第25話 土曜の買い物はただの付き添いのはずだったのに、どう見てもデートみたいになるのは聞いてない
土曜の昼、藤宮みずきは自分の部屋で三回着替えた。
「……いや、違う」
鏡の前で、みずきは自分に言い聞かせる。
これはデートではない。
ただの買い物だ。
部活用のバッグを見て、スポーツ用品を見て、ついでに雑貨を少し見るだけ。
影山はたまたまそれに付き合うだけで、別に特別な意味なんてない。
――ない、はずだ。
「なのに何でこんな悩んでんの、私」
ベッドの上には脱いだ服が二着。
部活帰りっぽいラフすぎるやつは違う。
でも張り切りすぎてる感じが出るのも嫌だ。
結局、白の半袖トップスに薄いブルーのカーディガン、動きやすいスカートに落ち着いたスニーカー、という“がんばってないように見せたいけど、ちゃんと見える服”へ落ち着いた。
自分で考えていて、かなり面倒だと思う。
でも、仕方ない。
影山涼太と二人で買い物に行く。
その事実だけで、今日はもう十分に普通じゃないのだ。
「よし」
小さく気合いを入れて、みずきは家を出た。
◆
駅前のショッピングモール前で影山を見つけた瞬間、みずきは少しだけ安心した。
変に待たせていないか。
ちゃんと来るよね。
服、変じゃないよね。
そういう、家を出てからずっと頭の端で騒いでいた小さな不安が、一回だけ静かになる。
影山はいつものように、少しだけ地味で、でも清潔感のある私服だった。
シンプルなシャツに黒っぽいパンツ。
気合いが入っているわけではないのに、ちゃんとして見えるのがなんだかずるい。
しかも、こちらに気づくとすぐに手を上げた。
「おはよ」
「お、おはよ!」
思ったより大きい声が出た。
やばい。
落ち着け。
影山が少しだけ首をかしげる。
「午後なのにおはようなんだな」
「うるさい! 細かい!」
「いや、別にいいけど」
そのまま少しだけ笑う。
その笑い方が自然すぎて、みずきの胸のあたりがまた少し落ち着かなくなる。
「じゃ、行くか」
「うん」
二人で並んでモールへ入る。
週末の昼だけあって人は多い。
家族連れ、カップル、友達同士。
そういう中に混じって歩くと、ますます“二人で来てる”感じが強くなるのが困る。
しかも影山は、そういう空気をあまり気にしていない顔をしている。
……いや、たぶん多少は気にしている。
でも表に出すのがうまいだけだ。
「まず何見るんだ」
「スポーツ用品かな」
「バッグだっけ」
「うん。あとシューズケースも見たい」
「分かった」
答え方が、やっぱり普通だ。
普通すぎて、逆にこちらだけ意識しているのがばれそうになる。
◆
スポーツ用品売り場で、みずきは本気で悩んだ。
部活用のバッグは大きすぎても邪魔だし、小さすぎても入らない。
デザインも派手すぎるのは嫌だし、でも地味すぎると気分が上がらない。
「これどう思う?」
黒地にワンポイントの入ったバッグを持ち上げる。
影山は少しだけ離れた位置から見て言った。
「無難」
「それ褒めてる?」
「必要な条件としては正解じゃないか」
「テンション上がる感がない」
「じゃあやめろ」
即答される。
「えー」
「おまえが欲しいのって、実用だけじゃないんだろ」
その言い方に、みずきは少しだけ目を丸くした。
「……まあ、そうだけど」
「なら、それ持ってる時の自分を想像して、あんまり上がらないなら違う」
「何その言い方」
「買い物ってそういうもんじゃないのか」
その返しが、妙に納得できてしまう。
みずきは別のバッグを手に取った。
ネイビーで、肩紐が少し細めで、見た目が重すぎないやつ。
「じゃあこっち」
影山は今度は少し近くへ来て、実物を見た。
「それの方がいい」
「理由」
「おまえっぽい」
