目前に底なしの黒が私を待っている。
ちがう、これは幻覚だ、そこにあるのはクリーム色のホームだ。
私は何度も自分に言い聞かせた。でも体は動かない。ミヤ君が……入ってきてしまう。
「くそ、動け、動けったら!」
半ばやけくそに叫んだ。それでも私の足は動かなかった。
…………ごめん。
そう諦めかけた時だった。
──まぁ、失敗しても、またカノに会えるなら許せる気がするよ。
別れ際の、あのミヤ君の声が聞こえた気がした。
冗談じゃない。私は下半身に全力を込めるつもりで踏ん張った。こんなところで立ち止まってられない。こんなところで、こんなところで。
「……どうせ、会うなら、あっち、で、会おう……よ……ッ!!!」
私に絡みつく何かがほどけた感覚。目の前にはあの白いホームがあった。目一杯足腰に力を入れていた私は不細工にも電車から飛び出して転んでしまった。
でも、降りれた。
振り向くと既にドアは閉め切っていた。音もなく電車は折り返して走り去っていく。
「降りれたよ、ミヤ君……」
そして私の体も、意識と共に光へ溶けていった。