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2-3

 そして次の日。朝のホームルームで有馬は、教卓に立ってチョークを握る統に熱弁を振るっていた。

「だーかーらっ、俺を花形種目に出場させろ! そうすればこのクラスを優勝候補にしてやるから」

「そんなことはできん。他のクラスでは運動が得意な者を規定種目数の五種目まで出している場合もある。けれどそれでは当校の運動会のポリシーである、『みんなで行う運動会』からはみ出ることになる。だから僕がクラス委員の場合、全員同じ数の種目を出てもらうことにしている。そうすれば疲れすぎる者もいなければ楽すぎる者もいない、平等だ。……まあ、優勝できるのなら話は別だが」

 頭の固い統だが、言っていることに間違いがないため、クラスの連中は有馬の味方などしない。というよりまずこの話を聞いていない。各々口々好き放題雑談している。よくあるダレたクラスの光景だ。

 今日は朝のホームルームで運動会の出場種目を決めることになっていた。普通なら各々の得意な種目にクラス委員が生徒を当てはめていき、反論がなければ決定という形になるのでそれほど時間はかからない。一〇分もあれば終えられる作業である。

 しかしホームルームが始まった途端、有馬があんなことを言ったので出場者は全く決まっていない。クラスメイトの雑談と有馬のやらせろと統のならんの声だけが教室を響かせる。

 出席を取り、あとはまかせたぞ、と統に出場者決めを任せていた担任は、全く進まない展開に痺れを切らし、有馬と統の話しに割って入った。

「おいおい有馬、どうしてそんなに統の言うことが不満なんだ? お前は体育の成績はそれほどよくない。それ以外は優秀だけど」

「いいえ、俺は実は運動もできるんです。能ある鷹は爪を隠すと言うでしょう? あまりにも何でもできすぎる人は出る杭を打たれますからね。だからずっと爪を隠していたのですよ」

「ならどうして今になって爪を出すんだ?」

「中学最後の運動会だからです。ここで花火を一発上げたいと思いまして」

 演技っぽいセリフ口調に妙にぎらついた瞳。こいつは何かおかしいと勘ぐる担任。

 元よりこのクラスは運動部に所属していた人数が少ないので優勝する確率はかなり低い。それは担任だけでなくクラス委員の統もそうだし、クラスメイト全員が思っている。やる気や勝つ気があるのなら本番五日前に出場者決めなど行わない。だが、そんなクラスを優勝に導くだけの力を有馬は持っているという。担任はどのみち敗者となるのなら勝負をしないよりはマシだろうと有馬のわがままを受け入れた。

「いいだろう、お前の好きにしろ」

「しかし先生。そこをまとめなければこのホームルームの意味がないです。そういう小さな部分からクラスのまとまりが無くなっていくのですよ」

 毅然とした態度で担任にも自分の信念を押し付ける統。担任は教室を見渡し、好き勝手話し、ホームルームに参加しない生徒達を見て、今さらまとまりもクソもないだろうと言いたくなったが、自分が言ってはおしまいだと言葉に出さず、統を納得させる方法を口にした。

「四時間目が体育だよな。そこで有馬が納得の行く運動能力を見せつければいいんじゃないか? 統もさっき言っただろ、優勝さえできれば文句はないって」

 優勝すれば賞品として学食の食券が一人千円分配られることになっている。たいていの生徒はそれを目当てで頑張るわけだが、統の場合、運動会で優勝したクラスの委員長としての名誉が欲しいのだ。そうすれば己のリーダーシップの自信に繋がると彼は信じている。

「ええ、いいでしょう。クラスの皆が、有馬にこのクラスを優勝できるだけの力があると納得させられれば、五種目の出場を快く認めます」

 そして四時間目、一本勝負ならいいと体育教師から了承を得た有馬は、このクラスで一番走力のある元陸上部短距離補欠の持木を指名し、トラックのスタート地点に位置した。

 ルールは百メートル一本勝負。しかし例え有馬が勝ったとしてもギリギリでは意味がない。一〇メートルは最低でも離さないと皆は納得しないだろう。

「おい、だれか足頼む」

 持木はクラウチングスタートをするため、足を支えてもらうようクラスメイトに呼びかける。

「おいおい、元陸上部が本気かよ? 相手は有馬だぜ。下から数えた方が早いんじゃないか?」

 笑い声を上げマジになるなよと茶化すクラスメイト。こんな奴らに頼った俺が馬鹿だったと持木はクラウチングスタートの体勢を解き、立ち上がろうとしたが、ちょんと誰かの足のつま先が足の裏に当たったので振り返る。