みずきは止まる。
おまえっぽい。
その一言が思ったより強かった。
「……何それ」
「いや、元気そうだし」
「元気そうなバッグって何」
「雰囲気」
「雑」
でも、うれしい。
自分らしいかどうかをちゃんと見て選んでくれた感じがして、みずきは少しだけ顔が熱くなる。
「じゃ、これにする」
「ん」
決まると早い。
影山は店員でもないのに、変に主導権を取るわけではなく、必要な時だけ短く答える。
その距離感が、本当にちょうどいい。
「シューズケースも見ようかな」
「どうせなら今一緒に見ろ」
「うん」
そうして二人で並んで棚を見ていると、近くを通った女子二人組がこちらをちらっと見た。
その視線の意味を、みずきはなんとなく分かってしまう。
あ、あの二人、そういう感じなんだ。
みたいな視線。
やめてほしい。
でも、少しだけ嫌じゃない自分もいて、余計に困る。
◆
一通り買い物が済んだ頃には、思ったより時間が経っていた。
「のど乾いた」
みずきが言うと、影山がすぐにフードコートの方へ顎を向ける。
「じゃあ休むか」
「うん」
週末のフードコートは混んでいた。
なんとか空いている二人席を見つけて、向かい合って座る。
みずきはレモネード、影山はアイスコーヒー。
トレーを持って戻ってくる影山を見て、みずきは妙な気持ちになった。
こういうの、もう完全に“買い物の途中のそれ”じゃないか。
いや、だからただの買い物なんだけど。
でも、傍から見たらどう考えても。
「何」
影山がトレーを置きながら言う。
「見すぎ」
「見てないし」
「見てた」
「見てないって」
「どっちでもいいけど」
そう言って、影山は向かいに座る。
すぐに飲み物へ手を伸ばさず、みずきの手元の袋を見て言った。
「バッグ、持つか?」
「え?」
「いや、おまえ今からまだ雑貨見たいんだろ」
「……持ってくれるの?」
「重くはないけど、邪魔だろ」
ごく自然にそう言う。
みずきは一瞬だけ固まった。
これだ。
こういうのだ。
大げさなことは何もしない。
でも、“今ちょっと面倒そうだな”という場面だけは見逃さない。
それを当然みたいな顔でやってしまう。
「……じゃあ、お願い」
「ん」
影山がバッグの袋を自分の足元に引き寄せる。
それだけで、どうしてこんなに“二人で来てる感”が増すのか。
「影山ってさ」
「ん?」
「ほんと彼氏向いてると思う」
レモネードを飲みながら、みずきは何気ないふりで言った。
言ってから、自分で少しだけ緊張する。
影山はストローをくわえたまま少しだけ止まり、それから言った。
「またそれか」
「だってほんとにそうなんだもん」
「褒められてるのか分からない」
「褒めてるよ」
影山は少しだけ目を逸らした。
「そういうの、あんまり慣れてない」
「何に?」
「そういう、彼氏向いてるとか言われるの」
思っていたより正直な返しに、みずきは少しだけ笑う。
「へえ」
「何だよ」
「いや。なんか安心した」
「何に」
「いや、こっちの話」
本当は、“そういうのに慣れてる人じゃないんだ”と思って安心したのだ。
自分だけが勝手に振り回されているわけじゃないのかもしれない、と。
でも、そこまではまだ言わない。
言ったら、たぶん今日はもっと落ち着かなくなる。
◆
雑貨売り場へ移る頃には、空気が少しだけなじんでいた。
買い物のペースも、会話のテンポも、午前中よりずっと自然だ。
みずきは気づく。
ああ、自分はこういう時間が欲しかったのかもしれない、と。
相談でもなく。
誰かを交えてでもなく。
ただ、二人で歩いて、見て、話して、笑うだけの時間。
「これかわいくない?」
手に取ったのは、細いブレスレットだった。
夏向けの、シンプルで少しだけ明るい色のやつ。