「僕がやる。そのかわり全力で走ってくれ」

 統は準備万端と足を置いて持木に指示する。

「おっ、ありがとうな。誰か有馬にもやってやれよ」

「いや、俺はいい。クラウチングスタートしないから」

 こいつは正気か、と持木は有馬を見つめるが、有馬はふざけた様子を微塵と感じさせない緊張を含む本気の表情をしていた。

「それがお前の走り方ならな何も言わないけど、お互いベストを尽くそう」

 そう言って持木は体勢を整え、いつでもスタートできる状態になり集中を高める。一方有馬は両手を前に出し、両足を前後に広げ少し屈んだ体勢を取る。

「おい、有馬、早く準備しろ」

 そう体育教師は注意するが、

「いえ、もういつでも大丈夫です」

 と、前方を見つめる。

「変なヤツだな。まあ、いい。これが授業ならしっかりしろというがな。じゃあいくぞ。位置について、よーい」

「リラさん、いくよ!」

 有馬は小さく呟く。

「スタート!」

 教師の声で決して良くも悪くもない安定感のあるスタートを切った持木。有馬はというと、雪車に乗りひっぱられるのを待つ子供のようにしてまだ立っていた。

 有馬は慌ててリラに声をかける。周りの生徒から変に思われるだろうが今はそれどころじゃない。

「リラさんはやく!」

「えっ、ドン! であたしが走るんと違うの?」

 金曜日の練習では確かに有馬は「よーいドン」と言っていた。しかしそんなことを思い出している余裕も時間も全くない。

 スタートをしない有馬に皆は怪訝な表情で見つめる。

「じゃあドン!」

 そう有馬が叫ぶと同時にミニ四駆やラジコンのようにいきなりエンジン全開で走り出す。加速というものがないのか、と一同は驚き眼を丸くして有馬を見る。

「リラさん、とにかくトラックに沿って走って下さい」

「よっしゃ、まかしとき!」

 一〇メートル以上あった持木との差が瞬く間にもぐいぐい狭まっていく。その有馬の走りに(正確にはリラの走り)クラスメイト、体育教師までが嘆声をもらす。

 持木にもうそこまでと詰め寄っていく有馬だが、リラが遅れを取り戻そうとしているのか力の制御を緩めているため河川敷のときより速度が速く、有馬の足は絡まり、今にも転けそうになる。

 有馬は転げまいとなんとか視線を上げ、体勢を整えようとしながらゴール地点を見据える。あと五歩ほど持ちこたえればゴールだ。横には持木、このペースならなんとか勝てる。そう油断した瞬間、有馬はヘッドスライディングをするようにして前から転けた。自分の足につまずいてしまったのだ。

 しかし転けたにもかかわらず、有馬のスピードは変わらず、ゴール地点を過ぎていった。それから五メートルほど進み、やっと停止。金曜の河川敷をデジャブした有馬だが、あのときよりも引きずられる距離は減っているので、リラも少しは学習したか、と安堵の表情を浮かべる。

 立ち上がろうと手を地に着けた有馬だったが、声をかけられたので視線を上げる。

「有馬、すごいじゃないか。スタートさえしっかりしてれば完全に負けだったよ」

 持木は清々しい表情をして有馬に手を伸ばす。さすがは元スポーツマン。

「そうか? ありがとう。ちょっとスタートのタイミングがわからなくて」

 引き上げられる有馬をクラスメイトが褒め讃える。

「有馬凄いじゃないか、ただのハッタリだと思ってたけど」

「そうだよ、スタートミスったときはあとで殴ってやろうかと思ったぜ」

「転けても早過ぎて止まらなかったもんな」

「あんな早く走る奴を初めて見たぜ」

 そりゃそうだ、記録さえとっていれば有馬が一〇〇メートルを駆け抜けた時間は九秒を切っていたのだから。

 ヒーローインタビュー状態でクラスメイトに囲まれる有馬のもとに、体育教師が割って入ってきた。

「ほんとすごかったぞ、有馬。だが、膝は大丈夫か?」

「へっ?」

 有馬は視線を下げ、膝元を見ると何やらオレンジの汁が傷口から溢れ、中々身が削られている状態になっている。それを見てしまった有馬は膝の辺りの麻痺状態が解け、その場にうずくまり痛いと声を漏らし、小さく「保健室」と情けなく訴えた。


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