影山は少しだけ近づいて見た。
「似合いそう」
また、それを言う。
しかもすごく自然に。
「……何その返し」
「何が」
「平気でそういうこと言うの」
「似合いそうってだけだろ」
「それがずるいの!」
思わず強く言ってしまって、みずきは自分で口を押さえた。
やってしまった。
影山が本気で困った顔になる。
「……今日、やっぱおまえちょっと変だな」
「変じゃない!」
「いや変だろ」
「変じゃないってば!」
店の人がちらっとこちらを見る。
まずい。
みずきは顔を赤くしながら、小声で言い直した。
「……ごめん」
「怒ってるわけじゃないけど」
「分かってる」
「じゃあ何だよ」
言えるわけがない。
似合いそう、かわいい、そんなことを普通に言われるだけで、こっちはかなり揺れるのだ。
それを分かっていないところが、ほんとうに罪深い。
「……影山って、ちょっと無自覚だよね」
やっとそれだけ言うと、影山は少し考えたあと、肩をすくめた。
「それ、最近よく言われる」
「誰に」
「おまえら」
それで少しだけ笑ってしまう。
たしかに、ことりもレナもつばさも、似たようなことを思っていそうだ。
「じゃあ自覚して」
「努力する」
「ほんとに?」
「たぶん」
「全然信用できない」
「だろうな」
そう言って笑う影山の顔が、今日は何度も記憶に残る。
なんだか、前より少しだけ距離が近い気がする。
でもその“少しだけ”が、みずきにとってはかなり大きい。
◆
帰りの電車へ向かう前、モールの外のベンチで少しだけ足を止めた。
夕方の風が少し涼しい。
買い物袋は結局、最後まで影山が持っていた。
「ありがと」
みずきが言うと、影山は短く答える。
「ん」
「今日」
「うん」
「楽しかった」
言ったあとで、少しだけ照れる。
でも今日はもう、朝ほど慌てなかった。
影山も少しだけ目を細めた。
「それならよかった」
「うん」
そこで少し沈黙が落ちる。
人通りはある。
でも、二人の周りだけ少しだけ静かに感じる。
「じゃあ、今日のこと」
みずきが言う。
「何」
「相談の延長ってことで!」
影山が即座に言った。
「無理あるだろ」
「えー」
「買い物して、休憩して、雑貨見て、最後まで荷物持ってたんだぞ」
「そうやって並べるな!」
「事実だろ」
みずきは顔が熱くなるのを感じた。
たしかにその通りだ。
しかも影山がそれをちゃんと意識していたこと自体、少し意外でもあり、少しうれしくもある。
「じゃあ何」
みずきが聞く。
「普通に付き合っただけ」
「……」
その言い方が、なんだか妙に刺さる。
普通に付き合った。
相談ではなく。
口実でもなく。
ちゃんと、みずきに付き合った。
それが思っていたよりずっと嬉しくて、みずきは一瞬だけ言葉を失った。
「……影山」
「ん?」
「そういうの、ずるいから」
「何が」
「何でもない!」
やっぱり最後はそう言うしかない。
でも、何でもなくないことくらい、自分が一番よく分かっていた。
元気系女子の冗談は、たまに本気の入口だったりする。
そして今日という一日は、その入口の先へ、少しだけちゃんと進んでしまった気がする。
「また行く?」
思わず、みずきは聞いていた。
影山が少しだけ目を丸くし、それから言う。
「必要なら」
「必要だよ」
今度は迷わず即答できた。
影山はそこで、ほんの少しだけ笑った。
「じゃあまたな」
その笑顔を見て、みずきはもうだめだと思った。
これはただの買い物じゃない。
少なくとも、自分の中では。
「……うん。また」
そう返すのが精一杯だった。
駅へ向かう帰り道、みずきは自分の頬がまだ少し熱いことに気づいていた。
でも、その熱を冷ましたいとは思わなかった。




